1.はじめに
徳島県上那賀町は四国山地の東部に位置する。町内には、西南日本最古の地層や花崗岩類が分布するほか、石灰岩・チャートを伴う中・古生界および、各種の貝化石を伴う浅海成の中生層が分布している。本町では、高知県の佐川町と並んで、古くから西南日本外帯の地帯区分および地史・古生物に関する研究が行われている(小林,1950;市川ほか,1953)。地形的に見ると、町内中央部を東から西へ那賀川が流れており、穿(せん)入蛇行と流路の変遷に伴う谷底平野および段丘堆積物の形成が、地すべり地形とともに上那賀町の地形を変化に富むものにしている。
今回の総合学術調査において、地学班は、中・古生界からの大型化石ならびに放散虫・コノドント等の微化石の検出を行い、それによる地層の年代決定を試みた。また町内の地すべりと段丘に関連した地形の調査を行い、地形災害に関して考察した。
2.地質概説
上那賀町は、地質学的にみると、西南日本外帯の秩父累帯および四万十累帯の中・古生界分布地域に位置する。秩父累帯と四万十累帯の境界は仏像構造線によって画され、図1に示すように、町内ではおおむね那賀川の北が秩父累帯に、南が四万十累帯に相当する。
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秩父累帯は、多くの石灰岩やチャートの岩塊を伴う地層が分布する地帯である。その名前は関東山地の秩父地方に由来し、石灰岩からは古生代後期の紡錘虫やサンゴの化石が産することから、「秩父古生層」ともよばれてきた。しかし近年の放散虫やコノドント等の微化石を用いた年代決定によって、これらの地層の多くは、中生代の堆積物であることが各所で確かめられた。その結果、四国の秩父累帯には、北部・中央部・南部に、それぞれ特色のある地層・岩類が分布することが明らかとなってきた。すなわち、秩父累帯の中央部には、黒瀬川構造帯構成岩類(古生代中期以前の片麻岩・花崗岩類・シルル系の石灰岩・火砕岩類)、上部古生界の石灰岩・チャート岩塊を伴うペルム系の砕屑岩類、ならびに貝化石を伴う浅海性の中性界が分布し、北部には、古期の異地性岩塊(オリストリス)を伴う中・下部中生界が、また南部には、主としてオリストリスを伴う中・上部中生界の砕屑岩層が分布する。しかしながら、個々の地層の年代とその分布ならびに上記3地帯の境界については、必ずしも十分に解明されたわけではないことから、本論では、平山ほか(1956)による坂州衝上線・十二社衝上線を境として、秩父累帯を北帯・中帯・南帯に区分して説明する。
四万十累帯の名前は、高知県の四万十川に由来する。四万十累帯には、砂岩・泥岩を主とする地層が広く分布しており、地域によっては、チャート、凝灰岩、礫岩が伴う。四万十累帯の砂岩層は、級化成層や各種の底痕を有し、泥岩と有津互層をなすフリッシュ型のタービダイト(乱泥流堆積物)として知られる。四万十累帯は、安芸構造線によって、南北2帯に区分される。北帯に分布する地層群は上部白亜系であり、南帯に分布する地層群は古第三系である。上那賀町地域には、四万十累帯北帯の地層群が分布する。徳島県地域の四万十累帯北帯からは、生痕化石以外の大型化石はほとんど知られておらず、わずかに上那賀町古屋より古白亜紀の貝化石の産出が報告されただけである(東明,1958)。近年になって、泥岩、凝灰岩、チャートからの放散虫の検出が進められ、地層群の年代が明らかにされつつある(中川ほか,1977,1984;石田,1982;須鎗,1986)。次に上那賀町に分布する中・古生界の地層を地帯ごとに説明する。 3.地質各説
3−1.秩父累帯北帯
a.黒瀬川構造帯構成岩類(Sil)
黒瀬川構造帯構成岩類は、寺野変成岩、三滝火成岩、シルル系より成る。寺野変成岩は角閃石片岩および雲母片岩を主として、地域により、ざくろ石、十字石、藍晶石を伴う中圧・中〜高温型の広域変成岩である。三滝火成岩は花崗閃緑岩起源の圧砕岩であり、有色鉱物は緑泥石化して、岩石全体が暗緑色を示すことが多い。シルル系は石灰岩と酸性火砕岩類からなる。上那賀町栗坂北方に広く分布するほか、打石、白石の秩父累帯中帯に小分布が見られる。上那賀町松久保北方の日明山に分布する石灰岩からはクサリサンゴを産する(石田,1977)。
