阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第45号
穴吹町の基盤岩の地質

地質班(地学団体研究会)

 塩田次男1)・梅谷素子1)・関幸代2)

1.はじめに
 穴吹町地域の基盤は三波川(さんばがわ)変成岩であり、この変成岩が山間地方であるこの地域の多くの場所に露出している。しかし、吉野川や穴吹川に沿っては、基盤がこれらの水系がもたらした新生代第四紀(170万年前から現在まで)の未固結の堆積物に覆われている場所が所々ある。基盤の三波川変成岩は、有名な中央構造線の南に、九州佐賀関半島から関東山地まで、日本列島を縦断して帯状に分布する高圧型変成岩である。三波川高圧型変成岩は、プレート沈み込み帯35〜10km で変成された岩石であるが、年代的には中生代ジュラ紀末期〜白亜紀末期(1億5千万年〜6千5百万年前)に形成されたとみなされている(Hara et al.、1992;原ら、1966)。このような三波川変成岩の分布する領域は三波川変成帯、略して三波川帯と呼ばれる。“三波川”は、三波川変成岩研究の発祥の地である、群馬県の神流川支流の三波川にちなんで、このタイプの変成岩の命名に用いられている。しかし、現在では、三波川変成岩が最もよく発達し、三波川変成岩類研究の模式地とされているのは四国で、特に有名なのは四国中央部である。穴吹町は、全域が四国東部三波川帯に位置し、中央構造線は、吉野川の穴吹町北端から1.2〜1.8km 北で、讃岐山脈のふもとを西南西−東北東の方向に走っている(図1)。


 穴吹町地域三波川帯に関わる主な研究としては、剣山研究グループ(1963、1975)、金属鉱物探鉱促進事業団(1970、1971)、徳島県(1972)、加治(1975)、原ほか(1977)、秀ほか(1977)、塩田(1981、1985)、Hara et al.(1992)、Shiota et al.(1993)、Seki et al(1993)、中山ほか(1983)の各研究が挙げられる。この地域の規模の大きな地質構造として、剣山研究グループ(1963)、金属鉱物探鉱促進事業団(1970)は、南部において、野々脇背斜の存在を明らかにした。また北部において、金属鉱物探鉱促進事業団(1970)、徳島県(1972)は、寒風峠向斜の存在を想定した。しかし後者については、その後、原ほか(1977)、秀ほか(1977)によってその存在が否定され、地質構造は井川町地域における辻おしかぶせ褶(しゅう)曲・井内剪断帯(せんだんたい)(塩田、1976)の延長構造であることが明らかにされた。
 今回の調査研究では、過去に地質構造に関して論議のあった北部の詳細な地質調査を行い、野々脇背斜が形成された肱川〜大歩危時相以降の岩石構造について、穴吹町全域で調査研究を行った。この小論では、北部の地質構造や岩石について記載し、穴吹町地域三波川帯の肱川〜大歩危時相以降の運動像を、岩石構造データに基づいて論述する。

2.構成岩石
 三波川帯の主体は結晶片岩である。穴吹町地域の三波川帯の結晶片岩は、陸から運ばれた泥を起源とする泥質片岩、砂や泥を起源とする砂質片岩、遠海で珪(けい)質の生物の遺骸(いがい)などが堆積(たいせき)したものを起源とする珪質片岩、海洋底の基盤を構成する塩基性火成岩・超塩基性火成岩に由来する塩基性片岩・塩基性岩・蛇紋岩に区分される。これらのうち泥質片岩、砂質片岩、珪質片岩、塩基性片岩は、積層し層状の構造を形成している。また、肉眼で簡単に認められる一つの顕著な片状の構造(片理)を形成している。結晶片岩が一般にペラペラと剥(は)げるのは、この片理が発達するためである。また、塩基性岩としては、変はんれい岩が見られる。
 このような三波川変成岩類の形成については、今日では次のような説明がなされている。三波川変成岩類の原岩は、日本列島に向かって海洋プレートが沈み込む位置で、中生代のジュラ紀から白亜紀前期ころに堆積し、海洋プレートの沈み込みにともなって次々と沈み込み、35〜10km の深度から反転して、上昇してきた地質体である。三波川変成岩類の原岩に陸源性の堆積物と遠海性の堆積物が積層し層状の構造を形成するのは、原岩の形成が海洋プレートの沈み込み帯で起こったことを反映している。そして、三波川変成岩類が片理を示すのは、沈み込み帯に沿って沈み込み、反転して上昇してきた過程において岩石(堆積物)が受けた変形作用を反映したものである。
 また、穴吹町地域の結晶片岩は、長石の一種である斜長石(詳しくは曹長石(そうちょうせき))の斑状変晶(はんじょうへんしょう)の見られる点紋片岩と無点紋片岩に大別され、前者の分布する地帯は点紋帯、後者の分布する地帯は無点紋帯と呼ばれる。この地域の北部には点紋帯、南部には無点紋帯がそれぞれ分布する。なお、北部の点紋帯の北への延長部に相当する阿波町岩津の吉野川北岸には、無点紋片岩が分布する。

