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1.はじめに 最近とくに注目されるようになった地域問題の一つにごみ問題がある。ごみ問題は、広くは地球の環境や天然資源の問題にまで通じる問題であるが、それが、今日、早急に解決されるべき地域問題として論議されているのは次のような理由による。 ごみ(以下、通常の用法にならって、産業廃棄物と区別される一般廃棄物を指して「ごみ」と表現する)の処理は、市町村の責任で行われることが「廃掃法」(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)で定められており、現在、各市町村は、ごみの収集から運搬、焼却、そして埋め立て等による最終処分まで一連のごみ処理を単独あるいは複数市町村によって構成される事務組合単位で行っている。そうした中で、ごみの排出量の増加に伴う処理費用の増加は市町村財政を圧迫しているが、それにもまして困難な課題は、現在ある最終処分場の残余容量が少なくなってきたことと、新たに最終処分場を確保することが容易ではないことである。
『徳島県の一般廃棄物(平成5年実態)』(徳島県、1995年)によれば、県全体のごみの総排出量は、1993(平成5)年実績で年間281,551t(1日平均771.4t)である。そのうちの約85%、240,090t
が市町村や事務組合により収集されており、残りの約15%は焼却施設等の処理施設に直接搬入あるいは自家処理されている。総排出量の約91%、257,581t(1日平均705.7t)の73%にあたる188,367t(1日平均516.1t)は直接焼却されるが、そのうちの約15%、28,844t(1日76.1t)は焼却残渣(さ)として最終処分場で埋め立て処理されている。 直接焼却されないごみのうち、42,851t(117.4t)は粗大ごみ処理施設等で中間処理の後に再資源化されているが、中間処理からも残渣が生じる。その量は22,771t
と中間処理量のほぼ半分になる。再資源化量は最終的には19,645t(1日平均53.8t)と総排出量のわずか7%にすぎない。中間処理から生じる残渣の20%程度は焼却施設で処理されるが、残りの80%は最終処分場で埋め立てられている。 以上のように、家庭や事業所から排出された一般ごみは、その多くが焼却や中間処理によって減量化されているが、それでも収集量の約31%、総排出量の約30%にあたる73,944tという膨大な量が最終処分場で埋め立て処理されている。県内には、平成5年度末で、25ヵ所、327,481平方メートル、全体容量1,572,818平方メートルの最終処分場があるが、残余容量は601,663平方メートルである。平成5年度では、県庁舎7個分にあたる80,141平方メートルが埋め立てられているから、今後とも排出量が変わらないとしても、現有の最終処分場は7年後には満杯になる。ごみの排出量は増加傾向にあるから、実際にはこれより早いスピードで最終処分場の残余容量は減少していくことが予想される。 本稿では、北島町における関係機関や関係者からの聞き取り調査の結果に基づいて、地域問題としてのごみ問題と行政課題としてのごみ対策について若干の考察を行うことにする。
2.調査の日程と調査内容 調査は1995年7月18日(火)、19日(水)の両日に、筆者と徳島大学総合科学部の学生11名とで行った。18日の午前中は、北島町役場において、北島町の概要とごみ問題およびごみ対策の現状について聞き取りをした。同日の午後は、北島町清掃センターを訪れて業務内容について聞き取りをした。19日午前中は、公民館で婦人会、子ども会、衛生組合の代表者から各団体のごみ問題についての取り組みについて聞いた。午後は北島町最終処分場を訪れて、処分場の実情について見聞した。
3.
