阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第43号
日和佐町の峠道

民俗班(徳島民俗学会)  橘禎男

1.はじめに
 日和佐町は、総面積の90パーセントを山地が占めていて、太平洋に面した南東以外はすべて山地で囲まれている。周辺の1市5町と接する山地には、交易や交流のための道が古くから開かれていた。それらの道の多くは、交通手段の発達や新しい道路の建設など、時代の変遷の中でいつしか使われなくなり、人々の記憶からも急速に消えつつある。
 今回の調査は、日和佐町に今もその名を残す峠とそこにある石造物に焦点を当てて、峠道が果たしてきた役割を明らかにしてみることにした。なお調査は、平成8年7月26〜28日、8月8、9日、10月23日、12月19、20日、平成9年1月9日の5回実施した。

2.日和佐町の陸上交通路の変遷
 1)土佐街道と一里松
 藩政期の初め、藩内の交通路が五街道として整備されたが、その一つが徳島城を起点として土佐との県境まで南下する土佐街道である。街道の要所には、およそ50町ごとに一里松が植えられていた。「阿波国往還道法記」にはその所在地と里程が示されており、日和佐町内で該当するのは「北河内田井」「西河内」「山河内」の三カ所である(図1)。

 2)国道55号
 藩政時代の土佐街道は、明治になってルートの変更があり、それに伴って峠道も変遷した。そして昭和28年(1953)には国道となり、37年(1962)に国道55号になった。車社会の到来に合わせて星越トンネルが昭和43年(1968)、日和佐トンネルが昭和45年(1970)に完成し、陸上交通のスピードアップにつながったが、峠道を歩く人は急減した。
 3)鉄道
 国鉄牟岐線が日和佐まで開通したのは昭和14年(1939)12月で、さらに昭和17年(1942)7月には牟岐まで延長された。
 これら陸上交通の変化が峠道に与えた影響については、以下の各項でとりあげる。

3.日和佐町の主な峠(図2)

1)星越峠
 峠にある地蔵尊(図3)に、「薬王寺 二里余 弘化二巳年(1845)七月二四日建」とあるので、藩政期からへんろ道として利用されていたことがわかる。由岐町経由の土佐街道が明治34年(1901)に阿南市小野と日和佐町大戸を結ぶルートに変わり、峠は車の通行が可能となった。大正7年(1918)に阿南自動車協会が日和佐までバスを乗り入れてから、昭和43年に星越トンネルが峠の下に開通するまで、この峠は県南の交通に大きな役割を果たした。
 「峠の日和佐側にバス会社の事務所があり、峠でバスの乗り継ぎをしていた。春になると、チリンチリンと鈴を鳴らしてお遍路がようけ通りよった。またこの峠は、戦後20年位続いた星越鉱山からマンガン鉱石を運び出す道でもあった」と、大戸の藤本兵吉氏(92歳)が話してくれた。

 2)よここ峠
 明治の初めより、薬王寺下から奥潟を経てこの峠を越え、寒葉坂へと通じる土佐街道が通っていた。峠には弘法大師像とへんろ道しるべがある(図4)。造立年代はないが、石造物からみて、この峠も星越峠と同様へんろ道として利用されていたことがわかる。道しるべには「是より東寺迄」の銘があるが、下に続く「〇〇里」が見えない。下面にコンクリートを張った時埋めすぎたのか、または折損して無くなっていたのかもしれない。
 「一般の人がこの峠を利用したのは昭和7、8年(1932、1933)ごろまでで、その後は西河内を経る国道を通るようになった。お遍路さんはその後もこの峠を通っていたようで、峠の北寄りには焼き餅を売っている茶屋があった」と、山河内の向井田実氏(81歳)が話してくれた。
 この峠は、鉄道の牟岐延長と国道の日和佐トンネルの完成により、その役目を終えた。

 3)ゲダノタオ
 白沢から南西1.7km にあり、牟岐町の水落に連なる四国の道が通る。「お薬師さんの市には牟岐の人がようけ通りよった。お遍路さんも通りよった。30年位前までは峠を越えて炭焼きに行った。ゲダはゲドウのことでお化けのこと。昔この辺りはお化けがよう出て困るので、峠にお地蔵さんを立てた」と、白沢の惣田福一氏(89歳)が話してくれた。 高さ53cm の地蔵尊には「楽王寺へ二り」とあり(図5)、薬王寺への道しるべを兼ねている。この場所は地形的にみて間違いなく峠であるが、ここに立つ四国の道の道標には「山河内駅3.4km サンライン1.7km」のみで、現在地名が記されていない。「ゲダノタオ」をなぜ採用しなかったのだろうか。
 白沢を調査したのは8月9日で、田には色づいた稲穂が垂れていた。白沢の登り口に住む惣田さんは、猿や猪(いのしし)から稲を守るために猛暑の中でも田の見張りをしていた。農作物を獣から守る方法にはいろいろあるが、これらも民俗学の対象となる。

