阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第38号
半田町経済の特徴と地場産業の課題

地域問題研究班(地域問題研究会)

 中嶋信1)・西村捷敏1)・三井篤1)・

 小田利勝1)・榎本悟2)

1 はじめに
 半田町は1990年策定の『新総合振興計画』で「快適ふるさと健康産業の町の形成」を目指している。地方圏経済・社会の不振が確認される中、地方振興が強く求められていることはいうまでもない。それは住民の願いであると同時に、国土の調和的発展を実現する上でも欠かすことのできない国民的課題でもある。地域問題研究会は今回の総合調査に当たり、町総合計画の目標実現のための産業上の条件の検討を行った。そのために農業・工業・商業の動向や行政対応などについて資料分析や聞き取りを進めた。ただし限られた調査日程と調査参加者間の調整不足から包括的な報告は困難であるので、以下には課題を半田町の地場産業―とりわけ、そうめん産業―の展開条件に限定して行うこととする。
 ここで地場産業を取り上げることの意味の確認が必要であろう。中小企業庁『中小企業白書』では地場産業を「地元資本により一定の地域に集積しつつ、地域の経営資源(原材料、技術、労働力など)を活用して製品を生産し、その販売先を地域内のみならず地域外に求める産業」と規定する。自然的・社会的条件を踏まえて各地に多様な中軸産業が育てられ、地方圏経済の歴史的な特徴を形成してきた。家具産地、製塩業地帯、陶器特産地等の例のように、その地場産業が地方圏経済の発展方向を左右する例はしばしば確認されるところである。ところで地場産業は高度成長期に激しい分解を経験したが、近年再び大きな動揺の渦中に位置している。1985年のプラザ合意以降、構造調整政策の展開を見ているが、その結果として、多くの地場産業は輸出環境の悪化や経営構造転換の促迫に直面している。そしてそれが今日の地方圏経済の失調の一因となっているのである。経済活動の一極集中を是正し、地方圏経済の調和ある発展を実現するためにも地場産業の活性化は実践的な課題である。さらにそれは総合計画のいう「活力ある健康産業を中核とした町づくり」の物質的土台を提供するものである。
 以上のような問題関心から、半田町のそうめん産業の展開条件に報告内容を収斂させる。もとより、半田町のそうめんが「地場産業」に相当するものかの吟味も必要である。まずは地域経済の特徴を簡単に整理しながら、そうめん産業の位置および性格を確認しよう。

2 地域経済の特徴
 半田町は吉野川の中流域南岸に位置し、吉野川に流入する半田川下流域のわずかな平坦部と急峻な四国山地で構成される農山村である。1900(明治33)年に鉄道が開通するまでは吉野川の水運の要衝の役割を果たしたが、同時に半田川の谷口集落として、吉野川流域と祖谷などの山地との交易拠点としての機能を果たし続けている。従来の機軸産業である農・林業は高度成長期に激しく動揺し、代わって第二・三次産業の成長が確認されている。
 まず現在の地域経済の特徴を簡単に確認しよう。表1は1987年度の町内総生産額(推計値)を近隣の町と比較したものである。地理上では似通ったそれぞれの町であるが、表には経済活動の規模や産業上のウェイトの差が現れている。表の枠下に参考値として住民人口を示すが、これで除すことで住民一人当たり総生産額を得ることが可能である。半田町のそれは117万円で他の町と比して相対的に低い(貞光町は166万円)水準にとどまっている。もとより推計値であり、これを絶対視することは誤りであるが近年はほぼ同様の傾向を示していることから、半田町の経済活動を活性化させる取り組みを急ぐ必要があるといえよう。このような経済活動の水準の相対的低位性はいわゆる昼間人口の動きにも反映している。表2は町外との通勤・通学による流出入関係を示す。美馬・貞光など近隣の町への少なくない通勤者の存在を確認できるが、これは町内の就業機会の不足を意味しているのである。


 表1ではそれぞれの町の産業上の特徴も確認できる。三加茂町は農林業の、貞光町では卸・小売業の相対比が高いこと等である。これに対して半田町の場合は卸・小売業、サービス業の絶対額および相対比が低く、都市的な機能の立ち遅れを認めることができる。表3は近隣町との商業活動の規模を比較するものである。

