阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第45号
穴吹町の産業と社会の変遷と地域づくりの課題

地域問題班(地域問題研究会)

   中嶋信1)・三井篤1)・樫田美雄1)   

   豊田哲也1)・出口竜也1)

1.はじめに
 地域問題研究会は、地域問題や地域政策のあり方など、地域の実践的な問題を社会科学的方法で分析することを課題としている。穴吹町の総合学術調査には5名が参加して、地域の人口構造、住民福祉の現状、地域産業の将来性と経営展望など、各人の問題関心に即して当該地域へのアプローチを試みた。調査者の構成は広域的であるため、調査の成果もまた多岐に及んでいる。それらの結論のことごとくをここに並べ立てることは適当ではないので、ここでは領域を限定して、穴吹町の経済構造の変化と地域づくりのあり方を中心に報告する。
 穴吹町の中心集落である穴吹は、穴吹川が吉野川本流に注ぐ地点に位置し、山間地域の生産物と生活必需物資の搬出・交換のため発達した、谷口集落である。後背地域の林産資源をもとにした家具・建具製造工場が立地したほか、うちわの生産もさかんであった。1914(大正3)年に徳島・池田間に徳島本線が開通して穴吹駅が設置されると、物資の輸送は水運から鉄道に移行した。1928(昭和3)年に穴吹橋が永久橋として開通すると、さらに吉野川両岸を結ぶ交通の要衝としての性格を強めた。そして、戦後はバス路線網の結節点として駅前は大きなにぎわいを見せていた。交通手段は時代とともに変化したが、穴吹町は吉野川中流域の経済交流の要の位置にあった。ただし、国民経済の高度成長の進展につれて、地域社会は激しく揺り動かされることとなった。そして、それは今日に及んでいる。
 著者らは穴吹町および脇町で地域の産業・社会構造に関する基礎データ(2)を収集・分析し、関係者からのヒアリングを重ねて、地域社会の変化を概括的に把握した。人口構造の変化は顕著である。穴吹町では過疎化・高齢化などの地域問題が深まっており、効果的な対策が求められている。地域問題は農林業など地域の基盤産業が解体することが基本要因である。そして近年は、高速交通体系の整備や経済の国際化などの外部要因により、地域社会の変動が加速されている。穴吹町の地域社会はいわば歴史的な転換点に立っている。

2.近年の産業と社会の概況
 1)地域の人口構造
 近年における穴吹町の人口および世帯数の動きを図1で確認しよう。1980年代後半以降、世帯数の減少率は鈍化しており、1995年からは2,650世帯でほとんど変化がない。しかし、人口の方はわずかながらも減少を続けている。転出が転入を上回る社会的減少は1990年代に入って小さくなる傾向にあるが、死亡数が出生数を上回る自然的減少は今後とも増え続けるものと予想される。若年過剰労働力の向都流出に始まった過疎化の流れは、「流出なき人口減少」とも言うべき新たな段階に入ったと言えよう。

 わが国の農山村における人口の長期的推移において、第2次世界大戦直後の増加は短期的かつ大幅なもので、その後の人口減少はある程度まで余剰人口の都市部への排出という面があったと考えられる。戦前・戦中期を通じて8万人弱で推移してきた美馬郡の人口は、1950年には9.7万人まで増加した。高度経済成長期を迎え、同郡の人口は1965年には8万人を割り込んで減少を続け、1995年には5.3万人となった。これは1920年時の人口の69.6%にあたり、1950年のピーク時に比べると54.4%に過ぎない。この期の人口流出の異常さが理解できよう。ただしその現れは、図2に示すように一様ではない。1950年を100として、町ごとの人口減少状況を読みとることができる。吉野川北岸の脇町や美馬町では1970年代に入りいったん減少に歯止めがかかったのに対して、南岸の半田町、貞光町、穴吹町では一貫して人口の減少が続き、はっきりとした対照をなしている。穴吹町では1950年に記録した17,240人から1995年の値である8,150人まで、45年間で半減したことになる。図2では省略したが、山間部の一宇村や木屋平村での過疎化はいっそう著しく、1995年にはピーク時の人口の30%をさらに下回っている。

