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1.はじめに
井川町は、地質学的には、吉野川水系のもたらした新生代第四紀(170万年前から現在まで)の堆積物と、その基盤岩としての三波川(さんばがわ)変成岩で構成されている地域である。この地域の三波川変成岩は、有名な中央構造線の南に、九州佐賀関半島から関東山地まで日本列島を縦断して帯状に分布する高圧型変成岩である。三波川高圧型変成岩は、プレート沈み込み帯35〜10km
で変成された岩石であるが、年代的には中生代ジュラ紀末期〜白亜紀末期(1億5千万〜6千5百万年前)に形成されたとみなされている(Hara et
al.,1992;原ら、1996)。このような三波川変成岩の分布する領域は三波川変成帯、略して三波川帯と呼ばれる。“三波川”は、三波川変成岩研究の発祥の地である、群馬県の神流川支流の三波川にちなんで、このタイプの変成岩の命名に用いられている。しかし現在では、三波川変成岩が最もよく発達し、三波川変成岩研究の模式地とされているのは四国で、特に四国中央部は研究上最適の地域とされている。井川町は、四国中東部三波川帯の北帯部に位置し、中央構造線は井川町北端の吉野川の少し(数十〜数百m)北側を西南西−東北東の方向に走っている(図1)。 この地域の三波川帯の研究は、塩田(1976)によって初めて本格的に行われた。それまでこの地域は、地質構造的に見て、大歩危複背斜の北翼に相当するので、全般的に岩層が北傾斜の単純な構造領域とみなされ(例えば、小島・光野、1966;徳島県、1972)、研究上成果は期待されないとされてきた。しかし、塩田の研究によって、辻おしかぶせ褶曲とスラスト帯(井内剪断帯)が発見され、三波川帯で初めて、ナップ(辻ナップ)の存在が明らかにされた。その後、原ほか(1977)、塩田(1981)、Hara
et
al.(1992)によって、ナップ構造の詳細な解析が行われ、この地域の地質学的特徴がさらに明確となった。この報告では、井川町地域の三波川変成岩の構成岩石、地質構造、変成鉱物について記述し、これらの知識やこれまでの研究成果に基づいて構造発達について論述する。
2.構成岩石 三波川帯の主体は結晶片岩であるが、井川町地域の三波川帯の構成岩石は、陸から運ばれた泥を起源とする泥質片岩、砂と泥を起源とする砂質片岩、遠海で珪(けい)質の生物の遺骸(がい)などが堆(たい)積したものを起源とする珪質片岩、海洋底の基盤を構成する塩基性火成岩・超塩基性岩に由来する塩基性片岩・塩基性岩・蛇紋岩に区分される。これらのうち泥質片岩、砂質片岩、珪質片岩、塩基性片岩は、積層し層状の構造を形成している。また、肉眼で簡単に認められる一つの顕著な片状の構造(片理)を形成している。結晶片岩が一般にペラペラとはげるのは、この片理が発達するためである。また、塩基性岩としては、変はんれい岩が見られる。 このような三波川変成岩の形成については、今日では次のような説明がなされている。三波川変成岩の原岩は、日本列島に向かって海洋プレートが沈み込む位置で、中生代のジュラ紀から白亜紀前期ころに堆積し、海洋プレートの沈み込みにともなって次々と沈み込み、35〜10km
の深度から反転して、上昇してきた地質体である。三波川変成岩の原岩に陸源性の堆積物と遠海性の堆積物が積層し層状の構造を形成するのは、原岩の形成が海洋プレートの沈み込み帯で起こったことを反映している。そして、三波川変成岩が片理を示すのは、沈み込み帯に沿って沈み込み、反転して上昇してきた過程において岩石(堆積物)が受けた変形作用を反映したものである。 また、井川町地域の結晶片岩は、長石の一種である斜長石(詳しくは曹長石)の斑(はん)状変晶(図5a)の見られる点紋片岩と無点紋片岩に大別され、前者の分布する地帯を点紋帯、後者の分布する地帯が無点紋帯と呼ばれる。この地域の北部には、北東部の吉野川南岸沿いに少し無点紋帯が分布する以外は、点紋帯、南部には無点紋片帯がそれぞれ分布する(図2、3)。 