3.地質構造
 今回ターゲットとしたこの地域北部の泥質片岩、珪質片岩、塩基性片岩の岩層や塩基性岩、蛇紋岩の岩体が形成している地質構造は、秀ほか(1977)、塩田(1981)や、今回の調査のデータに基づくと、図2及び図3のようになる。北部には、南へ向かって閉じるおしかぶせ褶曲(辻おしかぶせ褶曲)が発達する。北縁部に分布し、このおしかぶせ褶曲を形成している、数枚の泥質片岩層と珪質片岩層を伴う厚い塩基性片岩層の分布状況からは、直接、おしかぶせ褶曲の全体像を把握することは難しい。しかし、1 この厚い塩基性片岩層は、井川町地域で全体像が確認されている辻おしかぶせ褶曲を形成する厚い塩基性片岩層に連続しており(塩田、1976、1981、1985)、また、2 吉野川から穴吹川の上流へむかって、岩層が低角度のS傾斜→高角度のS傾斜→鉛直→高角度のN傾斜へと変化する。このS傾斜→鉛直→N傾斜の傾斜変換の現象は、市ノ下の南の穴吹川東岸でよく観察される。したがって、図3に示されるように、北縁部の岩層は、軸部が市ノ下南で地表へ現れ出るようなおしかぶせ褶曲を形成しているものとみなされる。そして、市ノ下南以北では、おしかぶせ褶曲の上翼が露出しているものとみなされる。なお、北部の岩層がすべて辻おしかぶせ褶曲を形成しているのではない。このおしかぶせ褶曲の南限は、穴吹川では市ノ下南の上記の厚い塩基性片岩の南限までである。厚い塩基性片岩の南側は、岩層の連続性が悪く、露頭でも剪断岩石構造(図4)がよく観察される領域である。おしかぶせ褶曲の南側は、剪断帯(塩田、1976は、この剪断帯を井内剪断帯と呼んだ)で、おしかぶせ褶曲の形成に伴って下翼部が剪断されて形成されたらしい。すなわち、剪断帯は、ナップ(辻ナップ)形成に伴って形成されたらしい。なお“ナップ”というのは、構造運動を受ける前には一つの単位とみなされる地質体で、構造運動を受けて形成された場から移動して、別の単位の地質体に接するようになったものである。
 原ほか(1988)、Hara et al.(1990)は、三波川変成岩の模式的発達地である四国中央部の初生的・基本的地質構造は、底付けユニットの積み重ねによるパイルナップ構造で、下位から上位に向かって、大歩危ナップ(I・II)→坂本ナップ→沢ケ内ナップ→冬ノ瀬ナップ→猿田ナップ(I・II)であるとした。さらに Hara et al.(1992)は、四国中央・東部の北端部には、この初生的パイルナップ構造を切断するように、メランジュ帯(井内−大生院メランジュ帯)が発達するとした(塩田ほか、1998)。なお“メランジュ帯”とは、剪断帯の一種で、構造運動を受けて岩石や地層(岩体)が剪断され移動して、異種のものどうしが混在している地帯のことである。上記の原ほか、Hara et al. の研究によると、穴吹町地域には、南から北へ向かって(下位から上位へ向かって)沢ケ内ナップ、井内−大生院メランジュ帯が分布することになる。そして、辻ナップは、井内−大生院メランジュ帯内に位置する新しい一つのナップである(図2、3)。

