阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第38号
半田町の植生

植生班(徳島生物学会)

   西浦宏明1)・森本康滋2)・

   石井愃義3)・友成孟宏4)・

   鎌田磨人5)・井内久利6)

1.はじめに
 自然環境は、大気、気象、地質、地形などの非生物的環境と動物、植物の生物的環境に分けられ、それらは相互に密接に関連しあっている。そのうち植物群落は、その土地のもつ非生物的環境を総合的に反映する存在であるとともに、人間と自然とのかかわりの歴史を刻んだものと見ることができる。それは、伐採、植林、耕作、火入れといった人間の影響が植物群落の存在を左右する大きな要因となっているからである。
 したがって、ある地域に存在する植物群落を究明することは、その地域の非生物的環境を知ることにもつながり、人間が自然とどのようにかかわり、生活してきたのかを明らかにすることにもなるのである。
 近年、自然環境の保全が重要な社会問題となっている。身近では、ゴルフ場建設問題やブナ林の保護が話題となり、視野を広げれば熱帯多雨林の減少や、地球温暖化が関心を集めている。今こそ自然を正確にとらえることが必要であり、それをもとに自分たちの生活を見直すことが求められているのである。
 自分たちの住む地域の植物群落を探求することは、環境問題を正しい視点でとらえることにつながり、より豊かな地域社会を創造するための原動力となる。
 今回、半田町の植物群落について、種構成や分布を調べ、現存植生図を作成した。これは、半田町の自然環境の保全、管理および利用のための基礎的資料となり、半田町の発展に資するものと考える。
 調査にご協力いただいた半田町の関係者の方々には心から御礼を申し上げたい。

2.調査地の概況
 半田町は徳島県西部に位置し、面積は51.52平方キロメートル、人口は約7000人である。北側は吉野川を介して美馬町に接しており、南部は山地となって、海抜 1000m 前後から 1500m の山々とそれをつなぐ尾根によって一宇村に接している。東および西は、南に行くほど高くなる山々を境に、それぞれ貞光町、三加茂町、東祖谷山村と隣接している。町内には吉野川の支流半田川が北流し、それに沿って狭い平野部があるが、ほとんどは山地となっている。
 半田町で最も高い地点は白滝山(1526m)、最も低い地点は吉野川の河川敷(50m)であり、町内で約 1500m もの高度差があるため、急峻な地形が多く、多様な植生を見ることができる。
 地質は三波川結晶片岩からなる。これは砂、泥、珪質堆積物などが堆積した後、変成作用をうけて結晶片岩になったものである(岩崎,1979)。
 気温に関する半田町の資料は入手できなかったが、1989年に穴吹では年平均14.8℃、池田では13.9℃であるから、半田町中心部がこの範囲内にあると考えると、県内の他の地域と比較して、半田町はやや冷涼であるといえる。降水量については、1989年の年間降水量で 1978mm であり、県内ではやや少ない地域にはいる(徳島県,1991)。
 山地は、スギ、ヒノキの植林が広い面積を占めており、自然林は少ない。耕作地では、稲、野菜のほかタバコなども栽培されている。また、カキを主とする果樹園や桑園も多い。

3.調査方法
 調査は1991年7月31日から8月5日まで行った。各調査地点(図1)に方形区を設定し、その海抜、斜面方位、傾斜角度、高木層・亜高木層・低木層・草本層それぞれに出現する維管束植物の被度(優占度)・群度、各階層別の総植被率を記録した。方形区の大きさは、森林群落では 15m×15m、草本群落では3m×3mを標準にした。

 このようにして得られた植生調査資料を表にまとめ、群落を区分する識別種を見いだして群落識別表(表1)を作成した。
 また、各群落の配置状況を調べるために、現地調査と航空写真によって群落の相観を判定し、1/25000 地形図に記入して、半田町の現存植生図(付図1)を作成した。なお、路傍雑草群落などの面積の小さい群落は、図示を省略した。また、果樹園、桑園、畑、水田、住宅地、造成地については、区別せず、一括して図示した。

