序文   阿波学会会長 湯浅 良幸  私は旧板野郡の地図をひろげている。下板地方のうち川内町は徳島市に編入されているが、松茂町・北島町は今日板野郡で枢要な位置を占めている。それらのうち松茂町・北島町は旧吉野川と今切川に挾まれてそれぞれ島となっている。川内町も今切川と吉野川に挾まれて島になっているのは同様である。とくに北島町と川内町は地形がよく似ている。これらの町域はともに吉野川・旧吉野川に出来たデルタ地帯で、古くから土地は低くたえず洪水に悩まされてきた。もちろん、町の歴史は新しいため原始・古代の遺跡は何一つない。 このたび町ご当局のお招きによって平成7年度学術調査を北島町で実施することが出来た。結団式のとき、私は次のようなあいさつをした。  北島町は県下一狭い地方自治体(8.77平方キロメートル)である。さらに地域の歴史は新しいため原始・古代の遺物はない。さらにデルタのため山がない。だから、考古学班や動物・植物・鳥類・歴史のグループ等調査にとまどうにちがいない。行政区域が狭いため、たとえば車で走るとすぐ他市町へまぎれ込んでしまう場合が少なくない……。  この町は明治22年の「市制・町村制」の施行によって鯛浜・江尻・高房・中村・北島・新喜来・太郎八須の7村が合併して北島村となり、さらに昭和15年町制を施行した。かつて藍作・稲作が中心だった北島村が町制を敷くことが出来たのは一に町内の工業化によるものである。昭和9年に紡績工場が進出、同時に関連企業の発展によって人口増加の一途をたどり、当然のことながら税の増収となった。太平洋戦後、北島町では町民税はいらない、ということで他の市町村民をうらやましがらせたものである。  さらに、戦後には基盤整備に伴って繊維・化学・機械等の大企業が相次いで進出、町は大変ぼうを遂げ、いまも激しく変わりつつある。  今日、町内は農地面積が減少し、一方、工場・宅地がふえつづけている。さらにベッドタウン化が進んでいる。急に人口が増えれば今まで経験したことのない都市問題が発生する。さらに住民の多様なニーズにこたえるための施策が望まれるだろう。まさに北島町において日本の縮図を見るようだ。  今回の調査には18学会105名が参加した。酷暑の中、一生懸命調査に励まれた団員の皆様のご労苦に謝意を表しますとともに本書が北島町政に役立つことが出来れば幸いである。最後になりましたが、調査に当たり格別のご尽力・ご協力をいただいた斎藤町長さんはじめ町関係機関ならびに町民の皆様に心から御礼を申しあげます。  北島町の学術調査によせて   徳島県立図書館長 中川  巌  総合学術調査「北島町」の報告が紀要第42号としてまとめられ、発行されることとなりました。  北島町は、徳島県の東部、吉野町河口の三角洲平野に開けた町で、徳島市と鳴門市のほぼ中間に位置し、今切川と旧吉野川に囲まれた水と緑と田園の近郊住宅都市であります。面積の約8割が山地の本県にあって、珍しく山のない平坦地であり、このような地勢から、古くは暴れ川(吉野川)の洪水に悩まされたものの、藩政時代以降は開墾が進み、藍作が盛んとなり、阿波藍の隆盛と共に発展し、明治22年に中村、北村、鯛浜など7村の合併で北島村が発足、そして昭和15年に北島町と改称され町制が施行されました。  町の面積は8.77平方キロメートルと県下最小ながら、昭和初期からの繊維、化学、機械等各種大工場の誘致とこれに伴う関連産業の発展により、有数の工業地帯を形成し、併せて大規模団地の造成が進められ、現在約2万人の人口規模となり、人口密度、町民所得において県下最高の状況となっております。  一方、農業においても、都市近郊農業として消費地を支え、施設園芸や野菜栽培が盛んであり、とりわけ早咲きチューリップは一大産地を形成しております。  このような歴史や環境を背景に、町としては、人と自然の調和した文化的住宅都市を目指した町づくりを推進し、地域産業の振興と併せて来るべき21世紀に向かって様々な施策を展開しており、今後大きく希望の開ける町であります。  この北島町の学術調査には、阿波学会から18学会、105人が参加し、平成7年7月28日から8月6日までの10日間研究調査活動を行い、発表会や数次にわたる編集会議を経てここに調査報告書をまとめたところであります。  北島町学術調査報告書を今後の研究資料として、また町行政計画資料として少しでも活用していただければ幸いと存じます。  最後になりましたが、町全般にわたる学術調査に際し、町関係者をはじめ、地域や各種団体の方々から物心両面にわたるご支援、ご協力をいただきましたことにつき、心からお礼を申し上げます。  また、例年のことながら、猛暑の中、精力的に調査くださった学会員の皆様方に対しまして、深く感謝の意をささげ挨拶といたします。  北島町の総合学術調査に寄せて   北島町長 齋藤 武尚  このたび、阿波学会による北島町総合学術調査の成果が報告書にまとめられ、紀要第42号として発刊される運びとなりました。ここに、心からお礼とお慶びを申し上げます。  平成7年7月28日、北島町立図書館・創世ホールにおいて多数の関係者が一堂に会し、結団式が挙行され、この日から2週間、17学会18班105名の調査団により各分野を網羅した総合学術調査を実施して下さいました。  調査団の皆様には、猛暑の中を、草をかきわけ、川に、薮の中に、大粒の汗を流して全町くまなく踏査して頂きました。また、この集中調査期間以後も引き続き来町され、何回も再調査くださったとお聞きしております。誠にご苦労様でございました。  そして、昨年12月3日には、北島町立図書館・創世ホールにおいて11班の方々により、調査発表会が開催されました。スライド、図面等が準備され、丁重なご説明を聞かせていただき、皆様方のご努力と熱意には頭が下がる思いがいたしました。  さて、北島町は近年、徳島市、鳴門市のベッドタウンとして発展が継続中であり、とりわけ、これからの北島町を展望してみますと、四国縦貫道、本四連絡橋の開通などで、都市化に向けて大きく変貌することが予想され、本町におきましても、未来に向けて大きな転換期に至っております。また、本町では、北島町を学び得る唯一の「北島町史」は、昭和50年3月に発刊して以来、改訂の機会もなく、現在にいたっております。  こうした時に、「北島町」総合学術調査が実施されましたことは、町民の皆様にとっても、また、私にとっても、本町を改めて見直す良い機会となったばかりでなく、その調査結果は貴重な文献として、「21世紀に向けた新しく美しい町づくり」に大いに活用させていただきたいと考えております。  終わりに際し、学術調査団の皆様方のご協力とご苦労に対し深く感謝いたしますとともに、この調査に御協力、ご支援くださいました町民の皆様方に心からお礼申し上げます。そして、阿波学会ならびに県立図書館の益々のご発展と、会員の皆様の一層のご活躍を心よりご祈念申し上げ、発刊のお祝いと、お礼の言葉といたします。