阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第42号
吉野川平野の地下地質 −北島町地域の沖積層−

地学班(地学団体研究会)

   中尾賢一1)・橋本寿夫2)・

   石田啓祐3)・寺戸恒夫4)・            

   森永宏5)・森江孝志6)・               

   福島浩三7)

1.はじめに
 北島町は、吉野川下流域の北岸、徳島平野の東部に位置する。この周辺を形成する地層は、厚さ200m 以上の未固結〜低固結度の砂礫・砂・泥などの堆積物からなる。このうちの多くは、地下数10m 以深を占める未固結〜半固結の地層である。これらは更新世以前に形成されたものと考えられるが、地下深いところにあるため層序や層厚・形成時期・堆積環境などは、ほとんどわかっていない。その上位から地表までがいわゆる沖積層で、後期更新世の最終氷期から現在までに形成された、礫・砂・泥などの未固結堆積物からなる地層である。下位の地層と比べるとよく情報が集まっており、貝化石など海生動物化石が産出することも知られている。
 徳島平野の地層に関して、これまでに次のような研究が行われている。建設省計画局(1964)は、建造物の支持地盤としての観点から沖積層の特性を調査した。中川・須鎗(1965)は、最終氷期以降に堆積した地層を徳島層とし、さらに徳島層を上部層・下部層に二分した。加えて、徳島層の下位の、礫層を主体として硬くしまったシルト〜粘土層を伴う地層を北島層とした。阿子島ほか(1972)は、「縄紋以降(約10,000年前より)の沖積統」として徳島層を再定義し、上部層・中部層・下部層に区分した。横山ほか(1990)は、ボーリング柱状図・貝化石・火山灰などを分析し、沖積層の発達過程を論じた。また、沖積層を基底礫層・下部砂層・中部泥層・上部砂層・上部泥層の5層に区分した。奥村ほか(1990)は、徳島平野北部の2地点から産出した貝化石を報告し、堆積環境を考察した。橋本ほか(1991)は、松茂町の地形と地下地質について考察した。
 今回、筆者らは北島町およびその周辺地域の81地点のボーリング柱状図と徳島大学国際交流会館建設地点のボーリングコアを用いて研究を行った。ただし、今回の調査では、後述する沖積層基底礫層より深い地層の情報がほとんど得られなかったので、本報告ではこれより浅い部分を占める沖積層に絞り、層序区分、動物化石の検出、沖積層の発達過程を考察した。
 なお、徳島平野の堆積物は四国山地・阿讃山脈から供給される砕屑物に由来する。北島町周辺においても、沖積層は主として吉野川が運搬した堆積物から形成されたと考えられる。沖積層の形成された最終氷期から現在まではこの点で変化がないと考えられることから、以下、吉野川本流の方向を基準にして「上流」「下流」を用いる。

2.層序
 ボーリング柱状図に基づき、北島町周辺の沖積層を下位より、基底礫層・下部泥層・下部砂層・中部泥層・上部砂層・上部礫層・最上部泥層の7層に区分した(表1)。


1)基底礫層
 最終氷期前後の低海水準期に堆積した河川性の堆積物である。N値は50以上を示すことが多い。
2)下部泥層
 基底礫層をおおう泥層で、場所によっては欠如することもある。下部が部分的に砂質になることもある。また、有機物を混入する。
3)下部砂層
 一般に、層厚は5〜10m ほどである。基底礫層を直接被覆することもある。
4)中部泥層
 軟弱なシルト〜粘土層からなる。海生の貝類化石を多く含む。層厚は場所によってかなり変化するが、一般に下流側ほど厚くなる傾向が認められる。下流側では、火山灰層を挟む。縄文海進高頂期の前後の高海水準時に形成された三角州底置層と考えられる。
5)上部砂層
 層厚10m 前後の砂層である。縄文海進高頂期後、三角州底置面(中部泥層の堆積する場所)を埋積した三角州前置層と考えられる。上流部では、下位の中部泥層との境界や、下部に火山灰層を挟在することがある。
6)上部礫層
 上流部に多く認められ、下流部ではあまり認められない。一般に連続性はよくない。
7)最上部泥層
 粘土・シルト・砂の薄層、およびこれらの互層からなる。特に下流部ではよく発達する。また、有機物を多く混入する。