北島町の発展とごみ問題 かつて北島町は吉野川に接する純農村地域であったが、平坦な地形と豊富な水資源、そして県都徳島市に隣接するという地理的条件から、戦後間もない時期から県下有数の工業地域として発展し、近年では都市近郊型住宅地域として県内では数少ない人口急増地域になっている(図1)。町の将来推計によれば、2000年には21,200人、7,100世帯、2010年には23,000人、7,950世帯になると見込まれている。
 北島町は、若い人口の転入によって総人口を増加させてきた結果、老年人口率は県内50市町村の中では藍住町に続いて低く、15〜64歳の生産年齢人口は県内一の高率であり、1人当たり町民所得は第1位である。 そうした発展と、徳島県総合計画の大幅改訂や社会経済環境の変化を背景にして、北島町では、1995年度を目標年次とする「北島町第二次振興計画」(1992年3月策定)に続いて、目標年次を2010年とする長期的・総合的まちづくり計画を策定し、それを『21世紀北島町ルーバンタウン計画』と銘打って平成7年3月に公表した。同書によれば、ルーバンとは、英語の
rural と urban
を合成した言葉で、田舎・田園と都市の良いところを取り込んだ複合的都市計画がルーバンタウン計画ということであり、農地の多い都市を意味するとされている。 他に類を見ないユニークなタイトルに、北島町の将来ヴィジョンが簡潔に表現されていると思われるが、rural
と urban を合成した rurban
という言葉自体は新しいものではなく、社会学や都市・地域計画学の関係者には古くからなじみの言葉ではある。かつて、アメリカの農村地域で、田舎町と散居形態の農村とが生活・生産の面で一定のまとまりをもっていることが見出され、そのまとまりを指す用語としてラーバン・コミュニティ(rurban
community)という言葉がギャルピンという社会学者によって作られ、日本語では都鄙(とひ)共同体という訳語で知られている。 いうまでもなく、北島町の「ルーバンタウン」は、そうしたラーバン・コミュニティとは内容を同じくするものではなく、計画書でいう「人と自然が調和した、ぬくもりある住宅都市」、「全町公園都市化」、「すべての町民が、生き生きと働き、進んで学び、そして安らかに憩い、かつ、楽しく遊び・交流する高次の都市機能を備え、豊かで、ゆとりある田園都市」を指している。 ところで、上記の計画書に盛られているように、北島町の発展課題は多々あるが、人口・世帯が増加し、町が活性化すればするほどごみの量も増加する。町面積が877ha(8.8平方キロメートル)と県内最小かつ人口密度が最大の北島町にとっては、とりわけごみ処理の問題は、計画書に盛られているようなルーバン・タウンを実現する際に大きな課題の一つになるであろう。既に、人口の増加と平行するようにごみの排出量は増加している(図2)。
 85年から94年までの10年間に、北島町のごみ収集量は、4,268t
から5,892t
へと38%増加している。種類別では、ビニール類だけが91年をピークに減少しているが、可燃ごみは39%の増加、缶・ビン類は44%の増加、粗大ごみは52%の増加である。この間、可燃ごみは89年と90年の2年間にわたって、粗大ごみは90年と91年の2年間にわたって、前年度に比べて収集量に大きな変化がないか、減少している。この現象について、『21世紀北島町ルーバンタウン計画』の51頁では、平成元年から実施した生ごみ処理容器(コンポスター、コンポエース)と簡易焼却炉(ドラム缶)購入に対する半額補助と、子ども会に奨励金を出して古紙、金属、布、ビンの回収を図るなどの報償制度が資源ごみの回収に効果をあげたためと記している。しかし、91〜92年にかけて、ごみ収集量は再び増加傾向を示しており、この10年間を通してみれば明らかに増加傾向にあることが分かる。 以上のような人口とごみの量との対応関係をもう少し明確にするために、ピアソンの積率相関係数を算出してみたのが、表2に示した「対人口相関」の数値である。 