阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第40号

由岐町の産業・社会の動向と産業振興上の課題

地域問題研究班(地域問題研究会)  

  中嶋信・小田利勝・西村捷敏・

  立花敬雄・真弓浩三

1 はじめに
 地域問題研究会は、過疎・過密に代表されるような地域問題を社会科学的な方法で分析すること、とりわけ徳島県を対象にして実践的なアプローチを試みることを主要な課題としている1)。由岐町調査では「漁村における活性化対策」を検討することを調査班の共通課題とした。なお今回の調査では、上記5名の調査参加者(他に補助調査員の字生)がそれぞれの関心に即して資料収集にあたったが、ここではその一部に限定して、調査結果を報告する。
 由岐町の産業と社会は漁業に特徴づけられている。1985年の由岐町就業人口に占める漁業者の比重は25%、同年の町民総生産額(推計)に占める漁業生産のシェアは20%の高さに及ぶ。延長32km の海岸線に沿って小規模の6漁協が並び、それぞれに地域的な独自性を保ちながら漁村社会が形成されてきた。高度成長期以降にはその漁業と漁村とが激しい変容を経験した。大都市圏での人口集積が高まり、農山漁村から大規模な人口流出が継続した。また漁村内部でも漁業生産構造の近代化が進み、就業と生活の様式は大きく変化したのであった。
 そして今、地域の産業と社会の持続可能性が危ぶまれる事態を招きつつある。われわれの関心はそのような問題状況をいかに克服するかにある。住民各層がこの課題に実践的に関わっていることは言うまでもない。この調査では住民のそのような取り組みから針路を得る作業を進めた。限られた調査活動に多くの不備があることは否めないが、この報告は地域振興の実践的論議に若干なりとも参加することを企図している。以下に由岐町の産業と社会の動態を概観し、今後の地域振興の要点である産業振興上の課題を述べる。

2 社会と産業の動態
 1)由岐町の人口構造の特徴
   地域社会の動向を分析するために基本指標である人口動態を検討しよう。旧阿部村と三岐田町が合併して由岐町が誕生したのは1955年2月11日である。国勢調査によって1960年から90年までの30年間の人口動向を確認しよう(図1)。1960年の総人口は6,464人であるが、90年のそれは4,075人と約37%の減少を見ている。この間、過疎対策事業をはじめ多くの地域振興方策が展開されたが、過疎化に歯止めをかけることには成功しておらず、基調は一貫してマイナスで推移してきた。


 なお、図1では年齢階層で3区分して表示しているが、それらが一様のテンポでないことが一見して明らかである。14才以下の層が同期間に70%も減少したのに対して、65才以上層では逆に54%の増加を見せている。高度経済成長期の初期の段階で、先ずは中学卒業者など若年層が大量に流出すると共に、次に流動性が高い青壮年が子供を伴って流出したことが想定できよう。そして近年は、その所産として人口構成の高齢化が著しくなり、出産が可能な年齢層が縮小して、出生数そのものが減少しているのである。その対極をなすものが高齢者の絶対数・構成比の高まりである。由岐町の14才以下の層の構成比は、1960年:32.8%から90年:15.2%へと激しく落ち込んだ。一方、65才以上の層は、60年:9.4%から90年:23.0%へと急増した。社会の成熟の一般的現象として高齢化が取り扱われることが多いのだが、由岐町の場合は過疎化に伴う高齢化としてこれとは識別することが必要である。それは出生数のさらなる減少、高齢者の増加に伴う死亡率の増加が不可避であり、地域人口の再生産が大きく失調することが見込まれるからである。
 ここで由岐町の人口減少の要因に立ち入るために表1を見よう。人口の変動要因は出生・死亡の自然変動と転入・転出の社会変動の合成である。表では各年次の住民人口で各年次の変動数を除した値を示すが、撹乱値を排除するために1973から90年の間の人口移動の画期ごとに平均値を表示している2)。うち上段は由岐町の動きであり、下段は比較のために海部郡内の同期間の平均値である。


