阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第45号
穴吹町の方言

方言班(徳島方言学会)

  金沢浩生1)・仙波光明2)・

  岸江信介2)・村中淑子2)・

  野田和子3)・石田祐子4)

1.はじめに
 徳島県美馬郡穴吹町は吉野川のほぼ中流の南岸域に位置している。穴吹町方言は先行研究によると、方言区画上、徳島市を中心とした「下郡の方言」と池田町を中心とした「上郡の方言」との境界にある方言であり、アクセント・語彙(い)・表現法などの各分野で上位区分としての両方言との比較を行う上で、重要な位置にある。以下では、本年度阿波学会学術調査(方言班)と並行して、徳島大学総合科学部『言語文化論基礎資料研究』(担当 岸江信介)の授業の一環として実施した、徳島市から池田町に至る吉野川流域南岸のアクセントに関する方言グロットグラム調査結果を先に提示し、穴吹町でのアクセント調査結果と比較することにしたい。なお、方言グロットグラム調査とは、方言の分布を地点×世代から明らかにする手法であり、方言の地理的な対立と同時に、世代間での対立について探求する方法である。
 また、穴吹町の親族名称及び親族呼称の調査を穴吹・舞中島・小島・古宮の各地の老年層男女に対して実施した結果を掲げ、穴吹町の特色について述べることにしたい。

2.吉野川南岸流域にみられる方言の動態
 吉野川の南岸域に位置する市町村(徳島市〜池田町間)の22地点において、各地の土地生え抜きの方々5名(古老層・老年層・壮年層・中年層・若年層の5世代の各1名)を対象にして行った方言グロットグラム調査の結果を参照し、主に穴吹町及び同町周辺を境にして、分布の対立が認められた項目をピックアップし、紹介することにしたい。
 1)アクセント(2拍名詞)にみられる分布の対立
 単語読み上げ表を話者に提示し、話者が発話した語ごとのアクセントの高低を指して、音調型と呼ぶことにする。音調型を示すための表記にはカギ式(「・■)を用いることにする。「は、上昇位置を、■は下降位置を表す。例えば、「石」という語の音調が高低だとすれば、「イ■シというように表記する。同様に「牛」という語の音調が高高だとすると、「ウシというように表記する。また、語に付属する一拍の助詞を■で表記する。
 徳島市内のアクセントは、第1類「○○○、第2・3類「○■○■、第4類○○「■、第5類○「○■■であるのに対し、池田町では第1・3類「○○■、第2類「○■○■、第4類○○「■、第5類○「○■■である。吉野川に沿って、徳島市〜山川町間の第一類は高平ら調であるのに対して、穴吹町から池田町の第1・3類の音調は「○○■(高高高)型というよりも助詞(■)の部分がわずかに低く、いわゆる「下降式音調」と呼ばれる音調型で、高高中型に実現される。この音調型は更に拍数の多い語において、
 「○○´○、「○○´○○、「○○´○○○…
というように認められる。2拍目と3拍目の間のわずかな下降(´で示した)の直前の拍はアクセント核に相当するものではなくて、あくまでも無核型の音調である。
 徳島市アクセントでは高平ら無核型の音調に対して、低く始まる無核型の音調が認められる。これらは式の対立を示し、いわゆる京阪式アクセントに準ずる。一方、池田町アクセントも、下降式無核型の音調に対し、低く始まる無核型の音調と式の対立がある。池田町やその周辺の町(三加茂町・貞光町など)では、下降式音調のほかに、徳島市に認められるような高平ら調が現れることがあるが、下降式音調と高平ら音調とが、例えば、香川県伊吹島アクセントのような式の対立を示すことはない。本来、徳島市〜池田町間での高平ら音調と下降式音調とを区別して記述していく必要があるが、以下、徳島市〜池田町間及び穴吹町における2拍名詞の音調型及び類別体系については、特に断らない限り、高平ら調と下降式音調を同じものと扱い、詳細な差異については別稿に譲ることにする。
 2拍名詞の類別体系は、主として徳島市及びその周辺域や県南地方で1/23/4/5の京阪式アクセントの類別体系に準じるが、池田町を中心とした県西部域では、13/2/4/5の讃岐式アクセントに近い類別体系であることは早くから知られている。穴吹町周辺はまさにこれら異体系アクセントとの接触地帯であり、カギとなる第3類が第1類と同じになったり、第2類と同じになったりして浮動しており、穴吹町内においても集落差・個人差が認められた(詳細については後述する)。まず、徳島大学総合科学部『言語文化論基礎資料研究』で行った吉野川の南岸域(徳島市内〜池田町間)で行った調査結果から、表1として、2拍名詞第3類の音調型の結果を示す。