4.変成鉱物
 この地域の三波川変成岩類の構成鉱物の大部分は、原岩の鉱物などが再結晶した変成鉱物である。原岩の鉱物(残存鉱物)としては、塩基性片岩に普通輝石、砂質片岩に石英、斜長石がしばしば観察される。泥質片岩や、赤鉄鉱を含む塩基性片岩については、変成鉱物の組み合わせやいくつかの変成鉱物の化学組成が、物理的条件(温度、圧力)に依存するとされている。この地域の泥質片岩には、主要な変成鉱物として、石英、曹長石、白雲母、黒雲母、ザクロ石、緑泥石、グラファイトが見られ、緑簾石(りょくれんせき)、スチルプノメレン、方解石、スフェーン、電気石、燐灰石(りんかいせき)、アラナイトも認められる。そして、この地域は、ザクロ石の見られるザクロ石帯(北部)と、見られない緑泥石帯(南部)に二分される。
 含赤鉄鉱塩基性片岩の主要な変成鉱物は、石英、曹長石、白雲母、緑泥石、緑簾石、角閃石(かくせんせき)、パンペリ石、赤鉄鉱で、スチルプノメレン、方解石、スフェーン、電気石、燐灰石も認められる。角閃石は、アクチノ閃石、クロス閃石、藍閃石(らんせんせき)(図5)、ウインチャイト、バロワ閃石、ホルンブレンドが識別される。ホルンブレンドはザクロ石帯の一部の岩石に、パンペリ石は緑泥石帯の下位部の岩石に認められる。ザクロ石帯の結晶片岩中の曹長石は、点紋(斑状変晶)の形態を取っている。曹長石点紋は、肉眼で、塩基性片岩では曹長石そのものの色である白色に見えるのに対し、泥質片岩では、微粒のグラファイトを多量に包有するため黒色に見えるのが普通である。


 高越山山体に極めて広く分布する塩基性片岩には藍閃石が多量に認められる。藍閃石を含む塩基性片岩は灰青〜暗青色を示しているので露頭で容易に識別出来る。このような塩基性片岩は、俗称“藍閃片岩”と呼ばれ、高越山地域は徳島市眉山地域と共にこの岩石の産出地として、全国的によく知られている。藍閃石は、三波川変成岩が低温高圧(約30km 以上の深度)の条件で形成されたことを示す特徴的な鉱物である。このような藍閃石を含む塩基性片岩はまた、上記の高越山山体の厚い塩基性片岩層の上位(北側)の辻ナップを含む地質体中でも、薄層として存在している。
 しかし、高越山山体塩基性片岩層の下位に位置する地質体では、塩基性片岩に認められる角閃石の種類や他の鉱物種などから得られる形成条件についての情報は、下位の層準の変成岩ほど、より低圧な条件で形成されたという規則的な関係を示している。これは、この地質体が、形成された後に逆転したことによってもたらされた関係ではない。これは、今日では、三波川変成岩の形成機構を示す、最も重要な情報とされるものである。深い位置で形成された変成岩(上位層準の変成岩)が浅い位置へ上昇してきた時に接合した地質体が、より下位の層準の変成岩であると理解されている。
 辻ナップについていま少し詳細に説明しておこう。辻ナップを構成する変成岩には、同じような圧力条件ではあるが、形成時の温度条件がかなり違う変成岩が混在しているのである。例えば、泥質片岩ではザクロ石を含むもの(=より高温)、ザクロ石を含まないもの(=より低温)が別々の岩層として混在し、塩基性片岩ではホルンブレンドを含むもの(=より高温)と藍閃石を含むもの(=より低温)が別々の岩層として混在している。辻ナップを構成する変成岩は、異なる条件で形成された岩石がミクシングした、巨大な剪断帯を構成していたと考えられるものである。

5.肱川〜大歩危時相の構造
 四国三波川帯の変形史における、後期の構造として、大洲時相、肱川〜大歩危時相の構造があり、穴吹町地域にも発達する辻おしかぶせ褶曲は大洲時相、野々脇背斜は肱川〜大歩危時相の構造である(原ほか、1977;Hara et al.、1992;Hara et al.、1994)。両時相の露頭規模の構造(岩石構造)は、この地域全域で観察される。大洲時相の構造としては、原ほか(1977)が、吉野川横谷(山城町川口−大歩危)で記載したように、E−W(東−西)系褶曲軸を持つ小褶曲群のほかに、N−S(南−北)系軸の小褶曲群やその方向に平行なストレッチング・リニエイションも多くの場所で観察される(図6)。


