阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第36号
土成町の農業と土地利用

地理学班

  定本正芳1)・平井松午2)・

  杉本安代3)・船奥裕子3)・

  森岡敏邦3)・渡辺寿美3)

はじめに
 1970年代後半以降、わが国では低米価固定、水田転作の強化、ミカン・牛乳の生産調整、外国農産物の輸入増加などを背景に、「米ばなれ」「ミカンばなれ」が進んで総合農政下の「単一経営」が後退し、複合経営が顕在化してくる。こうした動きの中には、土地利用の集約化・複合化を構築しようとする農民層の主体的動きもみられると指摘されている1)。とくに近年の複合経営は、従来の米・麦・雑穀の組み合わせよりは、むしろ新たな商品作物である野菜・施設園芸・果樹・工芸作物との結合を深めつつある。そして、こうした商品作物生産=主産地形成は、土地利用と地力再生産、労働力再生産、耕種農業と有畜農業との結合など、いくつかの技術的・経営的な根拠によって複合経営=部門間結合が有利であると考えられている。
 そこで我々は、農業への依存が高く、多様な農業経営が展開する土成町について、上述の観点から農業経営の変化およびその土地利用について若干の考察を行なった。

1.土成町農業の概観
 土成町は、1984年時点で町の純生産の29.0%を農業部門(第1位)が占めており、その比重を下げてきてはいるものの、依然、基幹産業である農業への依存が大きく2)、1985年時点で総世帯数2,159戸のうち1,327戸が農家を占める。このように、「農業立町」としての性格が強い土成町の場合、表1にみるように、1960年以降、農家数・経営耕地面積などはやや減少傾向にあるものの、さほど大きな変化はみられない。しかしながら・そこで展開されている農業経営には大きな変化が認められる。


 表2は、作物の類別収穫面積の推移と作物結合の変化を示したものである。「作物結合」は、本来、輪栽式農法下における輪作作物の作付組み合わせを類型化するために用いられた概念であるが、わが国では各農業地域を代表する作物の組み合わせの類型化手法としても紹介されており3)、ここではおもに後者の観点にたって土成町の主要農作物の変化をみたものである。1965〜85年の土成町における「作物結合」の変化をみると、1965年段階では土成町の農作物が「麦類(おもに裸麦)+稲」で代表されたものが、1970年以降は麦の収穫面積が減少したのにともなって「稲+麦類」の組合せのほかに、工芸作物(葉タバコ)や果樹(おもにミカン・ハッサク・ブドウ)といった作物の占める割合も多くなったことが特徴的である。わが国では、1965年以降、裏作の衰退にともなって「稲+麦類」といった基本的な結合型は米と野菜・果樹・工芸作物などとの複合経営にとって代わられるが、土成町でも同様な多様化・複合化がみられるのである。また、1987年の農業粗生産額でみれば、畜産2,266百万円、野菜996百万円、果実732百万円、米688百万円、工芸作物550百万円となり、野菜生産額の占める割合が高くなってきている(図1)。


 土成町における葉タバコの栽培はすでに第二次世界大戦中より開始され、戦後増加の一途を辿ったが、1976年をピークに耕作面積は漸減傾向にある(図2)。土成町で栽培される葉タバコはすべて第2黄色種であり、タバコ作が普及した理由は収入が安定しており、前作・後作の栽培が可能なためであった。
 他方、果樹は1968年の新農村建設事業を契機として拡大したが、その中心は温州ミカンとブドウであった。生産過剰を背景に温州ミカンはその後ハッサクにとって代わったが、ハッサクも最近は減少傾向にある(図2)。ブドウは山麓の崖錐性の傾斜地で栽培され、生産量の 2/3 はデラウェアが占め、そのほかにキャンベルアーリー、ネオマスカット、マスカットベーリーA、巨峰などが栽培されている。
 このように土成町の農業は、1970年以降、農家数・経営耕地面積などには大きな変化はみられないものの、その農業経営には変化がみられたことが明らかとなる。
 図3・4・5は同様に、各農業集落単位4)に1960年と1985年の「作物結合」の変化をみたものである。土成町は阿讃山地と吉野川流域の平野部とからなるが、平野部はさらにその地形条件から大きく二分される。すなわち、九頭宇谷川沿いの旧土成村を中心とする地域と、宮川内谷川がつくる扇状地上にのる旧御所村を中心とする地域である。九頭宇谷川流域は一般に粘土質土壌地帯で排水はやや不良な地帯をなすのに対して、宮川内谷川地域は扇頂〜扇央部にかけては礫質ないし砂質の土壌、扇端部ではやや粘土質土壌をなすが全体的に排水は良好である5)。