4.結果と考察
 調査によって得られた62の植生調査資料を13の群落に区分した。これらの各群落の特徴等は以下のとおりである。
(1)ダケカンバ群落(表2)
 ダケカンバは、県内では剣山、三嶺などの海抜 1500m から 1800m までの範囲に多く(森本,1985)、強風、積雪、なだれなどの自然条件が厳しい立地に林を形成している。ブナ群落が何らかの原因により破壊された後に成立した二次林(後述)と考えられている。
 半田町では白滝山の山頂にのみこの群落がある。町外ではあるが、そこから南側の矢筈山へ向かう尾根沿いには、ダケカンバの純林が多く見られる。白滝山の群落は、山頂の狭い所に樹高5m程度のダケカンバが生育し、林床にはミヤマクマザサが密生している(図2)。ナナカマドのようにブナ群落より高所に生育する種も生育しているが、コハウチワカエデ、ウリハダカエデ、シロモジ、イヌシデなどブナ群落と共通している種が多い。
 二次林とはいえ、半田町においては白滝山山頂以外には分布しない群落なので、貴重な存在である。

(2)ブナ群落(表3)
 ブナ群落は、県内では海抜 1000m 以上の山地に見られる自然林で、特に 1200m から 1500m 付近によく発達している(森本,1985)。しかし近年に至るまでに、県内のブナ群落は、各地で伐採されており、自然林として残されているものは大変貴重なものになっている。
 半田町においても同様な傾向がある。町の南部には 1000m 以上の山地がかなりあるが、スギ・ヒノキ植林が多くてブナ群落の占める割合は少なく、残存するブナ群落は町の南西部の火打山、白滝山周辺に集中している。
 高木層にはブナ、ミズナラ、シナノキ、ミズメ、ナツツバキなどが見られる。低木層は、植被率が20%前後と低く、シロモジ、オオカメノキ、タンナサワフタギなどがまばらに生育している。草本層は、ミヤマクマザサやテンニンソウが優占する所もあるが、テバコモミジガサ、オオバショウマ、シシウド、シモツケソウ、クサアジサイなどが混生している(図3)。
 ブナ群落のような自然林は一度伐採されると、元どおりの姿を取り戻すのに非常に長い年月が必要であると言われている(宮脇,1982)。したがって、安易に伐採することなく、半田町の財産として、今後保護することが望まれる。

(3)アカシデ群落(表4)
 普通、アカシデ、イヌシデ、クマシデなどの優占する群落は、ブナ群落の下部、県内では海抜 700m から 1000m ぐらいの地域に発達する(森本,1985)が、この植生調査資料は、海抜 480m の石堂神社で得られた。
 ブナ群落と同様に夏緑広葉樹を主体とする夏緑樹林であるので、相観的にはブナ群落との区別は難しいが、ほぼ 1000m ぐらいの海抜を境として移行するものと考えられる(森本,1985)。
 構成種は独自性に乏しく、ブナ群落と共通するイタヤカエデやコハウチワカエデもあるし、コジイ群落に出現するヒサカキ、アラカシ、サカキなども含まれている。
(4)コジイ群落(表5)
 コジイ群落を含むシイ・カシ林は、照葉樹林とも呼ばれ、西南日本の平野部や山地下部は、かつてはこの森林が自然林を形成していたと考えられる。しかし、この地域は人間の生活域と重なるために、人間の影響を強く受けてきている。そのため、現存するシイ・カシ林は、「鎮守の森」と言われる社叢林など、限られた所にしか無い。自然林が伐採されるなどして破壊された後にできる森林を二次林と呼ぶが、現在では、本来シイ・カシ類の自然林があった地域も、ほとんどが二次林となって、アカマツやコナラなどが優占する森林、あるいはシイ・カシ萌芽林となっている。
 このことは半田町でも同様で、コジイの優占する森林は極めて少ない。今回、植生調査資料が得られたのも、社叢林や植林に不適な急傾斜地である。
 この群落の構成種は主に常緑広葉樹であり、コジイ、ヤブツバキ、アラカシ、ヒサカキ、サカキ、アオキ、ヤブニッケイ、シキミなどが生育している。また、林床には、ヤブコウジ、ナンテン、ベニシダなどが見られる(図4)。林内は、夏緑樹林と比較して一年中暗いために草本類は少なく、木本類の芽生えが多く見られた。
 一度コジイ群落になれば、林内にアカマツやコナラなどの陽樹は生育しにくくなるために、コジイ群落として安定し、他の群落に遷移することはなくなる。この状態になった森林は極相林と呼ばれる。

