阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第41号
那賀川町の木工関連産業の動向

地域問題研究班(地域問題研究会)

 三井篤1)・中嶋信1)・小田利勝1)   

 西村捷敏1)・十枝修1)・立花敬雄1)

1 はじめに
 地域問題研究会は地域の実践的な問題を社会科学的方法で分析することを課題としている。那賀川町の総合学術調査では、地域問題研究班は参加スタッフの専門性を活かして、人口動態、福祉の現状、地域教育システムの方向性、地域産業の将来性とアジア経済圏における経営展望さらには経済理論の適合性など、各人の問題関心に即して当該地域へのアプローチを試みている。
 今回の調査には上記6名(他に補助調査員の大学院生)が参加し、関係者からのヒアリング、関連統計など資料収集分析、現地視察などに当たった。地域経済の動向や課題に関しては町内の関係者から有益な示唆を受けた。主な聞き取り調査対象個所は以下の通りである。那賀川町役場・企画課、町商工会、玉置製材、眉山コレクション、田中木材工業、(有)イチダ、佐々木材木店。
 上述のように参加者の問題関心は多岐に及び、それらの結論のことごとくを並べ立てることは適当ではないので、ここでは成果の一部に領域を限定して報告する。なお、那賀川町役場からは木工業関連の将来展望を検討するよう要請があったので、本研究報告においては各参加者が提出した資料の内から、木工関連業界の動向と課題にかかわる事項を要約的に紹介する。

2 那賀川町の産業と社会
 1)人口動向と地域づくりの課題
 那賀川町の地域経済の概観を得るための指標のひとつである人口動向を確認しよう。町の人口は、主として転出人口が転入人口を上回る「社会減少」のために緩やかな減少傾向をたどってきた。総理府の「国勢調査」によると、1960年:11,441人、70年:10,498人、80年:10,122人と推移してきたが、1980年代の半ば以降はほぼ横ばい状態であり、近年は表1に示すように、ごくわずかであるが転入人口が転出人口を上回るようになっている。そして自然動態においても、出生数が死亡数をわずかながら上回っている。この結果、図1のように総人口はほぼ安定しており、人口減少に歯止めがかかったことがうかがわれる。


