阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第36号
土成町の食生活

民俗班  前川富子

 この度も土成町での調査で、お忙しいなかを多勢の方々に大変お世話になった。葬送儀礼、年中行事、溜池をめぐる社会生活等と食生活についてご協力いただいて調査を実施したが、今回は紙面の都合で食生活についての報告をさせていただく。本調査において、この内容でまとめるのは初めてのことで、散漫な調査内容になり地元の皆様にはご不満な点もあろうかと思われるが、これを今後の叩き台として、この上に何かとご教示願えれば幸いと思っている。
 調査には本町の稲井浩氏(浦之池)、井上一氏(浦之池)、岡イソ氏(郡)、岡儀三郎氏(郡)、熊尾義之八氏(郡)、斎藤邦夫氏(成当)、渋谷イセミ氏(樫原)、渋谷績氏(樫原)、西岡マサエ氏(浦之池)他にご協力いただいたほか、老人福祉センターの鈴田徳重主幹、東城貴子氏、土成町教育委員会の皆様にお世話になり心より感謝している。

I.食料
1.主食料
 (1)米・麦
 大正時代には米ばっかり食べていた所帯はなかった。上流で半麦、中流で米が2割位の麦、ほかは全麦の飯であった。米ばかりの飯になり始めたのは昭和30年頃からである。
(郡)
 ほとんど麦ばかりで、丸麦、その後平麦を食べていた。昭和40年位に米だけの飯になった。(浦之池)
 (2)その他の食料
 さつまいもを煮たり、あるいは切干しにして煮て食べた。いもは食事毎に、食事より先に食べるので、腹が一杯になって飯が食べられないこともあった。(郡)
 さつまいもを食事のかわりに食べた。(浦之池)

2.野生の植物の利用
 よもぎ、椋の実、榎の実、桑の実、菱の実を食べた。(郡)
 椋の実、榎の実、アキウザを食べた。(浦之池)

3.魚介類の利用
 生物のさわら、鰤、干物の目刺、塩物の鰯等を店で売っていたが、戦前はめったに買わなかった。(郡)
 香川県の引田や津田から赤手拭と呼ばれる魚売りが来て、さわら、たこ、さんま等を買った。(浦之池)
 (2)淡水産の魚介類
 池で鮒、鯉、うなぎ、川で鮎等を釣ったり、マイガキで掬ったりした。(郡)
 池で鮒を釣ったり、どじょうをイカキで掬ったり、海老をスイノで掬ったりした。1年に1度、12月に池の水をさらえ、底のどろを田に入れたが、その時に魚を掬った。(浦之池)

4.肉類と特色のある食物
 (1)肉類
 昔の人は百姓をするのだから牛や馬を食べてはいかんと言っていた。肉を食べるようになったのは戦後からである。戦前にも卵をとるために鶏を飼っていたが、卵を産まなくなるとつぶして食べていた。(郡)
 家で不浄のもの(肉類)を食べていると家族が山で霧にまかれると言われていた。(成当)
 (2)特色のある食物
 子どもがいなごを串に刺して焼いて食べていた。たにしがたくさんおり、ゆでて身をとり出し、味付けして食べた。大谷川に沢がにがいて食べた。(郡)
 たにしをゆでて味噌和えや辛子和えにした。山にいるユビガニを食べた。(浦之池)

II 貯蔵
1.穀類の貯蔵
 米は籾で、麦はこなして4斗入りの俵につめ、ネトコ(納屋)に保管した。蔵があれば蔵に保管するが、蔵のある家は1割位であった。毎日の米麦は米2斗、麦2斗入りのとびつに精米、精麦して入れておいた。(郡)
 戦前は米は俵かカマギ(莚の袋)に入れ、ナカノマに保存した。戦後ドラム缶2本(1本に1石余)に保存した。昭和40年頃は台を置いて4石入りのトタンの穀用タンクに保存、今はトタンの貯蔵庫へ30kg入りの紙袋で貯蔵している。麦は戦前からカマギで保存していた。(浦之池)
2.越冬野菜の貯蔵
 さつまいもは8畳のチョウバの縁の下いっぱいに1m位の深さでイモブロを掘ってあって、籾穀の中へ保存した。いもは1反〜1反半分位を貯蔵していて2〜3か月食べ続けられた。(郡)
 いもはチョウバの下のイモブロに2反分の収穫を貯蔵した。底へ藁を敷き、いもを入れて米のスリヌカを入れた。(浦之池)