 過疎による人口流出は特に若年層に多く、地域人口の高齢化が進行した。穴吹町における15〜29歳人口は1960年代に減少、1970年代は横ばい、1980年代は減少と、ほぼ10年周期で変動してきた。これは景気循環や労働力需給の変化を反映している。これに対して、65歳以上の高齢者人口は1985年の1,503人から10年間で2,180人まで増加し、人口総数に占める割合も25%を超えた。急激な高齢化への対策が急務となっている。
 2)産業構造の推移
 国勢調査によると穴吹町の就業人口は1975年:5,049人、85年:4,528、95年:3,559と近年は急減している。その内訳の推移を表1と図3に示す。人口の減少にともなって就業者数も減少を続けているのだが、とりわけ第1次産業の減少が著しい。1955年から1995年の40年間で農林業の就業者数は約10分の1になり、就業者総数に占める割合も72.7%から15.7%に低下した。第2次産業では製造業と建設業が大幅に増加しており、1995年の構成比はそれぞれ19.8%、17.7%となって農林業の値を上回って逆転している。ただし、町内に立地する工場はいずれも大規模とは言えず、製造業就業者の過半が町外の事業所で従業しているのが実態である。就業構造の面から見ると建設業の比重が高まっている。

 産業構造の編成替えとともに、地域の労働力市場は縮小基調で貫かれている。解体部門の農林作業職だけでなく、女子の事務職を除き、全般的な減少基調が認められる。また、徳島県の商業診断によれば(3)、商品・サービスの購買力は町外への流出傾向が高まりつつあり、卸売業・小売業の規模が縮小している。このため、サービス業の拡大が認められるものの、第三次産業の成長が押しとどめられている。一方、有力な雇用の受け皿と期待される建設業も停滞状況にある。交通網整備によって経済活動の広域化がいっそう進むが、そのことで穴吹町の産業はさらに動揺することが予想される。
 上記の動向は町民所得の推移によっても確認できる。町民所得は推計値であるため多くの撹(かく)乱項を含み、値は大きく変動しがちである。表2ではそれを避けるために、1970年代以降1994年まで、5年を単位として名目総生産を産業別に累計し、総額に占めるそれぞれの構成比で傾向を示している。農業・林業のシェアは16.6%から3.4%に低落している。これは就業者数の減少率を上回るもので、経営の零細さがもたらす生産性の低さが明らかである。1970年代後半には16.3%を占めた製造業は、1980年代に入って縮小が著しい。公共事業によると見られる建設業の比率が90年代に上昇しているほか、金融・不動産業の伸びが目立っている。穴吹町の経済構造は、大まかには、内部的には生産部門の縮小、サービス部門の拡大に加えて、全体としての成長の不安定という基調で特徴づけられよう。

3.地域商工業の現状と課題
 1)工業の現状と課題
 穴吹町は、徳島市から西へ約40キロ、高松市から南へ約35キロの地点にあり、JR徳島本線および国道192・193・492号線が交差するなど、徳島県中西部地域の交通の要衝に位置する町である。しかし、吉野川に接する町の北部こそ平地として開けているものの、他の3方が剣山山系の山並みに囲まれており、町の総面積の83%を林野が占めている。したがって、平地面積が狭く、土地単価も高いことから、大規模工業の立地が構造的に困難な状況にある。町内に立地する事業所は全体的に小規模なものが多く、その多くは縫製業や食品製造業に集中している。こうした事実は、吉野川の対岸に位置し、比較的大きな平地を有している脇町と対照をなしている。