阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第37号
松茂町の社寺建築

郷土建築研究班

 橋本国雄1)・富田真二2)原政仁3)・

 松永佳史4)

はじめに
 松茂町は吉野川河口のデルタ地帯に位置し、町名にみられるように、町を縦横に囲繞する堤防上に松並木の続く町であった。しかし近年急速に都市化が進んでおり松並木も部分的にしか残っていないのは残念である。私達郷土建築研究班は建築班と共に、社寺建築と民家を合同で調査したが、ここでは社寺建築についての報告をする。なお本調査には京都の建築家木下龍一氏も参加され調査に協力していただいた。

目次
1.松茂町の神社
 1−1 神社一覧表
 1−2 各神社
2.松茂町の寺院
3.松茂町のお堂
4.松茂町の西国三十三番観世音
5.おわりに

(凡例)
1.春日神社(中喜来)
2.春日神社(笹木野)
3.三神社(長岸)
4.三宝荒神社(豊岡)
5.珠伽神社(広島)
6.春日神社(広島)
7.荒神社(中喜来)
8.蛭子神社(中喜来)
9.住吉神社(住吉)
10.若宮神社(長原)
11.豊岡神社(豊岡)
12.出雲神社(豊久)
13.三社宮(広島)
14.野槌神社(笹木野)
15.龍王神社(豊岡)
16.招魂社(豊岡)

A.観音寺(長岸)
B.呑海寺(中喜来)
C.不動院(広島)
D.観音堂(中喜来)
E.観音堂(笹木野)

1.松茂町の神社
 1−1 神社一覧表

注)※1 屋根のみ木造  ※2 柱のみビニールパイプ造  ※3 額束のない中山鳥居の変形

本殿の構造………木造6か所・RC造3か所・不明7か所
拝殿の構造………木造4か所・RC造11か所・なし1か所
注)本殿の構造不明は鞘堂または拝殿内にあり確認できないが、殆どが木造と推測される。
注)RC造……鉄筋コンクリート造

1−2各神社
(イ)春日神社(中喜来字牛飼野)
 松茂町には春日神社がここ中喜来以外に笹木野と広島にもある。いずれも神社名と本殿の造りが一致しているのは県下では珍しい。すなわち春日神社名で春日造りの本殿をもっている。神社の由緒によると、天正2年(1574)に創建。寛永17年(1640)に造営し、明暦年間に改築したとある。境内建造物の配置は図のとうりである。社殿は唐破風の向拝と拝殿(3間2面)と左右に1間幅の控の間をとった幣殿(3間2面)と1間社の春日造りにつながる渡殿から成り立っている。

(ロ)春日神社(笹木野字山下)
 神社の由緒によると、万治年間(1658〜1660)に勧請して、明治5年(1872)郷社になり、松茂一円の総氏神として尊崇されている。社殿は配置図のように見事な彫刻のある唐破風の向拝を正面とし、拝殿、幣殿、渡殿、春日造りの本殿へとつながる。

 春日神社調査中に偶然夏祭りに出会った。その祭りの様子は太鼓を中心にして、回りを人々が円形に囲んで太鼓の調子に合わして注連縄(しめなわ)を両手で左回りに送りついでいく。そして注連縄に取り付けられた御幣が自分の手にくると頭を深々と下げて御幣を拝む。古老の話では奈良の春日神社から伝わったものでありこの行事を「数珠まわし」という。これは家内安全、子供の息災を願って行うものである。

(ハ)三神社
 神社の由緒によると、創立年代は詳かでないが、昔より三宝大荒神としてお祈りしていたが明治5年(1872)に荒神社と改称した。昭和21年2月3日に社殿を改築し、長岸字上ノ越鎭座の三神社を合祀してから三神社と呼ばれるようになった。

 

(ニ)その他の神社

 

2.松茂町の寺院
(イ)観音寺(長岸)

(ロ)呑海寺(中喜来)

(ハ)不動院(広島)

3.松茂町のお堂
(イ)観音寺(中喜来)

(ロ)観音堂(笹木野)

4.松茂町の西国三十三番観世音
 今回の調査中、町内の要所に小規模のお堂が見られたので少し調査してみた。町誌によると「松茂村内には、広島の不動院境内を基点として、笹木野、住吉、豊中、豊岡、満穂、豊久、徳長、向喜来、長原地区に西国三十三番の霊場がある。霊場の創設者は広島不動院住職の金亀義雄(きんきぎおう)師により、明治13年(1880)ごろ三十三番観世音の霊顕を慕い、村内有志とともに、その他の御砂を求めて帰り、松茂村内外すべての建立地に御砂をまいて約10年間に観世音菩薩の石仏の御尊体と、お堂を作って安置した」とある。

5.おわりに
 今回の調査で特に気がついたのは、まず神社の建物が全体に新しく、またRC造により簡略化したものが多いことである。建物を保存、改築する場合には、たえず「古さ」と「新しさ」が問題になる。「古さ」のどこを伝承し、どこを新陳代謝させるかが問題である。材料や工法が違うのに、安易に様式だけを伝承してよいのであろうか? 文化としての伝承を考えれば、器だけの保存だけではなく、もののありよう、人のありようからその相互のつきあいのありようまでも、一緒に保存しなければ意味がないことになる。「様式」は、その土地の風土を背景として、その時代、その時代の文化を表現している。ただ、もののありようが様式として完成するには、度重なる失敗を経験し風雪に耐えて、後にはじめてできることである。様式だけ似せてつくれば、下手に新しいデザインをするよりは、人々は安心してそれを眺められる。かといって安易に似せて再現したものに、信仰のよりどころとなる精神が、宿るかは疑問である。幸運にも調査期間中に笹木野の春日神社の夏祭りを見ることができた。そこで神社、村人の交流、祭り等が大切に次の時代へ受けつがれている様子に、調査員一同安心した。
 今後も神社の改築があると思われるが、新しい構造であってもぜひ「再現」でなく「再生」を願っている。
 最後にこの調査、報告にあたり町役場、県立図書館、町民の皆様方には多大なご協力を賜り深く感謝いたします。(文責、橋本)

◎神無田神社(熊本県)
◎木島安史設計
◎本殿は下部のみRC造とし上部は古いものを再利用している。拝殿はRC造により新しい様式としている。

※参考文献 松茂町誌
      神社誌……神社庁

1)諒建築設計事務所主宰 2)富田建築設計室主宰 3)ガル Space Design 主宰 4)YM設計室主宰


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