序文   阿波学会会長 湯浅 良幸  昨年7月27日、由岐町中央公民館で阿波学会総合学術調査団の結団式が開かれた。そのとき、私は次のようなあいさつをした。  「ことしは阿波学会が結成されて40周年になります。阿波学会にとって記念すべき年に、由岐町でこのような大がかりな総合調査が出来ますことはまことにうれしいことであります。しかも、本会が結成された昭和29年、第1回の総合調査を由岐町(町村合併前の阿部村)で実施しました。その成果は『阿部・伊島 磯漁業地帯』として公刊され、いまでも徳島県を知る基本文献の一つとなっております。  まさに由岐町は阿波学会揺籃の地であります。こうして40年ぶりに由岐町で、改めて総合調査が出来ることになりました。第1回調査に参加された方できょうも3人が出席されております。これは、阿波学会の歴史の長さと研究者の層の厚さを示すものとおもいます。」阿波学会は毎年1回、県下各市町村・地域を対象として総合学術調査を行ってきた。ということは、まだ調査を行っていない市町村・地域が3分の1ほど残っているということになる。同一地域で2回実施されるのは由岐町が初めてのケースである。これは、由岐町が自然科学・社会科学・人文科学すべての分野にとって、きわめて魅力のある地域であることを意味している。  由岐町は、明治22年村制施行により誕生した阿部、三岐田両村が、昭和30年に合併して生まれた新興の町である。阿部・伊座利地区は陸の孤島として隔絶され、船により往来していた。昭和32年12月、町民待望の県道が開通、孤島の悩みが解消された。  また、港は古代末期から海上交通の要衝として知られ、鎌倉時代以降の遺跡も少なくない。植物・動物も種類が豊富で、地質も変化に富んでいる。民俗学的にみても若者宿・海女・いただきさんなどは全国的に注目され、戦前から多くの研究者が相次いで訪れている。また気候がよく、住民は魚貝・海藻類を多量に摂取するため、健康な長寿者が多い。  これらはほんの一例であるが、他地域に先んじて由岐町が再度調査地に選ばれた理由ではなかろうか。  130余名の調査団員は、酷暑の中、しかも異常な降雨に悩まされながら黙々と調査に当たられ、質の高い、興味深いレポートを提出された。そのご苦労に対し心から謝意を表したい。  最後になりましたが、阿波学会学術調査を誘致くださり、調査に全面的なご協力、ご援助をいただいた松村町長さんはじめ町関係機関、ならびに町民の皆様がたに心から御礼を申しあげます。  由岐町の総合学術調査によせて   徳島県立図書館長 日野 精二  由岐町に関する総合学術調査報告が、阿波学会紀要第40号としてまとめられ、刊行されることとなった。  由岐町は四国の東端に位置し、室戸・阿南国定公園の中にあって、前面は太平洋に開け、東西14km、背後は明神山を中心とする海部山系の山なみがせまり、南北僅か1.4km、と細長い海辺の町である。昭和30年2月町村合併促進法に基づき阿部村を合併し、面積23.16平方キロメートルとなったが、人口は平成6年1月1日現在4,171人である。東西に長く延びた沿岸の各港は、古くから海上交通の要所として利用され、京阪神・九州との交流が深く、その結びつきは現在も続いている。  基幹産業の一つは漁業で、町内に5カ所の港を有し、タチウオ・サバ・アジなどの沿岸漁業、アワビ・サザエ・テングサなどの磯漁業が町民の生活をささえている。特に近年では、漁獲量の安定化を図るため、人工的な漁礁の設置、種苗生産施設の建設、稚魚貝の放流等を行い、採る漁業からつくる漁業への転換を図っている。  また「田井の浜」を中心として観光資源も多く、曲折した海岸美は県内随一で、太平洋の雄大な眺めは多くの人々から賞賛されている。キャンプ場・青少年旅行村・B&G由岐海洋センターの施設は、道路整備の進展とあいまって、県内外の利用者も多い。  さらに、史跡、文化財についても、南北朝時代の遺跡としての「経塚」、大師信仰の「お水大師寺」、県内で唯一発見されている「九州型板碑」、などと多く、永い歴史を背景に独自の伝統文化をもっている。  町としては、健康で明るい町づくりを推進しており、過年、国から「高齢者の生きがい健康づくりモデル事業」の指定を受けるとともに、地域産業の振興など、21世紀に向け着実に様々な事業を展開している。  この由岐町で、阿波学会は平成5年7月27日から8月9日までの間、20学会23班130余人が参加して調査にあたった。この学術調査はそれぞれ専門的な調査であり、町がめざすべき方向を定めるための基礎データが得られたものと確信している。  この調査活動には、町役場の関係者をはじめ、それぞれの地域の人たちから、物心両面にわたるご支援、ご協力をいただいた。終わりになったが、心よりお礼を申し上げる。また、参加いただいた会員の皆様には、酷暑の中大変なご苦労であったことと思う。敬意を表すとともに、深く感謝申し上げる。  由岐町の学術調査に寄せて   由岐町長 松村 静夫  この度、阿波学会による由岐町総合学術調査の成果が報告書にまとめられ、紀要第40号として発刊される運びとなりました。ここに、心からのお慶びと、お礼を申し上げます。  平成5年7月27日、由岐町中央公民館で多数の関係者の方々により結団式が挙行され、その後、8月9日までの2週間を集中調査期間として、20学会23班136名の先生方によって、学術への深い情熱と探求心に燃えるひたむきな調査が行われました。昭和29年、第1回の学術調査が本町の旧阿部村で実施され、爾来40年、ここに再度調査団をお迎えすることができましたこと、感慨ひとしおのものがございます。  調査団の先生方には、危険な海岸の崖や海底、人も入らないような廃屋の隅々まで調査くださいました。また、昨年の夏は折悪しく気候不順で悪天候の日が多かったため、調査も思いのままならず、その後何回も再調査くださったとお聞きしています。このほかにも筆舌に尽くせぬご苦労があったことと拝察されますが、町としては準備やお世話も行き届かず、恐縮に存じています。  さて、我が由岐町は現在も過疎化が進む中、基幹産業である水産業を始め、農業、商工業等振興のための諸施策を推進するとともに、「健康な町づくり宣言」を行い、子供からお年寄りまで“全町民が健康で安心して暮らせる町”を目指して、町づくりに努力しているところでございます。  こうした時に、総合学術調査が実施されましたことは、町民の皆さんにとっても、また、私にとっても我が町を改めて見直す良い機会となったばかりでなく、その調査結果は、由岐町の明日を構築して行く上において貴重な資料であり、財産であり、誠にありがたく、今後、大いに活用させていただきたいと考えています。  また本町は、本年「由岐町史」下巻(図説通史編)を発行しましたが、今回の「総合学術調査報告」によって、より一層その成果も生き、有意義なものとなりました。  ここに、学術調査団の皆様方のご努力とご労苦に対し深く感謝いたしますとともに、この調査にご協力、ご支援くださいました町民の皆様方に心からお礼申し上げます。そして、阿波学会及び県立図書館の益々のご発展と会員の皆様の一層のご活躍を祈念申し上げ、発刊のお祝いと、お礼の言葉といたします。