調査語の第1類として「竹・箱・国・牛・梅・鳥」、第3類として「垢(あか)・網・泡・腕・鬼・貝・神・靴・雲・塩・炭・谷・月・毒・花・浜・孫・店・夢・綿・足・穴・家・犬・色・馬・親・髪・皮・肝・熊(くま)・米・舌・土・墓・腹・豆・耳・山・指」である。第1類に比較して第3類の調査語数が多いのは、既に述べたように、第3類の音調型が吉野川中流付近から上流(池田町)にかけて頭高型(「○■○■)から高平ら型(「○○■)、ないし下降型(「○○´■)に移行していくからである。「○■○■は、徳島市内から山川町までは調査語彙の一部(舌・墓)を除き、非常に安定しているが、穴吹町になると、「○■○■や「○○■、ないし「○○´■が現れる。貞光町以西の各地点においては、やや個人差はあるが、「○○■(「○○´■)がほとんどである。厳密に言えば、吉野川を上流にさかのぼるほど「○■○■が減り、「○■(「○○´■)が現れる率が高くなるといえそうである。小野米一(1998)は、阿波町の場合には徳島市アクセントと同様、第2類同様、安定して「○■○■であるが、脇町では第1類に合流する語が多くあることを指摘している。この点、吉野川北岸でも事情がよく似ているということである。なお、この讃岐型と徳島型の第3類の異同については地域差が認められたものの、世代差は全くうかがわれず、世代的推移はないとしてよい。
 2)穴吹町内にみられる2拍名詞アクセントの特色について
 さて、穴吹町内では総合学術調査の一環として、穴吹町の穴吹、舞中島、小島、口山、古宮の5集落において、アクセント調査を実施した。調査項目は先の吉野川流域のグロットグラム調査で用いたものと同一のものである。調査結果は表2から表4までに示した。ここでは先に示した2拍名詞第3類にとどまらず、第1類から第5類の結果を示すことにし、穴吹町内での集落差について言及することにしたい。


 話者全員の音調型を調査語すべてについて表にして示すので、これまで示した音調型を記号で表記した。実現型と用いた記号の関係は以下の通りである。
 「○○(「○´○)・「○○■(「○○´■) → 0
 「○■○・「○■○■ → 1
 「○○■■ → 2
 ○「○・○○「■ → テ0
 ○「○・○「○■■ → テ2
 第1類では、5集落の話者13名全員が「○○(「○´○)・「○○■(「○○´■)であり、全く異同が認められなかった。ただし、先にも断っているように、高平ら型「○○■のほか、下降式音調「○○´■も現れるが、表2では記号として(0)で統一することにした。この理由は話者個人間でその違いそのものが意識されていないばかりか、先に述べた低くはじまる音調型(いわゆる低起式の音調)と式の対立、音韻論的対立を示すことがないからである。同様に、第3類における高平ら型(下降式音調)の場合も事情は同じである。
 第2類も第1類と同様、型が安定しており、13名の話者全員が「○■○・「○■○■であった。吉野川流域での調査でも、この類は最も安定している。
 第3類は、穴吹町の5集落間に地域差が認められた。穴吹・舞中島・小島・口山では、「○○■(0)〜「○■○■(1)がほぼ同等に現れているのに対して、古宮の場合は昭和5年生まれ及び大正4年生まれの二人の話者は「○○■(0)が少なく、「○■○■(1)が圧倒的に多かった。古宮が、口山や穴吹との行き来よりも神山町方面との行き来の方が頻繁であったとするならば、「○■○■(1)が圧倒的に多いという説明はつきそうである。一方、池田町を中心とした吉野川流域上流の、いわゆる讃岐式アクセント(2拍名詞第1類・3類が合流しているタイプ)が讃岐方面から徳島県側に波及し、池田町を中心とした吉野川上流地域から東進し、穴吹町まで影響を及ぼしたとするならば、唯一、古宮は、山川町川田あたりと同様、地理的に穴吹町の山間部にあるという理由で、讃岐式アクセントの影響を受けなかったという仮説が成り立つかも知れない。先にも見たように、第3類における「○○■(0)・「○■○■(1)の合流の状況は、池田町から東に進むにつれて、その比率が低くなる。すなわち、第3類には「○○■(0)・「○■○■(1)の両音調が現れることが多くなっている。例えば、三加茂町加茂の宮田春義氏(大正12生まれ)では表2から表3に掲げている第3類の調査語のうち、わずかに「神・腹」だけが「○■○■(1)であり、残り37語(ただし、「泡・皮」は○○「■)は「○○■(0)であった。なお、脇町と三加茂町を調査した松森晶子(1997)によると、やはり脇町よりも三加茂町の方が「○○■(0)が出やすいという。第3類についてみた場合、池田町から穴吹町に至る間では、「○○■(0)が徐々に減り、一方「○■○■(1)が増えるという移行性分布が認められるのである。
 なお松森晶子(1997)は、脇町のアクセントは讃岐式アクセントと中央式アクセント(徳島市や京都市のアクセントを指し、第1類と3類が音調を異にしているもの)の両方の性格を持っているという理由(すなわち、2拍名詞第3類が二つの音調に分裂している。3拍名詞第5類も同様)により、讃岐式と中央式に分裂する以前の本土アクセント祖体系から脇町アクセントが生じた、とする説を展開しているが、アクセントの内的変化にのみ固執したとらえ方であって承服し難い。つまり、これまでにみてきたように、異体系間の接触による可能性が、この場合には大きく、外的要因による成立を考慮すべき必要があろう。ちなみに、同論文で挙げられている中井幸比古(1995)による香川県大川郡のアクセントに関する報告も、その推論の根拠となっているようだが、この地も徳島市に準ずる中央式アクセントと讃岐式アクセントの接触地帯である。
 第4類は、低起式の無核型という点では全話者とも共通しているが、語単独の場合には、○○(低低)型のものが現れることがあった。助詞付きの場合は、後続の文節が高起式以外は助詞が卓立し、ハシ「ガ〜、フネ「ガ〜となることが多かった。ただし、今回は取り上げなかったが、3拍語の低起式無核型の場合は、ス「ズメ、ス「ズメガといった音調型をはじめ、徳島市内でも老年層を中心によく聞かれるスズ「メガ、ウサ「ギガといった、いわば、京阪などのアクセントと比較して、低起式の上昇が早い型がよく聞かれた。
 第5類も町内での地域差は認められず、徳島市内と同様、○「○、○「○■■で安定しており、京阪などの語単独時に見られる語末の拍内での下降は認められなかった。