半田町は実数の低さだけでなく、一店当たりの事業規模の零細性も顕著といえよう。半田町の商店街は現在の主要道路から離れて位置するために集客力が弱く、この立地条件のために商店街の近代化も立ち遅れて、他の町に購買力を吸引されるという悪循環が形成されていると考えられる。徳島経済研究所の推計では1985年の半田町の推定購買額5,312百万円に対して町内の販売額は2,927で、商業力指数は55.1%にとどまっている(『徳島経済』1987年9月)。つまり約半分の購買力が貞光町など町外に流出していることになる。1989年に町民1000人を対象に実施された意識調査、ぎょうせい中央研究所『半田町町民意識調査結果』(1989年)によってもこのことは確認される。地元での購入の程度は商品の性格や購入者の層によって異なるが、最寄り品よりも買い回り品、高齢者よりも若年層に流出傾向が高く現れている。商業環境整備が放置されるならば、交通条件の変化によって商業活動の沈滞はさらに加速されるおそれがある。
 表1で確認される半田町経済の次の特徴は製造業のウェイトの高さである。住民一人当たりの産出絶対額では三加茂町を下回るものの、町の総生産に対する製造業のシェアでは、半田:14.0%、貞光:9.6、穴吹:4.2、三加茂:13.7と、製造部門の堅調な展開を確認できよう。地域経済の振興に当たって製造部門が注目される所以であるが、ただし製造業においても表4に示すように事業規模の零細性が確認される。1985年時点では82事業所が存在しているが、そのうち従業員4人以上のものは半数の41事業所に過ぎない。また業種は表4に認められるように食料品(その大半はそうめん)に傾斜しており、他には被服縫製、繊維工業が稼働しているが、金属、機械、電気、化学などの重化学工業の展開は皆無である。いわば新鋭重化学工業化やその後の知識集約・高度情報化の構造転換が素通りした伝統的な農村工業地域である。


 地域経済の浮揚のためには製造業が零細性を克服し、新たな事業部門の展開が付加されることなどが求められるのだが、観念的な方策が意味を持たないことはいうまでもない。さきの住民意識調査では工業振興のための重点施策のあり方についての意見分布も含まれている。それによれば「今ある企業の育成・振興」「町の特徴を活かした産業」を重点施策とすべきと回答する割合が合わせて3割にとどまるのに対し、「積極的な企業誘致」が55.5%に及んでいる。ただしそれは地域の工業の実情に対する不満と、無邪気な願望の表明であって、むしろ、地域振興の進め方が住民に十分理解されていないことを示すとみるべきであろう。
 地域の産業振興という優れて具体的な課題は、現実の土台の上に描かれる必要がある。多くの政策課題を追求し得るが、経済活動の実績を踏まえるならば、製造業の成長、とりわけ、そうめん産業の新たな発展に半田町のイノベーションの機軸を見いだすべきであろう。表4は半田町の地場産業・そうめん業界の成長が地域経済の底上げに大きく寄与し得ることを示している。これまで、地域の事業所数の約半分、製品出荷額の6割弱がそうめん産業によって安定的に担われてきた。また従業者一人当たりの出荷額は他の製造部門より一貫して高く、そうめん業界が町内では比較優位部門であることが読み取れる。さらに地域振興の戦略では産業連関を考慮することが求められる。そうめん業界は地域経済における比重の高さから、当該産業の発展はそれだけにとどまらず、関連諸部門への高い波及効果を期待することができるのである。