b.ペルム系(Pn)
上那賀町菖蒲の北方および林谷上流には、千枚岩化した泥質岩層が分布しており、緑色岩類を伴う。この地層の西方延長にあたる木沢村槍戸川沿いの砂岩・泥岩互層からは、Follicucullus
scholasticus
等の放散虫が産し、上部ペルム系に属する(石田,1985b)。
c.下部白亜系(Cn)
上那賀町東尾南方から東方尾根にかけて、礫岩混じりの砂岩層および砂岩泥岩互層が分布しており、植物片や貝殻片を伴う。これらの地層は、勝浦川盆地の下部白亜系立川層と羽ノ浦層の西方延長と考えられている(平山ほか,1956)。
d.蛇紋岩(sp)
上記ペルム系と白亜系の境界にあたる東尾付近には、剪断の著しい蛇紋岩が分布しており、断層に沿う貫入岩体と考えることができる。
3−2.秩父累帯中帯
秩父累帯中帯には、黒瀬川構造帯構成岩類、ペルム系、トリアス系、ジュラ系、白亜系が分布する。これらの地層群は、東西性の断層により画された覆亙構造を形成しており、個々の地層群は、東西に延びた狭長なレンズ型をしている。
a.ペルム系(Pm)
中帯の上部古生界は、石灰岩から産した紡錘虫に基づいて、中・下部ペルム系の檜曽根層群と上部ペルム系の拝宮層群に区分されている(平山ほか,1956)。最近、阿南市加茂谷地域の檜曽根層群泥質岩より、ペルム紀前期と後期の放散虫が検出され、いずれの地層もペルム紀後期に及ぶことが明らかとなった(石田,1985a)。
檜曽根層群:南北数帯に分かれて分布する。泥岩優勢互層を主として、泥質のオリストストローム(海底地すべりによる混在岩層)を挟在する。泥岩は多少なりとも擾乱を受けており、鱗片状にはがれやすい。オリストリスとして、石炭紀・ペルム紀の石灰岩・チャート・枕状玄武岩岩塊を伴う。今回、上那賀町拝宮谷打石(図1,Loc.1)で、本層群に属する珪質の泥岩から、Aibaillella
sp., Follicucullus scholasticus, F. cf. charveti, Ishigaum sp.
を特徴的に伴う放散虫群集(図版3:1−8)が検出され、その年代がペルム紀後期であることが当地域でも確かめられた。
拝宮(はいぎゅう)層群:町内では中帯南縁のトリアス系分布地帯の南側に沿って、臼ケ谷および拝宮口に分布する。砂岩および砂岩泥岩互層を主として、石灰岩レンズを挟在する。石灰岩からは紡錘虫の
Codonofusiella, Lepidolina 等を産する。
b.トリアス系(Tm)
中帯のトリアス系は臼ケ谷層、寒谷層、梅ケ谷層に分けられる。
臼ケ谷層:上那賀町臼ケ谷を模式として、平山ほか(1956)により命名された。町内では臼ケ谷―長安口―五郎谷、および二ツ石―下用知にかけての東西地帯に分布する。主として石灰質の黒色泥岩からなる。貝化石の
Daonella sakawana(図版2:7),D. kotoi,アンモナイトの
Trachyceras を産し、中部トリアス系に属する。
寒谷層:木沢村寒谷を模式地として、市川ほか(1953)命名。南北5帯に分かれており、北から上那賀町菖蒲字出合(伍体神社対岸)―木沢村寒谷の帯、上那賀町拝宮白人神社東方の帯、上那賀町臼ケ谷支流の梅ケ谷上流―檜曽根神社の帯、臼ケ谷支流槙尾中部の帯、臼ケ谷層の北側に沿う帯である。厚さ
75m
以下で砂岩を主とし、泥岩や礫岩を伴う。木沢村坂州では、檜曽根層群上部ペルム系のオリストストロームを不整合に覆う。本層の下部からは貝化石の
Oxitoma, Minetrigonia を、上部からは Halobia, Tosapecten
を産し、上部トリアス系に属する。
梅ケ谷層:上那賀町臼ケ谷支流の梅ケ谷を模式地として、平山ほか(1956)が命名。梅ケ谷入口、臼ケ谷支流槙尾上流および中流、木沢村坂州南の山腹、木頭村天貝山に分布する。砂岩から二枚貝の
Monotis ochotica を産し、上部トリアス系に属する。
c.ジュラ系(Jm)
上那賀町の秩父累帯中帯には、鳥巣層群が南北数帯に分かれて分布する。暗灰色泥岩、
砂質泥岩とその互層を主としており、基底部に礫岩を伴う。礫岩はチャートを主として、