(5)クヌギ−アベマキ群落(表6)
 谷に近い斜面下部に見られた二次林である。普通、夏緑広葉樹の優占する二次林では、コナラ、クヌギが主体となる。このクヌギ−アベマキ群落は、斜面下部であるためにコナラが欠けて、そのかわりに、アベマキ、ノグルミ、ムクノキ、エノキ、ナラガシワが入ってきたものと見ることができる。草本層には、アケビ、スイカズラ、ノブドウ、イタビカズラ、カニクサ、サネカズラなど、つる性の植物が多く見られた。
(6)クヌギ−コナラ群落(表7)
 コナラ、クヌギ、ヤマザクラなどの夏緑広葉樹が高木層に優占する二次林である。半田町内の二次林の多くはこの群落で、斜面中部から上部にかけて見られる。
 低木層には、トサノミツバツツジ、ヤマウルシ、ネジキなどが生育しており、アカマツ群落との共通種も多くなる。クヌギ−アベマキ群落に比べて草本類が少なく、シシガシラやコウヤボウキ、ウラジロ、シュンランなどが生育している(図5)。
 この群落はいわゆる雑木林と呼ばれているものにあたり、少なくとも一部は、薪炭林として維持されてきたものである。また一部は、松枯れによりアカマツ群落の優占種であるアカマツが取り除かれたために成立したものもあると思われる。いずれにしても、近年燃料等の変化によって人手が入らなくなっている。そのため、林内にアラカシなどの常緑広葉樹が多くなり、シイ・カシ林へ遷移しつつある所も見られる。
 このような「雑木林」は、スギ・ヒノキ植林と比較して、より多様な動物や植物の生活を維持できる力をもっている。また、将来シイ・カシ林へと遷移して行く過程にあるとも言える。したがってクヌギ−コナラ群落のような「雑木林」は、無益なものと見るのではなく、過渡的な存在ではあるが、次代の森林を形成する重要な集団として見るべきである。

(7)アカマツ群落(表8)
 半田町では、斜面上部や尾根に発達している二次林である。アカマツ群落は、クヌギ−コナラ群落の立地よりも上部の、土壌が浅くかつ乾燥している所にも成立し、林床にはコシダ、ウラジロなどが繁茂していることもある。またネズが出現することも多い。さらに、アカマツ群落の特徴として、低木層にツツジ類が優占することが多い。今回の調査地点では、低木層にトサノミツバツツジが見られた(図6)。アカマツ群落は、近年の松枯れにより県内各地でその面積が減少しているが、本町も例外ではない。
 アカマツ群落は、雨量の少ない瀬戸内地域において、花崗岩を母岩とする貧栄養な土壌の立地に広く優占しており、県内でも阿讃山地に広い分布域がある。阿讃山地と半田町の山地とを比較した場合母岩や雨量に相違があることが、半田町に阿讃山地ほどアカマツ群落が広がっていない理由の一部と考えられるが、半田町では人手の入り方が阿讃山地より少なかったこともあるかも知れない。

(8)スギ・ヒノキ植林(表9)
 これは、半田町において最も広い面積を占める人工林である。本町では海抜1400m近くまで植林がなされている。
 下刈りが行われるので、亜高木層には植物が無く、群落構成は単調である(図7)。低木層には、ニワトコ、ケクロモジ、イヌビワ、コガクウツギなどがまばらに生育している。草本層には、イノコズチ、ウワバミソウ、コアカソ、ドクダミ、シャガ、ウバユリ、フユイチゴなど陰生植物が多く混生しており、一つの方形区に30〜40種の植物が出現する。

(9)竹林(表10)
 竹林は、マダケ、モウソウチク、ハチクなどから形成されるが、もっとも多いのはマダケである。
 人家周辺に小面積の竹林が維持されている所もあるが、大規模な竹林は吉野川の河原に面して帯状に見られる。吉野川中流域の穴吹町から池田町にかけて、このようなマダケの竹林が河岸に発達している。これは、洪水の時の水勢を弱めるために人工的に形成されたと言われており、現在でも護岸の役割を十分果たしている。
 竹林内には低木類はほとんど見られない(図8)。草本層には多数の植物が見られるが、特定の植物が優占するのではなく、クサイチゴ、チヂミザサ、ヤブラン、ヤブコウジ、フユイチゴなどが混生している。