脇町には、徳島県で初めて環境認証規格であるISO14001を取得するなど最新鋭の設備を備えた松下寿電子工業の分工場、シンビジウムの種苗開発で世界最先端の技術を持つ河野メリクロンなど有力な製造業が立地しており、多くの従業員の雇用を下支えしている。この地域の地形上の特性ならびに工業集積度を念頭に考察すると、既存の工場の拡張や有力企業の工場誘致は、いずれも穴吹町において今後飛躍的な展開を望むのは困難に思われる。地域の健全な発展を望むのであれば、工業については対岸の脇町に譲り、広域的な視点で穴吹町の役割を検討すべきであり、あえて求めるのなら伝統地場産業である縫製業や食品製造業などで、こじんまりと独自性を追求することが現実的な路線であろう。
 その意味では、たとえばこの地の特産織物である「しらたえ織り」を、町の活性化にどう活用していくかなどはもっと検討されるべきであろう。体験施設「しらたえ工房」もあるが、中途半端な印象はぬぐえず、せっかくの取り組みが町全体の活性化にそれほど結実していないのが現状である。
 2)商業の現状と課題
 商業についても穴吹町は周辺の町と比較して不利な条件にあり、大きく後れをとっている。特に、工業と同様に脇町との格差の大きさは歴然としており、地形に関わる諸条件が大きく影響している。穴吹町の商業は、三島、穴吹、口山、古宮のすべての地区で近隣型商店が中心であり、もはや商店街の様相を呈しているとは言えないほどに空き店舗も多くなっている。既存商店による経営体質の改善のための諸方策が提示されている様子も見られず、他市町の商業施設に押されっぱなしであるといってよい。また、平地がほとんどなく、大型店舗の新たな立地も駐車場の確保も困難であるという地形の面での諸条件と、中心地区である穴吹地区の商店街における現在の重心が、交通の要衝であるJR穴吹駅前ではなく国道492号線沿いにあるという立地面での条件がこうした傾向に拍車をかけている。現状では既存店舗の連携による共同駐車場の確保や、共同店舗の建設による新たな商業集積の形成も困難に見え、まさにじり貧の状態である。大型商業施設(パルシー)を抱え、近年大手洋菓子店(シャトレーゼ、イルローザ、畑田本舗)やホームセンターの新規出店が相次いでいる脇町とは、まさに対照的な状況をみてとることができる。穴吹町民は普段の買い物は脇町、休日のレジャーを兼ねた買い物は徳島市や高松市の店舗を利用するようであり、購買力の流出は着実に、そして近年は徳島自動車道の開通もあいまってとみに急速に進んでいるようである。
 しかし、こうした厳しい状況の中、JR穴吹駅前に店舗を構え、独自の取り組みに挑む日の出本店の存在は特筆に値する。周知のように日の出本店は、阿波銘菓「ぶどう饅頭(まんじゅう)」の生みの親であり、近年は徳島中央公園そばに茜(あかね)庵を開店、独自の創作和菓子を比較的安価な価格で提供し、きめ細やかなサービスを行うことでファンを多く抱える県内和菓子業界期待の星である。稼働目前のぶどう饅頭専用工場は瓦葺(かわらぶ)きの屋根に白壁づくりの町屋風の外観を持つ。これはJR穴吹駅の外観に合わせたもので、駅前のトイレとともに集積を作ることにより街並み整備を少しでも進めていこうとする配慮が現れている。
 日の出本店は創業当初から革新的な製品づくりや広告(セスナ機をチャーターして広告ビラをまいたり、字あわせクイズを行い、賞品として饅頭を配るなど)を行ってきた。茜庵は17年前に現社長西川佳男氏が独立する形で開業した。その際「和菓子界のソニー」の異名をとる大津の叶匠寿(かのうしょうじゅ)庵で1年間修行を行い、経営理念や店づくり、製品づくり、サービスのノウハウを修得している。その知見をいかし、四国でとれた素材をいかしてつくられたのが茜庵の和菓子である。叶匠寿庵のコンセプトを受け継ぐ茜庵も伝統を大切にしつつ斬新(ざんしん)な商品を継続的に開発するという姿勢が大いに顧客を引きつけているのであろう。
