阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第40号

神代復古誓願運動 −伝統的平等思想の展開−

地方史研究班(徳島地方史研究会)  

関口寛1)・増田智一2)・松本博3)・  

立石恵嗣4)・宇山孝人5)

 このたびの総合調査において、私たち徳島地方史研究班は由岐町という一漁村において展開された民衆思想、とりわけ近代国家形成期における平等思想に注目した。この由岐町では町史編纂の過程において数多くの民衆史料が発掘された。すでにその大部分は『由岐町史』(地域編・史料編・図説通史編の三巻)のなかにとりあげられているが、私たちは幕末から明治期にかけての生活者みずからが書き残した記録のうち、明治維新という時代の変革期に人びとが何を考え、どう生きようとしてきたか、また、それを当時の社会はどのように受容しようとしたか、というところに視点をおき再度史料の検討をおこなってみた。
 この報告書で紹介する史料は、本文でも述べるように日本近代史とりわけ「民権」運動の研究史上いまだ十分に論議されていない課題にかかわるものである。したがって、今後多くの研究者の手によって検討が重ねられるべきものと考えるが、さしあたり今回私たちは、日本近代民衆思想史に強い関心を持ち研究を重ねている本会調査班からの報告をもって、史料の解説と問題の提起をしたいと思う。なお、ここで取り扱う史料は主として由岐町木岐・浜名尚氏所蔵の「神代復古誓願書」「御誓勅注解」および付属関係史料である。
 以下、この報告書の執筆は関口寛が担当した。

 徳島県海部郡由岐町の浜名家から松本博氏の手により発掘された「神代復古誓願運動」の関係資料は、松本氏の「自由民権期に置ける『世直し』運動―『神代復古誓願』運動関係資料について―」(1983年3月、徳島県高等学校地歴学会「高校地歴」第十九号)、及び鶴巻孝雄氏の『近代化と伝統的民衆世界』(1992年5月、東京大学出版会)における研究及び資料紹介によって全国に紹介され、わが国の近代成立期における民衆運動の諸相を知る上で重要な視点を提示すると共に、従来の近代史研究のパラダイムを大きく塗り替えるものと思われる。

