阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第40号

由岐町延命寺の在銘の仏像について

史学班(徳島史学会) 田中省造1)

1.はじめに
 昨夏の阿波学会の総合学術調査で改めて由岐町の文化財の一端を拝見し、同町のすばらしい文化的伝統を再確認することができた。取り上げるべき問題は数多いが、紙幅の関係もある。今回は同町木岐に所在する延命寺の在銘像に限って紹介することにした。徳島県下に仏像・神像の数も多いが、延命寺の像は仏像のすばらしさはもちろんのこととして、そのうちでも珍しい在銘像であるうえ、海部郡内でももっとも古い年記をもち、かつその銘文も長文にわたっており、史料的価値も高いと考えたからである。

2.延命寺について
 延命寺は海部郡由岐町木岐552に所在する高野山真言宗に属する寺院である。山号を宝聚山、院号を松薗院という。寺伝によれば、その創建は天平時代(729〜749年)にさかのぼるというが、この創建伝承は後述する銘文にもみえ、すでに江戸時代に成立していたことが知られる。なお寛政三年(1791)成立の『古義真言宗寺院本末帳』によれば、現海部郡日和佐町の薬王寺について「一同(大覚寺末)同(海部)郡日和佐村薬王寺末寺十一宇」とあり、その末寺11カ寺の7番目に「同郡木岐村延命寺」とある。また文化十二年(1815)成立の『阿波志』海部郡佛刹条には「延命寺、木岐浦に在り。木岐氏香火院と為す。薬王寺に隷す。慶長三年(1598)以来五石を賜ふ。」とみえる。(以上丸カッコ内は田中。以下同じ)これにより、江戸時代には延命寺は薬王寺の末寺で真言宗大覚寺派に属したことが知られる。また、『阿波国徴古雑抄』に所載される当寺の文書に次のようにあり、『阿波志』の記事を裏付ける。
 木岐之延命寺居屋敷高五石成益宮内理ニ付令扶助候也
  慶長三十二月十九日 一茂(花押)
           木岐延命寺
 なお文中の一茂は徳島藩の藩主蜂須賀家政の別名である。

3.延命寺の在銘像
1 阿弥陀如来立像
 右手屈臂し、左手垂下して、ともに第一指と第二指を捻じる通行の来迎形の阿弥陀如来立像である。像高75.5cm、寄木造り、内刳で、玉眼を入れ、衣を通肩に着し、漆箔を施している。やや下ぶくれしたお顔、大粒の螺髪、低い肉髻、よく整理された衣文などおそらくは室町時代の後期に制作されたものと思われる。なお、台座の各部に次に述べるような修理銘があり、江戸時代に何度か修理されたことが知られる。本像の着衣部には後補の手が入ると思われるが、おそらくこの時の修理であろう。このうち、Dの下框裏の銘文にみえる寛永二年(1625)の年記は、現在のところ海部郡内ではもっとも古い時期のものといえ、貴重である。


 A台座受座裏面銘
  奉初建者天平十六年(744)始而此本尊壱躰ヲ造奉よし昔ヨリ今ニ云伝ヘ御座候。
  昔記ニ茂此事相見ヘ候。天平十六年より今文政十亥年(1827)迄凡一千一百九(ママ)十四年ニ相成候仏作ニ御座候ト申伝候。
  干(ママ)時文政十亥年九月吉祥日。
  奉再色本尊阿弥陀如来。
  阿州海部郡木岐浦宝聚山延命寺現住法印覚慧上人代。当院現住覚慧上人ハ俗生当浦岩屋吉三良忰次男ニ御座候。
  佛師那賀郡中島浦佐坂勝太充(ママ)信。
  木岐浦里庄屋村上民吉。五人組吉三良。
  同和蔵。世話人檀家中。
 B同上框表面銘
  貞享二乙丑天(1685)七月吉日。
  奉再興弥陀三尊。入佛薬王寺宥雄上人。
  住持法印宥澄。佛師淡州光慶明款。
  木岐浦里惣旦那。木岐浦里庄屋伝右衛門。同浦年寄助左衛門。肝煎人甚太郎。同勘右衛門。同茂右衛門。同儀右衛門。
 C同下框表面銘
  貞享二乙丑暦七月吉日。
  弥陀三尊再興。不動毘沙門同。大師御影造立。法印権大僧都宥澄之。右一所如此。
 D同下框裏面銘
  五郎右衛門うはむすめの為ニ米一斗。心座者為宗右衛門銀参拾目。心座者しらはた得右□銀拾目。為□屋之心座者。
  寛永二乙丑年(1625)十一月吉日。

2 弘法大師坐像
 袈裟を着し、右手屈臂して胸前で五鈷を執り、左手屈臂して膝上で数珠を執る通行の弘法大師像である。像高45.0cm、寄木造りで、内刳を施し、玉眼を入れる。彩色は後補である。なお、畳座の裏面に以下の銘文があって、寛文十一年(1671)に制作され、寛政三年(1791)および文政十二年(1829)に修理されたことが知られる。


 E  弘法大師台座裏面銘
  弘法大尊像之中ニ書附有之通り此処ニ写し置者也。備後国福山佛師右兵衛作是。此木年寄助左衛門寄進。阿州海部郡木岐浦北条彌五右衛門子歳十三二而出家致し十八載(ママ)求也。
  寛文十一辛亥(1671)十一月吉日。
  延命寺住持宥圓識房。
  寛政三亥(1791)十一月吉日修補之。
  寛文亥より此年まで百弐十一年に成ル。
  延命寺幻住宥章龍緊房記。
  (異筆)
  高祖大師奉再色。
  文政十二丑年(1829)九月吉祥日。
  阿州海部郡木岐浦宝聚山松薗院延命寺現住覚慧上人代。□幢寺記。
  浦里庄屋村上民吉。五人組吉三郎。同和蔵
  佛師那賀郡中島浦佐坂勝太元(ママ)信。

4.おわりに
 今回の調査にあたっては、延命寺のご住職栗林海学師、前由岐町教育長蒲生忠雄氏をはじめとする地元の方々のひとかたならぬご高配をえた。深謝したい。

1)四国大学


徳島県立図書館