 ただ、現状を見る限り、課題も多いようである。その第一は、周辺道路が整備され、モータリゼーションの進展により列車を利用する人が激減し、確実に顧客が少なくなっていることである。今から15年ほど前までは、剣山参りの客で駅前周辺は一面白装束だったそうである。穴吹町商店街の衰退を裏付けるエピソードといえる。第二は、店のコンセプトが転換途上にあり、それが中途半端な品ぞろえや店構えを形成してしまっているという点である。かつての土産物屋的な雰囲気が、茜庵の商品が比重を増すことで、茜庵的な雰囲気に移行しつつある。確かに、ぶどう饅頭は昨今の甘さを控えたお菓子が好まれる傾向に照らしてみれば、やや時代遅れの感は否めない。また、単価も安い。経営戦略として、ぶどう饅頭のイメージを払拭(ふっしょく)し、高付加価値型商品主体の店舗構成に移行することが模索されている。しかし、ここまで日の出を支えてきたぶどう饅頭を、あくまでも主体として維持したいという気分とのせめぎ合いに悩んでいるといえよう。第三は、必ずしも日の出本店が地域でリーダーシップを発揮する状況にないという点である。現社長が活動拠点を徳島に置いたことで地域内でのコミュニケーションが不足し、地域内での行動は抑制的となっている。地域商業の再生には新たな理念とノウハウが必要であり、そのような資質を持つ人材をうまく活用できていない状況を克服する話し合いが急務である。
 以上のように、穴吹町の商業に求められているのは、集団的な戦略の確立である。商店街の魅力度を高め、大型店舗と競争するためには、ありきたりの店構え、品ぞろえではおぼつかないであろう。多くは望めないであろうが、何らかの基準で独自性を打ち出し、集客できるような品揃えを既存店舗間で連携し、提案することが重要であろう。日の出本店の戦略は、そうした路線を考える上で格好の模範を提供している。商店間の連携をより強化し、たとえば、穴吹町の特産品を活用し、この店でしか手に入らない魅力的な商品を各店ともに一品は逸品を用意し、「一店逸品」運動を商店街単位で展開し、消費者にアピールするなどという方法などが考えられる。
 3)観光の現状と課題
 次に、観光面での現状と課題について考えよう。近年、徳島自動車道の開通や映画「虹(にじ)をつかむ男」のロケ先として紹介されたことをきっかけに、脇町が「うだつの街並み」を売り物に観光客を集めている。しかし、長時間滞在可能な集積がないなど、十分な経済効果を上げるまでには至ってないようである。このことは、町の垣根を越えた広域的な視点で、この地域における観光資源の集積を高めていくことが必要であることを示唆している。つまり、歴史的・文化的な集積を観光資源とする脇町を補完するかたちで周辺を整備することが望まれるということである。
 幸いにも、穴吹町は自然環境を中心とした観光資源に恵まれている。四国一の水質を誇る穴吹川をはじめ、森林も豊かであり、それらを活用した施設も徐々に整備されている。聞き取り結果からは、穴吹川を中心に町外からの入り込み客は増加中と判断できる。ただし、滞在型観光が十分に事業化されて地域経済浮揚に貢献するには多くの課題が残されている。町内の観光スポットを一巡して可能性を検討した。いずれも豊かな自然環境を有効に活用しているが、残念ながら、個別の施設が持つインパクトはどれも不足しており、集積として効果を上げていく方策が必要といえよう。また、休憩所、便所、案内板が不足気味で、穴吹川沿いの駐車場の整備は、シーズン中の休日の状況を考えると特に急ぐべきであろう。