 神代復古誓願運動の大きな特徴は、天皇制を絶対的に支持しながら、その宗教的世界観の下に民衆の平等を実現しようとするところにある。すでに松本博氏はこの運動に「自由民権期における社会主義的性格のうかがえる『世直し』運動」という評価を与えている。また、鶴巻孝雄氏は「近世後期以来の平等的民衆願望を端的に表現する『世直し』『世均し』『平均』などの観念に、明確な理念的根拠と実現への展望を与えるもの」であったとともに、自由民権運動とは極めて異質で、「社会的平等」主張が「自由・権利」の制限主張へ向かった民衆運動という位置付けを与え、「日本の民衆解放の理念的達成のひとつが、国学・神道系の思想系譜によってもたらされたという事実は、天皇制国家イデオロギーと民衆思想の、対抗と呪縛の質を大きく規定していたと思われる」という見解を示している。ここでは、この運動の発起人である小林與平の思想に即して、伝統的平等思想の性質を考察してみたい。
 「万物共有」や「土地共有」と「社会的平等」を特徴とする小林與平の思想は、おそらく彼が成立当初の維新政府が打ち出した神道国教化政策において民衆教化の役割を末端で担う神道家であったことと関係があると思われる。明治維新を遂行した正当性イデオロギーは公議輿論と民意が尊重される政治体制を確立するというタテマエであり、それによって文明開化と富国強兵に立ち向かう国民国家を形成しようとしたのであった。五箇条の誓文はそれを宣言したものであり、民衆教化のために担ぎ出されたのが天皇制と国家神道である。神道国教化政策の特徴は天皇の神権的絶対性が私論を排して民意をくみ上げるのだとされたところにあった。1870(明治3)年7月4日、與平は「国家の大道」と題した建白書を集議院に提出している。その中で與平は「国之教導」が「神儒仏教之道ニ混淆シ」ていることを批判し、「神儒仏洋学共ニ自己ノ権ヲ離レ、天下公平奇否ヲ議シ、同句似章ヲ省略シ、其必要判然タル条目ノミヲ集合シテ、教導径学大全一部ヲ以テ国家ニ教授」すべきであると述べている。そして「国家之大道」が明らかにされれば「貴賤貧富賢愚共ニ道ニ達スル事速也」と主張した。神代復古誓願運動の思想は大旨において神道国教化政策のタテマエと異なるところがない。しかし、その正当性原理を與平が伝統の中から育ってきた「万物共有」「土地共有」という「土地均分」思想や「天下ノミタマ物」という人間観に立脚した「平等」思想に引きつけて五箇条の誓文を解釈し、徹底的に読み込んでゆくとき、天皇制国家イデオロギーとの対決は不可避となり、異端として弾圧されることになってゆくのである。
 1885(明治18)年2月、東京赤坂区赤坂裏に居住していた小林與平は「神代復古誓願書」を作成し、神代への復古を目指す運動を開始する。誓願書の内容からは、與平の独自の歴史観がうかがわれる。それによると、「天照大皇神」の治めた神代は、ただ一人の「私慾論者」もなく、「上も下」も同等で、「天地ノ万物」を共有し、衣食住は平等に分与され、土地の私有性が否定され、「一人の困難者」もなく「安寧快楽の極点」が実現される世界であった。それが神代が終わり仏世になるや土地の私有制が始まり、「境界無キ国土ニ町反別ヲ立テ一人毎ニ持地ヲ定メ、年貢ト名(付)ケテ其町反別ヨリ取立ルモノハ、田畑ノ上下ヲ別ツト雖トモ作ル手ニハ上下ヲ分タサル故ニ、賢ニシテ強ナル者ハ年々栄ヘテ終ニ本間久四郎ノ如キ大高特有レハマタ、愚ニシテ弱ナルモノハ年々乏シク生活ノ立難キヨリ持地モ所有スル能ハス、終ニハ自国ニ生レテ自国ニ座ル所モ無キ地借店借小作人ト成リ果、草一本樹一枝モ自侭ニ成ラサル」というような「国土ノ大害挙テ計ヘ難キ」状態となった。さらに武士の時代になるや領主の年貢収奪によって「国民ハ鼠ノ如ク雀ノ如ク駆使セラレ」てきたという。そして明治維新を迎え、五箇条の誓文によって国民は再び活気を取り戻すかに見えたが、「欧米各国ノ例(西洋近代的社会原理)ヲ模擬シタル」ために自らの権利ばかりを主張し争乱が絶えない状態にある。そこで天皇に誓願書を提出し「天照大皇神の明教」の時代に復古することによって「快楽円満ニシテ更ニ一人ノ苦民」もいない民衆的ユートピアを実現しようとするものであった。
