阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第38号
半田の秋祭り  −西久保の八坂神社を中心に−

民俗班(徳島民俗学会) 岡島隆夫1)

 西久保の八坂神社は古来牛頭(ごず)天王とよばれ、悪疫防除・牛馬守護の神として尊崇されてきた。境内には神仏習合時代の「正一位牛頭天王」の標石や、神霊の依り代とされる「養合石」などがあり、樫、椋、欅などの老木とともに古社の面影を今に伝えている。明治7年滝宮神社と改称され、同43年神社合併で周辺の21社を合祀、昭和27年に八坂神社と称するようになった。旧来の氏子地域は西地、西山、東地南、東地中、東地北の5地区だが、神社合併で平良石(ひららいし)、中屋、馬越(うまごえ)、大床(おおとこ)、高岩、長瀬、上の原を合わせて12地区となり、現在氏子数は約230戸である。氏子総代の吉野登氏のご協力を得て秋祭りを取材した。

1.平成3年秋祭り
 (1)例大祭式 平成3年10月15日(火)秋晴れ。八坂神社の境内には露店商も数軒出て氏子の老若男女で大賑い。拝殿前には大小2基の神輿が据えられ、ダンジリや獅子舞も来ている。昼すぎ例大祭の式がはじまった。赤袍に冠姿の宮司により修祓、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠と型どおり進められ、つづいて神幸式に移った。
 (2)神幸式 宮司が出御を願う祝詞をあげて本殿から御霊(みたま)代を抱きかかえて降りてくる。総代たちが御幣をかざしてお護りしながら神輿まで従う。この間、社殿内に居並ぶ当屋組の人たちは大太鼓や鉦を打ち鳴らし、あるいは御幣を振りながら「ヨイソラ ヨイソラ ワッショイ ワッショイ」と大声ではやし立てる。大神輿(八坂神社)につづいて小神輿(合祀の天神社)に御霊代をお遷しするときも同様にはやし立てる。
 (3)獅子舞 御霊入れを済ませた神輿の前で獅子舞が奉納される。八千代半田合併35周年を記念して25年ぶりに復活したこの獅子舞を撮ろうとNHKのカメラマンもきている。「祭」と染め出した法被にねじり鉢巻き姿の中学生男女十数名。この獅子舞の構成は、大太鼓2、小太鼓2、拍子木1、獅子は1頭で男生徒2人が操り勇壮に舞う。


 (4)お旅 獅子舞が終るといよいよ神輿の町内巡行(お旅)がはじまる。行列を組んでダンジリ以外は正面鳥居を経て表参道の石段を降りる。
 お先幟―天狗―神号額―宰領人(神輿の責任者)―八坂神社神輿―供馬(馬幟)―宮司―当屋―天神社幟―天神社神輿―太鼓(大小各1)―長持(神饌)の順で進む。この行列の最後に境内北側の道路へ出たダンジリ(台車があり2本の太いロープを数十人で引く)が加わる。昔はヨイヤショも2台お供したが昭和30年ごろから舁き手が少なくなって休んでいる。
 お旅は神事場(お能場)を定められた順に西地、西山、東地、休場(やすば)と巡り、各神事場で神饌を供え奉幣行事を行う。神事場での正式行事が終ったあとは神輿とダンジリは別行動で、それぞれ氏子の家々に立ち寄る。神輿が太鼓を打ち鳴らしながら氏子の求めに応じて玄関先へ「お入り」すると、舁き手に酒食がふるまわれる。約50軒ぐらい回っている間に夜も更けて、神社へお入りするのは夜中の11時ごろになる。かつては、お入りが夜明け近くになったり、ときに何日も舁ぎ回ることもあり、その「お勇み」ぶりは小野の八幡神社の神輿と並んで有名であった。