 最後に、昨年4月に開業した宿泊保養施設「ブルーヴィラあなぶき」が持っていると思われる課題や、今後の可能性について考えてみよう。交流拠点として地域の期待が高い。われわれの率直な感想は、宿泊する者の立場に立てば建物などのハード面は十分に満足できるものであるが、料理がありきたりで、もう一工夫の必要性を感じた。当初は洋食レストランを予定していたが、建設途中に和食に変更されたとのことで、調理師の腕以上に厨房(ちゅうぼう)のレイアウトに弱点を含んでいる。レストランのテーブル配置も、背の高い大型のカウンター・テーブルを中央に据えるなど、デザイン重視はよいのだが、配膳(ぜん)サービスを考えると客で込んだ場合にはかなり混乱が予測される。まだ人手が絶対的に不足気味で、空室があっても宿泊予約を断る場合も招いている。ソフト面が未確立の状態が、かなりの機会損失を生んでおり、第三セクターが陥りがちな経営姿勢の甘さを指摘できよう。こうした対応は長い目で見れば、町の活性化という面で確実にマイナスに作用することは明らかで、早急な対応が必要である。また、各種イベント(カヌー教室、朝市、ログハウスの建築など)も現時点では夏場中心であり、今後は冬場に可能なイベントの開発も不可欠である。自然環境をフルに活用した滞在型レクリエーション施設として、今後の穴吹町の観光面での中核的機能をしっかりと担うまでにはもう少し時間が必要なようである。
 以上の点から、穴吹町が今後の地域の活性化をはかる上で最も現実的な展望は、恵まれた自然環境を有効に活用した産業の再編成の方向であり、周辺地域との連携の強化であろう。現状では工業・商業ともに脇町がすでに先行して集積を形成しており、商業における追随は市場規模の点から、工業については用地不足の点から、困難であろう。美馬郡全体を広域圏として想定し、その中での分業(住み分け)を考えるならば、穴吹町は自然環境をいかした観光・レジャーに特化することが有益であろう。それにより、うだつの街並みを売り物とする脇町と住み分けができるだけでなく、補完関係による相乗効果が成立し、より魅力的な観光資源の形成が期待できるからである。そして、こうした路線を補強するかたちで商業を再編成し、工業については思い切って他町村に任せることが美馬郡全体のさらなる発展にとってプラスに寄与するであろう。

4.地域林業の動向と課題
 1)地域林業育成の新たな担い手層の形成
 21世紀における世界人口の爆発的増加を想定すると、ニュージーランドと同じ大きさの森林を、この地球上のどこかに2カ月ごとに生み出さないと人類は滅亡すると森林研究者は計算している。「身近な森林資源の活用、地域林業を育てる」ということは、自分たちの地球環境を守ることにつながる。また、人間社会が豊かになっていくと、人間は快適な住空間を求めていく。日本のマーケットには世界中の建築資材が流通しているが、木材の持つ感性に勝るものはない。すなわち、自分たちの快適な住生活を子孫に伝えるためには、「地域の木材資源の高度な活用システム」が重要課題となって浮かび上がり、この問題解決こそが緊急に行うべき人類共通の責務であるとも言えよう。
 穴吹町は地域林業を以下のように位置づけ、振興を図っている(4)。
 1 林業生産性の向上、森林資源の高度利用等の観点から効率的な路線選定により、各種補助事業を積極的に導入し、林道、作業道の整備を促進する。
 2 広域基幹林道小島内田線、杖立線の開設に伴い、これと接続する支線的な林道、作業道の整備を図り奥地の林業開設を促進する。また、高越山〜二戸間の穴吹右岸の林道開設を促進する。
 3 スギ、ヒノキの長伐期大径木を中心とする、優良材生産団地の形成を図る。このため育林技術体系に基づき、適正な除間伐及び枝打施業の推進を図る。
 4 選木育林施業の浸透をはかるため、関係行政機関、森林組合、林研グループ等と連携し、技術啓発普及指導等に努め、モデル展示林の設置等を通じ、その普及を図る。
 5 間伐、保育等の実施に当たっては、森林組合への施業委託等を積極的にすすめ、計画的集団的な施業の実施を図る。
 6 椎茸等特用林産物の振興及び山菜並びに薬草の加工販売の推進を図る。
 7 不在森林所有者(町外転出者等)への森林整備への参加を促し、山村と都市の交流を進める。
 8 林研グループ、林業後継者の育成を図る。
 9 森林組合の育成強化と、森林労働者の確保を図る。