3.親族語彙
 穴吹町内で親族語彙に関する調査を実施し、親族名称と親族呼称の観点から整理した。父・母・弟・兄・妹…というように、親族の関係をあらわすことば(名称)を指して、親族名称と呼ぶ。また、父・母・祖父・祖母を直接呼ぶときに、用いることば(呼称)を親族呼称と呼び、両者を区別することにしたい。以下では、親族呼称と親族名称を分けて記述し、町内の特色を報告する。
 1)親族名称
 表5に調査語彙とその結果を示した。調査地は穴吹・舞中島・小島・古宮の4集落である。各地点とも、70歳代の土地生え抜きの男女1名ずつに面接した。


 表5では穴吹町内で際立った集落間の差は認められないようである。ただ、各集落とも男女差がみられ、親族名称を使用する上での待遇表現的要素が認められた。現代の共通語では、例えば、父・母・祖父・祖母といった名称が当たり前に用いられるが、これらの親族名称は皆無に近い(オジ・オバ・オトート・イモートなどは除く)。その代わりに親族呼称と共通することが多い。むしろ、親族名称が親族呼称と厳密には区別されないことが方言社会には少なくない(室山敏昭 1978)。
 2)親族呼称(家族内)
 表6は親族呼称を尋ねた結果である。ここでも、集落間での大きな差は出ていない。ただし、親族名称と同様、男女差は認められる。


 ところで前項の親族名称に対し、自分よりも下に位置する身内に対しては、親族名称での呼びかけは見当たらない。これは鈴木孝夫(1968)のいう日本語における親族呼称のルールに適合している。ただ、古宮の男性が自分の長男をアンニャと呼ぶと答えているのは、呼称における「虚構的用法」(鈴木孝夫 1968)によるものである。もし、地域内における大きな集落差がないとするならば、穴吹町内で、呼称に対しての世代的推移(カーヤン→カーサン、バーヤン→バーサン・バーチャン、フルジーサ・フルフルジーサ→ヒージーサン・ヒージャン、アンニャ→ニーサンなど)があったものと思われる。話者の多くは、孫がいる世代であり、回答も、かつて子供の時代に使用した形式を答えることよりも、現在、自分が使用している(あるいは子供や孫から呼ばれる)形式を回答する場合が多かった。
 3)近所の人々に対する名称と呼称
 親族ではない近所の心安い人々のことを自分の家族に言う場合(名称)と、その人々個々に呼びかける場合(呼称)、それぞれどういうかを調べた結果が表7である。この場合、自分の父や母と同世代の男性や女性に対しては名称・呼称ともに際立った差が認められず、オジサン・オバサン・名前サンを使うことが多いようである。古宮の女性のみが名称に限り、屋号を用いると答えている。一時代前には、名称の時に屋号が用いられることが一般的であったのだが、屋号の使用も年々急速に減っているとみられる。