(10)ベニバナボロギク群落(表11)
 これは伐採跡に成立している群落である。森林を伐採すると、その後に、ベニバナボロギク、ダンドボロギク、タケニグサなどの草本類が最初に侵入し、次いでヌルデ、タラノキなどの木本類が入ってくる。これらに、伐採前に生育していた樹木の萌芽も混じって群落が構成されている。
 ベニバナボロギク、ダンドボロギクは伐採跡地を特徴づける植物であるが、やがて低木
類が繁茂して上をおおうと消えて行く。このように伐採跡の群落は変化が激しく、構成種の移り変わりが短期間に観察できる群落である。
(11)コセンダングサ群落(表12)
 これは、道路沿いのわずかな空地や裸地に見られる路傍雑草群落である(図9)。新たに造成された土地があると、そこにまず入ってくるのは、オオアレチノギク、ヒメジョオンなどであるが、これらは短期間に種子を多数生産する特徴を持っており、パイオニア的な性格の植物である。この群落にはそのようなパイオニア的な植物も生育し、その他にアキノエノコログサ、コセンダングサ、イヌタデ、シロツメクサなどが生育している。この群落は、人為が絶えず加わることによって成立するもので、刈り取り等が行われずに放置されると、多年生植物であるススキが大きく成長したり、クズなどのつる性植物が繁茂して、他の群落に遷移して行くことになる。

(12)メドハギ群落(表13)
 これは河原雑草群落にあたるもので、砂質の土壌が堆積した河原に草本類が入り、成立した群落である(図10)。
 帰化植物の占める割合が高いのも、この群落の特徴である。出現する帰化植物を列挙すると、オオアレチノギク、ヒメジョオン、セイタカアワダチソウ、コマツヨイグサ、メマツヨイグサ、シロザ、ケアリタソウ、アメリカセンダングサ、オオニシキソウ、マメグンバイナズナなどである。
 河原で植物の生育が見られないのは、礫のみの堆積した所である。砂質の土壌が少しでも堆積していれば、上記の帰化植物やヨモギ、メドハギなどが入り、メドハギ群落を形成する。この群落が形成されて土壌の形成が進むと、やがて、アキグミ、アキニレ、ハリエンジュ、アカメガシワなどの木本類が生育するようになる。三野町や脇町ではそのような群落が見られる(西浦,1991)ので、半田町の河原も今後同様な変化が起こると推測できる。

(13)マルバヤナギ群落(表14)
 これは半田川と吉野川が合流する付近の河原に見られる群落である。ツルヨシが水際に繁茂し、その中に、マルバヤナギ、タチヤナギ、ネコヤナギなどが点在するという景観になっている(図11)。ツルヨシは、流水に対する抵抗力が特に強く、地上走出枝が長く横に這い、繁殖力は旺盛である。増水によって冠水することがあっても、ツルヨシやヤナギ類は回復力が強い。他の植物にとって生育困難な環境で群落を形成しているのである。そのため、ツルヨシとヤナギ類以外の植物はほとんど見られない。ミゾソバ、ミズ、ヨモギ、ノイバラなどがツルヨシの中にまばらに生育しているに過ぎない。

5.おわりに
 今回の調査で明らかになったように、半田町の自然植生のうち、ダケカンバ群落およびブナ群落は極めて面積が狭く、貴重な群落であるといえる。今後この二つの群落については、手厚く保護して行くことが大切である。また、半田町の海抜の低い地域の原植生はコジイ群落であったと思われるが、二次林的要素は含むといえ、現存のコジイ群落はその原植生の姿を窺い知る上で重要な意味を持つものであり、保護してゆく必要がある。そのためにも、社叢林の十分な保護を望んでおきたい。
 この調査結果が、半田町の自然環境を知る上での基礎資料として活かされ、植物群落に対する理解が深まることを望んでいる。そして、半田町が豊かな自然を残しつつ、調和の
ある発展をされることを願っている。
6.要約
 1991年7月31日から8月5日まで半田町の植生を調査し、現存植生図を作成した。半田町では、耕作地、住宅地、造成地を除いて、次の13群落が識別された。
 1.ダケカンバ群落
 2.ブナ群落
 3.アカシデ群落
 4.コジイ群落
 5.クヌギ−アベマキ群落
 6.クヌギ−コナラ群落
 7.アカマツ群落
 8.スギ・ヒノキ植林
 9.竹林
 10.ベニバナボロギク群落
 11.コセンダングサ群落
 12.メドハギ群落
 13.マルバヤナギ群落

参考文献
1.岩崎正夫.1979.徳島の自然「地質」.徳島市中央公民館.
2.宮脇 昭.1982.日本植生誌 四国.至文堂.
3.森本康滋.1985.徳島県の植生.阿波学会30年史・記念論文集,179-195.阿波学会・徳島県立図書館.
4.西浦宏明.1991.吉野川流域の河辺植生.徳島県高等学校理科学会誌,32:25-35.
5.徳島県.1991.平成元年徳島県統計書.徳島県.

 

1)池田高等学校 2)阿南工業高等学校 3)徳島大学総合科学部
4)北島小学校  5)徳島県立博物館  6)川島高等学校


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