3 産業振興の緊急性
 半田町は「快適ふるさと健康産業の町」を発展の目標として体系的な施策を展開している。人口減少などの過疎問題が現に進行していることからその取り組みが緊急性を帯びていることは明らかである。これからの地方圏の活性化にとっての必要事項は、A(アメニティ)、B(ビジネス)、C(カルチャー)の3要素であると表現されている。その三位一体の中核をしめるのはBの産業である。半田町の産業は先にみたように低生産性、零細性の克服に成功しておらず、とりわけ長らく地域の基幹産業であった農・林業が高度成長期以降激しく動揺する中で、地域内に就業機会が得られない若年層を中心とする人口の流出と地域の社会活動の低迷がもたらされてきたのである。その土台を強固にしたうえで、自然と開発、生活文化と仕事の調和が実現されることで、県外に出ていった人々をUターンさせ、若い人材をとどめさせる魅力の形成を図るべきである。
 図1に半田町の人口推移を示す。町の人口は1960(昭和35)年の11,459人から1990(平成2)年の6,771人へと30年間で41%の減少を見ている。これまでの人口漸減傾向が終息するという見通しは必ずしも得られていない。表5は高度経済成長が終了して以降の年次別人口動態を確認するものである。それ以前の時期と較べるなら転出数が減少し、総人口に対する社会変動人口の比率(表の下段)は小さなものとなっている。ただし依然として転出数がほぼ一貫して転入数を上回っており、流動性の高い若年層の流出構造は現在も維持されている。またその結果として、図1で確認できるように、地域人口の高齢化が加速されており、出生率の傾向的低下も認められる。またこれ以降は死亡率の増加も不可避であることから、何らかの施策により人口構造上の変化が図られないならば、人口の自然減が継続することが予想されよう。過疎化の問題は未だに今日的な問題なのである。


 このような状況を克服するためにも長期的な視点に立った地域振興の計画とその実行が求められており、半田町はそのために「長期的かつ総合的な『町づくり計画』を樹立」している。『半田町新総合振興計画』がその中心骨格をなすが、1990年12月に策定されたその「基本構想」と「基本計画」では、現状と今後の動向分析を踏まえた上で今後の地域の課題が体系的に整理されている。これはさらに「実施計画」で具体化されるが、産業振興、とりわけ工業振興に関わる構想と計画の内容を次に要約しよう。
基本構想では半田町の第1・2・3次産業の「多様で調和のとれた産業振興」を重視し、その集約された姿を「健康産業」と表現している。具体的には「基幹となっているそうめん産業の一層の振興、伝統的産業としての農林業・商業の活性化、時代の要請による観光リゾートの新規開発」が掲げられており、リゾートを除けば現在ある産業の発展を基本とする堅実な方向を提起している。地方への工場分散の動きが終息し、企業誘致の経済的波及効果も大方の予想を下回ることが一般的に確認されていることに加え、半田町の場合、用地上の困難を伴わざるを得ないことから、地場産業の振興を基本とする戦略は一見地味ではあるが、現実的な政策選択と判断されよう。構想を施策課題に再整理したものが「基本計画」であるが、その「活力ある健康産業を中核とした町づくり」の章は生産性の高い農業の振興、林業の振興、活力ある工業の育成と企業誘致、活気あふれる商業の振興、魅力ある観光リゾートの開発、雇用・勤労者福祉、の6項で構成されている。新機軸も追求しながら、現在の地場産業の再生・浮揚を戦略の基本に据えたものといえよう。なお、工業関連の施策の方向として提起されているものは以下の6項である。
  1 工業用地の確保と企業誘致の推進
  2 そうめん産業の協業化の推進と販路拡大支援の強化
  3 伝統的工業の復活支援の強化
  4 あたご柿・大和柿の加工特産品の開発推進
  5 産業イベント及び町特産センターの機能拡充
  6 その他地域中小企業に対する自助努力助成策の展開
 これらの課題が着実に「実施計画」に組み込まれ、半田町産業の活力が高まることが望まれるが、そのためにも各課題について立ち入った検討が必要である。次に課題をそうめん産業に限定して調査結果を報告しよう。

