阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第44号
内田弥八の著訳書

郷土班(阿波郷土会)  篠原俊次

 内田弥八は、井川町の生んだ傑物である。不滅の業績を遺(のこ)し、福澤諭吉らに前途を嘱望されながら、30歳で夭逝(ようせい)した弥八の生涯と足跡については、紙面の都合で割愛し、本編ではその著訳書にのみ焦点を当てて記述する。

1.弥八の著訳書で、現物が確認されているのは、次の3冊である(図1)。

 1)『義経再興記』 明治18年3月、東京日本橋の上田屋刊、定価90銭
 源義経=ジンギスカン説を唱えた末松謙澄の英文の著書を訳述したもの。大ベストセラーとなり、弥八の名を不朽のものとした記念碑的作品。弥八の漢文の序文あり。8版まで版を重ねたとのこと(筆者はそのうち5版と6版を所蔵している。5版は明治19年4月、6版は同年11月にそれぞれ刊行)。
 2)『婦人地球週遊記』 明治19年6月、上田屋刊、定価70銭
 明治9年に世界一周した英国ブラッセー婦人の見聞記を訳述した本。弥八の序文あり。
 3)『世界英傑伝』 明治20年11月刊、定価1円50銭
 山城町出身で、無二の親友だった島尾岩太郎との共著。源義経・豊臣秀吉・李鴻章・ナポレオン・コロンブス・ジンギスカンなど21人の伝記を記載したもの。奥付では著者が岩太郎で、弥八は著述兼出版人とされ、1)、2)の発行元の上田屋は、3)では売捌(うりさばき)所の筆頭に名を連ねている。序文も践文(ばつぶん)もないため、出版に至る経緯は不詳である。1)、2)、3)とも、当時流行したボール紙本。ここ7、8年間で全国の古書市場に出回る頻度は、管見した限りで1)が5、6回出品されたのに対し、2)は1度のみ、3)は皆無である。この状況からして、2)、3)は出版当時、1)ほど売れなかったと推測され、現物とコピーで確認した限りで、再版以降の版が見当たらない。2)、3)は、今となっては稀覯(きこう)本に属する。

2.弥八百年祭の記念すべき年の平成2年、地元の「内田弥八を偲(しの)ぶ会」の編集で、ふるさと創生資金を活用して、井川町教育委員会から『内田弥八の生涯』が刊行された。その副題に“義経再興記の著者、明治の先覚者”とあるとおり、本書は井川町民、特に青少年にとって、大変有益で、心を鼓舞してくれる読物である。
 さて本書中、弥八の著訳書を一覧表にした中で『福澤先生伝記完成記念展覧会目録』中「義塾門下生著訳書」に収録されているとして、具体的な内容は不明ながら『鉄血政略』『初等心理学』『信心銘講義』が、弥八の著書として掲げられている(表1)。

 この3冊の現物が所蔵されている可能性が高いのは、やはり慶應義塾大学付属図書館である。照会したところ、しばらくたって、現物ありの回答があった。この中で、3冊の著者が弥八でなく、それぞれ別人として回答された。『鉄血政略』は渡辺治、『初等心理学』は和久正辰、『信心銘講義』は山田孝道著と書かれていて、奇異に思った。
 この詳細を知り、事実関係を明らかにするためには、現物未確認の3冊が、弥八著とされる根拠となった『福澤先生伝記完成記念展覧会目録』(図2)をまず調査することである。昭和7年ごろに慶應義塾図書館が発行した本目録の現物を入手して、該当部分を確認したのが、下の個所である(表2)。


 この列記を右から左に読めば、確かに弥八著となり、井川町ではそのように解釈し、弥八の著作と判断したのであるが、本文は2段書きになっているので、上から下に読むこともできる。そう読めば、上段の著者名が、図書館の知らせてきた著者名と正に一致する。即ち「同」は「同右」ではなく、「同上」を意味する。もっとも、目録を見た限りでは、このことに気がつきにくいので、勘違いされたのも無理のないことではある。
 未確認の3冊(図3)が、弥八には全く無関係か、弥八が何らかの係(かか)わりを持っているのかは、現物を確認しなければ、最終の証明ができない。そのため、上京し、慶應義塾大学付属図書館のご好意で、現物を閲覧させていただいた。その結果は次のとおりである。

 1)『鉄血政略』第一巻 渡辺治編輯、明治20年5月、金港堂刊
 内容は、ドイツの鉄血宰相ビスマルクを中心とした伝記と言行録及び40年間の政治史を叙述したもの。序文によると、第2巻以降数巻を世に問う計画だったようである。編者は茨城県人。
 2)『初等心理学』 和久正辰講述、明治23年4月、牧野書房刊
 内容は、題名のとおり、心理学の入門書である。著者は、前東京府師範学校長。
 3)『信心銘講義』三版 山田孝道著、明治38年5月、光融館刊(初版は明治33年刊)
 内容は、達磨(だるま)大師より三代目に当たる僧粲大師の撰術(せんじゅつ)で、仏教の解説書。著者は僧侶で、ほかにも何冊か仏教解説書がある。
 1)、3)はボール紙本で、2)はハードカバー本。3人の著者とも福澤諭吉の門下生であるが、当該著作を閲覧して、弥八とは何の関係もないことが確認できた。
 今後、弥八に関する論文や記事は、井川町の内外で繰り返し執筆されることであろう。その場合、著訳書を紹介する際、現在までに現認済みの3冊のみにとどめて、無関係の3冊は削除するべきである。


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