阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第36号
近年の土成町産業構造の変化

地域問題研究班

  中嶋信1)・小田利勝1)・

  中谷武雄1)・三井篤1)・

  宮村健一郎1)

はじめに
 土成町は徳島県の有力農業地帯に位置しており、産業構造は比較的安定した推移を見せてきた。第2次・第3次産業の相対比が次第に高まり、農家収入に占める兼業収入も増加してきたが、地域経済の基盤が農業におかれるという産業構造の基本は現在も維持されている。このため、町行政の産業振興政策の基幹は近年まで農業振興におかれてきた。
 だが、近年の外部環境の変化は地域の産業と行政に対し、大きな軌道修正を迫りつつある。つまり、「架橋」「高速道」「空港」という高速交通体系の再編成に関わる事業が急展開を見せており、土成町はおかれた「地の利」から、いわば外圧による産業再編が模索されている。その変化は土成町工業団地の完売、リゾート関連地域の地価上昇などで確認することができるが、土成町の「長期総合計画」(1987.3.)の基調の変化(農業中心の町から、農業と工業の2本柱、さらに商業と観光も含めた産業全体の活性化)にも投影している。
 その点で土成町は大きな変動局面に位置しているといえる。私たちの調査は地域の産業がこの局面でどのような展開を見せているかを確認することを課題とした。そのために農・工・商および行政の動きを検討した。以下には工業及び農業の動きを確認しながら、地域産業の課題についても言及しよう。

1.土成町産業の構成
 表1は、近年の土成町における就業人口の構成を示したものである。

表1より明らかなことは次のような点である。土成町の就業人口数は1980→85年で若干の減少を示すが概ね安定的である。ただし内部構成上の変化は進行しており、地域産業の変動を反映している。ひとつには農業就業人口が早いテンポで減少していることが認められる。このことは県が行った市町村民所得推計の結果によっても裏付けされる。つまり、総生産額は着実な増加傾向を示しているのだが、農業の生産額の絶対値での頭打ちと相対比の減少傾向が確認されるのである。農業は産業基盤を著しく弱めつつあるとみることができる。次に、第2次産業の就業者数は構成比を増大させているが、建設業はほぼ停滞的であり、この増加はおもに女性が製造業に進出を高めることによってもたらされている。一方、商業・サービス業を中心とする第3次産業はほぼ一貫した増加傾向にある。地域経済の物的生産部門に従事する層が相対的に縮小するということは全国的な傾向であるが、土成町においても同様で、第3次産業就業者の比重は85年には3分の1を越えるに至った。
 とはいえ、農業就業者が4割強と、農業に特化した地域であるという土成町産業の性格は今日も維持されている。そのことは85年の徳島県平均の数値で比較すると明かである。県平均では、農業就業人口割合は14.7%であり、また、第2次産業:28.9%、第3次産業:49.4%という就業構成を示している。さらに就業分類では農外に組み入れられるが、土成町の場合専業農家比率は約25%であり、1327戸の農家から大量の農外就業者を供給していることも確かである。つまり非農業部門といえども農家に支えられていることであり、比較的に安定した農村としての産業構造が保たれているとみることができる。

2.土成町における製造業の推移
 次に土成町の産業の内部構造を検討しよう。表2は、土成町における製造業(4人以上の規模)の推移を示したものである。

事業所数は変動がみられるが、従業者数の増大傾向を認めることができる。非農業セクターの増加で、安定的な所得獲得が期待されているのであるが、全体的には生産性の低さが確認される。表2にみるように、従業者1人当たりに換算した製造品出荷額の値は増加基調にあるとはいえ、金額の水準は高いとはいえない。ちなみに徳島県の平均と比較してみると、1977年の県の平均値は997.03万円で、土成町はその65%の値にとどまっている。また、87年の県の平均値は1,659.32万円で、土成町はその54%の値となり、土成町はむしろ相対的に地位下落の傾向にある。粗付加価値額もこの間20億円台で停滞的に推移しており、土成町の製造業の生産構造強化の課題をこれらの事実から確認すべきであろう。
 表3は、昭和62年度における土成町製造業の内訳(4人以上規模)を示したものである。