3.保存方法
(1)日干し
 大根の丸干し、割干し、切干し。(郡)
 さつまいもの切干し。(郡)
 さつまいものイデボシ。(郡、浦之池)
(2)塩漬けによる保存
 梅干しをした。(郡)
III 調製
1.炊事
(1)麦飯
 麦は大正5〜6年まで自宅のカラウスでふんだ。その後精米所でふむようになった。この麦をよますと言って一度煮立ってからしばらくおき、もう一度炊いて食べる。米を混ぜる場合は2度目に炊く時に入れる。(郡)
(2)タッコミ
 野菜をいれて醤油味で炊く。(郡)
(3)オミィサン
 小米を野菜をいれて味噌味に炊く。ごちそうであった。(郡)
 正月7日の七草に七種の野菜をいれて雑炊に炊いた。(浦之池)
(4)粥
 正月15日のアガリ正月に粥をたいた。(郡)
 大正期には正月14日のオイワイソに粥をたいた。(浦之池)
 病気の時に粥を食べた。(郡、浦之池)
 いも粥をたいた。(郡、浦之池)
 「長逗留をするとお粥を食べさせられる」と言った。(郡)
2.味噌、醤油
(1)味噌
 戦前1戸に3〜4斗の味噌を作った。味噌餅をづくり味噌莚に並べる。(この項略)
(2)醤油
 醤油も自家製で2斗位つくった。大正時代には醤油のおかずが出ると「おめでとう」と言って食べた。(この項略)

3.豆腐
 豆腐はご縁日、1日、15日、盆、正月、祭り等の行事につくった。(郡)
 正月や祭り、又普段にも豆腐をつくった。2升の大豆で12丁の豆腐をつくった。(浦之池)

4.調味料
 砂糖はゴミ砂糖というものを買い、かめに入れておいてしゃもじですくって使った。
(郡)

IV.改まった折の食品
1.餅
(1)正月の餅
 27〜28日に搗く。戦前は1戸に1石位ついた。餅はほとんどのして,イロがえ(真四角)に切る。他に雑煮用の丸餅、お鏡、いもの餅など。(郡)
 餅つきは25日か28日。昔はもち米4斗を用意し、他にいもの餅2臼、粟、きび等雑穀の餅2臼をついた。2斗分はオイリにした。(浦之池)
(2)その他
 3日の節供(郡)、春秋の社日の地神さん(浦之池)、おいのこさん(浦之池)に餅をついた。

2.団子
 米の団子とコバクの団子があり、家の都合でする。5月の節供にかしわ団子とちまき、土用入りは土用だんご、盆は迎え団子、送り団子、八朔に八朔団子を食べる(郡)
 迎え団子は今あん入りであるが、昔は米粉をまるめてゆで、粉をまぶしたものであった。米粉はもち米にきち米を少々混ぜている。(浦之池)

3.こわ飯
 祝いの時におこわをつくり、親戚と1の隣に配る。(郡)

4.滋養食
 病気の時はお粥に梅干しを食べた。(郡)

5.雑煮
 正月の元日、2日、3日、7日、15日に炊く。ネンナガ葉、地辛、丸餅を入れ、白味噌か赤味噌仕立て。餅の数は元日1個、2日は2個と増やして、食いあがると言う。(郡)
 雑煮は赤味噌で子芋、大根、丸餅をいれ、正月元日、2日、3日、15日のアガリ正月に炊く。(浦之池)
V.食制
1.食事の回数
 大正期の夏は5〜6回。チャノコ(朝起きた時)、メシ(8時〜10時)、ヒルメシ(12時)、チャノコ(15〜16時)、ユウメシ(18〜19時)。夜なべのある時は夜食を食べた。(郡)
 冬はアサ、ヒル、バンで、家で食べる。夜食にはハゼ(あられ)やオカキ(せんべい)を焼いたり、いったりして食べた。(郡)
(以下省略)


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