 1960年時点では、やはり「麦類+稲」を軸とした作物結合が卓越し、この組み合わせは22集落を数えた。これに九頭宇谷川・宮川内谷川の傾斜変換線(山地から平野部に変わる辺り)に卓越した「麦類+稲+イモ類」などの型を合わせると「麦類+稲(+α)」の組み合わせは47集落中34集落にも及んだ。しかしながら、1985年では「麦類+稲」の組み合せはわずか1集落のみで、「稲+麦類」および「稲+麦類+α」の組み合わせが22集落と多くなる。しかしながら、こうした「稲+麦類(+α)」を基本的結合とした農業集落はかつての「麦類+稲(+α)」の36集落には及んでおらず、むしろ「稲+工芸作物(葉タバコ)」や「稲+果樹」、あるいは「果樹」の組み合わせをみる集落が増え、組み合わせは地域的に多様化していることが判る。とくに「稲+麦(α)」の組み合わせは、比較的低湿な九頭宇谷川流域や宮川内谷川扇端部に多くみられるが、「稲+果樹」・「果樹」は山間部や山麓沿いに卓越している。
 こうした多様な農業経営への変化は、1970年代後半以降とくに顕在化してきた現象である。そこで、我々はこうした土成町農業の多様な展開過程やここ数年の動向をみるため、とくに専業農家で経営規模が大きく、地域農業の指導的役割を果たしてきている19戸の農家を対象に、営農形態や土地利用についての聞き取り調査を行なった。対象農家の抽出は、あらかじめ役場に依頼したが、結果的にはほぼ土成町全域に及び土成町農業の特徴をおおまかに捉えることができるものと考えられる(図3)。

2.対象農家の農業経営と土地利用
 表3は、聞き取り農家の経営耕地面積を示したものであるが、対象19戸のうち2ha以上の面積をもつ農家は過半数の12戸に達している。経営面積の少ない農家の場合も施設園芸などを行なっており、すべて専業農家である。経営耕地の多くは自作地であるが、一部の農家では借入地も経営している。この借入地は経営規模拡大のために借り入れているというよりは、むしろ近隣の経営規模を縮小した農家に請負耕作を頼まれたケースが多い。また借入地のうち「永年草地」は吉野川堤防内の草地を建設省から借り入れているもので、該当の7 ・16 はいずれも複合的畜産経営を行なっている農家である。農業従事者については、半数の農家では30〜40歳代の後継者がいる。


 次に、表4−1・表4−2は聞き取り農家の作付作物およびその面積などを整理したものである。水田の作付については1987〜89年の3か年間分について、他の普通畑・樹園地・固定ハウスなどについては調査年(1989年)のみ掲載した。営農形態は、おもに次のように類型化される。


 複合経営 A「水稲+野菜・園芸」型……1 ・8 ・14
      B「水稲+タバコ」型……2 ・3 ・5 ・10 ・12 ・16 ・17
      C「水稲+果樹」型………6 ・19
      D「水稲+畜産」型………7 ・15 ・18
 単一経営…………………………9 ・11 ・12
 以上のように、対象農家は9 ・11 ・12 の単一経営農家を除くといずれも複合経営を行なっており、とくに「水稲+タバコ」型の営農形態が多い。水田の作付については、土成町ではこれまでみてきたように、水稲の前後作として葉タバコや麦類が作付されるのが一般的であるが、ここ数年の傾向から次のような特徴がみられる。すなわち、タバコ作が減少し、タバコに代わって野菜作が増えてきている、という点である。対象農家の中にも、1987年時点では「タバコ→水稲」あるいは「タバコ→α」という作付が主たる形態であったものが、以後、タバコ作をやめて「水稲→レタス」などに転換しているケース(2 ・16 ・17 など)が認められる。
 すでに述べたように、土成町では戦後安定作物として葉タバコが導入された。しかしながら、タバコ作は近年専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)による生産調整が行なわれてきたこと、葉タバコの収穫期と田植の時期が重なり労働条件が酷しいこと(図6)、1986年に黄班エソ病が発生して大きな被害を受けたこと、さらにはレタス・トマトなどの多収穫野菜が近年産地指定を受け、栽培・規模拡大のための条件が整ってきたことなどの理由から、その減少傾向が著しい6)。さらに、タバコ作の場合、生産割当があるため自由な規模拡大ができないこと、また栽培過程において各種条件が付けられることから、後継者の中にはタバコ作を敬遠する傾向もあるといわれている。もちろん、聞き取り農家3 ・4 ・10 ・12 のように、タバコ作への比重が高い農家も少なくないが、これらの農家でも次第に野菜作が導入され始めてきている。


 葉タバコにとって代わってきているのが、スイカ・レタス・トマトなどの野菜である。土成町で野菜作が本格化するのは1971年に施設園芸集中管理モデル団地(土成中央)が設けられて以降である7)。以後、町内各地で拠点的団地化が進められており、最近ではレタス・アムスメロン・ミニトマトなどの生産が伸びている。1985年に産地指定を受けたレタスはおもに水稲やタバコの後作として露地栽培もしくはトンネル栽培されており(図6)、近年、栽培面積・生産量とも急増している(図2)。また、メロン・トマトは加温設備のあるハウスで栽培され、レタス同様、農協を通じておもに京阪神地方に出荷されている。いずれも、シーズン中に2〜4作の栽培が可能であり、収穫が長期に及ぶという点で高収益をあげることができる。またとくに、土成町では近年施設園芸の伸びが著しく(表5)、次第に野菜の主産地としての性格を強めてきている。