 まず、73−75年の間の人口減少は主として転出比率の大きさによることが理解される。構造不況期以降は人口の転出は全般的に鎮静化し、一部にUターンが形成されるなどして社会減少が縮小する。ただし80年代に入って、転入比率はいっそう下落し、社会減少が増幅していることに注意が必要である。就業機会などの由岐町へのプル(吸引)要因が減退していると見ることができる。次に自然増減はどうか。出生率が80年代に大きく落ち込んでいることが分かる。また地域社会の高齢化を反映して死亡率の増加も顕著である。この結果、地域人口の自然減の基調が形成されている。近年になるほど地域人口の減少に関する自然減の規定性が高まっている(80年代後半の場合、約4割)ことが確認できよう。
 このような現象は過疎地域にほぼ共通するのだが、立地や産業構造が似通った海部郡内でも、由岐町の擁する問題は相対的に深いことを表1から読みとることができる。社会増減では転入出比率の低さが確認できる。地形と交通条件が加わってのことであろうが、他地域との交流の程度が相対的に低いとみるべきであろう。また自然増減では出生率の群を抜く低さ、死亡率の高さを認めることができる。1990年の海部郡全体の高齢者比率は22.6%(最高:海南町23.5、最低:宍喰町19.7%)で、徳島県平均の15.5%を大きく上回るが、由岐町は先にみたように23.0%で郡内第2位の位置にある。これらを合算した増減合計では由岐町の値の高さが突出しているのである。この事実は、由岐町の人口動態の問題を漁村地帯一般の問題に換言してはならないことを示している。
 人口構成上の問題は産業の担い手の問題に直ちに跳ね返る。図2−1および図2−2からは由岐町の将来の困難を読みとることができる。図2は1985年における15才以上の域内就業人口数を年齢別・3大産業分類別に示している。グラフ化したために定量的な比較は困難だが、人口構造の質的な差異を大局的に把握できる。この両図の違いの要点は二つ確認できる3)。第1は就業人口のピーク階層のズレである。県全体の就業人口の年齢上のピークは30代後半にあるのに対して、由岐町のそれは50代前半にあり、年齢構成の重心が大きく異なっている。またピーク世代と20代前半世代との量的なギャップは由岐町では2倍以上に及んでいる。地域の労働力の全般的高齢化と後継者の圧倒的な不足を読みとることができる。労働力の確保状況から、現在の産業構造の維持・存続の困難性を読みとることができる。


 第2は由岐町における第1次産業の比重の高さである。しかも40代後半から50代後半にかけての就業人口のピーク階層で第1次産業のシェアが高いことが明らかである。これらの層が体力上の理由で産業の第一線からリタイアする時期はそれほど遠くはない。そしてその時に由岐町の産業解体の問題は一挙に噴出せざるを得ないのである。このような人口構造上の問題に対して、それを抑止ないし影響を緩和する対策を急がねばならないのである。