 総人口はほとんど変化していないが、世帯数は最近5年間に5%増加している。同期間の総人口の増加率がわずか0.3%に過ぎないことを考えると、世帯数の増加率がかなり大きいことがわかる。その結果、最近では1世帯当たりの平均人員も3.5人に縮小している。
 町は『那賀川町総合計画」で、平成15年の目標人口を起点の5年よりも約15%増の12,000人に設定している。その背景には、出島地区のリゾート開発、国道55号バイパス開通、徳島県住宅供給公社による住宅造成・分譲などの、転入人口増加を見込み得る条件が相次いで整備されている状況がある。それらがすべて転入人口の増加に作用するならば、今後10年間で約1,500人、500〜600世帯の増加を図ることはそれほど困難なことではないだろう。しかし、そこには不確定要素も少なくない。
 期待される転入人口の増加は、阿南市の辰巳工業団地における企業動向や羽ノ浦町の住宅開発などの、いわば外部要因に左右されることが考えられる。また、徳島市から多くの転入人口を予定するとしても、徳島市の人口が今後大幅に増加して、市内の宅地や住宅が不足あるいは宅地の急騰によって、市外に住宅を求める人が急増するとは考えにくい。つまり徳島市におけるプッシュ要因が働かないとすれば、那賀川町の内部にプル要因を作り出すことが必要となろう。その意味で那賀川町の内発的な地域づくりビジョンがとりわけ重要性を高めているのである。
 プル要因を高めるには、誰もが定住を希望する魅力的な地域を実際につくることである。ひとつの方法として魅力ある住宅団地の形成が考えられる。55号バイパスを利用して徳島市に通勤が便利な地域に、他の地域よりも質・量ともに優れていて、しかも若年層でも購入可能な価格の住宅団地の開発が可能かどうかが課題となろう。那賀川町は総合計画の中で「水と緑の定住環境と生産・憩いの町」を将来像として掲げているが、この点が意図されているのである。なお、総合計画には通常掲げられがちな工業化や商業開発などではなく、農業生産空間の保持が那賀川町の計画で重視されていることは注目すべきであろう。田園地帯としての特質を保持することで地域の魅力を高める戦略は、現実的であるとともに環境保全型という21世紀の基調を先取りするものといえよう。
 地域づくりでは、経済システムのあり方とともに政治システムのあり方も要点とされている。地方自治体の意志決定と執行が住民の幅広い支持に支えられている状況を「住民参加」と表現することができる。21世紀の政治システムの基調が住民参加にあることは地方自治に関する学会の共通理解である。そのような状況を地域につくり出すことも地域の魅力を高める有力な方法である。ここで、那賀川町においては優れた実践が蓄積されていることに留意すべきである。地域内には「やったろー21」「老人クラブ」「女性協議会」などの住民活動が活発に展開されており、行政との間にも高い信頼関係を形成している。その好例として那賀川町立図書館の運営をあげることができよう。町立の図書館ながら徳島県民すべてに開放する姿勢が確立されているが、同時に、百名もの協力者が参加する図書館ボランティアの会が、実際の運営面で大きな事役割を果たしていることも特筆されるべきである。偏狭な地域エゴを克服し、住民が主体的に参加する自治体運営が模索されているのである。那賀川町は、1970年代前半に石油基地誘致を巡っての政争に地域社会が分裂する状態を経験している。その不幸な経験を踏まえて、着実な地域づくりの取り組みが積み重ねられてきたのである。
 2)産業構造の特徴
 那賀川町は那賀川の河口部に形成されたデルタ地帯に位置している。肥沃(よく)な土地と、那賀川流域の森林資源、紀伊水道の水産資源という、豊かな自然環境に恵まれている。この立地条件を生かして古くから農業が営まれていたが、明治初期には回船問屋などが中島地区に製材業を起こし、さらに同20年代には建具業が形成されるなど、田園地帯を背景にする旧開的産業拠点としての性格をもっている。ただし近年は、農・漁業の経営環境が悪化し、生産の担い手確保の問題が表面化している。また外材依存の高まりは流域林業を低迷させ、木工関連産業の展開条件にも少なからぬ影響を及ぼしている。地域の産業に対する政策を再検討すべき時期といえよう。
 近年の産業動向を確認するために表2を検討しよう。ここでは徳島県統計課の「市町村民所得推計結果」の値を用いている。全般的に堅調に所得が伸びている(1985年:134億円→1990年:154億円)ことが確認できよう。なおこの表の利用に際しては、あくまでも県民経済計算の手法による推計値であること、租税等による所得再分配が含まれていることから、国内総生産(GDP)の「那賀川町版」に相当するものではないこと、などに注意が必要である。


 地域の経済活動の土台はいうまでもなく物的生産部門である。これを前提にして所得移転による商業やサービス部門の展開が可能になるのである。那賀川町では、先に述べた立地上の特徴が産業構成に反映していることが容易に確認できる。第一には農林水産業の比重の高さである。ただしこれらの産業は近年は明らかに停滞・縮小の状態にある。それを補うものとして、製造業、運輪・通信業の成長が認められる。また商業活動は停滞的で、購買行動が町外に流出していることをうかがわせる。民間サービス部門の展開は顕著で、国・地方自治体など公務労働者が地域に占める比重も高まっている。地域内の産業構造の転換が現に進行中なのである。
 那賀川町の製造業の主な構成を表3で確認しよう。工業統計調査は毎年実施されるが、発表形式は必ずしも一致していない。表3のように従業員4人以上の事業所規模を集計する場合が多く、これは町内全事業所を捕捉できない欠陥を持つ。ただし1990年の場合で、3人以下の規模を含む町内の製造業全事業所数は84、従業者数は971、製造品出荷額は約181億円、粗付加価値額は約44億円であり、零細規模事業所は事業額についていうならネグリジブルと見ることができる。