3.地質構造 この地域の泥質片岩、砂質片岩、珪質片岩、塩基性片岩・塩基性岩・蛇紋岩の岩層や岩体が形成している地質構造は、塩田(1976)、原ほか(1977)、塩田(1981)の研究に基づくと、図2および図3のようになる。地質構造は、北部においては、吉野川付近に分布する厚い塩基性片岩層の分布から読み取れるものである。それは、南へ向かって閉じるおしかぶせ褶曲(辻おしかぶせ褶曲)である。これは、おしかぶせ褶曲の典型と言える特徴をもつものである。この褶曲の湾(わん)曲部(軸部)は、美濃田大橋付近の吉野川南岸で観察される(図4)。褶曲軸は、吉野川に沿うように、ほぼ東西で、ほぼ水平配置している。このため、吉野川北岸では、褶曲の上翼が観察され、辻から南へ入る井内谷川では褶曲の下翼が観察される。このおしかぶせ褶曲は、徳島市付近まで広がり、四国東部を特徴づける地質構造でもある(塩田、1981)。 辻おしかぶせ褶曲の下翼は途中で切断されている。このため、褶曲を形成する厚い塩基性片岩層の一つが、井内谷川の東の山腹斜面の高い位置(樫山付近)では認められるが、流堂付近では、谷底やそれに近い低い位置のため認められなくなっている。流堂付近から南では、辻おしかぶせ褶曲を構成する地質体(辻ナップ)が、北側から移動してきて定置した時の下側(下位)の地質体が発達している。この地質体の地質構造の特徴は、泥質片岩、砂質片岩、珪質片岩、塩基性片岩・塩基性岩などの岩層が、緩やかに北へ向かって傾斜する単斜構造である。なお“ナップ”というのは、時間的に連続して形成された一つの単位地質体で、構造運動を受けて形成された場から移動したものであり、井川町地域でその存在が明らかにされた辻ナップという「ナップ構造説」は、近年の、三波川帯の各地を初めとする、日本列島各地における多くのナップ構造説の一つの萌芽(ほうが)とみなされてもいる(原、1993)。 原ほか(1988)、Hara
et
al.(1990)は、三波川変成岩の模式的発達地である四国中央部の初生的・基本的地質構造は、底付けユニットの積み重ねによるパイルナップ構造で、下位から上位に向かって、大歩危ナップ→坂本ナップ→沢ケ内ナップ→冬ノ瀬ナップ→猿田ナップであるとした。さらに
Hara et
al.(1992)は、四国中央・東部の北端部には、この初生的パイルナップ構造を切断するように、メランジュ帯(井内メランジュ帯または井内−大生院メランジュ帯)が発達するとした。なお“メランジュ帯”とは、剪断(ぜんだん)帯の一種で、構造運動を受けて岩石や地層(岩体)が剪断され、移動して、異種のものどうしが混在している地帯のことである。上記の原ほか、Hara
et al.
の研究によると、井川町地域には、南から北へ向かって(下位から上位へ向かって)沢ケ内ナップ、冬ノ瀬ナップ、井内メランジュ帯が分布することになる。そして、辻ナップは、井内メランジュ帯内に位置する新しい一つのナップである(図2、3)。 4.変成鉱物 この地域の三波川変成岩の構成鉱物の大部分は、原岩の鉱物などが再結晶した変成鉱物である。原岩の鉱物(残存鉱物)としては、塩基性片岩・塩基性岩に普通輝石、砂質片岩に石英、斜長石がしばしば観察される。
泥質片岩や、赤鉄鉱を含む塩基性片岩・塩基性岩については、変成鉱物の組み合わせやいくつかの変成鉱物の化学組成が、物理的条件(温度、圧力)に依存するとされている。この地域の泥質片岩には、主要な変成鉱物として石英、曹長石、白雲母、黒雲母(図5b)、ザクロ石(図5c)、緑泥石、グラファイトが見られ、緑簾石、スチルプノメレン、方解石、スフェーン、電気石、燐灰石、アラナイトも認められる。そして、この地域は、ザクロ石の見られるザクロ石帯(北部)と、見られない緑泥石帯(南部)に二分される。また、ザクロ石帯中には、黒雲母を含む黒雲母帯の岩石が、時々認められる。 