ビニール類だけは逆相関であるが、他は順相関を示しており、人口が増加するとごみの量も増加することがわかる。缶・ビン類や粗大ごみに関しては相関係数は大きくないが、可燃ごみでは0.9を超えている。ほぼ1対1の対応で、人口の増加につれて可燃ごみが増加してきたことがわかる。 これまでのそうした関係に基づいて、人口の変化からごみの量を予測する線形一次式を導き出してみた。その常数項とパラメータが表1の最下欄に記した数値である。それぞれは、Y=aX+bのbとaにあたる。ここで、Yはごみの量でXは人口である。この一次式に2000年と2010年の推計人口を代入して得られたごみの量が表1の破線以下の数値である。可燃ごみは、2000年度には5,184t、2010年度には6,077t
となり、94年実績のそれぞれ15%、35%の増加になる。缶・ビンやビニール類、粗大ごみも増加し、ごみ全体は2000年では94年度の13%増、2010年の31%増になる。
 以上の結果は、この10年間に限って人口の変化だけからごみの量を予測したものである。今後、北島町の人口が予測どおりに増加するか否かについては不確定的要素が少なくないし、ごみの量を左右する要因も人口だけではなく他にも考えられる。したがって、上記の推計式だけで将来のごみの量を断定的に予測することはもちろんできないが、人口が増加すれば、その規模に異同はあっても、ごみの量は確実に増加し、まちづくりにとって、土地利用の面からも財政面からも大きな課題になることは確かである。 北島町におけるごみ処理は町の直轄事業として行われている。ごみの収集に関しては直接的な個人負担はないが、平成7年度では処理費用が2億円にのぼっており、年間の財政費34億円の5.5%を占めている。町民一人当たり年間1万円の税金がごみ処理に費やされていることになる。ごみの量が増加すれば、そうした処理費用も当然のことながら増加するから、他の事業にまわす予算が相対的に減少することになり、ルーバンタウン計画に大きな影響を及ぼすことになろう。 最終処分場は、町の南西の端、旧吉野川に近い市街化調整区域内にある個人の所有地を買収して作られた。総面積は3,960平方メートルで、焼却灰と不燃物をセル方式によって約10年間で埋め立てる計画で、年金積み立て金還元融資施設として昭和61年(1986)に完成した。既に10年が過ぎ、この処分場も残余容量はわずかである。町域が狭く、この処分場も、市街化調整区域内とはいえ、周辺には農地があり、遠くないところには住宅もある。汚染の問題がないとしても、山も海もない北島町にとって、町内に新たな最終処分場を確保することはきわめて難しい。そのために、最終処分場の延命策や最終処分場のいらない処理施設を作ることが検討されている。前者はごみの減量化であり、後者はごみを固形燃料にするなどの再資源化への取り組みである。後者に関しては今のところ具体化されるまでには至っていないが、前者に関してはさまざまな試みが行われている。以下の章ではそれらについて取り上げることにする。
4.ごみ処理施策と各種団体の取り組み 1)ごみの収集と処理 ごみの収集と中間処理、最終処理は「北島町清掃センター」が担当している。収集は、町内を4コースに分けて、それぞれのコースで可燃物は週2回、缶・ビン類は月4回(第5週を除いて毎週)、ビニール・合成樹脂類(ペットボトル、発泡スチロール製品など)は月2回(第2、第4)、燃やせる粗大ごみ(家具、寝具、畳、樹木)は偶数月に月1回、燃やせない粗大ごみ(電気製品、ストーブ、バイク、自転車、スチール製品)及びその他の不燃物は奇数月に月1回収集している。収集は5分別であるが、燃やせない粗大ごみの集収日に出すごみとして、「ガラスや陶器類、鍋、灰などの不燃物」と「不用になった乾電池」を分けて出すことにしており、全体で7分別である。 北島町では、そうした分別収集を徹底するために、『わが家のごみ分別カレンダー』を全戸に配布している。