4 そうめん産業改革の課題
 そうめんは半田町を代表する特産品である。零細な家族経営から従業員40人規模のものまで含めて、そうめんの事業所は町内に40カ所が稼働している。産地の正確な実績は明らかではないが、町の資料によると年間製造量3,500トン、粗生産額20億円に及び、他の麺類の併行生産も含んで、地域のリーディング産業とみなし得る。昭和初期にはそうめんを半田の新産業に育てるために「半田町素麺組合」が設立されているが、関係者の努力により紆余曲折を経ながら現在の地位を築いてきたのである。
 『半田町誌』(1971年)によると、天保時代の初期から、当時の小野浜港の平田船の船頭の副業としてそうめんが定着したとされる。そうめんが半田町の地場産業として発達した経過については、疋田信正「半田手延素麺の人文地理学的考察」(『高校地歴』第13号、1977年)に指摘がある。これによると、良質な小麦産地、良水と水車の発達、麺の乾燥に適した冬季の気候という地理的な条件が半田町に備えられていたとされる。さらに、半田町が交通の要衝であることから販路の確保があったこと、耕地狭小で冬季副業にそうめんを取り入れる農家が多いなどの社会的条件が重要な役割を果たしたものと判断されている。戦時の混乱を克服した後、1954年には「半田手延素麺協同組合」が再編され、電化や新鋭機械の導入、乾燥設備の新設などが取り組まれて、地場産業として本格的に展開する基盤が整備されたのである。だが高度経済成長期以降に半田町そうめん業界は大きな変動を経験する。ひとつには地域の農家経営が激しく分解したために、事業所や労働力が大きく減少する結果を招いている。また全国的には食品産業の本格的な展開が進み、業界は競争関係の激化の中で経営構造の革新が強要されている。半田町の地場産業・そうめんは大きな岐路に立たされているのである。
 半田町のそうめん業界は生産構造や市場対応の変革という課題に対処するために町内の全業者を網羅する「半田町手延素麺産地協議会」を組織している。ただし、産地全体の戦略は定まっておらず、むしろ錯綜している。ひとつの方向は、零細であっても伝統的製法を継承する事で産地の発展を展望するもので、その推進母体「半田手延素麺協同組合」には農家副業の家族経営の13業者が加入している。新規参入もあるが後継者や家族労働力の確保に多くの問題を抱えており、協同組合の総体としての事業は縮減基調にあり、体質改革が必要との主張もなされている。これとは別に機械・設備の改革で生産体制を強化し、商品差別化で市場拡大を図る戦略が中規模事業所を中心に主張されている。それは機械製麺のウェイトを高める結果を招くことから、伝統産業からの逸脱との批判も少なくない。
 なお、半田そうめんの場合は各事業所が顧客リストを持ち、それぞれが注文に応じて独自の販売対応を進めている。産地全体の流通戦略は受け身的なものにとどまっていると評価されよう。近年は注文量が生産量を上回っており、生産・販売対応を改革するならかなりの増産は可能と判断されている。このように産地組織は維持されているものの、今後の展開方向では合意が形成されておらず、生産・販売の両面で産地が確固とした将来展望を持ち得る状況とはいい難い。
 しかしながら、そうめん業界の擁する問題は大きく、解決策を先送りすることは産地の分解を早めるおそれがある。規模の大小に関わらず、ほとんどの事業所が後継者難、従業員の高齢化など多様な労働力問題に直面している。機械や施設により生産工程は部分的には変更されているが、手延べの場合は2日間連続の作業工程が維持されている。そこには早朝や夜間の作業が組み込まれており、翌日の天候判断というカン・コツも職人に求められている。つまり所定時間内の単純労働にマニュアル化されていない前近代的な「3K職場」という色彩を残しており、労働力確保が次第に困難になることは容易に予測される。半田町そうめん産業の長期展望を開くためには、生産工程の改革とそれを可能にする大胆な基盤整備が求められているといえよう。
 地域経済の将来を大きく左右するそうめん産業の展開方向についての論議が急がれる必要があろう。この調査では多くの関係者から産地の戦略に関わる聞き取りを行った。その中でわれわれが確認した半田町そうめん業界改革上の課題を次に整理しよう。
 1 そうめん産業を新たな町づくりの中軸に位置づける
 先にそうめん産業振興の地域的戦略が欠如していることを確認した。これは事業主がそうめん産業の活性化を個別経営の問題に矮小化して捉え、それが半田町の経済振興の中軸をなす地域的課題であるということの理解に欠けていることに基づいている。そうめん産業振興の戦略的意義を行政・商工団体が明示し、関係業者の一致協力と積極的な事業展開を働きかけるべきであろう。
 2 機械・施設整備などによる生産工程の変革
 前近代的な生産構造を強く内包する体制では本格的な増産に対応しきれないだけでなく、将来的には労働力の枯渇や後継者の散逸が予想される。事業主の努力だけでなく、業者団体や行政の事業展開によって、産地の生産基盤整備や魅力ある工場の整備を図る必要がある。ただし、一義的に大規模化することは非現実的であり、伝統的なものと近代的なものとの並存で、産地全体の厚みを図るべきであろう。生産団地の開発や零細な業者の自主的な協業化の促進などの施策が考えられる。
 3 販売体制の改革と積極的な市場開拓
 市場拡大の可能性を有効に追求するためには産地が一体となったマーケティング活動が不可欠である。規格や価格の統一という初歩的なことから、市場調査や販促活動、産地啓発のイベント、さらには受注や顧客管理事業の共同化に取り組むなど、そうめん業界組織の機能を次第に高めることが必要である。
 4 経営の後継者・労働力確保の対策
 伝統的な地場産業が各地で分解しているが、その困難を克服できるような業界体質に変革するする事が求められている。産地のイノベーターを輩出する仕組みづくりに業界団体や行政が着手すべきであろう。近年も新たな開業があり、新規参入の可能性は認められる。産地体制を強固なものにするために大局的な観点で担い手の育成が図られるべきである。また同時に、労働力不足問題は個別的対応の枠を越えつつあり、募集・定着事業などで組織的な対処も必要になっている。
 5 そうめん産業活性化の推進体制づくり
 半田町は産業イベントの拡充や町特産センターの機能拡充などにより地場特産品の振興を企図している。これをさらに、ビジョンづくり、ノウハウや情報の交換、人づくりなどを継続的に担う体制づくりにまで進めることが検討されるべきであろう。地域振興の成功事例を各地に確認することができるが、それらには共通して官・産・民(・学)の結合や協同が根付いている。町内でそのような体制を作ると同時に外部からの支援体制(国・県などの行政機構、商工会や中小企業団体中央会等の業界団体、各種研究所など)の整備も必要である。

