阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第37号
近年の松茂町産業と社会の変動

地域問題研究班

 中嶋信1)・三井篤1)・西村捷敏1)
 中谷武雄1)・榎本悟2)・渡辺廣二3)
 小田利勝1)

はじめに
 松茂町は1962年の「新産業都市建設促進法」に基づく工業化地域に位置づけられ、多くの企業の新規立地を経験してきた。また国道11号バイパスの貫通や空港のジェット化など、高速交通体系整備の動きの中でも中核地としての性格を与えられてきた。このために地域の産業と社会構造は激しい変貌を示してきた。私たちの調査は高度成長期以降のその変貌過程を跡づけることと、今後の松茂町の産業と社会の振興に当たっての地域的課題を検討することを課題とした。以下に人口および産業構造に重点を置いて調査結果を報告する。

1.人口構造の特徴
 1)人口増加の条件
 松茂は1961(昭和36)年に町制を施行した。1958年には海上自衛隊徳島航空隊が旧軍用地に開設され、1962年には新産業都市建設促進法の指定地域に組み入れられている。現在の松茂町を特徴づける空港と工業団地の基礎が町制施行前後の時期に整えられたことになる。以降の住民人口・労働力人口の推移を表1で確認しよう。

 町制施行後は人口の一貫した増加を認めることができる。1960→85年の間に人口総数は42.4%の増加を示した。また労働力人口も39.1%の増加を見せている。次に内部構成では年少人口の相対比率の減少と老齢人口の増大傾向を認めることができる。一般的に「高齢化」と総称される現象だが、そのテンポは県全体の動向よりもはるかに低いことを確認し得る。1985年の年齢別構成比を確認しよう。15才未満、15-64才、65才以上のそれぞれの値は、松茂町:22.8、67.4、9.8であり、徳島県:20.3、68.7、11.0と、相対的に松茂町では年少人口比の高さ・高齢者比率の低さを保持している。
 このような人口構造の推移は徳島県にあっては少数例に属する。県全体では70年代後半以降に人口の回復を実現したとはいえ、高度経済成長期は一貫した人口流出基調を貫いてきた。この結果6割におよぶ過疎町村を擁することとなり、若年層流出の所産としての高齢化現象を招いてきたのである。徳島県全体の1980→85年の人口総数の増加は1.2%にとどまったが、松茂町のそれは7.5%におよんだ。また同期県全体の年少人口の動向はマイナス3.0%であるが、松茂町はプラス1.6%であり、人口構造の基調は県の一般的姿とは明らかに異なっていると見るべきである。
 その事情を検討するために表2を示す。ここでは人口の自然・社会増減の各実数を推計人口で除した値が年次毎に示されている。増加基調が一貫していることは明らかであり、それは主に社会増減の寄与が高いとみることができる。表2では社会増減で70年代後半および80年代後半に高い値を確認できる。その要因は以下のように捉えられる。1974−75恐慌を契機に高度経済成長は破綻し、構造不況期に入る。この時期には「Uターン」と称される地方圏への人口還流が確認されるが、松茂町でも転出率の後退が現れる。またこの時期に町営住宅整備が進展するが、74年に徳島県住宅供給公社の分譲団地が完成し、相対比で転入者の増大が上回ることになる。

 また、松茂町を舞台に国・県などの事業による社会資本の整備が引き続いて急伸する。徳島県開発事業団の松茂工業団地造成工事は76年に完成、80年の11号線広島インターチェンジ完成、83年の空港のジェット化などをその指標としてあげることができる。このようにして地域の社会経済基盤整備が進行し、85年の松茂ニュータウン完成と共に新たな転入人口の増加を招くのである。
 なお自然増減は増加基調で安定的に推移している。転出基調の強い地域では若年層減少に伴う出生率の低下や、高齢者増に伴う死亡率の増加が現れがちであるが、社会変動が入超基調であることの所産である。
 松茂町の人口構造の特徴を規定づける要因を簡単に確認した。町が高速交通体系整備の要地とされ、徳島東部工業団地に位置したことから、国・県および民間の積極的な投資が松茂町に展開されたという幸運が大きく与っていると見るべきである。
 2)住民の生活圏の広域化
 住民人口の増加と共に住民の生活圏域も大きく変化している。表3は通勤・通学圏域の変化を示す。工業団地の配置などにより町内の雇用機会は拡大したが、それは必ずしも住民の雇用増大を意味しない。表3からは住民で町内で従業している者はほぼ横ばいであることが分かる(町内に高校がないため、町内通学者は少数〈85年は112人〉である)。一方、町外に従業・通学する者、町外から通勤する者は著しい増加を見せ、85年ではそれぞれが住民人口の4分の1に相当する。多くは徳島市・鳴門市が対象地であるが北島町・藍住町との交流も少なくない。