このカレンダーは、A3版7枚を二つ折りにして表紙と裏表紙を含めて28頁の壁掛け式である。見開きの半面に「わがまちのごみ対策――知っておきたい暮らしのごみ処理」という漫画仕立ての啓発記事があり、ごみの出し方や注意事項、粗大ごみや不燃物の種類、ビニール・合成樹脂製品の具体例、収集できないごみの例、資源回収の仕組みなどが一目見てわかるように描かれている。そして、もう半面には、「ごみはいつも、決められた日の! 決められた場所に! 決められたごみを!」と「朝、8時半までに!」の二つの注意書きを添えた日曜表が印刷されている。曜日を記した欄には、その曜日がどの種類のごみの集収日であるかが書かれているとともに、その日が缶・ビンの集収日であれば缶・ビンの絵が描かれているので、どの日が何のごみの集収日かが一目瞭りょう然である。しかしながら、そうしたよくできたカレンダーが配布されているにもかかわらず、決められた日時と場所、分別を守らない人もおり、そのための苦情も出ている。 清掃センターでには、1日8時間稼働で13t
の処理能力を持つ焼却炉が2基あり、可燃物の中間処理は、これら2基の焼却炉で焼却処理している。最終処分場の埋め立て残余量が少なくなってきたために、2年前からはビニール・合成樹脂類も焼却しているが、通常の可燃物であれば炉内は600度程度であるのが、ビニール・合成樹脂類を焼却すると1,200度の高熱になるために炉の傷みが問題になっている。缶類は、自動選別圧縮機で鉄類とアルミ類に分けて固形化している。ビン類は破砕機で粉砕している。95年4月に、大型ごみを減容することによって最終処分場の延命化を図るために、3,800万円をかけて自走式の破砕機が購入され、最終処分場で稼動している。燃やせる粗大ごみは、一度最終処分場に運ばれ、この破砕機で破砕された後に焼却場に運ばれて焼却処理されている。 清掃センターが行うごみの最終処理は、焼却残渣(灰)や破砕されたビン類、燃やせない粗大ごみ、その他の不燃物を最終処分場に運んで埋め立てることと、中間処理の過程で回収した金属類などの有価物を売却することである。後者はリサイクルや再資源化の業務ではあるが、アルミは5〜6年前には1kg
100円したものが現在では30円にしかならない。鉄ではわずか2円である。缶・ビン類は1日3t
処理しており、その3分の1が缶である。全部アルミ缶だとしても3万円である。手間や自動選別圧縮機の購入・維持費などを考えると割の合わない作業だといえるが、中間処理から回収した有価物の売却価格の低下は、リサイクルや再資源化の努力をしているどこの市町村にとっても頭の痛いところである。 2)分別収集のモデル地区と指定ごみ袋 分別収集の徹底を図るために、北島町では94年に1か所、95年に3か所のモデル地区を指定し、600戸に指定ごみ袋を無料で配布した。当初、壊れ物のごみ袋は透明で、生ごみ等の可燃物の袋は黄色の半透明の袋であったが、この指定袋はあまり使われず、プライバシーの問題等の意見があって、住民との綿密な話し合いの後に不透明の袋に変えた。そして、缶・ビン類は袋に入れずに集積所のコンテナの中に直接入れる方法を周知した。しかし、モデル地区に指定されたところでも、周知したはずの分別排出が予想以上に守られなかった。とくにマンション、なかでも1DK中心のマンションの住人のごみ出しマナーが悪いことが指摘されている。 また、これは分別収集とは異なるが、北島町では生ゴミを分解して土壌にかえすためのコンポストの購入に補助金を出しており、分解促進のための「EMぼかし」を配布したが、そう簡単に発酵・分解せず、不潔であることと、できた堆肥を粗大ごみとして出してしまうことも少なくなかったので、「EMぼかし」の配布は中止された。 3)衛生組合とごみ対策 北島町には町内会や自治会がなく、もっとも大きな地域組織は衛生組合である。平成7年7月1日現在、293組合あり、5,252世帯、15,899人が加入している。全世帯加入を目標にしているが、現在のところ加入世帯は80%程度である。