3.産出化石
 徳島大学国際交流会館(Loc.80、図1)のボーリングコアの砂質シルト〜シルト質砂中に、少数ではあるが、貝類化石および介形虫化石を確認した(表2)。これは、中部泥層の上部〜上部砂層の層準に当たる。化石の保存状態が不良で得られた個体数が少ないが、産出した貝類は、現在の日本周辺の内湾泥底〜潮間帯砂泥底に生息しているとみられる種が多い。一方、共産した2種の介形虫は、ともに日本の内湾泥底に普遍的に生息している。

4.徳島平野の沖積層の発達過程
 全国の臨海地帯にひろがる沖積層は、最終氷期から縄文海進高頂期を経て現在までに形成された地層である。ユースタティックな海水準変動、特にこの場合は氷河性海水準変動が、この地層の形成過程や層相を規制している(井関、1962など多数)。
 最終氷期の最盛期には、海面は現在よりはるかに低い位置にあった。その海水準に関しては、−140m から−80m までのいろいろな推定がある(海津、1984)が、徳島平野では−90m という見解が公表されている(横山ほか、1990)。当時の徳島平野の表層は礫質堆積物であり、その上面は河川により侵食されて起伏があった。このことは、今回筆者らが描いた基底礫層上面の地下等深線図から確認できる(図8)。
 下部泥層は、徳島平野では今回の調査で初めて認められたものである。植物片を含む細粒堆積物なので、汽水環境の堆積物かもしれない。現在のところ情報が少ないので断定はできないが、東京下町低地の七号地層、濃尾平野の濃尾層と対比される可能性がある。これらの地層は、後氷期(氷河時代の区分で、完新世と一致する)直前のステージ(晩氷期)の海面上昇にともなって形成された地層とされている(井関、1983)。
 下部砂層は、海水準上昇時の三角州前置層と考えられる。これは、下位の下部泥層と併せて、井関(1983)による沖積下部砂層に相当する。東西方向の断面(図2、3、4)を見ると、下部砂層と中部泥層の境界面が下流側に向けて傾斜し、そのぶん下流側ほど中部泥層が厚いことがわかる。同様の傾向は南北断面でも確認できる。すなわち、図5、図6、図7の順に基底礫層の高度が低下し、中部泥層が厚くなる傾向が明瞭である。これは、この時期、三角州前置層が発達するものの、海水準の上昇速度が堆積速度を上回り、下部砂層の堆積の場はより上流側へ移動し、もともと下部砂層が堆積していた場所は中部泥層の堆積する場へと変化していったことを示している。
 中部泥層は、縄文海進高頂期前後の高海水準期に堆積した三角州底置層と考えられる。この時期、溺れ谷状の地形が形成され、波浪の影響をあまり受けない内湾的環境が広がったものと推察される。このような環境のもとで中部泥層は堆積したと考えられる。中部泥層および上部砂層中には、火山灰層が挟まれている。層準から、これらは町田・新井(1992)による鬼界アカホヤテフラ(K−Ah)と考えられる。火山灰の挟まれる層準は、図2で見ると、Loc.77とLoc.5で中部泥層と上部砂層の境界にあり、より下流側のLocs.76、66、23では中部泥層中に認められる。また、その深度も下流側ほど深い。同様の傾向は図3および図4でも認められる。これは、降灰時(K−Ah ならば6,300年前:町田・新井、1992)の古地形および当時の堆積環境を示しているものと考えられる。したがって、K−Ah 層の下面の等深線(図9)は、降灰時の古地形を意味する。これにより、海側へ向かって傾斜した緩やかな斜面が存在していたこと、また、海進の直前(図8)と比べると埋積が進んでいるのがわかる。
 上部泥層は、縄文海進高頂期後の湾内を埋積した地層で、三角州の前置層である。Locs.65、67など一部に例外はあるものの、下底面の海抜高度は−10m のところにあることが多い。同様の傾向は那賀川平野でも見いだされている(石田ほか、1995)。これは、堆積当時のこの海域のおおよその波浪限界深度を示しているものと考えられる。
 上部礫層は、上流部に断片的に見いだされる。おそらく河川性の堆積物である。この礫層の性格については不明の点が多く、さらに上流側を調査する必要がある。沖積層上部の礫層が見いだされるのは北部地域に多い(Locs.20、33、図2)ので、阿讃山脈から供給された扇状地性の堆積物と見た方がよいのかもしれない。
 最上部泥層は、堆積物による埋積と小海退により陸化した場所で堆積した地層である。堆積環境としては、後背湿地などが考えられる。三角州頂置層に当たる。