 祖父母と同年代の男性や女性に対しては、名称・呼称ともにジーサンやバーサンの類を用いることが多いようである。表5、表6でみた、自分の祖父母に対する名称や呼称と大差がない点は注目してよい。
 自分の年上、年下の兄弟と同世代の男性や女性に対しては、名称・呼称とも名前を用いることが多い。ただし、親族内の目下とは異なり、チャン・サン・クン・ヤンなどの接尾語が用いられるのが普通である。
 また、表8は、近所の若い奥さんに対して、ネーサンという語を使うかどうかについて調べた結果である。名称としては、古宮の女性が答えているように、かつて「裕福な家の若奥さん」に対してのみ用いられた形式なのかもしれない。しかし現在では、若奥さんなら誰に対しても使われるようになり、穴吹町各地で若奥さんを呼びかける時の呼称となっている。

4.人称代名詞
 1)自称詞
 表9に自称詞の使用について、聞き手が目下や目上の場合や、家族内、更に子供時代の使用などで違いがでるかどうかを聞いた結果を示す。町内での集落差は認められなかったが、男女間でその使用に差があった。男性ではどの場面でもワシ・ボクが用いられ、場面差が出なかった。女性ではワタシ・ウッチャが多く、後者はウチがなまった形式で、古宮の女性が回答したコチなどとともに古い形式であろうと思われる。


 2)対称詞アンタとオマハン
 表10は、当地方言では対称詞としてよく用いられるアンタとオマハンをどういう人に普段用いることが多いかについて問うた結果である。金沢治(1976)が「オマハン【代】極めて近いもの相互の対者をいう二人称」とするように、オマハンは近所の親しい人や自分の夫・子供などに対して用いる、という回答が多かった。同様に、アンタも親しい間柄にある人に対して用いられる形式だが、オマハンは親しみの度合いがより強いと思われる。

5.おわりに
 吉野川の南岸域における方言の境界線は、山川町と穴吹町とにあることがこれまで指摘されてきた(森重幸 1982・上野和昭 1997)。今回、語法・語彙の関連項目については、この境界をもって分布を異にする事象を取り上げることが紙幅の都合上できなかったが、方言の中でも最も重要な根幹部分を担うと思われるアクセント(2拍名詞)について、吉野川流域のグロットグラム調査からその境界線を示し、今回、行った穴吹町でのアクセント調査結果との比較を行った結果、解明されるべき点がみえてきたように思われる。すなわち、穴吹町は、徳島市方面の中央式アクセントと池田町方面の讃岐式アクセントの中間に位置する地域であり、同町のアクセントは、両方面からの異体系アクセントの接触したことにより、2拍名詞第1類・第3類に所属する各語の音調型が揺れるという現象が起きていると考えられる。アクセント変化の外的接触による要因が大きいことを裏づける一つの根拠となり得、アクセント変化が自律的に生じるという、いわゆる内的変化説では穴吹町のアクセントを説明することは困難であろうと思われる。また、この部分については、穴吹町の古宮などに地域を絞り、多人数話者に対する調査を行うことによって、その実態を更に明らかにする必要があろう。
 また、親族語彙関連や自称詞・対称詞の調査に加えて、今回、方言関連項目の調査も並行して行ったが、資料の提示や分析については別の機会に行いたい。 (文責 岸江信介)

参考文献
「言語と文化」(『岩波講座哲学』11)岩波書店 鈴木孝夫 1968
『改訂阿波言葉の辞典』小山助学館 金沢治 1976
「山陰の親族語彙」(日本方言研究会・柴田武編『日本方言の語彙』)三省堂 室山敏昭 1978
「徳島県の方言」(飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一『講座方言学8 中国・四国地方の方言』)国書刊行会 1982
「香川県大川郡のアクセント」(島田治・中井幸比古『香川県大川郡方言の研究』)香川県話し言葉研究会 中井幸比古 1995
「徳島県脇町・三加茂町のアクセントと本土祖語のアクセント体系」(国語学会『国語学』189) 松森晶子 1997
『徳島県のことば』明治書院 編集代表平山輝男 徳島県編者上野和昭 1997
『徳島県脇町方言調査報告』国語学(現代語研究)報告4 鳴門教育大学言語系(国語)教育講座 小野米一 1998

1)四国大学短期大学部 2)徳島大学総合科学部
3)徳島大学総合科学部院生 4)徳島大学総合科学部学生


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