1組合は班長世帯1と3〜20世帯で構成されて、社宅やアパートは、それぞれで1組合としている。衛生組合の役員は、理事28名、会長・副会長各1名、監査2名、会計1名である。運営費は、一世帯当たり200円の補助金でまかなわれており、これで消毒器や薬剤を購入している。衛生組合費のようなものは集めていない。かつては、害虫駆除や除草のための薬剤などを売っていたが、手間の割には収入が少ないので現在はやっていない。 衛生組合の年間定例行事は、4月の総会および研修会、消毒薬の配布、県連合会の理事会、5月の町内一斉清掃、県連合会総会、ごみ減量化対策事業による簡易焼却炉・生ごみ処理容器の配布、6月の理事会、11月のネズミ駆除剤の配布とネズミ駆除、12月の衛生組合長会、3月の理事会であるが、日常の活動の中心は、分別収集の促進とごみ集積所の管理である。回覧板などでごみに関する情報を各世帯に伝え、集積所の清掃・消毒を行っており、北島町のごみ問題対策に衛生組合が大きな役割を果たしている。 衛生組合がいま問題にしているのは、ごみ問題に対する若い層の意識が低いことである。日時、場所、分別排出を守らず、分別収集体制の効果をそいでいる。ごみ集積所の清掃も問題になっている。班長だけが清掃している地域もあり、班長の大きな負担になっている。通行量の多いところは、通りすがりの人がごみを投げ入れていくため汚れかたがひどく、そういう集積所2か所は撤廃し、流し取りに変えた。また、北島町は単身赴任者や短期在住者も少なくないので、加入世帯の増加を図ることが難しいことも課題となっている。さらに、集積所の場所がなかなか決められないことも問題である。集積所は、現在300か所あり、20軒に一つの割合であるが、集積予定地の近隣住民の了解を得ることが難しい。昭和58年9月18日に用水路の権利が放棄されて町に権利が移譲されたところでは、農業用水路の上をまたぐような形で道路脇に集積所が置かれている。こうすれば私有地に集積所を置かなくてすむが、それでも、その近くに新築した住民からは、集積所を他に移してほしいという注文が出ている。 4)子ども会の廃品回収活動と回収奨励金制度 北島町の子ども会は30年以上前に、そして、子ども会連合会は昭和60年(1985)に結成された。連合会は、南、中、北の3地区に分かれていて、南地区には11、中地区には18、北地区には13の合計41の単位子ども会がある。会員数は子ども会によってまちまちであり、少ないところでは10人程度、多いところでは60人ほどになるが、全体では約2,000人で、これに大人が約1,000人参加して子ども会活動が行われている。キャンプや「ひょうたんらんど」のような行事はいくつかの子ども会が合同で行っており、そういうときには、子ども会のOBであるジュニアリーダーが活躍する。会費は地区によって異なるが、子ども一人につき250円から500円ほどであり、夏休みのラジオ体操やクリスマス会、お別れ会などの費用として使われている。 日本では子ども会の廃品回収活動の歴史は古いが、北島町では、10年ほど前から、41全部の子ども会に対して、10月(4〜9月の回収分)と4月(10〜3月)の年2回回収奨励金を出している。これは、県の目標である25%減量化に沿った施策の一環でもある。対象となる回収品目は、古紙、金属、ビン、布で、1kg
につき5円である。廃品回収日や回数は子ども会によって異なるが、多くの場合、季節の変わり目の日曜日に年2〜4回行っている。廃品回収のしくみは、まず、町長宛に「資源ごみ回収実施届け書」を提出する。届け書に記載される事項は、届出日、団体名、その住所、代表者、連絡先電話番号、回収地域、回収対象戸数、回収開始日、回収予定回数(年)、回収予定業者名、資源ごみ集積場所と付近見取り図、である。それぞれの回収日時に関しては、そのつどチラシを配るなどして子ども会の会員に知らせる。チラシの一例を紹介しておく(図3)。実物はB5版縦書きの用紙に子どもが手書きしたもので、かわいいカットが入っている。