 穴吹町の地域林業を育成するには、個別の林業経営だけではなく、地域的集団の育成が課題となろう。例えば古宮林業推進会婦人部のような活動が大いに期待される。グループの活動の一つに森林ボランティア的活動がある。世話役の一人である谷奥博子さんは1973(昭和48)年に結婚し、翌年にご主人と夢と希望に燃えて穴吹町に戻ってきた。将来1億円に売れる見込みで山林を購入したが、1984(昭和59)年の台風災害で壊滅的な状況に直面し、さらに、木材の構造的な価格低迷で不採算に陥っている。それでも穴吹町の発展に、地域林業の育成は欠かせない重要課題であると認識されて、土木事業を主とする傍ら、林業にも積極的に取り組んできている。
 穴吹町の女性林業家のボランティア活動だけでなく、「森林」への関心が高まるなか、日本では「緑の募金法」が制定され、林業の停滞による森林荒廃を、国民意識の高まりで保全して行こうという動きが見られる。この動きの一つに MORIMORI ネットワークがある。同組織は、山村と都市の女性が交流し、相互理解を図りながら、森林・山村に活性化を取り戻して行く目的のために結成された。具体的な活動として、山村と都市に住む女性たちが森林・山村に対して何を思い、どんなことをしたいと思っているのかを、アンケート調査(平成8年)で分析している。この結果(5)によれば、山村と都市の女性の間には、「森林」に対する実態認識と現状の把握にかなりのギャップがあることが明らかになっている。「緑は大切である」ととらえる都市の女性に対し、山村の女性は「森林の維持管理は難しいのに」と痛感しているようである。「手をかけなければ、美しい森にはならないのに、緑の砂漠化が起き始めている」ということすら都市の女性は知らない様子で、それを感じとる山村の女性のいらだちが調査結果に現れている。
 都市の女性の78.8%が「木を植えに山へ行きたい」というのに対し、山村の女性で「木を植えに山に来て欲しい」というのは、わずか3.1%にとどまっている。「ハイヒールで来たりしない」、「植えた後の木の保育作業もするなら」など、「条件つきなら、木を植えにきてもよい」という山村の女性は39.1%である。またはっきりと「都会の女性に山村に来られるのは迷惑」という回答も18.8%ある。しかし一方で、過疎化していく山村の活性化の手がかりが欲しい、また森林・山村活動の悩みを聞いて欲しい、という回答も山村の女性の半数を占め、ネットワークへの期待も大きいと思われる。MORIMORI ネットワークとしては、山村と都市のギャップを埋めていく活動が今後の課題のようであるが、そのヒントも今回の調査は様々に示している。とくに山村で行う山村体験型イベントは、山村の女性の31%、都市の女性の47.5%が、企画して欲しいイベントとしてあげている。
 このような状況を踏まえ、徳島県においても森林ボランティア的活動の芽が出始めている。徳島県は平成8年度より「県民参加の森づくり」、同9年度より「森の案内人講座」や「森林マルチメディアフォーラム」などの施策を進めている。また各流域でも、海部川水源の森記念植樹(7年度より)、勝浦川流域ネットワークの設立、植樹(9年度より)の動きがあり、10年度より、吉野川流域・井川町「大学の森」、森林育成のための「北島町の森林」構想、徳島大学全学共通教育「地球の未来と森林」開設など、森林保全を林業者だけに任せず幅広い支援体制を組む方途が模索されている。
 森林を維持するには、植林の後も下草刈り、間伐 、枝打ち、雪起こしといった育林作業が20〜30年は必要である。森林の育成にあたって「できる人が、できる時に、できる事の一部を分担」して参加できる仕組みを構築すべきであろう。21世紀へ向けての森づくり教室のシステム化・カリキュラムの編成が研究途上である。その研究成果を穴吹町の女性林研グループの活動にリンクさせることができれば、相乗効果は大きいものとなろう。
 2)穴吹川の水量と森林管理システム