砂岩、泥岩、石英斑岩、斜長流紋岩、黒雲母花崗岩の礫を含む。本層は鳥巣式石灰岩を伴い、暗褐色瀝青質で、層孔虫、サンゴ、ウニの化石を含む。今回の調査で、上那賀町栗坂の石灰質泥岩(図1,Loc.2)より、アンモナイトの
Ataxioceras kurisakense
を検出した(図版1)。このアンモナイトはジュラ紀後期の
kimmeridgian の示準種とされている(Kobayashi & Fukada, 1947)。また同一地点の泥岩から放散虫の
Cinguloturris ca-rpatica, Tricolocapsa conexa, Dictyomitra sp. C
を検出した(図版3:13,14)。これらの放散虫はジュラ紀後期に産出が知られている。以上の化石に基づき、当地点の鳥巣層群は上部ジュラ系に属する。なお上那賀町菖蒲以東の当地帯の鳥層群からは白亜紀前期の放散虫群集が検出されており(須鎗・石田,1985)、本層群の上部は白亜系に属すると考えられる。
d.下部白亜系(Cm)
当地域の中帯では、栗坂帯の鳥巣層群の上に重なって、下部白亜系の菖蒲層が分布する。
泥岩および泥岩優勢互層を主として、基底部に2層の礫岩が発達する。植物化石の
Ony-chiopsis elongata, Cladophlebis sp. や、二枚貝の Hayamina
naumanni を産する。
3−3.秩父累帯南帯
四国東部の秩父累帯南帯は、東西性の断層により、Ia,Ib〜IV
の亜帯に細分される。これらの亜帯には、チャート、石灰岩、緑色岩岩塊を伴うフリッシュ・オリストストローム相の那賀川層群と、その上に重なり、貝化石等を産する鳥巣層群相当層および正木谷層が分布する。南帯の南限は仏像構造線により、四万十累帯と画されており、上那賀町春森―明神の長安口ダム取水路の春森側から
415m 地点以南に同構線相当の破砕帯が知られている。
a.那賀川層群(Na)
四国東部の秩父累帯南帯に分布する中部ジュラ〜下部白亜系で、主としてフリッシュ型砂岩優勢互層とオリストストロームから成る。Ib〜IV
の4亜帯に分布しており(図1)、亜帯によって岩相と年代が異なり、南側の亜帯が若くなる傾向がある(石田,1987)。
Ib 亜帯(NaIb):砂岩優勢互層が主であり、シート状のチャート岩塊を伴う。チャート岩塊からは
Neospathodus homeri(図1,Loc.7;図版2:1)をはじめとするトリアス紀のコノドントが産する。この亜帯の那賀川層群の放散虫年代はジュラ紀中期である。Ib
亜帯南限を画する断層は長安口ダム南方で幅100mの破砕帯を伴う。
II亜帯(NaII):チャートアレナイト質のオリストストロームが主であり、オリストリスとして石炭紀〜トリアス紀の石灰岩・緑色岩、チャートの巨岩塊を伴う。上那賀町出合の石灰岩塊(図1,Loc.4)からは、コノドントの
Idiognathodus parvus,有孔虫の Eostaffella aff. kanmerai,四射サンゴの
Rhodophyllum sp.(図版2:2,3,6)が産し、その年代は石炭紀中期である。大戸トンネルの石灰岩塊(図1,Loc.5)からは紡錘虫の
Fusulinella hirokoae(図版2:4)が、日店の石灰岩塊(図1,Loc.6)からは
Beedeina higoensis(図版2:5)が産し、いずれも石炭紀後期の年代を示す。オリストストロームの基質である砕屑岩類の放散虫年代はジュラ紀後期である。
III亜帯(NaIII):砂岩優勢互層が主であり、シート状のチャート岩塊が伴う。砕屑岩層の放散虫年代はジュラ紀後期である。
IV亜帯(NaIV):チャートアレナイトおよび泥質のオリストストロームが主であり、オリストリスとして、トリアス紀の灰白色石灰岩・チャート、鳥巣式灰岩を含む。基質の放散虫年代はジュラ紀後期〜白亜紀前期であり、古屋北方の珪質泥岩(図1,Loc.8)からは、Pseudodictyomitra
aff. primitiva, Gongylothorax aff. favosus, Dictyomitra sp. C, Xitus sp.
