阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第38号
半田町の民具

民俗班(徳島民俗学会) 青木幾男1)

1 半田町の地形と人々の生活
 半田町は吉野川を北辺として、南西は四国山脈の白滝山(1,526.1m)と火打山(1,424m)を結ぶ 1,000m を越える尾根を境界として東祖谷山村と接し、南は一宇村に接して、白滝山から貞光町境の無名山(1,073.3m)を結ぶ 1,000m 前後の尾根を境界としている。東は標高 1,073.3m の一宇村境から 400m の山頂を結ぶ稜線によって貞光町と境し、西は三加茂町と境する 1,400m から 500m の稜線によって囲まれている。
 三方を険しい稜線に囲まれた、南北 12.5km、東西 7.5km の長靴状をして、北方の吉野川に向かって傾斜する面積52平方キロメートルの地域である。その中央を流れる半田川は、山が険しいために穿入蛇曲(せんにゅうだきょく・蛇行)を繰返しながらその附近に小集落のいとなみをつくって吉野川にそそいでいる。半田町は大藤谷川の上流が三加茂町から流入していることを除けば、半田川、およびその支流に水が流れこむ地域をすべて半田町としている。したがって民家の集落も高低をいとわず、多くの谷々に散在して生活がいとなまれている。
 半田町の住居の最高所は大惣部落の標高 910m で、その耕作地は 915m、此所ではこんにゃく・三椏などが栽培されている。住居の最低地は旧渡し場のあった小野の浜の南方で標高 60m。ここでの耕作地は 56m で、ここでは水田や桑園が営まれている。半田町の地勢は平地部が少なく総体的に見て傾斜地が非常に多い。
 このような環境のなかで、農業と半田漆器、半田素麺の生産と、小野浜を基地としての水運業、川魚漁業が行われてきたのが半田の特徴であったが、大正から昭和にかけて、奥地の農家の軒先にも自動車が横付けされるようになると共に、電気や電話、テレビの普及で人々の生活も急速に近代化する一方、吉野川に舟が通行しなくなって水運業者はなくなったが、半田漆器、半田素麺は伝統産業として存続の努力がつづけられている。

2 農具
 傾斜地農業が多い半田町の農業に使用されている農具の特徴を調べるために、平均的な集落の中から一戸の農家が経営に使用するすべての耕作具を調査することにした。
 半田町中熊部落は半田川の支流大藤谷川右岸の山地で北及び北東向斜面の標高300mから 600m にわたって39戸の農家が散在している。農業の主体は古くは雑穀のほか藍・煙草を作っていたが、今は桑園が主で僅かに煙草・こんにゃくがあるが、水田は部落で僅かに1反7畝(17a)があるのみである。
 中熊449番地の丸野政信家は標高 545m の位置にあり当主政信氏は65歳、夫人金子さんは61歳で他に2人の子息があるが、ともに家を出て他で生活をしているので農業は2人だけで2反(20a)ばかりを耕作し、養蚕を主に収入源として生活している。若い頃は4反(40a)くらいを耕作していたとのことであるが、家屋の周囲にある耕作地はやや東面する傾斜地で、その傾斜度は30度から40度である。かなりきびしい斜面での農耕作業は、平地ではとても考えられない配慮がはらわれていると考えた。
 つぎに丸野家が現在使用している耕作用農具のすべてをあげてみよう。

番号 品名 用途 点数
1 三つ子(みつご) 耕地の土を掘る 3点
2 根寄てんが(ねよせてんが) 土を掘る・根よせ 2点
3 六つ子(むつご) 中耕・土あげ(人は畦の上段に居て土をかきあげる) 2点
4 ふろ鍬(ふろ鍬・盛りてんが) みぞつくり・土盛り 1点
5 石ほり(いしほり) 深く掘る時使用・ゴボウ掘り 1点
6 こんにゃくほり こんにゃくを掘る 1点
7 こばそり 畑のふちをけずる 1点
8 三つ鍬(みつぐわ) 麦畑の中耕 1点
9 こばざらえ 土を寄せあげる 2点
10 一人びき(ひとりびき) みぞつくり 1点
               合計 15点
 以上の15点が丸野家の耕作用農具のすべてである(以上のほかに丸野家では最近になって小形の耕運機を購入したがあまり使っていないというので除外した)。ここにあげた農具は使用頻度によって上から順にならべてみたが、すべてが人力で使う手動農具であって、これらの農具の供給地は坂を下って約 3.5km はなれた大藤谷川が半田川に合流する地点、万才(標高227m)の鍛冶屋でつくってもらっていた。しかし、今はその鍛冶屋も廃業したので、半田川をそれより 1.5km さかのぼった紙屋地区の金物屋から購求しているという。このように、地形・体格・栽培条件に見合ったように考案され、使用されてきた手造り民具が補給の面でも困難になっていることを知った。

3 運搬具
 中熊部落では生産物や物資の運搬には傾斜がきびしいためか棒はあまり見られず、主として背負子(おいこ)がつかわれていた。長野部落(標高700m)ではネヅの自然木の有爪であった部分を打ち欠いて無爪として使用したものが1例あったが、他の数例はみな有爪であった。図12は中熊の丸野家のものである。図11は「こんにゃく篭」と言い、単に「かご」ともいっているが、背負子で運べない芋類などを運ぶためのものである。
 以下それぞれ図によって説明する。

 以上によって半田町農具の特徴のあらましを述べた。半田町は製麺業、漆工芸、河川漁業に技術的にもすぐれた地域であるが、それらの民具を述べるに至らなかったことをお詫びしてペンをおく。

〈参考文献〉
「半田町誌」(上巻・別巻)
「徳島民具研究」(3巻…木屋平のオイダイ)


徳島県立図書館