5.まとめ
 地学班は、北島町及びその周辺の地下地質の調査を行い、次の結論を得た。
 (1)ボーリング資料をもとに、北島町周辺の沖積層を下位より、基底礫層、下部泥層、下部砂層、中部泥層、上部砂層、上部礫層、最上部泥層の7層に区分した。
 (2)中部泥層および上部砂層中より、内湾〜潮間帯を示す貝化石と介形虫化石を検出した。
 (3)ボーリング資料から、沖積層の基底礫層地下等深線図、K−Ah 層下面地下等深線図を描いた。これらはそれぞれ、縄文海進開始期ならびに高頂期の古地形を示すものである。
 (4)地形断面図をもとに、堆積環境とその変遷を、最終氷期から現在までの海水準の変動とあわせて考察した。

 謝辞
 本調査研究を進めるにあたり、北島町教育委員会の方々には、資料の提供や研究の便宜をはかっていただきました。厚くお礼を申し上げます。

 文献
阿子島 功・寺戸恒夫・岩崎正夫・中川衷三・須鎗和巳,1972:徳島県の地質. 徳島県,137p.
橋本寿夫・石田啓祐・寺戸恒夫・横山達也・中尾賢一・東明省三・森永 宏・久米嘉明,1991:松茂町の地形と地下地質.郷土研究発表会紀要,no.37,p.1-21.
石田啓祐・橋本寿夫・中尾賢一・寺戸恒夫・森永 宏・森江孝志・福島浩三,1995:那賀川平野の沖積層.郷土研究発表会紀要,no.41,p.1-19.
井関弘太郎,1962:沖積平野の基礎的問題点.名古屋大学文学部研究論集,vol.24,51-74.
井関弘太郎,1983:沖積層. 東京大学出版会,145p.
建設省計画局・徳島県,1964:徳島臨海地帯の地盤.都市地盤調査報告書,vol.7,184p.
町田 洋・新井房夫,1992:火山灰アトラス―日本列島とその周辺―.東京大学出版会,276p.
中川衷三・須鎗和巳,1965:徳島県北部海岸平野の地下地質. 徳島大学学芸学部紀要(自然科学),vol.15,p.5-23.
奥村 清・横山達也・大塚啓次郎・戸田理人,1990:徳島県北部,大谷川および姫田より発見された貝化石群とその14C年代.地学研究,vol.39,no.1,p.37-55.
海津正倫,1994:沖積低地の古環境学.古今書院,270p.
横山達也・松濤 聡・奥村 清,1990:徳島平野の沖積層の形成過程. 地学雑誌,vol.99,no.6,p.775-789.

1)徳島県立博物館 2)藍住町立藍住中学校 3)徳島大学総合科学部 4)徳島文理大学文学部 5)藍住町立藍住南小学校 6)上那賀町立平谷中学校 7)羽ノ浦町立羽浦小学校


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