(図版3:9−12)が産し、その年代はジュラ紀後期と考えられる。
b.鳥巣層群相層(To)
南帯北縁の Ia 亜帯および臼ケ谷中流のIII亜帯北部に分布する泥質岩層であり、鳥巣式石灰岩を伴う。泥岩からは二枚貝の
Entolium yatsujiense が産し、石灰岩からは腕足貝の“Rhynchonella”が産する。那賀川層郡の上位に位置し、上部ジュラ〜下部白亜系と考えられる。
c.正木谷層(Ma)
臼々谷北東山頂付近のIII亜帯に分布する。最下部の礫岩にはじまり、アルコーズ質砂岩を経て、砂質泥岩に至る約
200m
の地層である。礫岩はチャート、花崗岩質岩の円礫を含む。砂岩からは三角貝の
Pterotrigonia pocilliformis, Nipponitrigonia kikuchiana
を産し、下部白亜系上部(Aptian)と推定されている。
3−4.四万十累帯北帯(Cms, Calt, Css)
上那賀町地域の四万十累帯北帯には、フリッシュ型砂岩泥岩互層と泥基質のオリストストロームが分布する。これらの地層は、東西性の高角度断層によって南北数帯に画されており、北に高角度で傾斜し、北上位である。上那賀町上海川(かみかいかわ)―成瀬―古屋久保南方を経て桜谷に至る泥基質のオリストストロームとその北に分布する砂岩優勢互層からは、白亜紀中期(Albian
ないし Cenomanian)の放散虫を産することが知られていた(石田,1982,1987)。これより先、東明(1985)は上那賀町古屋字野々尻の泥質砂岩(図1,Loc.9)からNatica
(Amauropsis) sanchuensis, Glauconia neumayri, Astarte cf. semico-stata
等の古白亜紀の貝化石を検出した。今回の調査では、野々尻の貝化石産出地点の泥岩から、放散虫の
Holocryptocanium japonicum, Archaeodictyomitra vulgaris(図版4:15,20)が検出された。また上那賀町下水崎(みさき)南方の葛ケ谷下流の泥質岩(図1,Loc.10)から、放散虫の
Archaeodictyomitra vulgaris, Xitus sp., Dictyomitra sp., Am-phipyndax sp.(図版4:16−19)が検出された。
一方、海川谷東俣・西俣合流点から丈ケ谷川松窪および古屋谷川川俣北方を経て水崎南方に至る断層より南の地帯からは、従来化石が検出されておらず、その時代は不詳であったが、今回、葛ケ谷上流の泥岩層(図1,Loc.11)より、Pseudodictyomitra
vestalensis, Stichomitra communis, Amphipyndax stocki, Mita gracilis,
Archaeodictyomitra squinaboli, A. sliteri, Holocryptocanium barbui, H.