 2)由岐町の産業構造の特徴
   次にこのような人口構造を規定している地域の産業構造を簡単に確認しよう。表2は町住民の産業別就業状況の推移を示す。就業人口総数もまた一貫した縮小過程をたどっており、30年間で3割弱の減少を見ている。ただしその動向は部門別に異なっており、第2・3次産業では停滞ないし増加分を含んでいる。この30年化の変化では農業が3分の1、漁業が2分の1に近い激減があり、これが総数の縮小に強く寄与していることが分かる。
 ここで、第1次産業が分解する問題の意味を正しく理解することが必要であろう。産業の重心が農林水の第1産業から第2次産業へ、さらには第3次産業へとシフトする傾向がひとつの歴史法則と理解される場合は少なくない。だとすれば、由岐町における農林漁業の解体と就業者数の減少は宿命的なものであろうか。だが、そのような理解は基本的に誤っている。第一に、それぞれの産業は生産力発展に支えられて成長することが可能である。第1次産業の比重が低下して見えるのは、他部門の成長がより高いことに他ならなく、第1次産業の存在意義を否定したり、まして解体の必然性を意味するものではない。第二に第1次産業の成長は第3次産業の膨張を伴う。例えば漁業構造の近代化は、専門の情報収集や販路対策、資金調達作業などを必要とする。これらは通常、漁協などのサービス事業として展開される。つまり第1次産業の複雑化の過程で特定の部門が第3次産業として分離・独立するのである。それらは第3次産業とはいえ、事業基盤は第1次産業そのものにあるといってよい。従って当該産業の縮小を必然的なものと誤解せずに、第1次産業の持続的発展を追求すべきなのである。
 このことの理解は、とりわけ第1次産業の比重の高い地域においては重要である。表2にあるように由岐町では漁業就業人口が、縮小基調とはいえ、近年でも約4分の1という高いウェイトを保っていることが産業上の特徴をなしている。また、他の産業についても漁業と深い関連を形成している。それは製造業中の水産加工の高さ、建設業の漁港関連事業の高さ、漁業資材を供給する商業の存在、先述したサービス業に延長された漁業関連事業などの直接的な関係にとどまらない。漁業関連の物的生産に基づく所得の再分配過程で、生活関連のサービス業が介在し得るのであり、漁村人口の存在が公共サービスに従事する職員を支えるという間接的な関係も含む。さらには漁家から供給される兼業労働力の存在も考慮すべきであろう。このような地域内の産業連関があるからこそ、町の産業振興の基本文書の中にも「漁業の活性化は町の活性化に直結」という表現が頻出するのである。地域の産業特性から第1次産業の振興を抜きに由岐町経済の浮揚を構想することはおよそ現実的でない。
 ところで由岐町の漁業生産が近年不調であることは図3により明らかである。由岐町の近年の「町民総生産額」は60億円前後であるが、漁業の直接的な生産額は1986年の11.65億円をピークにして年々落ち込んでいる4)。この図は徳島県が発表する各年の「市町村民所得推計結果」に基づくものであり、いわば GNP の由岐町版に相当する。推計方法や項目設定にやや問題があるが、地域内の産業のマクロな動きを把握することができる。この図からは農業・製造業の停滞を確認でき、建設業の拡大があるものの、総体として物的生産部門の後退ないし停滞状況を読みとることができる。また、地域内の物的生産部門に基礎をおくサービス部門の後退も同時に発生していると判断すべきであろう。ならば、由岐町における近年の経済活動の拡大は、公共財政の散布などの所得再分配に伴うサービス部門に支えられているということになる。国家政策のレベルでは新自由主義の原理を根拠に「福祉見直し」や民活方式導入が選択されて、地方圏向けの財政散布の圧縮が進行しつつある。今後は、公的サービス部門の拡大を無限定に期待することも現実的ではない。地域経済の自立的発展の基礎が大きく揺らいでいると見るべきであろう。


 実は先にみた人口構造上の問題も、この地域産業の後退基調の結果としてもたらされたものである。地域社会の土台=産業の後退が、人口の継続的減少や著しい高齢化現象を余儀なくさせていたのである。地域社会の土台である地場産業の逞しい発展を実現し、地域社会の持続的発展を図る方途を早急に論議する必要がある。

