阿波学会研究紀要


このページでは、阿波学会研究紀要論文をご覧いただけます。
 なお、電子化にともない、原文の表記の一部を変更しています。

郷土研究発表会紀要第39号
三好町の農業生産

地理班 

 横畠康吉* 藤田裕嗣** 

 三舟哲治*** 板東 正幸****

1.はじめに
 農山村的性格の強い農業地域では、集約的農業経営によって特殊農産物を生産販売することで農家経済を支えてきたが、経済の高度成長期に始まった農工間所得の格差増大は、山村農家経済を崩壊させるにいたった。域内農業労働力は農外産業へと流出し、通勤兼業農家の増大を促した。農家の兼業化は、基幹的農業労働力を失うことで集約的農業経営を粗放化させつつ、特定の農産物の栽培へと移行させた。また、山村的性格の強い農業地域では、農外産業への就業機会の増加が域外への流出人口を増大させ過疎化を招き、農業の経営が高齢者を中心に、自給的作物と特定栽培作物の生産をおこなうことで、かろうじて農業生産活動を成立させるというのが一般的現象である。
 農外就業機会の増大や圃場整備事業、灌漑水利整備事業が進められ、稲作経営が機械化・省力化されたことによって農家の兼業化が深く浸透することになった。さらに、近年の社会・経済の変化は、農家の専業→兼業→脱農という過程を経て、専業と兼業の両極分解現象を山村農業地域の中に投影している。農家の両極分解への社会経済構造変化は、地域内外の農外産業の急速な発展に起因する受身的な側面が強い場合と、農外産業収益に対応した農業経営で農家経済を潤すか、行き場を失った高齢者の再農業志向による受動的な側面の強く現れる場合とがある。
 三好町の農業は、古くから在来種の阿波葉と呼ばれる葉タバコの生産や養蚕が換金作目の代表であった。しかし近年、葉タバコ・養蚕の哀退傾向が著しく、これらに代わりハウス園芸・夏秋茄子・果実や畜産部門の生産が拡大するなど、商品生産農業の進展が見られる。地域の歴史的発展の結果生ずる農業変容の検討をつうじて、三好町の農業の実態を分析し、商品生産農業の特性を探りたい。
2.三好町農業の変容と農業の性格
1)農業の変容
 三好町の南面を流れる吉野川は、山城谷を抜け、池田町で北流から東流して紀伊水道にそそいでいる。池田町を要として、下流に向かい楔型をした流域平野部が阿波の北方の主要な農業地帯を形成している。三好町は、楔型平野部の要の部分近くの阿讃山地南斜面の吉野川流域左岸に位置し、吉野川と阿讃山地から流出する切谷・伊月谷・湯谷・黒谷原・馬来谷・金屋・原谷・小川谷の中小河川によって形成された沖積層とその北につらなる台・上ノ段・山口・寺尾・円福寺・敷地の河岸段丘及び阿讃山地南斜面地が農業生産の舞台となっている。農業生産活動は、河岸段丘末端面の山麓線(県道池田・鳴門線)以南の沖積層と以北の河岸段丘面や阿讃山地南面傾斜地の中山間地区と山間地区とである。ために、農業経営は、水田依存度の高い、米麦生産を中心とする沖積平地地区(里分)と畑作への依存度が大きく、葉タバコ生産と養蚕を中心とする段丘面・山間傾斜地区(山分)とに分かれている。
 里分地区での農業経営は、水稲・麦類・葉藍・豆類などが栽培されていた。また、1910年に耕作が禁止されるまで葉タバコの生産も盛んであった。葉タバコ経営の始まりは、藩政期初頭の藩財政確立策の一環として打ち出された殖産興業に求めることができる。殖産興業は、臨海部での塩、里分での藍作、山分での葉タバコと林業の振興政策であった。藍作は、藩政期から明治期にかけ、吉野川流域北方を代表する一大産業に成長したが、明治中期に輸入されたインド藍、さらにドイツより化学染料が輸入されるに及び衰退することになった。葉タバコは、明治以降も専売制度の下で、三好町を含めた吉野川流域の山間地における農家の換金作物として栽培され、戦前・戦後を通じ、農家に現金をもたらせた。