 これらの数値から松茂町での雇用機会の拡大が、主要には町外からの就業者を吸収してきたことを確認できる。また、町内住宅団地に新たに町外から転入した層が、日常活動では転出地との関係を維持し続けていることも推定できよう。このように工業団地・住宅団地の形成によって人口の広域交流が進展してきたのである。松茂町は、徳島市を中心とした広域的な徳島東部地域の工業地域、新興住宅地としての性格を次第に強めている。
 ところで人口急増地域では、共同生活の単位としての住民組織が未成熟なために、新旧住民の感情的対立など特有のコンフリクトが発生しがちである。定住環境整備にあたってはコミュニティの形成が独自に追求すべき課題として設定される必要がある。この点で、「町づくり運動」など、行政の主導的役割が求められるが、昼間人口と住民人口とのギャップに加え、地域への帰属意識が希薄な住民が少なくないことから、特段にきめ細かな行政対応が要求されるのである。
 中核都市周辺部での人口増加は全国的に確認されている。これらの地域では共通して、新規行政需要が拡大して市町村財政問題を発生させているが、松茂町の場合は積立金も豊富であり、財政運営は順調である。これは担当者の努力にもよるが、国・県など外部の事業主体の主導に加え、自衛隊基地周辺整備に関わる財政支援もあり、都市施設整備の財政的負担を相対的に緩和したためと見ることができよう。しかし新規に流入する住民のライフスタイルに応じて次々と行政課題が発生することから財政見通しには楽観は許されず、都市施設整備では長期的対応が求められている。
 このように中核都市周辺に位置する地域には独自の行政課題が発生している。議会・行政がこれに効果的な対処を図ることになるが、前述のように生産・生活部面での広域化が進展しているという事実に立脚するなら、広域的な視点が強められるべきであろう。行政単位を越えた広域生活圏が形成された地域では、住民生活の構造と公共施設配置とのギャップが発生しがちである。松茂町という行政単位のみにとどまらず、徳島東部地域全体を視野にいれた広域的行政対応が提起されるべき時期といえよう。

2.地域産業の動向
 1)産出額の構成
 松茂町の産出構成は全体に高い伸びを示していることが基本特徴である。表4は、松茂町における地域産業・純生産の推移を示したものである。松茂町における産業の純生産額は、当初より3次産業の比率が高く、2次産業もかなりの比率を占めている。それぞれの変動は、傾向としては1次産業の若干の減少と2次産業、3次産業の若干の増大が見られるもののほぼ横ばい状態を呈している。

 部門別には次のような特徴を示す。一般的な傾向として農業部門の後退が認められがちであるが、松茂町の場合は農業がレンコン作付けなどで高収益性を実現しており、堅調な推移を見せる。次に、第2次産業に関しては一貫した増加基調が貫かれている。建設業がほぼ横ばいの状況で、製造業は増大の傾向である。1975年以降、地方圏経済は「産業空洞化」の影響を受け、80年代後半以降はさらに産業の分解傾向が強められ、スクラップ部門も発生を見ているが、松茂町は安定的基盤を備えているといえよう。他の産業配置上の特徴は空港業務に関わって「運輸・通信」部門の肥大化が顕著なことである。なお、一般的傾向としてのサービス産業化の動きも近年は高まりを見せているが、商業部門の実額で停滞・相対比の低下など、第3次産業の内部構成の変化が確認される。
 また、上述の関係を就業人口構成で確認したものが表5である。農業就業者の堅調ぶりや製造業・サービス部門の増加を容易に読みとることができる。

 2)経営構造の重層性
 松茂町の製造業の動向を表6に示す。ここでは3人以下の事業所(87年で10)が省略されているが、従業者数・出荷額ともに安定的に増大していることがみとめられる。さらに、従業者1人当たりに換算した製造品出荷額の値は、徳島県の平均と比較してみると、1977年の県平均値は997.03万円で、松茂町はその98%の値であった。だが、1987年の県の平均値は1,659.32万円で、松茂町は106%の値となり、松茂町においては県平均よりも高い位置にシフトしている。