3 地域産業振興の課題
 敢えて言うまでもなく、地域活性化の課題は由岐町において焦眉の課題と認識されており、例えば『過疎地域活性化計画』の中でも「特に振興の最大のポイントとして座業の振興、観光開発、高齢者の福祉の向上、町民の健康に重点をおいた生活基盤の整備充実」5)が明記されている。その具体化が慎重に検討されているわけだが、われわれの調査の主眼はその検討内容を収集し、外部からのコメントを提供することにあった。その一端を以下に報告する。
 1)漁業振興の基本方向
   由岐町漁業の活性化が由岐町全体の活性化に直結していることについては多くの説明を要しないだろう。水産資源や地形などの自然条件に恵まれていることに加え、社会的な立地条件から海面や前浜の乱開発を防止し得て、由岐町では多種多様な漁業が展開されてきた。全般的には沿岸中心で漁家経営の規模も零細ではあるが、漁港整備や漁船装備の近代化を継続的に推進してきており、さらに栽培漁業の展開も図られて、近年まで生産額を全般的に増加させてきた。
 しかし今日の状況は構造的な問題をはらんでいる。由岐町の各漁協および役場で組織する「由岐漁業振興会」の平成5年度事業計画書は「資源的制約、漁場環境の悪化、漁業経費の増大、魚価の伸び悩みなど悪条件が重なり、漁業経営環境は非常に厳しい状況」6)と判断している。われわれの聞き取り調査においても、由岐町漁業の将来性についての見通しについては、関係者からは共通して困難性が強調された。志和岐漁協の業務報告書では「経済不況による魚価の低迷、海の汚染、乱獲等による魚類の回遊の減少等、悪条件により漁家経済も益々きびしくなる事と思います。特に当組合においては、上記条件に加えて組合員の高齢化、後継者不足、共有漁場下での根付資源の増繁殖等、難問題が山積しています。又、組合運営についても漁獲高の減少、金利の自由化、諸経費の値上がり等にて、運営がますます厳しくなり、之が合理化についても充分考えて行かなければなりません」7)と現況が述べられるが、ほぼ代表的な見解といえる。
 漁業生産は自然条件による変動が不可避だが、上記の見解にはそのような一時的混乱ではなく、由岐町漁業が構造的問題を抱えていることが示されている。地域の漁業展開の最大の基礎は自然条件というべきであろう。紀伊水道沿岸水に加え黒潮の影響を受け、外洋性の回遊魚から磯根付資源まで、多様な魚種を擁する豊かな海があり、水深が深く天然礁が多数点在する地形を持っている。そしてその良好な漁場を適正に管理してきたのが小規模に並ぶ6漁協であった。各漁協とも資源乱獲を防ぐために漁獲条件を設けて厳しい管理を行っている。中には採貝でウェット・スーツの着用を認めない(阿部)など、共同体的規制を思わせる例も含まれている。漁業権の設定面積が狭く、担い手もほぼ固定的であることが可能にした資源管理方式といえよう。これらによって由岐町漁業は相対的に安定した展開を可能にしたのである。
 ところで漁業関連の近代化投資は漁獲能力を大きく高めてきたのだが、その能力が地域資源の再生能力を上回ったために、地域の漁場は資源枯渇問題に直面している。水揚げの傾向的減少、漁獲物の小型化などの現象がその指標である。これまで進めてきた漁港整備や船の大型化、漁具や魚法の改良などの取り組みは地域総体の漁獲量を上昇させてきたのだが、それが原因となって地域の水産資源の再生は縮小局面に転じたのである。由岐町漁業の持続的発展のためには漁獲努力の計画的縮小、あるいは地域資源の再生能力を高めるための措置が不可欠なのである。なお、聞き取り調査では他地域からの密漁・不法漁獲の横行が強く指摘された。資源管理を町内漁協のみで行うことの限界性を理解すべきであり、国・県などの行政機関も適切な措置を講ずることが求められているのである。
 次に、地域の漁業生産力の人的要素の問題が発生している。表3は1989年の時点で漁協組合員の年齢構成を確認したものである。60才以上の層が半数を越しているように、就業人口の高齢化は顕著である。また20才代は例外的存在であり、次代の担い手の形成は微弱で、仮に資源管理が適切に行われたとしても、将来の生産力の後退は大いに予想されるところとなっている。