5 まとめ
 地方圏経済の活性化が急がれるべきことは多言を要しない。半田町では過疎問題の克服が依然として今日的課題であることからも、たくましい地域経済を育てることが強く求められている。この総合調査では、われわれはその方向を探ることを課題とした。製造業の比重の相対的高さとその中に占めるそうめん産業の位置の大きさから、半田町経済活性化では「手延べそうめん」の動きが全体動向を左右する中軸的位置にあたる。だが、そうめん業界は大きな困難に直面しており、外部環境の困難がさらに強まることが予測される。このようなインパクトの中でそうめん業界を革新することが求められている。半田町は長期計画の中にそのための施策を盛り込んでいるが、産業振興の戦略はより活発な論議を必要としている。その論議の資料として、業界改革の課題についてのわれわれの整理を先に提示したが、微温的な対処を乗り越えるべき時期と判断される。
 この調査を進めるに当たって、半田町役場や教育委員会をはじめ多くの機関・個人のご協力をいただいた。ご多忙の中、われわれの身勝手な注文に好意的に対処していただいたことに、末尾ながら深く感謝申し上げたい。これらのご協力の大きさに較べるならば、報告書はあまりに不備が多いとの批判は甘んじて受けなければならない。もとより、地域の実践的な課題にこたえ得る報告を提供しなければならないことは承知しており、今後とも作業を継続することの必要を感じている。また、その過程で関係者との論議を深めることを望んでいるので、率直なご批判やご教示をお願いしたい。
 この報告書は調査班長・中嶋はじめ5名の調査班の素稿と討論をもとに中嶋が編集した。徳島大学総合科学部に事務局をおく「地域問題研究会」において、課題設定や資料検討の作業を行った。

1)徳島大学総合科学部 2)岡山大学経済学部


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