 4)サデモリノタオ
 白沢と明丸の間にある標高約285m の峠(図6)。峠名のサデモリはサネモリのことで、斎藤別当実盛の御霊が稲の虫になって人々に祟(たたり)をなすという言い伝えから、稲の害虫を防除する虫送りの行事にその名が出る。
 山河内における虫送りの行事について、17年前まで明丸に住んでいてこの行事を12、13歳のころ経験したという秋本利一氏(88歳)から話を聞いた。それによると、虫送りの日は打越寺に集まって、日和佐の浄光寺から借りてきた大きな数珠をまわして祈祷(とう)する。その後里芋の葉にオガ(害虫)を包んだものを1.2m 位の笹竹にぶら下げて、「サイトウ ベットウ サーデモリ」と言いながら、峠まで持って行って捨てた。人数はそう多くはなく、一人で運んだこともあった。オガは一つの家から1本ずつ出した。昭和の初めまで続き戦前にはもう終わっていた。捨てに行く場所は、終わりのころは落合に変わったという。
 虫送りの行事は、米の豊作を願う農村の大切な行事であったが、科学の発達や社会情勢の変化で消えて行った。しかし、このような民俗行事があったことを今に伝える峠は、その名前とともに残しておきたいものである。

 5)チョウシノタオ
 大越と牟岐町橘の間にある標高約350m の峠。峠の日和佐側に不動尊を祀(まつ)ったお堂がある(図7)。峠名の由来とその漢字名は聞き出せなかった。「この峠道は大越街道といって、牟岐へ買い物に行く道としてよく使われた。不動尊前であった相撲大会には、牟岐の人も来てようはずんでいた」と、大越の多田和弘氏(62歳)が話してくれた。また、大越では炭焼きが盛んで、できた木炭は峠までかたぎあげて峠から木馬で下ろし、橘からは荷車で牟岐の問屋へ運んでいた。距離は「上り六丁、下り十二丁」であったという。
 この峠の北東200m の山頂には鬼の岩屋という巨岩があり、岩上からの日和佐・牟岐の雄大な展望は見ごたえがある。橘にできた鬼が岩屋温泉から登るハイキングコースには、この峠と不動尊が含まれることになるだろう。

 6)胴切越
 海南町樫木屋と大越の境にある標高770m の峠で、主に上那賀町平谷と牟岐を結ぶ路線として使われていた。峠の日和佐側には、おかまご形式の石囲いの中に高さ49cm の砂岩に浮き彫りした弘法大師像が祀られている(図8)。造立は弘化4年(1847)8月で、荒田野村と榮次の名が見えるが、あと4人の発願人の名は判読できない。
 この石仏は地元では地蔵尊とされていたが、像の下に水瓶や木靴が彫られていることから弘法大師像と判明した。これよりこの峠道は、平谷方面から薬王寺へ参拝するための道としても使われていたことがわかった。

 7)山座峠
 田井と由岐町山座の境にあり、明治34年以前は土佐街道が通っていた。田井の登り口には遍路道しるべがあることから、へんろ道であったことがわかる。
 8)小田坂峠
 北河内の登りと田井の間にあり、藩政期の土佐街道はここを通っていた。峠の手前500m には、明治14年(1881)1月4日建立の砂岩製の地蔵尊が立つ。参拝者があるためか地蔵尊までの道は歩きやすいが、地蔵尊から峠を越えて田井に下る道は廃道となり、通行不能である。

4.峠の保存と活用
 日和佐町の峠道を調査してわかったことは、峠道が開発によって破壊されることなく昔の姿を残していることと、石造物を示す標識が整備されていることである。しかし、現在の標識は古くなって朽ちかけており、また標識のない石造物も見受けられた。
 峠についていえば、チョウシノタオ、サデモリノタオ、ゲダノタオなどは何らかの標識がなければ、その存在と名称がいつの間にか不明となってしまう恐れがある。これらを町の文化遺産として残すことにより、先人の歩いた道を追体験することが出来て、ふるさと学習やハイキングに役立つことになるのではなかろうか。
 日和佐町教育委員会が作成した「石造物等所在概念図」は、今回の調査に大変役立った。この地図に峠名を入れるなどして、今後改訂する機会により完成したものとしていけば、民俗文化財のガイド用地図としてさらに役立つものとなるだろう。

5.おわりに
 今回の調査に際して、多くのご教示を賜りました地元日和佐町の中野保幸、秋本利一、藤本兵吉、向井田実、惣田福一、多田和弘の各氏に深く感謝いたします。

 参考文献
海部郡誌刊行会編『海部郡誌』海部郡誌刊行会、昭和2年、174−178頁。
日和佐町史編纂委員会編『日和佐町史』日和佐町、昭和59年、450−456頁。1233− 1234頁。
由岐町史編纂委員会編『由岐町史地域編』由岐町、昭和60年、720−721頁。
宮田登編『日本民俗文化大系第4巻』小学館、1983年、445−446頁。
民俗学研究所編『民俗学辞典』東京堂出版、1951年、605頁。


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