 由岐町漁業はこのような大きな問題を擁しているのだが、由岐町漁業振興会によればその克服の方向は次のように示されている。すなわち、
 (1)漁業生産基盤の整備:漁港・漁場整備、漁場環境の保全など
 (2)資源管理型漁業の定着:種苗施設の充実など生産・育成・放流のシステム化
 (3)組織及び経営基盤の強化:漁協組織・経営基盤強化、組合員の協同意識高揚
である。これらの課題の重要性はいうまでもないが、同時にこれらが従米より指摘されてきた事項であることにも留意すべきであろう。つまり、これらの課題を強力に推進する組織と運動で新局面を開かないなら、課題の達成は不完全なものとならざるを得ないのである。漁協の事業統合が流通対策の必要で論じられているが、むしろ地域漁業構造の再編成を推進する体制を強化するという観点から、漁協の統合や合併が論じられる必要があるだろう。
 2)観光開発の可能性
 由岐町は室戸阿南海岸国定公園内に位置しており、明神山周辺と田井の浜海水浴場を軸に、山と海の変化に富む自然資源を有している。観光・リゾートに対する国民の需要は拡大しており、観光事業も地域振興のひとつの手段となり得ることから、由岐町においてもその積極的展開が模索されている。次にこの点についての現状と今後の課題を、聞き取り調査の結果から確認しよう。
 町内にはお水大師、潮吹岩、愛宕山、満石神社など小規模の観光資源が点在し、それらを自然歩道「四国のみち」がいわば数珠のように繋いでいる。これらの観光資源の最大の特徴は天然の環境との調和にあるといって良い。道路などアクセス条件の不利が、俗っぽい観光開発を阻んできたといえよう。このために直ちに観光客を吸引する力は備わっているとはいい難い。また、最大の観光資源である田井の浜海水浴場に代表されるように、全般的に夏向けの通過型観光にとどまっており、海水浴客については年々減少基調にある。町内には旅館5軒、民宿10軒で700名強の宿泊能力を持つが、宿泊者は夏に集中しており、民宿は漁業などの兼業によって支えられている。総じて地域振興に対する寄与は多くを期待し難い状況にあるといえよう。
 ただしその転換を図る動きも形成されつつある。1987年から毎年7月第1日曜日に開催されている「由岐ごっついマンレース」(バイアスロン大会)はユニークな取り組みとして全国的な関心を呼んでおり、参加者増で、受け入れ体制はほぼ飽和状況となっている。また1991年から毎年11月に活性化対策の一環として「由岐町伊勢エビ祭り」が開催されており、町内外から多くの参加者を呼び寄せている。一過性の行事であり観光開発と必ずしも連動するものではないが、漁業を産業の基礎とする由岐町らしい試みといえる。
 ところでこれらの取り組みは、由岐町の今後の観光開発の可能性を検討する上で、有益な示唆を与えているといえよう。つまり由岐町の自然ないし産業の特徴を生かすことで集客に成功しているという点である。由岐町の観光事業は施設整備の不備や交通網の未整備などから悲観視されがちであるが、長期的な視点でその弱点を克服することは可能であり、また上記の独自の存在価値を主張することが可能と思われる。そのためには、現在保たれている天然資源そのものの目的意識的な保全が先ず必要とされよう。このことは町の「過疎地域活性化計画」においても「自然保護と開発の調和」と記されているところである。
 次に、自然ないし産業上の特徴を町内外に主張するためには、伝えるべきコンセプトを充分に吟味することが必要である。例として「海浜文化との交流」を挙げよう。産業的にも有効なものにするためには滞在型観光への転換を展望すべきであろう。上記のようなイベントが効果的に配置されるとしても、観光客が滞在して地域経済に波及効果を及ぼすためには一定期間のな滞在が必要である。その際、海の幸を生かした独自の食事を提供することが由岐町の存在価値を主張することになろう。また、漁業の仕組みとその文化的価値を展示する博物館を開設することも考えるべきであろう。現在予定されている図書館併設の資料館をさらに充実させて、町の歴史と文化を象徴するような拠点施設とするのである。同主旨の施設としては「モラスコ牟岐」があるが、展示施設にとどめずに、文化交流の場として、海部郡の観光・リゾートの情報提供や斡旋、料理講習など海浜文化の普及活動も併せて行い、「参加する観光」のメニューを整備するなどソフト事業を組織することを追求すべきであろう。
 上記の事業はあくまでも例示であり、町内での模索を参考にして再構成したものである。ここで観光事業に対する町内の悲観的な雰囲気を充分に配慮すべきであろう。上記の「ごっついマンレース」や「伊勢エビ祭り」は主に地域のボランティアによって支えられているが、その加重負担感が高まってきており、長期的展望を語る環境は乏しくなっている。従って、単発事業の維持だけでなく、観光事業の長期方針を大胆に作成し、その事業化を検討する作業が必要とされるのである。そのような長期方針の確立なしには、上記の取り組みの発展も困難視されるのである。
3)地域運営システムの形成
  長期計画の樹立と推進体制の整備という課題は観光事業に限定されるものではなく、むしろ由岐町全体の振興に関わるものといってよい。地方自治法第二条第5 項は「市町村は、その事務を処理するに当たっては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行うようにしなければならない」と基本構想・基本計画の策定を義務づけているが、この点での由岐町の対応は必ずしも充分ではない。長期構想・計画を含むマクロプランとしては、基準年:昭和60年、目標年:平成6年の「由岐町振興計画」があるが、情勢の変化に対応した見直しは果たされておらず、「過疎地域活性化計画」で代替する便法がとられている。由岐町は目下この点での対応を前進させるために平成2年に企画室を新設し、長期計画の策定を進めつつある。多くの困難を擁し、長期展望を見据えることが困難な状況であるからこそ、マクロプラン策定に住民の創意が結集され、充分な合意が図られることが期待される。
 地域社会の持続的発展のためにはマクロプランの確定だけではなく、その推進態勢の整備も不可欠である。多様な産業の成長を実現しつつ豊かな社会活動を育てるには、幅広い住民の参加を可能とする「地域づくり運動」の組織化が効果的である。言い替えるなら、行政執行だけではなく、住民自治の前進で地域振興を図るのである。財源とスタッフの両面で地方自治体は選択肢を狭めているが、それを克服する力を住民に求め、「地方自治の本旨」を発揮するのである。住民参加で地域づくりを推進している先進事例に習うなら8)、推進のための組織としては
 1 町のマクロプランを作成・総括する組織(振興計画協議会など)
 2 短期的な実施計画を推進する組織(町づくり運動推進事務局など)
 3 地域づくり運動の担い手を養成する組織(町づくり研究会など)
 4 町外から支援・協力する組織(ふるさと会・町づくり支援機構など)
の多様な機能集団が活動することが求められる。由岐町においてはこれらの推進態勢は整備が不十分であると判断され、地域のリーダー層の指導性の発揮が期待されよう。
 地域社会の発展方向を住民合意のもとで示し、それを推進する運動上の保障を得るという地域運営システムの形成が、由岐町においても課題となっているのである。