従業員規模別にみると、4〜9人が半分を占めており零細企業の多いことがうかがわれる。また、業種は多くのものを含むが、概していえば軽工業中心で技術集積の低い部門で構成されている。繊維関係が9社、木材・家具関係が8社、食料関係が6社であり、生活関連型産業の小団地が形成されているとみることもできる。製造品出荷額については30人以上の規模の8社に集中しており、業種別では繊維・木材・家具関係では大部分を占めている。なお、従業者1人当たりに換算した製造品出荷額の値は、4〜9人規模のところが高くなっており、それに反して、従業者数が最も多い繊維関係において低い値となっている。相対的に規模が大きいとはいえ、必ずしも高生産性・高収益性を実現してはいないのである。
 県営の土成工業団地が完売となり、地域には工業セクターを急拡大させて地域振興を図ろうとする機運が高まっている。そのことの可能性を否定するものではないが、現存の製造業の脆弱性は正しく捉える必要があろう。地方工場の切り捨てなど、地方圏経済の空洞化が進展中である。その構造強化の手だてを抜きにして工業化の成功はありえないからである。また土成町の建設業に従事する人口は300名を越えているが、この部門の発展は製造業における追加投資と、国・県などの農業関連事業の展開に強く規定されている。第2次産業の成長という戦略を実現させるためにはこれらにも対処が求められよう。

3.土成町農業の動向
 土成町周辺部が県内でも有力な農業地帯であることはいうまでもない。表4には土成町などの農家戸数等の動向を示す。

1960〜86年の間に徳島県平均では農家戸数で28.1%、耕地面積で23.8%、基幹農業従事者で66.5%に当たる部分が減少するという、激しい分解を経験してきた。土成町などもこの間減少傾向にあることは確かであるが、概してテンポは低く、関連施策の展開が地域農業の相対的安定性を支えてきたのであるが、この間、地域農業がどのように変化をしたのかを確認しよう。
 図1は県内主要農業地域の営農展開の動向を確認するための概念図である。

縦軸には耕種部門の単位面積あたり粗生産額の指標(徳島県平均=100%)をとり、横軸には粗生産額に占める畜産部門の比率をとり、それぞれの地域ごとに65年と85年の位置の変化を示している。県全体では縦軸に沿って上向する「集約化」の動きと、右方向に進む「畜産化」の動きとを確認することができる。地域農業のそれぞれの外部条件に応じて、ふたつの経営対応が組み合わされて、総じて農業所得の増大が追求されてきたのである。土成町の場合、阿波・市場ほどのテンポの高さは示していないが、畜産化を進行させたとみることができる。また、土成町は単位あたり粗生産額の高いグループに属していたのだが、この間、集約度を相対的に低めてきたこと(粗放化)も認められる。
 1970年代に重点的になされた農業投資が地域農業構造を大きく変容させたとみることができる。広域農道建設や構造改善事業の実施など、「阿讃山麓広域営農団地」建設の一連の事業が着手され、それに合わせて、農家も経営構造を変えるための投資を行ってきたのである。地域農業が資本装備を高めることが、生産力構造を長期的には強化させるのであるが、同時にこの過程が今日の経営問題の一要因となっていることも留意すべきである。ひとつには地域の農業所得率(農業所得/粗生産額)が78年をピークに大幅に低下を見せ、地域農業の優位性が損なわれていることである。急成長した畜産部門を中心に、価格条件が悪化したことも一因であるが、地域農業の資本装備を高めた結果、費用を全体的に押し上げることとなり、そのために農業所得率が50%水準から30%水準へと大きく落ち込むことを招いたのである。広域営農団地の整備に関わる事業は当初計画から大きくずれるなど跛行的な進展を見せた。また、価格の低迷や米の生産調整の強化など政策環境も大きく変化した。これらの結果、巨額の農業投資にも関わらず、地域農業は可能性の発揮を阻まれ、逆に経営悪化を招いているのである。
 また安定兼業地帯に位置することも地域農業の後退傾向に拍車をかけた。表5に示すように若手労働力の補給が不十分なために、労働力構成の高齢化が顕著であり、新たな経営展開の主体的条件も弱体化しつつある。85年の場合、30歳以下層が占める割合は6%にとどまっている。75年のそれが14%であったことと較べるなら、地域農業の後継者は著しくやせ細ったというべきである。地域農業は、目下、これまで経験したことのない分解局面にたたされつつある。農業は依然として地域の基幹産業であることを考え合わせるなら、この事態への対応は急がれるべきであろう。

4.地域振興戦略変更の意味
 土成町では新たにリゾート化の機運が高まっている。これまでの観光・リゾート関連施設としては御所カントリークラブ、たらいうどん、観光農園程度にとどまっていたが、新たなゴルフ場の建設やクアハウスなどの開発が進行中であり、徳島県がリゾート法の適用を図って作成した「ヒューマン・リゾートとくしまの海と森構想」と結合した複合的リゾートづくりが模索されている。「阿讃シルバー・リゾート」地区に位置づくことから、その実績づくりのために役場は機構改革を行って、用地取得やインフラ整備などで機能的な対処を図っている。全国各地で「第2次リゾート・ブーム」と称されるほどのリゾート関連開発が進行中である。徳島の場合は、明石海峡大橋の開通・高速道の整備などが近日に予定されていることから、高速交通体系の整備に対応した計画が相次いで着手される状況にある。
 リゾート開発が地域経済振興に大きな寄与を果たすことが強く期待されており、土成町行政の積極対応もそのためであるが、今日のリゾート・ブームの性格を捉えるなら、より肌理細やかな対応が求められるよう。つまり、ゆとりある暮らしを謳歌する条件が成熟したというよりは、むしろ、遊休資産の不動産投資振り向けの結果としてのリゾート開発というものが、今日のブームの基本性格である。従って、土地取得優先の欠陥計画が横行しており、計画変更で受け入れ自治体が動揺させられる例にも事欠かない。図2は県内ゴルフ場配置を示す。