 與平の主張した平等思想の特徴を考察してみると、大きく分けて「天下のみたま物」という独自の霊魂観に立脚した「万民保全」主張、身分制の否定、及び「万物共有」「土地共有」思想の三点を挙げることができる。
 「人ハ天下ノミタマ(御霊)物ナリ」と主張する與平の人間観によると、わが国は「天照大皇神」を開祖とするために、「国民一般天地ノ間ニ塞ル所ナク天地ノ万物ヲ使用スルミタマ物」となったのである。「ミタマ物」には、「皇国人」は本来「同根同體」の「天カ下ノ御霊物」であり、尊いものとして尊重されるべきであるがゆえに、自己の私欲や権利を主張するのではなく、「万民保全」のために協力せねばならないという意味が込められている。「日本中ノ事ハ何事ニテモ誰ガ聞テモ至極御尤ナリト云ふ事に決め」るべきであるとか、「上モ下モ均シク血筋ヲ分ケタル親類ニテ他人ハナシ、殊ニ賢キトテ己ガ子孫ニ愚カナル者ガ生マレル事ヲ思ひハカリテ酷メナイ様ニしテ、マタ愚カナリトテ其ノ子孫ニ賢キモノゝ生マルる事を思いハカリテ賢き上々ニ恐れず謹シンデ上ミノ命ニ随イ守り相互ニ心を一ニして田ノ物畑の物海の物山の物トモ使用して勢ヨク盛んニ活計シ行クへし」という「御誓文」解釈には、人々が「和同一」することによって家族国家的な相互扶助の世界を実現すべきであるという、與平の理想とする社会像がよく現れている。
 それゆえ、民衆間に差別を認める身分制度は否定されることになる。武家政治については、「腕力武士ノ暴虐タルヤ(中略)、目前ニ国民ヲ殺スヲ以テ業トスル者ニテ、常ニ刀脇差弓矢鉄砲槍長刀ノ類ヒ渾テ国民ヲ殺ス物ノ具ノミヲ拵ヘ、国民ヲ欺ク兵法ヲ学ヒ、各々党派ヲ分チテ国中ヲ横行シ、窃盗強盗ハ武士ノ常ナリト。其人殺シ道ヲ閃シテ国人ヲ切ル事草ヲ刈ルカ如ク、又財産ヲ奪ヒ取ルニ限リ無キモノハ、正ニ人造物一品モ非サル未開ノ
大古悪獣毒蛇ノ災ヒニ触レシヨリハ百千倍ノ恐シキ。蛇ノ前ノ蛙ノ如ク、国民一般恐縮極ルモノハ艱難トモ災害トモ譬ヘ難キ」というように激しい非難が展開されている。さらに、徳島県海部郡木岐浦に住み、神代復古誓願運動の徳島県内の主任者であった浜名猪代太(1823〜1908)の手による独自の誓文「注解」には、「公家ガ冠直垂レ着テ生マレルモノデモナシ、武十ガ鎧兜ヲ着テ生マレルモノデモナシ、新平ガ足ガ四本ハエテ生マレルモノデモナケレバ、(中略)漁夫ノ子テモ馬方ノ子テモ知識ノアル人ヲ世界ニ求メテ皇ウキノ基イノ神代ヲ振記セヨ」と、被差別民に対する差別にも真正面から批判が加えられ、国民の平等が主張されている。このように天皇崇拝のもとに被差別民を解放する論理が成立していることは、注目に値すると考えられる。
 さらに、「万物共有」「土地共有」も、そもそも日本の国土が「天照皇大神」のものであり、人々は「万民保全」のために勤勉に土地を使用し、人々の「衣食住ヲ安ンジテ」こそ「天地ノ御霊物」たり得るという論理的帰結のもとに主張される。ここでも日本に私有制をもたらした仏教が厳しく批判され、さらに当時のあらゆる私欲論者が批判される。與平によれば、それらはこの世に貧民が出現することになった原因であり、さらには明治維新以降「賢者モ愚者モ金持チモ貧乏人モ等ク慾ニノミ心ウバワレテ親子ノ見堺モナク寝テモ起テモ金ノ事ノミウロタエ迷フ有様」を作り出した原因なのであった。
 與平の思想は以上述べたような、伝統の中から生まれてきた「土地共有」「平等」思想を理論的根拠に据えていたのだと考えられる。この「神代復古誓願運動」の展開と同時代に、伝統的な道徳主義と平等主義を主張し「社会党」「社会党類似」とされた東洋社会党の樽井藤吉の思想がある。「神代復古誓願運動」が五箇条の誓文にその理論的根拠をおいたのに対して、東洋社会党は西洋の社会主義思想の影響を受けながら伝統的「天物共有」「自他平等」思想の主張に向かう。「社会の人をして十分に其の天賦の道義心と平等自由の法則を重んずるの精神とを涵養せしめば、即ち政治法律は遂に無用の長物たるに至るべし。此佳境に逍遙するを得るの時節を造るは即ち吾人の目的なり。」「土地は人間共有の天与物なり。故に今日の地券証を以て土地所有権を表する者と為す勿れ。地券証は須らく視て以て土地の預券となすべし」という主張は、私有制と西洋近代的社会原理を否定しながら民衆の平等を達成しようとする点において、與平の思想と交わるところが大きいものと考えられる。
