阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第43号
日和佐薬王寺厄坂寄進者名

郷土班(阿波郷土会)

   真貝宣光・佐藤嘉隆・柳田清・稲井敬二

 厄除(よけ)根本祈願所として名高い四国霊場第23番札所薬王寺には、本堂に向かう参道に33段の女厄坂、42段の男厄坂があり、本堂の右手から瑜祇(ゆぎ)塔へ登る途中に61段の男女厄坂が設けられている。男女厄坂は昭和38(1963)年9月に完成した新しいものであるが、女厄坂・男厄坂は文化5年(1808)から6年にかけて造営献納されたものである。徳島西濱石壇講中と徳島西新町石壇講中による寄進であり、講元は、■の家印で西新町で干鰯(ほしか)問屋、藍(あい)商等を営んでいた、藩内指折りの有力商人藍屋貞兵衛である。厄坂両側の石垣(図1)に、呼びかけに応じて藩内外から浄財を寄進した344名の名が刻み込まれている(図2)。花崗(こう)岩製で読みづらい上に、彫りが浅く、一部読み取り不能な個所、自信の持てない個所もあるが、全刻字を活字化することにする。寄進者の内には大坂の藍問屋・藍仲買商、兵庫の廻(かい)船問屋等も含まれているが、ほとんどが関東売藍商を営む20名をはじめ、藩内各地の有力者、有力商人であり、文化年間における藩内各地の経済動向を知る手がかりとなるものである。

 活字化にあたり、寄進者名の間に横線を付したが、横線から横線の間に記した名が一枚の石に刻まれている事を示す。すなわち一枚の石に刻まれている人数が少ないほど寄進額が大きい事を表す。
 文化5年ごろといえば四国遍礼の一大高揚期であり、各地の札所の伽藍(がらん)等の整備が進んだ時期である。大師信仰はもちろんであろうが、城下から遠い日和佐薬王寺への厄坂献納は、海難等の厄難を避けたいとする商人の思いが強く働いたものと考えられる。
(文責 真貝)


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