既設の9カ所に加え、土成町も含めた8カ所が開設の準備を進めている。これらの全てが共存すると考えることは現実的でないが、それはこれらの内のいくつかが、破綻ないし計画変更せざるを得ないということを意味する。従って地方自治体は、計画そのものの検討を十分に行うとともに、計画推進を図る場合は事業主体とともにその条件整備を進めることが求められる。
 また、リゾート開発が既存産業とりわけ農業の動向に及ぼす影響についても留意される必要がある。それが求められるのは、土地と労働力の活用をめぐって両者が競合関係に立つ場合が多いからである。表6は徳島県が89年6月に実施した農業経営者に対する意向調査の結果である。

「あなたの市町村の振興のために、主にどのような産業の発展を重視すべき」か、との質問に対する回答(複数)の分布状況を示す。県全体では6割が農業発展重視と回答しているのに対し、阿讃広域営農団地の地域ではその回答が少なく、企業誘致に対する期待が相対的に高いことを確認できる。現に工業団地への企業誘致で成功しているという背景があることを加えて、農業経営の危機の深まりの中で兼業化への傾斜が強まっているとみるべきであろう。また土成町の場合は、観光・レクで地域振興と回答する比率が抜きんでて高く現れていることが注目されよう。前述したように土成町行政はリゾート化への積極対応を進めているが、用地買収などが進む過程で、リゾートへの期待と農業への諦めとが農家の気分の中に広がっているものと判断されよう。図3も徳島県の同調査結果を加工したものである。

ここでは土成町の回答が、経営拡大・現状維持のそれぞれの数値が平均を下回っており、わからない・経営縮小の比重が高いことを確認しよう。総じて縮小基調が強く現れており、有利な条件を持ちながらも、地域農業に対する確信が激しく揺らいでいるとみることができる。リゾート計画推進に際してはこのような既存産業へのリスポンスを十分考慮する事も同時に求められるのである。

おわりに
 土成町の産業構造の特徴は農業を基盤とするという点にあるが、土成町はまさにその基盤が動揺するというかつてない転換点に当面しているのである。土成町は新たな段階での地域振興の方途を検討するために、慎重な作業を進めてきた。住民意識調査の実施や「土成町基礎調査報告書」の作成などの例でそのことを確認することができよう。その結果、四国縦貫自動車道のインターチェンジ開設をひかえて、工業団地を建設し、リゾート開発を推進することで、農業と工業の2本柱に加え、さらに商業・リゾートの補強による豊かな産業づくりという基本戦略が示されている。ことことについて言及する立場にはないが、上述したように工業・農業ともに内部に大きな課題をかかえていること、とりわけ農業についてはリゾート化などの進展の中で動揺を激しくしていることは、地域の産業構造の特徴からして十分配慮されるべきと思われる。
 この調査では土成町の産業と社会の変動の実相を明らかにすることを課題として、資料収集や関係者からの聞き取りを進めた。この調査を進めるに当たって、土成町役場、教育委員会をはじめ多くの機関・個人のご協力をいただいた。ご多忙の中、われわれの身勝手な注文に好意的に対処していただいたことに末尾ながら感謝申し上げたい。これらのご協力の大きさに較べるならば、報告書はあまりにも不備が多いとの批判は甘んじて受けれなければならない。調査日程を最後まで調整することができなかったために、調査班内部での課題のズレを最後まで抱え込むこととなった。このために報告書の作成に際しては、論述を工業・農業の動向と課題に限定し、全体の整合性を保つために社会資本整備に関する住民意識・町行財政の構成に関する素稿を割愛せざるを得なかった。なお、地域の実践的課題に応え得る資料を提供することがわれわれに求められているのだが、この作業を契機に関係者との論議が継続できることを望んでおり、その過程でより立ち入った要請に応える所存である。
 この報告書は調査班長・中嶋はじめ調査参加者5名の素稿と討論をもとに中嶋が編集した。また、徳島大学総合科学部に事務局をおく「地域問題研究会」において、課題設定や資料検討の作業を行った。

1)徳島大学総合科学部


徳島県立図書館