 従業者数・出荷額ともに増加していることから、この表によっても那賀川町の製造業の堅調ぶりを確認できる。産業構成上の特徴は「木材・木製品」「家具・装備品」と表示される木工関連業界が地域産業全体に占める比重の高さである。1990年の場合で、従業者数は52%、粗付加価値額は65%の高さに及んでいる。電気機器の増加など新たな動向を含みつつも、那賀川流域林業を背景として歴史的に形成されてきた地場産業が中心的な存在である。木工業の将来展望を開くことは地域振興上の要点なのである。

3 木工関連産業の動向と課題
 1)那賀川町の木工関連産業の動向
 那賀川町の木工関連業の最初は製材業の展開である。明治の初期に那賀川町の回船問屋および薪炭業などの商業資本が那賀奥の林業経営に進出し始めた頃に端を発する。これは担保物件として山林を集積したもので、昭和初期には中島地区の商人が、木頭村を中心に那賀奥の山林の半分を押さえたと伝えられている。伐採された木材は那賀川を筏(いかだ)で流送されて、大正期には近代化を完了した製材所に持ち込まれた。中島地区は製材業が軸となって活況を呈したのである。だが1970年代の外材輸入の本格化と、長安口ダムによる流送の停止で状況は大きく変化した。国産材が相対的に高値となったため各事業所は原料を外材に切り替える対応をとった。ところが外材を扱うには大規模な資本準備が必要とされるため、オイル・ショックを前後する時期に倒産が相次ぐこととなった。その試練を経て、現在は輸入材と国産材を扱う企業が混在している。ただしそのいずれの企業経営も大きな問題を擁している。国産材に依拠する場合は、原料コストの高さに加えて優良材の絶対的不足の問題に直面している。また外材依存の場合は価格が安定しているが、総じて「原料高の製品安」の状況にあり、経営困難で後継者問題の発生を見ている。
 次に、那賀川町の家具・装備品は建具業に代表される。その歴史は明治の初期に逆上り、昭和25年頃に最盛期を迎えた。しかしながら那賀川町の建具は当初より関西市場向けの見込み生産だったために、その後の住宅事情の変容と先端技術導入による生産システムの対応に遅れをとり、今日の混迷を余儀なくされている。置家具では輸入物との競争で水を空けられており、かつての隆盛を再現することは困難視されている。各事業所の経営戦略は、ア)在来工法の一戸建てに収納する家具生産、イ)大手メーカーの下請け受注(ドアなど)に分かれている。伝統的産業である建具業を、インテリア部門への展開や斬(ざん)新なデザインへの切り替えなど、時代の要請に対応するものに転換することが求められている。
 2)木工関連産業の今後の展開
 那賀川町の総合計画によると、代表的地場産業である農業、漁業、木工業それぞれに異業種間交流の促進、リゾートへの積極的対応などを課題として確認している。とくに木工業の年出荷額は、製材業関係が20億円、建具業関係が40億円ともっとも高いウエイトを占めている。従って、21世紀へとつなげていける基幹産業を育成していくためには、この木工業関連を中核として、農業生産システム、漁業生産システムと有機的に連動し、なおかつ那賀川町の町づくりとも連鎖反応していくようなゼロ・エミッション生産システム方式を構築することが肝要である。
 エミッションとは排出物、廃棄物のことで、ゼロ・エミッションとは企業活動の結果、吐き出される産業廃棄物のすべてをゼロにすることである。1994年7月に、国連大学で第1回「ゼロ・エミッション研究会」が開催され、初めて概念と構想が明らかにされた。概念としては、廃棄物の量を削減するのではなく、皆無にする生産システムの新たな構築をめざすという意味であり、構想としては、全産業の製造工程をつくり直し、既存の産業を再編成して全く新しい「産業集団」を生み出すというのだ。企業・産業の活動が廃棄物ゼロの循環において維持されるならば、地球環境・資源問題の解決は、より手近なものとなるであろう。