含赤鉄鉱塩基性片岩・塩基性岩の主要な変成鉱物は、石英、曹長石、白雲母、緑泥石、緑簾石、角閃石、パンペリー石(図6a)、赤鉄鉱で、スチルプノメレン、方解石、スフェーン、電気石、燐灰石も認められる。角閃石は、アクチノ閃石、クロス閃石、藍閃石(図6b)、ウインチャイト、バロワ閃石、ホルンブレンド(図6c)が識別される。ホルンブレンドは、ザクロ石帯の一部の岩石に、パンペリー石は緑泥石帯の下位部の岩石に認められる。前者のことは、今回の研究で確かめられた。 美濃田大橋付近の吉野川南岸に露出する辻ナップを構成する塩基性片岩には、藍閃石がよく認められる。藍閃石を含む塩基性片岩は暗青色を示しているので露頭で容易に識別出来る。藍閃石は、三波川変成岩が低温高圧(約30km
以上の深度)の条件で形成されたことを示す特徴的な鉱物である。また、このような藍閃石を含む塩基性片岩は辻ナップの下位の地質体の最上位層準でも発見される。 しかし、辻ナップの下位に位置する地質体では、塩基性片岩に認められる角閃石の種類や他の鉱物種などから得られる形成条件についての情報は、下位の層準の変成岩ほど、より低圧な条件で形成されたという規則的な関係を示している。これは、この地質体が、形成された後に逆転したことによってもたらされた関係ではない。これは、今日では、三波川変成岩の形成機構を示す最も重要な情報とされるものである。深い位置で形成された変成岩(上位層準の変成岩)が浅い位置へ上昇してきた時に接合した地質体が、より下位の層準の変成岩であると理解されている。 辻ナップについてもう少し詳細に説明しておこう。辻ナップを構成する変成岩には、同じような圧力条件であるが、形成時の圧力条件がかなり違う変成岩が混在しているのである。例えば、泥質片岩では黒雲母とザクロ石を含むもの(=より高温)、ザクロ石は含むが黒雲母は認められないもの(=より低温)が別々の岩層として混在し、塩基性片岩ではホルンブレンドを含むもの(=より高温)と藍閃石を含むもの(=より低温)が別々の岩層として混在している。辻ナップを構成する変成岩は、異なる条件で形成された岩石がミクシングした、巨大な剪断帯を構成していたと考えられるものである。 5.おわりに これまで井川町の基盤である三波川変成岩の地質学的特徴について述べてきたが、これらの特徴の中で、三波川帯全域を通じてのモデルに用いることができるものとして特筆すべきことは、地質構造である。この地質構造は、専門の研究者にとっても一見に値するものとされている。例えば、1995年度日本地質学会の見学地点の一つになっている。この地域三波川帯の地質構造は、「北部には南フェルゲンツの辻おしかぶせ褶曲(辻ナップ)が発達し、中部では、岩層は一般に北への単斜構造を示すが、辻おしかぶせ褶曲の下(南)翼部が激しく切断された剪断帯(井内剪断帯)が形成されている。南部の構造は単純で、岩層はゆるやかな北への単斜構造を呈する」と総括することができる。これらの地質構造がどのように発達してきたものか、これまで記述してきたことや
Seki et al.(1993a,1993b)、原ほか(1994)、原ほか(1995)の研究に基づいて論述すると次のようになる(表1)。
この地域三波川変成岩の初期の地質構造は初生的パイルナップ構造であり、この構造は沈み込み帯中において、各ナップの底付けによって形成された。初生的パイルナップ構造形成後、北部には、猿田ナップが下位ナップ(冬ノ瀬ナップ、沢ケ内ナップ)を切断しながら北方へずれ下がるような正断層運動によって、猿田ナップと下位ナップが混在する井内メランジュ帯が形成された。さらにその後、北部の地質体は、上位南向きセンスの運動を受けて辻おしかぶせ褶曲を形成した。それに伴って下翼部では地質体が剪断運動を受けて、岩層や岩体が激しく切断された。その後、この地域全域の地質体が大歩危複背斜形成の穏やかな造構運動を受けた。
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1)徳島大学総合科学部 2)ラピス大歩危 |