 よって憲法制定や国会開設を要求した自由民権運動とこれらの運動は相容れないものである。自由民権運動が西洋近代的な土地所有権、参政権、自由権を要求する運動であったのに対し、これらの伝統的平等主義の諸運動は私有制、西洋近代的社会原理や資本主義を「公」的秩序を乱す「優勝劣敗」の制度、個人主義として退ける。與平は国会開設の直前、憲法発布に際して「憲法カ発布セシトテ国民ノ願ヒヲサセヌ事有ル謂ナシ。日本ノ愚民能ク聞ケ、神代復古ハ国祖大神ノ世界無比ノ明教ナレハ、憲法位イノ発令ニ驚クネボケメ覚シテ決意セヨ」と述べており、国会や憲法の発布にはまったく関心がなく、逆に敵意すら感じていた事がわかる。とくに西洋文化の輸入のために国民の精神が混乱していることに対する憎悪は激しく、「欧米国ノ国会ノ真似シテ(中略)体裁ノミニ心ヲ配リテ居ル族」「何テモ彼テモ欧米ニ法リテ改メント凝リ固テ国会ヲ待ツテ居ル族(おそらく、自由民権運動家のことを指すと思われる)」が私欲に基づいて行動していることを非難し、国会開設においても「維新五事の御誓勅」を「本尊」とするように要求している。これらは、神代復古誓願運動と自由民権運動との距離を示すものであり、鶴巻氏も指摘するように、同時代に運動を展開したこの両者の間には決定的な断絶があったと考えられる。
 自由民権運動の要求した国会開設要求は、世界システムに裏打ちされた全世界的普遍性を持つ西洋近代的な社会原理であり、紆余曲折を経ながらもともかく1890年の国会開設に結実することになる。そのような世界的な歴史の潮流からすれば「神代復古誓願運動」の敗北は避けられないものであり、1889(明治22)年6月19日、集会条例第十八条によってこの運動は治安に妨害するものとしてみなされ、結社を禁止された後は、急速に鎮静化して行った。その意味では、この運動が奇怪で危険な思想として歴史の闇へと葬り去られていったのは歴史的必然であった。
 しかし、歴史的伝統の中から被差別民の解放をも含む平等主義を主張する運動が出現したこと、およびその主張は西洋近代的社会原理とは交錯しながらも根本的には異質の論理を持っていたことは注目に値する。このような平等主義は天皇制を絶対的に信奉することによって民衆生活を安定させようとする点やそのユートピア的解放願望という宗教的装いを帯びている点など、今日の我々からみても一風変わったものとして感じられる。しかしこれは逆にこの当時の民衆運動が多様な方向性を持っていたことを示しているのであり、西洋近代的社会原理を自明のものとして受け入れて行く歴史の変遷の中で我々が理解できなくなってしまった貴重な民衆意識を語るものである。その後日本ファシズム期における天皇制の神権的絶対性や家族国家観を支持した民衆意識の底流にも、神代復古請願運動にみられるような平等思想、ユートピア的解放願望と一脈通じるところがあったのではないかと思われる。そのような意味では、天皇制国家がいかにして民衆を支配の論理に組み込んでいったのかを考察するうえでも極めて重要な手がかりを与えてくれる思想であると考えられる。また、この運動の平等思想の特徴として先に指摘したが、浜名猪代太の誓文「注釈」には天皇崇拝による「ミタマ物」思想から被差別民の解放の論理がうまれている。
天皇制イデオロギーと水平運動の関連は、近年藤野豊氏の『水平運動の社会思想史的研究』(1989年11月、雄山閣)らによって研究が進められ、全国水平社の創立には天皇に対する強い帰属意識、平等な「臣民」思想が大きく作用していたことが明らかにされている。浜名猪代太の「注釈」は水平運動の前史であるこの時代の、天皇制と部落解放思想との関わりについてこれからの研究の糸口を示すものとして非常に興味深く、今後の研究課題としたい。

1)一橋大学 学生 2)徳島文理高等学校 3)徳島県立城南高等学校
4)徳島県立文書館 5)徳島県立脇町高等学校


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