 一方、肱川〜大歩危時相の構造は、顕著な軸面へき開を伴う小褶曲群や交線リニエイション(図6、7)で、この地域全域で明瞭に観察されるが、とくに南部の野々脇背斜の軸部での発達が顕著である。褶曲軸やリニエイションの方向は一定でほぼE−Wである。しかし、褶曲の軸面は、傾斜が一定ではなく、鉛直〜高角度の場所が多いけれども、この地域の中北部では低角度である(図7)。図8は、穴吹町地域に発達する肱川〜大歩危時相小褶曲群の軸面の方向を、N−S断面に模式的に示したものである(Shiota et al.、1993)。肱川〜大歩危時相小褶曲群は、Hara et al.(1968)、Hara & Paulitsh(1971)によれば、褶曲軸面は歪(ゆが)み楕(だ)円体のXY面、その傾斜方向は主軸X、褶曲軸の方向は主軸Yに相当する。また、褶曲軸面に鉛直方向が主軸Zに相当する。図8で示されるように、穴吹町地域では、北から南までYは一定であるが、X、Zは中北部で変化し、水平でなくなっている。肱川〜大歩危時相小褶曲群は、三波川帯全域で見ると、大歩危背斜や野々脇背斜のような小褶曲群が寄生する主褶曲の軸の配列は雁行(がんこう)状であり、横ずれ剪断場で形成されたものとされている(原ほか、1973)。したがって、一般に、小褶曲群の主軸X、Zは水平に配置されるはずである。穴吹町中北部では、どうして水平に配置されていないのであろうか。Shiota et al.(1993)の研究によると、穴吹町中北部の下位には、堅固な地質体(花崗岩(かこうがん)−高温変成岩=黒瀬川−古領家陸塊)が存在し、小褶曲群はこの地質体の北東側からの下位への突っ込みを受けながら形成されたためとされている。


 肱川〜大歩危時相小褶曲群の形成に引き続いて、著しく顕著な鉛直配置の雁行状石英脈群の形成があった(図9)(Shiota et al. 1993)。図のような雁行状石英脈群は、石英脈の分布する帯に沿って剪断応力が作用し、その応力場で形成された引張り割れ目に浸透した熱水から石英が析出充填(じゅうてん)したものとされている(原、1999)。図10は、位置的に、穴吹町地域辻おしかぶせ褶曲の核に相当する岩津(阿波町)、及び野々脇背斜の軸部である川瀬〜桑柄(木屋平村)での雁行状石英脈群の各データから得られた圧縮応力の方向(σ3≦σ2≦σ1)を示すものである。σ1の配置は、肱川〜大歩危時相小褶曲群形成期のそれに調和的であるが、σ3は水平で、小褶曲群形成期のそれには調和しない。このことについて、Shiota et al.(1993)は、雁行状石英脈群の形成期には、北東側からの黒瀬川−古領家陸塊の構造的貫入が停止したのであろうと解釈した。

6.おわりに
 前項まで、これまでの研究や今回の調査研究に基づいて、穴吹町地域基盤の三波川変成岩の構造地質学的並びに記載岩石学的な特徴について述べてきたが、これらの特徴の中、辻おしかぶせ褶曲(辻ナップ)や井内〜大生院メランジュ帯の地質構造は、四国東・中央部三波川帯では普遍的な特徴的構造である。また、これらの構造は、プレート沈み込み帯において、付加地質体ユニットの積み重ねによる初生的パイルナップ構造から、積み重ね地質体の上昇に伴って、その地質体に形成されてきたものである。したがって、これら一連の構造は、四国三波川帯を代表する地質構造の一つとも言えるものでもある。しかしながら、残念ではあるが、今回の調査のような、穴吹町地域の地表で得られるデータからだけでは、これら一連の地質構造を十分に理解することは難しい。辻おしかぶせ褶曲(辻ナップ)や井内〜大生院メランジュ帯の模式的発達地は、穴吹町地域の約24km西方の井川町地域である(塩田、1976、1981;原ほか、1977;Hara et al.、1992;Seki et al.、1993a;塩田ほか、1998)。穴吹町地域におけるこれらの地質構造は、模式的発達地での構造形態とそれらの地質構造の東部への延長状況の知識(塩田、1985)を得ることによって、十分に理解することができると思われる。
 穴吹町地域では、南部に肱川〜大歩危時相の野々脇背斜軸が存在することもあって、この時相の小褶曲群や直後の時相の雁行状石英脈群が顕著に発達し、これらに関する明瞭なデータが得られる。データからこれらの時相における、四国東・中央部三波川帯の運動像、すなわち、三波川帯の下位における北東側からの堅固地質体(黒瀬川−古領家陸塊)の突っ込みとその運動の停止がよく理解される。プレート収束域に位置する日本列島の地殻は常に不安定な状態にあることからすると、このモデルでの運動の停止が永久的なものとは考えられない。おそらく、このモデルは、四国東・中央部三波川帯の下位での今後の地殻変動の一つを示唆しているのかもしれない。大変気掛かりなことである。モデルの検証のため、地震波探査などのような、別の視点からのデータが必要であると考える。
 今回の調査研究は、主として穴吹川で行ったが、その清流の素晴らしさを十分に満喫することができた。流域の人々に敬意と謝意を表して、拙稿の結びとしたいと思う。

文献
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