 穴吹川は、有数の清流として知られ、その豊富な水量と清流を求めて多くの人が毎年訪れる。穴吹町としてもその期待にこたえるべく、観光拠点としての整備を図ってきている。しかしその穴吹川も豊富な水量に陰りが見えてきていると前述の谷奥博子さんらは心配している。木材価格の低迷で、植林後の手入れが行き届かなくなり、山が荒廃して、穴吹川の水量に影響しているというのである。「森林破壊=環境破壊」といわれているが、その意味を明確にするために、まず森林の環境における効用を理解しておく必要がある。森林の主な効用は以下のようにまとめることができる。
 1 気象条件の緩和: 気温、地温、湿度、風などの気象条件を和らげる。
 2 自然災害防止:風雨などによる侵食、地震などによる崩壊を防止する。
 3 防火:火災の延焼を防ぐ働きがあり、災害時の避難地にもなりうる。
 4 騒音阻止:枝や葉によって、音量を減少させる効果もある。
 5 大気浄化:二酸化炭素吸収と酸素供給によって、空気を浄化してくれる。
 6 環境指標:環境汚染の進行の度合を森林を観察することによって理解できる。
 7 鳥獣保護:森林は様々な動物のすみかとなっている。
 8 保健休養:レクリエーションや保養の場を提供し、揮散物質による保健効果もある。
 9 風致保全:安らぎの提供とともに、情操を育てるにも大きな効果を持っている。
 10 教養・教育:芸術や徳育などの教養、研究などの教育の場を提供してくれる。
 11 水源かん養:洪水・渇水になりにくくし、また水質も保全してくれる。
 このように人間は直接的または間接的に森林の恩恵を受けている。しかしながら、木材の価格低迷により、地域林業の活力が停滞している。その結果として、もっとも大切な地域の資源=穴吹川の豊富な水量を維持する「山の森林の水源かん養機能」が低下しつつある。前述のような、いわば公益的な役割を果たす森林の管理システムを、穴吹町としてどのように確立していくかということは、今後の大きな課題である。
 3)美馬郡の流域林業と穴吹町の林業
 美馬流域の素材生産量は、21,000平方メートル程度(徳島県林業振興課資料)で、徳島県全体の7%を占めていると推定されている。林業生産の中心となるべき事業体として、美馬郡各町村に森林組合があるが、伐採作業班を有する組合は1組合で、素材生産事業体としての力は弱く、林業生産活動は停滞気味と評価されている。私的事業体として、美馬郡に30余りの素材生産業者があるが、家族労働的な色彩が濃い。会社組織としては唯一、木屋平村の(株)ウッドピアがあるのみである。
 美馬郡地域森林計画によると、林分成熟度は、スギで27%、ヒノキで9%と徳島県平均(それぞれ25%、8%)を若干上回っており、利用可能林分が増加している。町村別では、穴吹町では35年生の林分が最も多い一方、一宇村、木屋平村では40年生の林分が多い。地域林業活性化のためには、以下のような施策が必要である。
 1 林業機械化の推進
 林業労働力の減少と林業従事者の高齢化が進んでいる現状を踏まえると、高性能な林業機械の導入が必要である。地域内の高性能林業機械は(株)ウッドピアのタワーヤーダ1台に過ぎず、美馬地域の林業機械化は今後の課題である。索張りが容易で、少人数での間伐施業に適した自走式搬出機(ラジキャリー)は、他の地域で導入がすすめられている。
 2 木材流通の整備
 木材市場として、穴吹町に美馬郡木材協同組合がある。この組合は1975(昭和50)年3月に美馬郡内の木材製材業者の有志10名で設立され、地域木材産業の活性化を担っている。設立当初は、地元製材工場の需要にあった建築用材としてのスギ、ヒノキが取り扱いの中心だったが、松材の入荷が始まった昭和50年代の半ばから、松材の市場としての地位も確立してきた。平成元年度には、自動選木機が導入され、仕分け機能が向上し、地域林業への波及効果も期待される。現在の取り扱いは、間伐材などのスギ並材および松材が中心である。
 3 製材加工の活性化
