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1.はじめに 盆には墓参りや霊前への供物が行われるほか、盆踊りや灯ろう流しなどの多くの行事がみられる。その目的は先祖を中心とする死者の霊を供養するものである。この霊を家々に迎えまつるために特別な棚を設ける風習があり、これを総称して「盆棚」と呼ぶ。盆棚は、地域によって、呼称や形態、設置される場所などに多様な変化がみられる。またその性質にも、先祖の霊をまつるために設けられるもののほか、亡くなって1年以内の故人の霊(以下新仏と表記する)のために特別に設けられるもの、餓鬼や無縁仏などと呼ばれる霊をまつるものなどの様相がうかがえ、さらにこれらが混交する状況が見いだされる。徳島県内においても盆棚を作る風習は存在し、呼称、設置場所など地域によってさまざまな特徴があることが報告されている(徳島県教育委員会,1979,136〜137)。 本稿ではこのような状況をうけて、穴吹町で行われてきた盆行事における盆棚に焦点をあて、その概要と特徴について報告する。 調査は、8月13日〜15日に行った。穴吹町全域での盆棚の現況について調べ、古宮地区の2集落(田野内、大平)、口山地区2集落(調子野、猿飼)穴吹地区1集落(岩手)で聞き取りを行い、盆棚についての情報を得た。
2.事例 盆棚についての聞き取りは、次のような項目にわけて行った。a棚の呼称、b
棚を設置する場所、c形態、d まつる対象、e供物とまつり方、f
先祖のまつり方、g檀那(だんな)寺と宗派。このアルファベット記号と項目の対応に従って、それぞれの事例を列記したものが表1である。現在でも盆棚をつくる慣行を確認できるのは、口山地区である。その他の地区については、盆棚をつくることは昭和30年(1955)ごろですたれており、過去の記憶について語ってもらったものである。

 
 
 

3.まとめ 調査の結果、まず、穴吹町での盆棚は「ミズダナ」と呼ばれている特徴がある。この名称については、4
口山地区猿飼でみられるように、ハナシバで水をかけるというまつり方が関連しているように思うが、はっきりとした理由は分からない。霊に水をかけるというまつり方については、仏教行事の施餓鬼会の儀礼にみられ、ミズダナという呼称はその影響ともいえるが(高谷,1995,100〜101)、聞き取りにおいては、施餓鬼に関連するような事例は一例もきかれなかった。 次に、穴吹町においての盆棚は地区によって形態に若干の差異がみられるものの、その機能についての混交はなく、新仏をまつるためのものと考えられているといえる。さらに、棚のほかに新仏のために、特別に火をたく行事がみられること、また2
古宮地区大平でみられるように、火をたく行事を初盆から3年間続けることなどにも、盆行事全体が新仏の霊をまつることに重きをおいている特徴がみられる。ただ、先祖の霊のまつり方について、5
穴吹地区岩手と同様な例が、「穴吹町誌」(穴吹町誌編さん委員会,1987,1182)に記載されていることから、かつては、新仏とは別の先祖のまつり方が広くあったと考える。 特記したいのは、口山地区でみられる棚に麦わら帽子をのせる例、穴吹地区で蓑笠(みのかさ)をかぶせる例がみられることである。口山の麦わら帽子については、穴吹で語られているように、かつては笠であった可能性が高い。この蓑笠について葬送儀礼の中に類似点が見いだされる。葬送儀礼において、死日あるいは死後6日目に「カリヤ」もしくは「ムイカダナ」と呼ばれるものをつくり、それに蓑笠を使用する例が、東祖谷山村、西祖谷山村、池田町、木屋平村、神山町、穴吹町で報告されている。例えば、穴吹町半平では通夜の時までに「カリヤ」と呼ばれるものを家のカドにつくり、その形態は青竹で3尺ほどの高さになるように三脚を組み、蓑と笠を着せるという(近藤,1982,230〜243)。蓑笠が何を意味するのか判断できないが、口山、穴吹地区の盆棚の形態は、葬送儀礼の「カリヤ」との関連が考えられる。さらに、穴吹地区岩手で、盆棚と同様の形態と名称を持つ棚を葬式の時にも立てていたという例がみられることから、古宮、穴吹地区の盆棚は、葬送儀礼に立てる棚と共通のものといえる。この点からすると、穴吹町でみられる盆棚は、亡くなって間もない故人の霊をまつるためのものと考えられているといえよう。
4.おわりに 盆棚の多様な変化については、本来先祖の霊をまつるものであったものが、仏壇の定着によって新仏や餓鬼、無縁仏などの祭祀(し)などという新しい解釈がつけられていったものと考える説(高谷,1988)や、寺で行われていた施餓鬼儀礼の共同祭祀の棚が各家々にとり入れられたものの過程である説(最上,1988)など、盆行事の性格のさまざまな変遷が想定されている。盆棚の在り方は、盆行事そのものを考える多くの材料を含んでいるといえる。今回の調査で得られた穴吹町での盆棚の特徴が、盆行事の変遷のどのような位置を示すのかは判断できない。ただ、盆棚をたてる風習自体がなくなってきている現在、つかみうる盆棚の像を一資料として書き記しておきたい。 今回の調査にあたりまして、ご協力くださった、古宮、口山、穴吹地区の皆様に心よりお礼申し上げます。
引用及び参考文献 穴吹町誌編さん委員会編『穴吹町誌』,穴吹町,1987年 近藤直也『祓いの構造』,創元社,1982年 高谷重夫「餓鬼の棚」,大島建彦編『無縁仏』,岩崎美術社,1988年 高谷重夫「水棚」,『盆行事の民俗学的研究』,岩田書院,1995年 徳島県教育委員会編『徳島県民俗地図 徳島県民俗文化財緊急分布調査報告書』,徳島県,1978年 最上孝敬「盆の祭り」,大島建彦編『無縁仏』,岩崎美術社,1988年
1)徳島県立博物館 |