 廃品回収は日曜日や学校の休みの日に行われるが、子どもたちはサッカーの試合やクラブ活動などで参加できない場合が多く、たいていは親が中心になって自家用車を使って回収に当たっている。1回の廃品回収で子ども会に入る金額は9,000円〜1万円くらいである。廃品回収を実施した後に業者に売却し、町長宛の「資源ごみ売買通知書」を町の生活環境課に提出する。通知書には、住所、団体名、代表者名、連絡先電話番号、売買価格、買い上げ業者名、売買日、内訳(品目、重量、単価、金額、備考)を記載する。町は、これをもとに、各品目年2回奨励金を支払うことになる。町は、奨励金用の予算を年間260万円用意しているが、その3分の1は国から、3分の1は県からの補助金である。子ども会の廃品回収活動で、年300t
の資源ごみが回収されているが、資源ごみの売却価格は低下しており、回収業者も利益が薄く、赤字になることもある。そのときには町が赤字分を補充しており、95年度からは、そのための予算を年120万円用意することになったが、7月現在で既に足りなくなっているということである。 ビンは回収しても買ってくれる業者が少なくなり、雑誌は引き取ってくれても1円にもならないこともあるという。集めた量と労力に比べて売却代金は安いと感じるが、奨励金は子ども会の運営・活動費を豊かにしてくれている。 5)ごみ問題に対する婦人会の取り組み 昭和23年に発足した北島町婦人会は、昨年45周年を迎えた。会員相互の親睦と教養の向上、社会福祉の増進に貢献することを目的に、講演会・講習会・研究会の開催、生活改善に関すること、地域社会への奉仕活動、レクリェーションの開催、冠婚葬祭用衣装の貸付を行っている。西、北、中、南の4地区に800人の会員がおり、JA板野北島支所婦人部、婦人防火クラブ、保健推進委員としても活動している。年間の事業数も多く、阪神大震災に際しては、淡路島で炊き出しを行い、町内全6,500世帯を対象に募金活動を行い176万円の募金を集めるなど、北島町の地域組織の中では最も多彩で活発な活動を続けている。ごみ問題については今のところ重点事業として何かを行っているというわけではないが、台所をあずかる主婦としてごみ処理への認識を深めるために清掃センターの見学を行った。また、町と商工会主催の「北島ひょうたんまつり」(11月)に、生活環境課とタイアップして昨年はじめて不用品のバザーを行い、その売上金約3万円を社会福祉協議会と四国放送を通じて義援金にした。今年は婦人会独自でバザーを開催しようと考えている。婦人会の会員は同時に衛生組合の会員でもあるので、ごみ問題に関しては衛生組合員として活動することになるから、ごみ問題に関して婦人会独自の活動はあまり多くないことになる。しかし、これからはもっと積極的に取り組むことを考えており、今年は空き缶拾いを予定している。
5.おわりに ごみ問題は、どの市町村にとっても極めて“やっかい”な問題である。なぜ“やっかい”かといえば、一つには、ごみ処理という投資的効果がほとんどない事業に、莫大な財源を投じなければならないからである。現在、市町村が抱える行政課題は山積みされているが、かりに、ごみ処理に費やしている費用を他の用途たとえば高齢化対策や教育に回すことができれば、かなりの事業ができるであろう。いま一つは、焼却施設や最終処分場の建設・造成の同意を住民から得にくいからである。三つめには、にもかかわらず、市町村の業務として責任をもってごみ処理を行わなければならないからである。 生活水準の向上と生活様式の多様化は、家庭から出るごみの量と質をかつてとは比べものにならないくらいに変えた。人件費の上昇は、ものの値段を相対的に低下させ、使い捨て商品に代表されるように、修理や再利用よりも買い換えを促進させ、商品のライフサイクルは短縮されてごみの量は加速度的に増大した。それでも、少し前までは、大都市を除いてごみ処理の問題は地方の市町村ではさほど大きな問題ではなかった。