2.当屋のつとめ
 (1)神輿当屋 昭和14年の「滝宮神社氏子組諸事決議録」に次のような神輿当屋の規定がある。
 一.神輿当屋組割当
  氏子中ヲ三組トシ西地西山ヲ以テ一組トス
  東地南組長瀬上ノ原ヲ以テ一組トス
  東地中組同北組ヲ以テ一組トス
  神輿守ハ定員十六名トシ其他ノ役割全部ハ当屋組ニ於テ実行ス 但シ神輿守リ五名ヲ中屋馬越組二名平良石大床組二名高岩組一名以上ノ五名ハ毎年神輿守リニ参加ス
 二.神輿ノ氏子組中各戸ェノお入リハ自今絶対ニセズ厳守ノ事
 三.各組ニ於テ神輿守中ニ神輿ニ対シ損傷ヲナシタル場合ニハ其ノ神輿守組ハ責任ヲ以テ修繕シテ次年度組ニ引継モノトス
 四.神輿ノ神事場ニ於ケル神事行事ハ従来ノ通リトス
 五.神輿ノ当屋祭リハ額ト鏡ト御神号軸金幣水引提灯御供物ハ三宝五個以上トス但シ神輿ハ絶対ニ当屋祭リニ持コマヌ事トス
 六.神輿守ノ道順ハ神前ノ鳥居ヲ経テ第一神事場(神社裏)第二神事場(西山堂)第三神事場(東地)以上行事終了後東地中組同北組ヲ廻リ西地へ帰ル事


 この規定のうち神輿守の当屋組以外の5名は、昭和63年の改正で長瀬、上の原各1名を加えて7名となり全体の定員も増えている。当屋組から出す神輿守以外の役割は、宰領人、お先幟、天狗、神号額、太鼓舁などで、当屋組の行事は次のようである。
1 精進入(しょうじり)(13日) 神輿守が境内の神輿倉から神輿を出し当屋に運んで準備をする。飾りつけた神輿を玄関又は表座敷に据え、竹矢来で囲いお供えをして宮司のお祓いを受ける。
2 本祭り(15日) 神輿守他所役全員当屋に集まり、会食ののち宮司のお祓いを受け、神輿をお宮へ運ぶ。神輿に御霊代をお遷しし、所定の神事場を一巡したのち氏子の家々を回り、途中当屋入りして酒食をふるまわれ、神社へお入りするのは深夜となる。
3 祭りの翌日(16日) 神輿守は神輿その他の祭具を整理して神輿倉に納める。
(2)馬当屋 氏子の各地区で1軒ずつ当たる。昔は馬を引いて神輿のお供をしたが、戦後馬がいなくなって馬の絵を描いた幟で代用している。平良石が先頭(お先馬)である。
1 精進入(13日) 各地区で定めの場所に祭礼幟を立てる。また馬幟を立て、その四周に忌竹を立て〆縄を張る(かつては馬を囲った)。西地を中心にお宮や馬場の掃除する。
2 本祭り(15日) 馬幟を持って神輿のお供をする。
3 祭りの翌日(16日) 幟をおろした後、馬当屋へ氏子全員が集まり次年度の当屋をくじで決め、当屋帳の申し送りを済ませて小宴を開く(帳破り)。
(3)ダンジリ当屋 神輿当屋と同様に西地、西山、東地南、中、北の持ち回りとする。
1 ならし(稽古打ち) 祭りの10日ぐらい前から毎晩乗り子(大太鼓1、小太鼓2、鉦2)のならしをお宮でする。
2 宵出し(14日) 宵祭りから豪華な布団などで飾り立てたダンジリを出す。
3 本祭り(15日) 当屋で昼食をしてお宮へ行き神輿のお供をする。お旅のあと乗り子の家や氏子の家々を回り、当屋に立ち寄って夕食をし、提灯に灯を入れて夜も氏子巡回をして終る。


(4)ヨイヤショ当屋 昔は東地で1台、西地と西山が合力で1台出していた。乗り子(4人)のならしを当屋で行い、宵祭りと本祭りに出していたが、現在は舁き手が少なく休んでいる。
 以上みてきたように八坂神社の秋祭りにはヨイヤショの他はほぼ昔どおりの祭礼行事が行われている。氏子のすべてと思えるほど大勢の人が集まり、境内の露店には玩具屋もあって昔の大市の面影を残している。神輿の御霊(みたま)入れのときの社殿を揺がさんばかりの激しいお囃(はやし)には度肝を抜かれた。大人の神輿に負けじと小神輿を誇らしげに舁く子供たち。ダンジリの乗り子は華麗で、数十人の引手の中にも大勢の子供たちが喜々として加わっている。獅子舞の主役も中学生。ここの祭りには老若男女が一体となって楽しむ昔の祭りが生きている。小野の八幡神社(10月15日)がさびれてしまった今は、文句なしに半田を代表する祭礼といえよう。他には逢坂の建神社(10月15日)でお旅に馬幟とダンジリがお供をしているのと、日浦の石堂神社(10月22日)でダンジリやヨイヤショが祭りを盛りあげているくらいだ。


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