 戦後間もない頃の食料増産時代には、里分・山分の畑は、穀類・豆類・イモ類で占められていたが、その後の日本の経済成長や食生活の変化から、畑作物が大いに変化した。麦類(大麦・裸麦)・イモ類・豆類の減少に対し、野菜・果実類の増加や畜産部門が盛んになった。葉タバコ・養蚕は、1960年頃まで伸長したが、その後は停滞傾向から衰退に向かっている。(表1)
 高度経済成長期以降には多くの工場が隣接町村に進出し、農外就業機会が増大する一方、水田圃場整備事業が進められ稲作の機械化・省力化がもたらされ、農家に兼業化が浸透することとなった。さらに近年の社会・経済の変化が、地域農業の質を変容させるなど、時代に応じた農業経営が営まれている。
2)三好町農業の生産基盤
 三好町の農業生産基盤は、山林原野の比率が80%を占め、耕地率が8%の山村農業地域である。主な耕地は、水利に恵まれた吉野川沿岸に集中し、水田耕作が行われている。水田率は50.3%で、景観的にもよく開発された棚田が展開している。阿讃山脈の南面に位置し、内陸気候条件と灌漑条件とが水稲生産に好適な環境を与え、その生産性を高めてきた。山間地農業集落は、大部分が標高 500m 以下に分布し、畑作農業を推進している。畑地率は37.6%で、耕作の中心は、古くから葉タバコ栽培を農業経営の基盤としてきた。また、山間地農業の中にあって農家の収入を潤してきた養蚕は、近年衰退の傾向にある。(表2)1965年を100.0とする樹園地の推移は、1990年に57.3となり、半数近くに減少している。三好町の養蚕業は、高齢農業者の手によって維持されている現状にあるが、山地性の強い農業地域で、農家らしい農家に現金収入をもたらす農業経営部門と位置づけられる。
 三好町は、近隣町村との交通条件に恵まれ、比較的多くの労働市場が提供されていることから農家の兼業化を進めてきた。農家数は、1965年から1990年までに、約26%減少させた。このような地域農業の現状の中で、三好町の農業生産に変化を及ぼす四国自動車縦貫道の建設計画が推進されている。
 三好町の農業基盤は、内陸山間にあって、近隣町村に労働市場が拡大し兼業化が一般化した。農家らしい農家にあっては、水稲作、葉タバコ作、畜産部門の経営を基盤とし、果樹・蔬菜部門での商品生産農業の育成が進められている。
3)三好町農業の性格
 三好町の農業粗生産額は、1990年に13.68億円で、1970年の1.3倍となった。農家一戸当たり農業生産額は、48.4万円で、徳島県の48.4%、三好郡全体の136.0%となって、三好郡の平均を大きく上回っているものの、徳島県平均に比べれば著しく低い。土地生産性は、8.3万円で、徳島県の62.4%、三好郡全体の122.1%となる。労働生産性は、42.8万円で、徳島県の38.9%、三好郡全体の107.3%となる。土地生産性、労働生産性ともに、三好郡平均に比べ高率となっている。しかし、徳島県平均からすれば、かなり低位の状況にあり、一農家当たりの生産規模の零細性を示している。(表3)
 1990年の農業粗生産の構成比は、耕種部門で、米(15.5%)・工芸作物(15.4%)・野菜(13.4%)の順となって、米・工芸作物の比重が高い。畜産では、ブロイラー(17.2%)・乳牛(9.4%)・豚(7.2%)の順で、養鶏・乳牛・豚などの家畜の生産性が高い。
 農家構成は、総農家829のうち専業農家は157戸(19.0%)であり、第一種兼業農家84戸(10.1%)を加えると農業比重の高い農家は、29.1%になる。第二種兼業農家率は、1965年には29.1%にとどまっていたが、1990年には過半数をはるかにこえた70.9%に達している。(表4)
 販売農産物は、米・夏秋ナス・メロン・葉タバコ・愛宕柿・繭・ブロイラー・牛乳などがあり、これらが自立経営農家の主要商品生産部門となっている。しかし、これらの多くは兼業収入によって支えられた兼業農家の副業的生産物ともなっている。大規模な商品生産農家は地域内に集中せず分散的で、集団的規模の産地形成が図られえない農業地域となっている。