ところが、近年では、消費生活に関しては全国どこでも大差なくなり、各家庭から出るごみの量と質も大きな違いがなくなった。その結果、ごみ対策やごみ問題に対する関心が薄かった地方において、ごみ問題は急速に深刻化することになったのである。しかし、大都市に比べて、地方の市町村はごみ問題に対する取り組みの立ち上がりは早く、分別収集や資源回収にも積極的であり、効果を上げている。既存の地域組織がごみ対策に有効に機能しているからであるといえる。 本稿では、北島町のごみ問題とごみ対策に関して若干の事例的考察を行ったが、県内の他の市町村にも共通していると思われる問題や対策、課題も少なくない。日々排出される家庭ごみは、その家庭にとってはそれほどの量とは思われないかもしれない。家の外へ出してしまえば家庭の中は片づくから、きれい好きでこまめな人ほど、日々ごみを排出していることになる。そうしたごみが、市町村財政を圧迫して最終処分場を埋め尽くしているなどとはなかなか想像できないであろう。北島町では、モデル地区を設定して指定袋を用意するなどしてごみの分別収集を行い、子ども会に奨励金を出して資源ごみの回収にあたるなど積極的にごみ対策に取り組んでいる。しかし、見てきたように課題も少なくない。近い将来ごみ収集の有料化も検討しなければならないということである。 1997年から実施される「容器包装リサイクル法」が95年6月に制定されて、市町村のごみ処理施策も新しい段階に入ることになった。また、最近のごみ処理技術の進歩は著しく、焼却残渣を固形燃料にしたりごみを燃料にして発電を行う設備・施設の開発など、従来のような嫌悪施設として住民から敬遠されるごみ焼却場とは異なる全く新しいタイプのごみ処理施設が建設されるようになってきた。こうした制度的、技術的変化は、ごみ処理を一市町村の業務から公私両部門および広域的な体制のもとでの取り組みに変えていかざるをえなくなる。とはいえ、家庭ごみ、あるいは事業所からでる一般ごみの問題は、一人ひとりのごみ問題認識に深く関わっている。賢い消費者は、また、ごみ問題に深い関心を持っている消費者でもある。その意味では、これからの市町村のごみ問題対策の一つは、消費者行政の観点からの施策が必要になってくる。しかし、それは単に啓発活動的なものではなくて、その地域の特性と消費者の行動特性とを組み入れた組織的な体制づくりでなくてはならないであろう。北島町のモデル地区における試みは、その出発点として意義深いものであると思われ、北島町の今後のごみ対策が期待されるところである。 最後になったが、村上茂之教育委員会係長からは、今回の調査に際して、日程調整から宿泊の手配、各種団体への連絡とそれらの代表者へのインタヴューの場所の設定など各種の便宜を図っていただいた。立花康資生活環境課長には町が抱えるごみ問題と対策について長時間にわたって説明いただき、多くの質問に丁寧にご回答いただいた。北島町清掃センターと北島町最終処分場では職員の方々から懇切丁寧な説明をいただいた。そして、婦人会の北島会長、宮本副会長、小林役員、子ども会の木村芳子さん、水主美和子さん、衛生組合の北島昭文会長には、時間を割いてわざわざ公民館まで出向いていただき、長時間のインタヴューに快く応じていただいた。以上の方々および御名前を失念してしまってここに記すことができなかった方々に対して、多くお聞ききしたにもかかわらず、そのほんの一部分しかここに生かせなかったことと、聞き間違いや誤って理解したままで記したことがあれば、ここにおわびしつつ、心より厚く御礼申し上げる次第である。なお、今回の調査には、以下の学生が同行して調査レポートを筆者に提出した。本稿にはそれらの一部が盛り込まれているが、内容の責任は筆者一人に帰せられるべきものである。徳島大学総合科学部人間社会学科研究生(中国からの留学生)呂兆新、同学科4年生山本直和、同学科3年生梯恭一・上景千晶・大塚直美・久米淳子・高瀬千恵子・中礼美穂・二上千夏・三木利恵・湯浅直子。
1)徳島大学総合科学部 |