阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第37号
松茂町の川漁具

民俗班  西田素康

 松茂町における港は県営管理第2種の長原漁港である。紀伊水道海域で吉野川から北方約3km に位置し、吉野川水系今切川の河口港である。ここを基地とする長原漁業協同組合は、漁業組合法が公布された翌年の明治34年9月に設立されたという古い歴史をもつ。
 明治以降は主にいわし地曳網で、獲れたいわしは煮干(いりじゃこ)にして徳島や阪神方面に多量に出荷された。
 古びた漁村風景を連想して訪れた長原漁港は、鉄筋コンクリートの組合事務所と倉庫、その前面に広がる近代係留施設を備えた岸壁、そして最新装備をした漁船群の接岸風景であり、そこには民俗調査の、まして今回の主題である河川漁具調査の入りこむ余地のないものがあった。ちょうど貝桁漁法によるバカガイの採貝期で、小型機船底曳網により採れたバカガイの選別作業を写真1 のようにしていた。ふるいにかけて大小の区別をする。3cm 以下の小さい貝は採ってはいけないのだ。

 加賀須野橋と新加賀須野橋のほとんど中間地点に小漁港がある。小型漁船が20隻ほど係留できる小港で、地図でみると池・湖の記号がついている。このあたり大字広島の地域は、今切川と旧吉野川が迫ってくる松茂の中心地で町役場もある。魚介類の豊富な(かつては)2つの大きな河川を抱えるため当然内水面漁業の営みが考えられるが、町の発展の進歩の方が速く、また川の汚染もあり内水面漁業で生計をたてている人はほとんどいない。
 もう現役は引退しているが、前述した広島字鍬の先の漁港を根拠地として、遊漁を楽しんでいる人がいる。明治43年5月20日生まれ、81歳の市橋巌さんである。このたびの調査でいろいろとご教示をいただいた。
  うなぎ漁法
 1.竹筒漁法
 もじともいう。松茂ではつつと呼んでいる。70cm ほど輪切りにした孟宗竹筒を5本ほど束ねたものを一晩川につけておき、明くる朝引き上げるのである。そのつつは数百組の量ですべて船で操業する。竹筒は現在ビニールパイプとなっている。(次頁・写真2 )

 2.柴つけ漁法
 柴つけ漁法は文字どおり柴の束を川につけておき、つつと同じように翌朝あげる。1t〜2t ぐらいの船を櫓で漕いで船上で束にくくりつけた紐を引き上げ、柴玉網(写真3 )で受けるのである。小さなうなぎは柴の中に残ることもあるがほとんどタマの中に落ちる。

 3.ザイ漁法
 ザイ漁法は一名ズズブシともズズグリ(数珠繰り)ともいうが、ミミズやゴカイ、蛙などを餌にして糸にとおし仕掛けておく。濁った川のところが功を奏する。うなぎのほか川蟹なども釣れる。

4.うなぎかけ
 うなぎかけは鉄製のひっかけを長い竿の先にくくりつけ、水底をかきまわしてうなぎをひっかける漁法である。写真4 のように長い柄の先に曲鉤をつけた薙刀ようのもの。
 市橋巌さんのうなぎ漁は主として柴つけで昭和55年頃まで採漁していた。柴束は鳴門市北灘町粟田で購入しトラックで運んだという。12月頃に注文するが一把直径7cm ほどの丸いものが200円、輸送費が100円かかり結局コスト高で採算がとれず中止したという。漁は八十八夜(5月)ごろが一番うなぎがつき一把に5〜6匹はゆうに採れた。最高で500把ぐらいつけていたのでかなりの重労働である。これらのうなぎは鳴門市大津町徳長の問屋へ持参して買ってもらっていた。

 えび網
 けたすえびやあなごを獲る漁具でややともいう(写真5 )。鮒や魚あらを中に入れ宵の日に川につけておき翌朝引きあげると10匹ぐらいのえびが入っていた。農薬のためもう漁はできない。

 まえがき(写真6 )
 この道具は川漁具のひとつではあるが、主として使用するのは農家であってプロの漁師はほとんど使用しない。田の用水路にひそんでいる寒鮒を獲るものである。氷が張りつめる冬の寒い日、鮒が水中にもぐっているのをまえがきでさびると鮒や雑魚がすくえる。寒鮒は寒鯔と共に美味といわれる。

 クワ(蛤用)(写真7 )
 蛤漁については、今切蛤または吉野川蛤といわれ全国的にも有名である。貝が大きくしかも実がいっぱい入っていて甘いというのが定評で、京阪神はもちろん関東方面へも出荷し、漁業者の冬期の経済を支えていた。昭和30年代養殖のりの台頭とともに衰微し、現在ではほとんど採貝されていない。70〜80名の組合員が漁についていた。

 タコ舟(写真8 )
 生け簀またはいけ舟というが、長原ではタコ舟またはタコという。タコ壷から捕獲したタコを水中で生かしたまま貯蔵したことからタコと呼んでいるが、小型定置網で獲った魚(時には500〜600kg)を入れるのに使用したものである。昭和50年代まで使用されていた。この写真8 のタコ舟は小型のもので全長 73cm であるが、通常3m、大きいものでは5m のものがあった。使用者は魚の仲買人で魚を遊魚しておき、必要の都度売買したもので、材質は杉または欅である。

 しじみかき(写真9 )
 全長 80cm、幅 37.5cm の鉄製品。28個のツメがありその間は 1.5cm なので、しじみ・あさりが十分に獲れた。穴に長い棒をさしこんでひとりびきするもの。

 貝桁漁法(バカガイのクワ)(写真10 )
 バカガイの採貝は戦前から現在を通して行われているが、漁具のクワは蛤用のそれと比較してほとんど変らない。いわゆるマンガン漕漁具の縮小版で小型機船底曳網漁業の一種である。蛤用のクワと比べてツメの数が多いのが特徴で、採貝方法も漁具も旧慣行のままである。操業期間は5月24日〜9月31日までと、12月1日から翌年4月30日までの長期間である。今切川や吉野川小松で獲る。1t 少々の5〜6馬力の小船でしかも午前中だけで 1,500kg も捕獲したことがあった(森通夫氏の話)が、現在では数隻の船が出漁して獲った量が平均の 30kg ぐらいであるというから、いかに獲れないかが理解できる。冒頭に述べたように選別されたバカガイは遠く愛媛県西条から買付けにきており出荷されている。
 貝桁漁業は乱獲防止のため夜間操業は禁止されており、また漁具も全長2m 未満、網目6cm 以上、漁法も2そう曳きの禁止などの制限がある。サルボウ(赤貝)ハマグリも同様である。

 たこつぼ(写真11 )
 操業期間は1月1日から12月31日まで、つまり年中である。冬場は漁獲高も少ないが、ノリの養殖が始まるので、ノリのセットの間にタコツボをしかけておく。昔は素焼の陶器製であったが、現在ではプラスチック製のタコツボ(全長 30cm、高さ 16.5cm、直径 14cm、口径10cm)を1cm ほどのナイロンテープでしばり、水深7〜8m の底質貝殻砂まじり帯に石のおもりをつけて沈めておく。浮木(アバ)を目印としてつけておき1〜2日放置後引き上げるとタコツボ1個に1匹のタコが入っている。タコをツボから出した後は、再びツボを海中に投入してゆくという仕かけである。


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