 このほかに、対象農家に関しては「水稲+畜産」型の複合経営(7 ・15 ・18 )がみられるが、こうした畜産農家は土成町の地域農業に欠かせない存在になっている。すでに述べてきた園芸農家やタバコ作農家では、連作障害や病害虫の発生が認められる8)。こうした対策としては、一般的には休耕や田畑輪換、荳科作物の導入、有機質肥料の施肥、薬剤散布などの方法がとられる。しかしながら、対象農家についてみれば、一部の農家で休耕や田畑輪換は行なわれているものの、荳科作物はほとんど栽培されておらず、こうした連作障害や病害虫の土地利用上の対策としては、厩肥・鶏肥などの有機質肥料にのみ依存している場合が多い(表4)。かかる点で、畜産農家の存在は園芸農家やタバコ作農家にとって重要であるといえる。つまり、110頭の肉用牛を飼育している7 の農家が、近隣の2 ・6 ・8 の園芸農家に厩肥を供給し、これらの農家から稲藁を譲り受けるかまたは購入していることからも明らかなように、タバコ作農家・園芸農家と畜産農家との有機的な結合は、ある意味で土成町の地域農業を支えているともいえよう。同様な関係は、15 ・18 の畜産農家と近隣農家の間にも存在する。

おわりに
 1970年代後半から80年代前半の土成町の農業は、おもに米と工芸作物(葉タバコ)・果樹を組み合わせた複合経営がその主力であったが、すでに述べてきたように、80年代後半にはタバコ作の後退およびそれに代わる野菜作の増加が顕著となり、土成町は次第に京阪神地域への野菜供給基地としての性格を強めてきている。その直接的な契機は1986年の黄斑エソ病によるものであるが、タバコ耕作者の高齢化、さらには野菜作の導入にともなう労働力競合が、タバコ作の縮小やより収益性の高い野菜作への傾斜をもたらしたといえる。すでに横田は、施設園芸が拡大する高知県のタバコ作地域では労働力競合の結果、タバコ作が衰退してきていることを指摘しており9)、近い将来四国縦貫道が開通し、市場である京阪神地方との時間距離が短縮される土成町では、今後、こうした傾向に一層拍車がかかるものと考えられる。
 しかしながら、園芸農業地域ではその過度に集約的な土地利用は地力減退を生じ、連作障害や病害虫をもたらすことが知られており、実際、徳島県の中でも比較的早い時期から野菜を中心とした商品作物生産の盛んな板野町においても、同様な問題を抱えていることが報告されている10)。こうした点で、今後は有機質肥料のみならず、田畑輪換(輪作法)や荳科作物の導入などによる合理的土地利用の方法が求められよう。また、そうした合理的な土地利用は長い目でみれば、輸送園芸地域として成長していくためには不可欠な要素と考えられる。    (文責・平井松午)
付記 調査にあたっては、土成町役場、土成町教育委員会、および各農家には大変お世話になった。また、鳴門教育大大学院(南部中)の井上隆氏には葉タバコ関係の資料を提供していただいた。ここに記して感謝申し上げます。

      脚 注
1)磯辺俊彦・窪谷順次編(1982):『1980年世界農林業センサス 日本農業の構造分析』農林統計協会、183〜219頁。
2)ただし、近年は土成工業団地への企業進出が相次いでおり、今後、大幅な工業生産額の伸びが予想される。
3)詳しくは、有薗正一郎(1989):作物結合の概念と日本における適用の問題、浮田典良編『日本の農山漁村とその変容』古今書院、23〜37頁、を参照のこと。
4)農業センサスの調査区である。
5)宮川内谷川扇状地面上では、今日、水稲栽培が広く行なわれているが、これは1958年(昭和33)の阿波用水の開削によるもので、それ以前は普通畑や桑畑が卓越していた。
6)「タバコ葉たばこ耕作台帳」によれば、土成町における第2種黄色種の栽培契約戸数は1985年178戸、86年173戸、87年136戸、88年83戸、89年83戸とここ5年間で半減し、栽培面積も各年154ha、155ha、115ha、85ha、74haと激減している。
7)これ以前にも土成町では一部の農家が、ビニールハウスなどを利用してスイカ・キュウリ・トマト・ナスなどの促成栽培を行なっていた。なお、1985年時点でもスイカの収穫面積は38haと野菜の中では最も多く、レタス(21ha)、タマネギ(11ha)がこれに次いでいる。
8)葉タバコや野菜の病害虫としては、エソ病、キンカス病、ウドン病、べト病、アブラ虫などがある。
9)横田忠夫(1987):『日本農業の地域変貌』大明堂、170〜178頁。
10)定本正芳(1988):板野町における農業専業経営の土地利用方式について、郷土研究発表会紀要、34(板野町)、131〜144頁。

1)徳島大学総合科学部 2)徳島大学教養部 3)徳島大学総合科学部学生


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