 相対的高生産性を実現した企業群が少なからず存在する事が松茂町の産業の伸長の中軸をなしているが、同時に小・零細規模の企業も多数存在し、地域の経済基盤を構成している。ここで留意されるべきことは、事業規模およびそれに規定される技術水準の大きな格差が地域内で形成されていることである。小・零細規模層の場合には、多くの経営問題を抱えている。とりわけ若年労働力確保では大規模事業所との競合関係に立つことから、労働力問題を契機とする事業所の分解が今後に予想される。それは地域経済の調和的発展にとり好ましくないので、小・零細事業所の経営改善に向けて何らかの地域的対処が必要である。
 表7は、昭和62年度における松茂町製造業の生産性を検討するために主要な内訳を示したものである。従業員規模別の事業所分布は、4-9人:15、10-19人:7、20-29人:8、30人以上:11である。事業規模は零細企業も比率的には多いが、30人以上の事業所のウエイトも少なくない。業種は多岐にわたっているが、強いて言うならば、木材・家具関係が13社、食料関係が7社で、生活関連産業に比重が高い工業地域とみることができる。また他には、金属・機械9社、窯業・土石3社などがある。製造品出荷額については30人以上の規模、または食料・木材・家具関係で大部分を占めている。
 表7で従業者1人当たりに換算した製造品出荷額・粗付加価値額の値を確認しよう。従業員規模にほぼ正比例して格差が形成されているといえよう。また、産業部門間でも生産性格差を認めることができる。生産性が相対的に低い事業所の底上げが地域産業の課題のひとつといえよう。

3.構造転換と地域経済の課題
 1)流通再編と小売商業
 構造転換政策が展開されており、地方圏経済にもその波及が予想される。その第1は通産省の『90年代流通ビジョン』(1989.6)に示されているように、中小・零細流通業者の整理・淘汰が強まることである。「ビジョン」では流通の効率化の徹底を通じての構造改善が基本目標とされており、その担い手として大手流通資本と中小業者の中の「積極的部分」が想定されている。従って今後の政策誘導の中で大部分の中小・零細業者の切り捨てが見込まれる。事実、「ビジョン」の先駆けといわれる千葉県野田市、扇屋ジャスコ・ノア店の例では旧来の商店街の激しい地盤沈下と経営の分解が発生している。
 松茂町の場合は旧道や国道沿いに最寄品中心の店舗が分散的に立地しており、徳島市と鳴門市の商圏下への購買力流出を経験してきた。今後さらに道路交通網の整備が進み、高速交通体系とのリンクが予定されていることから、現在の商業地域の機能の低下や大きな商業集積拠点への購買力移動が強まることになろう。表8は松茂町の小売業の近年の不振状態を示している。既に町内での流通再編の動きは進行中で、大規模小売り店の出店用地確保がバイパス沿線になされている。松茂町商業はこれまでも徳島市などの商業者の積極戦略に影響されて、地域におけるシェアを縮小させてきた。今後、地域商業の分解が急伸することを防止するための何らかの組織的対応が図られるべき時期といえよう。