4 まとめに代えて
 地域の生産と生活の活性化が急がれるべきことは多言を要しない。由岐町においてもそのための取り組みが展開されていることをわれわれは調査で確認し、多くの示唆を得た。それにも拘らず、地方圏振興が困難であることは紛れもない事実であり、従来にない対応が必要とされるのである。地域の産業振興を成功させるためにはより活発な論議が求められている。その資料として、地域振興の緊急性に関わるいくつかの事実と、その基盤をなす産業振興に関わる若干の論点を確認してきた。そのような状況認識に立ために、この報告は敢えて問題提起の形式を取った。地域で真摯な取り組みを進める方々には非礼に当たることは承知しているが、われわれの意図をご理解いただけるようお願いしたい。
 この調査を進めるに当たって、由岐町役場や教育委員会をはじめ多くの機関・個人のご協力をいただいた。ご多忙の中、われわれの身勝手な注文に極めて好意的に対処していただいたことに、末尾ながら深く感謝申し上げたい。この報告がこのようなご協力に充分応えていないという批判は甘んじて受けねばならない。また、主に準備の不足から、報告内容を限定することとなった。多くの方からの聞き取りを行ったものの、報告に収容しない資料を多数残したことになる。これらの不備については何らかの形で地域に還元する責任を感じている。もとより地域の実践的要求に応える研究を進めることはわれわれの共通の意思であり、率直なご批判やご教示を受けることを願っている。
 この報告書は5名の参加者の素稿と討論を調査班長・中嶋が編集して作成した。また、徳島大学総合科学部内に事務局をおく「地域問題研究会」(代表・三井篤)において、調査課題の設定や資料検討の作業を行った。
〈注〉
1)地域問題研究会の発足は1986年であり、同年より阿波学会に加入して総合学術調査に参加してきた。昨年までに検討した町は、海部町・板野町・上那賀町・土成町・松茂町・半田町・三好町であり、全て阿波学会の「総合学術調査報告」に掲載されている。
2)人口変動の画期区分の根拠については、中嶋信「戦後期四国における人口移動の構造」(徳島大学『社会科学研究』第1号、1988年)を参照されたい。
3)徳島県はいうまでもなく大都市圏に対して人口を供給し続ける過疎地域である。そのような地域の内部でも、過疎・過密の縮小再生産がなされていることに注意すべきである。
4)これ以降の推計値は未発表である。ただし漁協の資料によると、1990年の漁獲高は良好であったが、91年以降は下降線をたどっていると判断される。
5)由岐町『過疎地域活性化計画』(平成2年度〜6年度)8頁。
6)由岐漁業振興会「平成5年度通常総会(1993.7.30」)議案書より。
7)志和岐漁業協同組合「業務報告書」(平成4年度)27頁。
8)守友裕一『内発的発展の道』(農文協、1991年)を参照のこと。

*班員の所属は全て徳島大学総合科学部


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