 三好町の農業は、兼業農家の自給的性格の強い水田農業を基盤とし、専業農家の複合経営や兼業農家の副業経営による商品生産農業が分散的に行われ、生産農家がより専門的農業経営に志向するものと、兼業化から脱農化へ向う地域内分化の過程にある。
3.三好町における商品生産農業
1)農産物販売農家
 農産物販売金額1位の部門別農家を1985年の農業集落カードからみると、里分に属する15農業集落の629農家のうち販売のあった農家は、490農家で、販売率は77.9%であった。販売される農産物は、水稲(296農家、47.1%)、麦類(69農家、11.0%)養蚕(52農家、8.3%)、果実(27農家、4.3%)などとなっている。(表5)
 山分に属する13農業集落の295農家のうち販売のあった農家は、261農家で、販売率は88.5%であった。販売率の高かった作物は、葉タバコ(165農家、55.9%)、麦類(43農家、14.6%)、野菜類(22農家、7.5%)などであった。これらが自立経営農家の主要商品生産部門となっているものの、自立経営農家にとっては、米作と葉タバコ作を基盤に他作物との複合経営によって、農家経営の安定化を図っている。しかし、複合経営による自立経営農家は少なく、多くの農家が兼業収入によって支えられた副業的生産物の販売である。
 次いで、1990年の農産物販売金額規模別農家数をみると(表6)、総農家数829戸のうち販売なしの農家144戸(17.4%)、販売のある農家685戸(82.6%)であった。販売規模別農家数は、300万円未満農家637戸(66.4%)、300万円以上農家48戸(5.8%)であった。したがって、1990年の三好町における自立経営農家は、自給農産物を収益分に加え、農産物販売金額200万円以上農家92戸(11.1%)程度と推測される。
 三好町の農業は、里分の平地農村部では米作,山分の中山間地農村部では葉タバコの生産を基盤としながら、専業農家による特定作物への補完関係による複合経営と兼業農家による農外産業依存の農業経営によって、新たな商品生産農業の育成が進められている。生産基盤である耕地面積の絶対量の制限の中にあって、耕種部門においては、土地及び労働生産性の高いハウス園芸農業への移行や労働粗放的蔬菜栽培が始められている。また、葉タバコの後作として、チンゲンサイ・キャベツ・レタスなどの導入を図る葉タバコ農家も現れるなど、新たな農業地域としての性格を地域に投影しつつ、農業地域の再編が進行する現状にある。
2)商品生産農業
 町役場(産経課)資料より(表7)、伝統的換金作目(葉タバコ・養蚕)を除いた商品作物の生産現況をみると、生産農家の数では、大豆・愛宕柿・タケノコ・ナス・スダチなどが多い。
 これらの商品作物の中から、ナス・愛宕柿と三好町の伝統的換金作目の葉タバコを取り上げて、生産実態を考察したい。
 (1)ナス
 三好町のナス栽培は、古くから家庭の自給用果菜として栽培されていた。商品作物としての生産は、1984〜85年頃の試植に始まる。1986年に三好農協内になす部会を設立したのをきっかけに本格的栽培が始められる。栽培当初は、9人の部会員であったが、土地生産性も平均で280〜285万円、高い場合は451〜500万円と高い上に、生産労力省力栽培が可能であり、高齢農業者にも適した作物であったため、65人の部会員へと栽培農家を増加させた。1992年に産地指定作物となり、6月下旬から11月25日までの収穫に合わせて、神戸・大阪・名古屋市場に系統出荷されている。
 1990年の栽培農家は67戸、作付面積4ha、生産額1億2千万円の収益を上げ、耕種作物部門の中にあって、最も生産額の高い作物である。
 (2)愛宕柿