 2)混住地帯の農業経営環境の変化
 松茂町農業は徳島県内でも有数の面積あたり収穫額を保持している。レンコン・カンショ・ダイコンなどの近郊型集約農業が定着している。農村部で問題とされがちな後継者確保についても十分な見通しを得ており、農家経営内容の成熟を確認できる。地域農業は経済的機能だけでなく、「田園的詩情をたたえたうつくしいまち」の環境・景観保全に重要な役割を果たしているが、それが可能となるのは経営内容の良好さに基づいている。
 多くの可能性を有する地域農業であるが、その外部環境は悪化しつつあるといえよう。ひとつには構造転換政策の誘導により本州資本等による地方進出が急であり、その結果、土地取得の動きが活発化している。鳴門市ではリゾート関連用地の取得が極端な地価変動をもたらしているが、松茂町においても高速交通路周辺部を中心とする地価上昇が見込まれる。このような動きはさらに農地問題を深める事になろう。また、松茂町は典型的な混住地農業であり、農作業や土地利用をめぐっての農業者・農外住民双方の摩擦も深化しつつある。それは用排水問題、農業廃棄物処理問題など、従来の農村の経験を越えるものであり、かつ新住民の増大に比例して問題は深まらざるを得ない。
 全体として土地が狭小である事から、とりわけ町全域の土地利用計画で住民合意を形成する事が地域振興上の重要課題である。その際、農業用地の保全は計画の要点となるが、その前提として、地域社会にとっての農業の役割・意義が住民に十分理解されるための措置が検討されるべきであろう。
 3)経営の国際化と地域的支援体制
 経営の国際化も構造転換政策の中心眼目であり、資源・労働力確保などで海外展開を図る事業所が増加しつつある。松茂町においても中小事業所の国際化対応が急である。今次の地域内の事業所に対する聞き取り調査に基づくなら、その特徴は「協力下請け機能の海外移転」と表現することができる。今後も労働力確保型の進出が見込まれるが、方向としては「資本参加の合弁方式」として名実ともに相協力して事業を永続的に推進していく体制が望まれる。
 ところで地場中小企業の海外進出ではいくつかの問題を抱えている。海外進出先である投資市場の成長性を目的とした欧米向けと、人手不足解消のためのアジア向けとに分けることが可能であるが、松茂町の場合は後者が中心で、概して消極的な性格にとどまっている。海外進出の方法では、現地パートナーに対し、当初は資本参加をせず、技術指導を図りつつ委託生産加工を推進する方法、ならびに最初から合弁でスタートし、現地経営の永続的発展を図る方法などがあるが、松茂町の場合は殆んどが前者によっている。進出に当たっての最大の問題は現地パートナーの選定にある。多くの場合、経営者の個人的力量に委ねられているが、本格的進出には海外パートナーとのマッチングで有益な情報を提供するような何らかの支援体制整備が図られる必要があろう。また、国際化戦略を担う人材の養成が遅れているという問題も指摘し得る。語学力をはじめ、現地パートナーとの協力関係の中でマネジメントを効果的にすすめるための人材教育体制が必要とされている。
 これらの課題に対処するには個別中小企業の限界性は明らかであり、地域的な支援体制整備が求められるべきであろう。各企業の経営者からの聞き取りからは、地方経済界同士の結びつきや地方公共団体の支援機能が弱い事を確認し得る。事業の国際化にともなう多くの困難を効果的に解決するための支援組織を地方公共団体の指導援助によって実現すべきであろう。また、多くの地元有力企業が世代交代期を控えており、後継者育成も今後の課題となっている。これについても企業間の連携強化や異業種交流など、組織的対応が求められる。このような課題は基本的には私企業の責任で解決されるべきとの判断もあろうが、松茂町の場合は中小・零細企業のウェイトが高く、その動向は地域経済を左右するという事実に立つならば、地方公共団体および経済団体の指導力量が十分に発揮されるべきといえよう。

おわりに
 松茂町は、空港の整備、工業団地の建設をほぼ完了し、いきいきした都市活動をもち、田園的詩情をたたえた美しいまちづくりをめざしている。しかし、かつて工場誘致に成功した地方自治体にも問題がないわけではない。地方財政を潤した固定資産税は、今日の機械設備を中心とした工場では機械装置などの償却資産が主対象となるので、年々の減額が著しく、今後の自治体財政への恩恵が減るところが少なくない。また、生産工程の合理化、ロボット化が進むなかで、工場内の物流工程などは、当然将来の合理化の対象となるため雇用の減少が懸念されるところである。現に松茂工業団地の雇用も当初計画を大きく下回っている。また、構造転換政策の展開は地方圏の産業と社会に新たな混乱を発生させ得ることも予想されている。
 松茂町はこれまでの順調な地域振興の実績に確信を持つと同時に、今後の地域振興のあり方を慎重に検討する事が求められている。従来の地域振興策、即ち財政援助や工場誘致など外部からの力を頼む方式だけでは解決できない問題が山積している状況にある。従来の行政旗ふりの補助事業ではなく、地域の、地域住民の主体的事業として、地域の内なる力を発掘し、時代に適応する産業基盤を形成する必要に迫られている。それは、ただ地域の生産を高めるだけでの単純な産業振興施策ではなく、それにより地域の生活を豊かにし、それがまた地域の産業を誘発する内発的地域振興のサイクルを作り出す総合的な事業であるべきだろう。その方向について、住民の幅広い論議が起きる必要があろう。幸い「松茂町町民会議」の機構が整備されていることであり、その真価がいっそう発揮されることが期待されるのである。
 この報告はそのような論議に若干なりとも貢献することを企図している。この調査を進めるに当たっては、松茂町役場・教育委員会をはじめ多くの機関・個人のご協力をいただいた。ご多忙の中、私たちの身勝手な注文に好意的に対処していただいたことに、末尾ながら感謝申し上げたい。これらのご協力に対して報告書が十分応えていないのではないかとの批判には、より立ち入っての要請に対しては補足報告を行うのが調査に便宜を払って下さった方々への責務である、という私たちの姿勢を示すにとどめたい。
 この報告書は調査班長・中嶋はじめ7名の調査参加者の論議と素稿をもとに中嶋が編集した。また、徳島大学総合科学部に事務局を置く「地域問題研究会」において、課題設定や資料検討の作業を行った。

1)徳島大学 2)岡山大学 3)鳴門教育大学


徳島県立図書館