阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第43号
漁・猟にまつわる言い伝え

民俗班(徳島民俗学会)

      庄武憲子1)・東田塁美2)

1.はじめに
 言い伝え、ことわざには、現在の生活からみると、意味不明で理由のわからないものが多い。よって、古くさいとかばかばかしいといって忘れ去られつつある。しかし、これらには昔からの経験の積み重ねや知恵、それから生まれた論理が含まれており、納得させられる場合もある。
 今回の日和佐町調査では、このような言い伝えやことわざに関する聞き書きを行った。
 すでに、 『日和佐町史』等でくわしい事例の報告があるが、この中でも、特に漁・猟師に伝えられているものに焦点をあててみた。漁・猟は、海・山といった人間側の力だけではどうすることもできない自然相手の生業であり、危険もともなう。したがって、経験や知恵がものをいい、興味深い言い伝えやことわざが豊富であろうと予想したからである。
 平成8年7月26、27日と12月19日に、漁については東町と恵比須浜、猟については日浦の集落で、任意に人を訪ね、知っていることについて語ってもらった。情報提供者の生年月日、性別と調査地点、日時、については、表1、表2のとおりである。
 以下、漁と猟について、それぞれの言い伝え、古諺を列記し、それについて情報提供者の説明・体験談などを書き記しておきたい。なお、文中[ ]内のアルファベットは、表1、2の情報提供者に対応するものである。

2.漁師の言い伝え
 (1)「死」と漁
◎土左右衛門、仏(水死体)に遭うと漁があたる(豊漁になる)[A・B・C・D・E]。
 この言い伝えは、今回一番明確に聞かれたものである。『日和佐町史』(P.1346)にも「土左衛門を拾うと、豊漁になる」と報告されている。異様な内容ではあるが、日本全国の漁村で広く聞かれるものである。細かい内容については、次のようである。
・水死体を船に上げる時に「漁を良くしてくれよ」と言って上げるといった[C]。
・仏さんに遭った場合の上げ方は、所によって違うだろうが、トリカジ(左舷)から上げた。魚でも、何でも取り上げるものは、トリカジから上げる[B]。
・沖で仏さんに遭ったら、トリカジから上げ、オモカジから下ろすといっていた。てれこ(逆)かもしれないが、取り上げた方向から、必ず反対の方向に下ろすものだといっていた。仏を取り上げる時におまじないみたいなことはいわない[E]。
・仏さんに遭ったら船に上げてやるものだといった。また、自分で上げてやれない場合でも、菰(こも)などをかけて、後からくるものに助けてもらえるようにするものだといっていた[D]。
・仏さんを拾うと、供養になって漁があたるという。仏さんの恵みで漁がよくなるという[B]。
・昔、鰹(かつお)釣りにいって、異常に魚が船に集まってくるなと思った時にふとみると、側に水死体が浮いていることがあった。死体に魚がよっていたのだろう[C]。
 水死体を取り上げるのには、取り上げる方向とか、呪文(じゅもん)をいうとか、何らかのしきたりがあったと思われるが、はっきりしない。また、このような奇妙な言い伝えがある理由として、[B]の説明によると「仏を供養するため」と考えられていることがわかる。
◎葬式に出会うと豊漁という。婚礼に出会うと不漁という[D]。
 この言い伝えについては、細かい理由はなかった。ただ、めでたい婚礼の方に出会うと不漁になるとしている点が、不思議である。
◎ボニ(盆)に漁に出ると仏様がひっぱりにくるという[B・E]。
◎盆の時分には海の泡が魚になるといった[B]。
 盆については、仏様(亡くなった人)に結びつくため「死」に関連するものと分類をした。これらは盆の期間に、祖霊が彼岸から戻ってくるのを家へ迎え祀(まつ)るという信仰に関係するものだろう。また海が、仏様が往来し、彼岸に通じる場所であるという認識があったものと考える。このため、盆の期間に海に出かけるのを忌む習慣があったものと思われる。これは、現在まで受けつがれている。
・盆の13日は、昼間はいいが、夜釣りにいったら魚はいっこもおらんという[C]。
・現在も、盆の14、15、16日は漁は休みときまっている[E]。
 また、関連して別に「キチビ・ケチビ」という化け物についての話を聞いている人もある。
・祖父がよく言っていた話だが、夜釣りにいくと、亡くなって供養してない人、祀られていない人が出てくるといった。静かな晩にじわりと出てきて船にすわり込み、船に水を汲(く)み入れ、沈めようとするという。「杓(しゃく)をくれ」といってくるので、その場合は底のあいた杓を渡せばよいといった[C]。
 (2)「出産」にまつわるもの
◎嫁さんが妊娠しているときは漁があたる(大漁になる)。反対に不漁になるともいう[A・B・C・D・E]。
 今回聞き取ることはできなかったが、『日和佐町史』(P.1346)には「漁・猟師は産日をきらう」と記述されており、一連の事柄でも妊娠と出産は別々に考えられていたように思う。また妊娠に関しては、個々の言い伝えに細かい変化がみられ、漁に関して、いい影響を与えたり、悪い影響を与えたりするものと考えられている。詳細は以下のようである。
・嫁さんが妊娠しているときは漁があたるという。そのような状態を「ソバエトル」という。自分に運が向いている状態のことをいう[D]。
・嫁さんが男の子を身ごもっていると漁があたるという[E]。
・嫁さんが腹の大きい時は漁があたり、そんなことがあった時に生まれてきた子は、体が弱いという。自分も嫁さんが妊娠しているとき、漁にあたった。けれども生まれてきた子どもは、元気に育った。この言い伝えは、うそだと思う[C]。
 (3)その他漁に関して
 分類はできないが、漁の良し悪しに関してそのほかにも言い伝えがある。
◎取り残しの魚があると不漁になる[C・D]。
・鰹釣りなどにいって、釣った魚が船に残っていると、次の日に漁にいったらあたらないという[C]。
・取り残しの魚を「ネイオ」という。「ネイオ」があると不漁になるという。その場合
ネイオの目に塩をすりこんで、清めて海に返すと、もとの状態に戻るといった[D]。
◎四つ足(動物)が船に乗ることを嫌う[B・C・D・E]。また漁師は四つ足を食べない[C]。
・船に四つ足を乗せてはいけないというが、猫や犬の骨や、鹿(しか)、猪(いのしし)の骨、角、牙(きば)などで、釣り針を作る人はいた。また疑似餌(え)に猪の毛を使うこともあった[D]。
・沖で鹿が海を泳いでいる所にはよく出会う。千羽海岸にいる鹿を船の上から撃たせてほしいと頼む人があったので、船に乗せていった。帰りに「撃った獲物は船に積んでは帰らないぞ」といったのだが、「どうしても」と頼まれたので、獲物の鹿を乗っけてきた。それからどうした理由か、今までよくとれていたアオリイカがぴたっととれなくなってしまったことがあった[E]。
◎酢をもっていたら、不漁になるといった。
 ・これは、手ぶらで帰ることを「スボタ」ということからである[D]。
 (4)天候に関して
◎フナムシが海から上がってくると台風がくる[E]。