 愛宕柿の栽培は、1956年に100本ほどの苗木が導入され、20戸の農家が栽培を始めたことが現在の愛宕柿特産地を形成させるきっかけとなった。
 1990年の栽培農家は90戸、作付面積は 15ha、生産額2千5百万円の収益を上げている。10a 当たりの平均収益は40万円程度で、専業経営をめざす場合は、1.5ha 以上の規模での栽培が必要になる。農作業上、冬場(1〜2月)の剪定、3〜8月の害虫等の駆除消毒などは粗放的に作業を行えるが、11月20日頃から始まり30日頃に終了する収穫作業は、霜の降りる前に収穫を完了しなければ商品価値がなくなるため、労働時間が制約される。収穫された愛宕柿は、選別され農協に出荷された後、ドライアイス、アルコールで渋抜きされ、5kg 入りの箱詰、2ケ入りのビニールパックで市場出荷される。
 愛宕柿は、収穫時の時間制約と労働集約経営が要求され、専業農家の単一経営部門に取り入れにくく、専業農家や兼業農家の複合経営部門として農業収益を補完する商品作物となっている。
 (3)葉タバコ
 三好町における1990年の葉タバコの栽培農家は167戸、作付面積 45ha、生産額2億1千1百万円で、農業総生産額に占める割合は15.4%である。
 この葉タバコの栽培の歴史は古く、換金作物として長く山間地農業地域の農家経済を潤してきた。
 葉タバコは、山間地傾斜畑地に在来種である阿波葉を中心に栽培されてきたが、近年になり阿波葉から黄色種の栽培に変化している。この理由は、在来種に比べ省力栽培が可能なことや作付生育期の保温保持のマルティング栽培が普及したことが上げられる。栽培農家は、山分に属する西山分・法市・葛籠・男山・滝久保・岸上・岸下・石木・柳沢の山間地農業集落が中心となっている。これらの地区では近年になって、葉タバコ単一栽培専業農家から葉タバコの後作として、野菜類の栽培を行う農家が増大している。栽培される野菜は、チンゲンサイ・キャベツ・レタス・インゲン豆などである。
4.まとめ
 以上のような調査結果から三好町農業のこれからのいくつかの問題点をあげると次のように要約できる。
 1  里分地区では、水稲作と補完関係をもつ大型の商品生産農家の育成が急務である。水稲作基盤が小さく安定しているとはいいがたく、収益性の高い商品生産部門をもたない限り今後も兼業比重が増大する。さらに、零細な農家は、高速輪栽式の園芸部門を経営基盤に持たない限り、農家経済が大型化した現在では専業農家として成立しない。
 2  水田の冬季利用として麦の生産が行われているが、水田裏作と結びつく野菜生産団地づくりが必要であろう。
 3  ナス・チンゲンサイ・インゲン豆などの生産が行われ特産地が形成されつつあるが、さらに、一般蔬菜の生産の振興がはかられるべきである。農業従事者の高齢化という現実はあるが、四国自動車縦貫道の完成に向け都市出荷を目的とした野菜団地形成のためには、農協を核とした営農指導体制の確立が望まれる。
 4  吉野川北岸用水を利用するハウス園芸の積極的推進が必要で、果菜類・花き栽培など、高級農産物の生産を中心とした産地形成をはかる必要がある。
 5  山分地区では、葉タバコ・養蚕の省力栽培や飼育をさらに徹底し、秋野菜作が葉タバコの裏作と結びつく経営を取り入れ、専業農家の育成をはかる必要がある。
 本調査を進めるにあたり、三好町役場、三好町史編纂室をはじめ・調査の際にお世話になった方々に謝意を表します。

参考文献
1.市川健夫(1966):高冷地の農業.令文社
2.斎藤吐吉(1971):北関東の畑作物.群馬大学教育学部紀要,人文・社会編,第21巻,1-12.
3.田林 明(1990):黒部川扇状地の農業・農村に関する研究の動向と課題.人文地理,14,81-105.
4.横畠康吉(1974):阿波の北方,上郡地方における農業地域構造.四国大学研究紀要,第12集.

*四国大学 **徳島大学 ***徳島商業高等学校 ****板野中学校


徳島県立図書館