 美馬流域内の製材工場数は17である。総入荷量は63,610平方メートル程度で、国産材が83%を占めている。工場の規模は全体として零細的であるが、脇町と美馬町の2製材工場が無人化製材システムを導入しており、大量のスギ材を消費し、美馬地域外から原木が流入している。穴吹町の地域林業活性化を図るさいに、製材加工の経済効果が大いに期待される。
 4 新たな地域木材利用広域システムの構築
 近年、住宅の着工戸数は、景気動向に連動するが、木造住宅に関してはあまり景気の影響を受けていない。なかでも、地域住宅の主役となる在来軸組工法を用いた木造住宅は、常に、60万戸前後の着工戸数で安定している。この木造住宅は、郡部では、年間供給量20戸未満といった大工・工務店が主役を担っている。ただし、住宅に求められる品質を満たした国産材の建築資材生産システムが不備のために、国産材の消費拡大に結びついていないのが現状である。地域内中小工務店と連携し、CAD/CAM の活用による木造住宅設計等の合理化を進めるためのプレカット工法や、工場生産による建築資材の部品化を図り、木造軸組工法の現場生産性および施工精度の向上を図るなど、積極的に市場競争力の強化に取り組む動きが隣接の三好郡で始まっている。今後、徳島県林業総合技術センター、徳島県立工業技術センター、徳島大学総合科学部などと商品開発システムの研究会を発足させ、自らの組織が不足している機能を積極的に補完していくアクションプランが必要であろう。

5.まとめに代えて
 地域の生産と生活の活性化は住民共通の願いである。穴吹町においても、そのための真剣な取り組みが進められていることをわれわれは調査で確認し、多くの示唆を受けた。町の経済活動を取り巻く環境は大きく変動しており、穴吹町はその理解に立って、新たな総合計画を策定中である。われわれの調査はそのひとつの資料となることを心がけた。
 もとより、穴吹町が状況に手をこまねいていたわけではない。長年にわたり多くの過疎対策事業を継続しており、近年も若者定着に向けての宅地供給施策などを展開している。ただし、近年の変化が急速であるのに比して、町の対応が緩やかであったことは否めない。それは穴吹町が劇的な過疎現象にもてあそばれたのではなく、低位・持続型の過疎化で問題が見えにくかったためと考えられる。この克服のため、穴吹町は地方自治法が規定する「基本計画」に本年度から着手しており、長期的かつ総合的な戦略策定を図りつつある。
 地域づくりでの新たな動きのひとつは、都市住民との交流活動を事業化する試みである。穴吹川を軸とする良好な自然環境を売り物としたグリーン・ツーリズムの構想が提案され、町内では集客拠点の整備や筏(いかだ)下り大会などイベントの定着も進んでいる。ただし、滞在型観光を事業として成長させるには、周辺行政体との広域的な協力体制が必要である。また何よりも、良好な自然環境の土台となっている地域の農林業を再生させることが肝要である。条件不利地域に有機農業の里を育てる構想もあるが、地域の農林業を全般にわたって振興する長期計画が不可欠である。さらに参加型の地域づくりが今後の基本方向といえるが、自主的な運動は未熟であり、担い手層を分厚く形成することも求められている。
 この調査を通じて、穴吹町役場や教育委員会を始め多くの事業所・個人のご協力を頂いた。とりわけ、地域経済の動向や課題に関しては町内の関係者から有益な示唆を受けた。末尾ながら深く感謝申し上げる。この報告書は徳島大学総合科学部内に事務局を置く「地域問題研究会」(代表・三井篤)の協議によって作成した。


2)穴吹町企画広報課『町勢要覧』1993年、穴吹町『第二次穴吹町総合振興計画』1989年、穴吹町『過疎地域活性化計画』1994年、徳島県脇町農林事務所『平成10年度農林業事業計画書』1998年、などの行政資料。
3)徳島県商工労働部『平成8年度 徳島県商業コミュニティプラン事業報告書』1989年。
4)前掲『過疎地域活性化計画』による。
5)調査結果はインターネット(http://www.wnn.or.jp/wnn-f/index.html)で検索可能。

1)徳島大学総合科学部


徳島県立図書館