3.猟師の言い伝え
 猟に関しての言い伝えについては、調査の不手際もあって猟に詳しい情報提供者に出会えず、あまり聞き取れなかった。しかし、猟に影響を与えるものとして「死」と「出産」にまつわる言い伝えが中心になっていると思われる。
 (1)「死」と猟
◎葬式に出会うと今日の猟は良いという[F・G]。
・猟だけでなく、商談などのある日にも、葬式の列に出会うと、今日の商談はまとまるぞということがある[G]。
 (2)「出産」と猟
◎奥さんが妊娠している時は猟にあたる。また反対に不猟になるともいう[F・G]。
・自分の嫁さんが妊娠していたとき、不思議なもので、獲物がよくとれたことがあった[G]。
 (3)その他、猟に関して
◎猟に出かける前は、酢を食べてはいけない。
・これは、素(す)で帰るからといういわれからである。みかんなど酸っぱい食物を食べないようにした人もいた[G]。
◎猟に出かける朝、服のほころびやボタンのとれかけを直してはいけない[F]。
◎クマオンジンの回っている方向には獲物がいかない[G]。
◎雨の日には猟にいかない[F・G]。

4.最後に
 今回の結果として、予想していたほど、天候等自然に関わるような言い伝えは聞かれなかった。一方、今まで民俗学で指摘されてきたように、日和佐町でも漁・猟には、人間の「死」と「生」が結びつけられた言い伝えが、中心となっていることがいえる。
 興味深いのは、人間にとって喜ばしいことやめでたいこと、出産や婚礼(「生」にまつわるもの)が、不漁・猟と結びつけられ、反対に喜ばしくないことや悲しいこと、水死体や葬式(「死」にまつわるもの)は、豊漁・猟をもたらすと考えられている傾向にあることである。これらには、(+)(−)=0という論理が成りたっており、世の中のあり方について人々の認識の仕方に基づいてうまれた、奥の深い言い伝えのように感じる。ただ、妊娠という状態に関しては、「死」にも「生」にも属さない、どちらにも転ぶあやふやな期間と考えられていたように思われる。
 この他、言葉の連想などと漁・猟を結びつけたものなど様々なものがある。これらについても、それぞれ何らかの意味体系に基づいてできたものと思うが、説明できないものが多い。
 全体として、このような言い伝えをしっかりと覚えている人は少なく、一世代あるいは二世代前の人が話していたものとされている。言い伝えがだんだんと細片化すると同時にこれらを伝えてきた人のものの見方も消えつつあるのかもしれない。
 最後にお忙しい中、御親切に協力、お話しくださった、日和佐町の皆様に深く御礼申し上げます。

 参考文献
日和佐町史編纂委員会  『日和佐町史』 1984年
柳田國男編       『海村生活の研究』日本民俗学会 1949年
吉成直樹        『俗信のコスモロジー』白水社 1996年

1)徳島県立博物館 2)生光学園高等部


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