 20世紀における日本の企業活動は、品質と効率を追求し続ける工業化への道を歩んできたが、その歩みの中で第1次産業は遅れをとり、停滞していった。那賀川町の木工業・建具業も例外ではない。しかしながら21世紀における企業・産業活動は、地球環境・資源問題への対応を余儀なくされている。工業化への歩みの中で遅れをとってしまった第1次産業を、今度は注目を集める産業として再生させるためにはゼロ・エミッション生産システム方式への対応が急がれる。
 ゼロ・エミッション生産システム方式のモデルの一つとして、「ビール・醤(しょう)油醸造−水産養殖漁業」のような形態が考えられる。ビール・醤油醸造には大量の廃棄物が伴う。その大半は高蛋白物質といわれている。ところがこの豊富な蛋白質が産業廃棄物として埋め立て用か、家畜の飼料にしか使われていない。そこで魚介類の養殖と連結させることを考える。固形廃棄物だけでなく、醸造設備やビンを洗浄した後の汚水をも含むすべての廃棄物が養殖漁業にとって貴重な飼料となりうる。この産業連関システムを可能にするためには、ビール醸造施設の洗浄のために設定されている厳しい衛生基準をクリアするために使用されている苛性ソーダをはじめ強力な薬剤を砂糖系のような無害の洗浄剤に切り替える有害物質の除去技術の革新が必要になってくる。さらには養殖業がまた廃棄物を生み出す汚染源になるのではないかとも考えられるので、養殖の魚類が生み出す廃棄物は藻類に吸収させることを考える養殖技術の革新が必要になってくる。廃棄物を吸収した藻類は太陽との光合成で再び地球環境を良好な状態に保全する。
 同様のシステムが、那賀川町の基幹産業である木材業・建具業と農業、水産業との間で考慮されてしかるべきと考える。
 図2は、現在、(財)徳島県地域産業技術開発研究機構の「健康に関わる環境素材開発委員会」において研究されている内容である。この研究システムの中に「那賀川町のリサイクル飼料化」を研究テーマとして位置づけることは不可能ではない。また図3は、図2の研究成果を基に製品化・商品化への応用を考慮した研究システムである。この研究システムの中に那賀川町の木材業・建具業の商品開発を農業関連施設、水産養殖漁業関連施設との連関システムとして位置づけることも不可能ではない。
 さらには那賀川町の今後の町づくりの各種施設との連関システムも考慮されてしかるべきと考える。

4 まとめに代えて
 地域の生産と生活の活性化は住民共通の願いである。那賀川町においてもそのための真剣な取り組みが進められていることをわれわれは調査で確認し、多くの示唆を受けた。町の経済活動を取り巻く環境は大きく変動しており、那賀川町はその理解に立って、新たな総合計画を推進中である。われわれの調査は総合計画に盛られた基本事項の正当性を確認する作業となった。ただし、地域の産業を特徴づける木工関連産業についてはより抜本的な対策が求められていると判断し、新たなシステムの構想を例示としてつけ加えた。
 那賀川町は、阿波公方ゆかりの歴史を有している。この貴重な財産を大切にしながら町づくりを構想していくと、未来と過去、そして現実の世界へと宇宙遊泳する仮想現実的な那賀川町の姿が浮かび上がってくる。その像をより豊かなものにするための住民全体の議論が強く求められているのである。
 この調査を通じて、那賀川町役場や教育委員会を始め多くの機関・個人のご協力を頂戴した。末尾ながら深く感謝申し上げる。

1)徳島大学総合科学部


徳島県立図書館