geysersensis, Rhopalosyringium sp. を伴い、Pseudodictyomitra
pseudomacrocephara
により特徴づけられる放散虫群集(図版4:1−14)が検出された。この群集の時代は、白亜紀中期と考えられる。
4.上那賀町の地形の地形災害
地形的に見れば、上那賀町は山地の町の一言に尽きる。平地は狭小な谷底平野、穿(せん)入曲流をなす河川の蛇行の首が切れて短絡したために放棄された旧河道や、河川の急速な下刻によって河床が段化した段丘が主なものである。その他、平担地形が稜線付近の緩斜面や、崩壊などで形成された山腹緩斜面として、わずかに認められる程度である。河床に近い低い平地は、集落や耕地が立地して村民の主要生活舞台となっている。しかし、一部の集落や耕地は、20°を越える斜面を山腹をはうようなかたちで散在している。町内の最高地点は北西端の
1433.5m
三角点で、最低所は東端音谷の那賀川河床で標高約 100m
である。現在居住の集落の最高所は、白石北方の標高約
700m である。壮年的に開析された山地では、年間 3,000mm
を越える降水量の大半が、梅雨期と台風期に集中するため、町内では崩壊を主とする斜面災害が目立っている。谷底平野の堆積物の分布と斜面の崩壊地形を図2に示した。以下、地形と災害のそれぞれについて本町を概観する。
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4−1.那賀川と支流
本町の河川の大きな特色は、著しい曲流(蛇行)と下刻(河床低下)によって、ほとんどの部分で渓岸が40°以上の急斜面である点にある。曲流は那賀川本流による水崎(みさき)が代表であるが、支流の海川・丈ケ谷川・古屋川にも顕著に見られ、いずれも谷を深くうがった穿入曲流となっている。曲流による側方浸食が進むと短絡して環流丘陵が谷の中に残り、曲がっていた古い河道は放棄される。海(かい)川・平谷(ひらだに)・川俣の複雑な地形は、この結果できたもので、集落や耕地の貴重な空間となっている。特に海川と平谷では、新旧の蛇行の跡が集落の立地を多様化している。
那賀川本流による著しい下刻は、拝宮谷・徳ケ谷・五郎谷・菖蒲谷・臼ケ谷・葛ケ谷・音谷等の支流の合流点に、滝に近い急流をつくっている。この傾向は谷が小さいほど一般に大きく、海川・坂州木頭川・古屋川のように、流域面積が広く下刻力の大きな支流は、深い谷をうがちながら、本流と協和的な合流を示している。このことが象徴的に見られるのが、平谷中央の丘の東西を流れる川で、西側の丈ケ谷川は大殿付近を段化して本流と協和的合流をしているのに、東側の宮ケ谷川下流はあまり下刻せず、100m近い谷底平野を残して、本流とは急流で接している。丘の東側に家が多い理由のひとつはここにある。
4−2.谷底平野と段丘
町内で河川の氾濫により冠水するような谷底平野は、海川(海川)・成瀬(成瀬川)・府殿(成瀬川)・平谷(宮ケ谷川)・川俣(古屋川)・谷山(古屋川)・轟(拝宮川)など、極めて狭小な部分にしか存在せず、いずれもそれぞれの河川の下刻がさかんでない地域に認められる。殊に最後の二者は、下流に遷急点―上方の緩斜部と下方の急斜部の接点―があり、河川による浸食がまだ及んでいない部分に見出される。平谷を除くといずれも水田に利用され、住居は水田と山地の接合部に存在するのが一般的である。
本町の主要集落は、すべて段丘面上あるいはその周辺の緩斜面上に分布する。海川・平谷.小浜・桜谷・小計(こばかり)・水崎・深森がそれである。この中で明確に段丘礫層を見出したのは、現在のところ海川・平谷・水崎である。しかし・陰平・小浜対岸・水崎対岸のように、那賀川本流沿いには、注意すれば、かなりの礫層が見出されるものと考える。段丘は1段だけでなく、平谷のように4段(那賀高校平谷分校南および南東の最上位面・平谷分校のある上位面・平谷小学校のある面と南の県道をはさんだ同高度の中位面・主集落のある下位面)や、海川のように3段存在する所がある。また桜谷や下水崎には2段の地形面が認められる。
段丘の対比は、面の広がりが狭いうえに連続性がなく、礫層も散見される程度なので困難である。ただ面の新旧を決める重要な指標には構成礫のくさり・構成土層の赤色土化や粘土化があり、なかでも赤色土化が他の指標と関連が深くまた利用しやすいので、これをもとに考察する。赤色土は5YR(赤褐)以上であれば中位段丘(南関東の下末吉層がその代表的なもので、面の形成期は約13万年前前後とみられる―町田,1977)あるいは、より古い段丘と考えられている。上那賀町周辺で赤色土が認められる段丘礫層は、下流では相生町陰谷北(明赤褐
2.5YR5/8,那賀川河床との比高約 80m)が、上流では木頭村川島から黒野田へ越える峠の頂上付近(赤褐
2.5YR4/6,同上比高約 130m)に見出される。上那賀町内では、前記平谷最上位面の露頭(平谷分校南東約200mの農家裏の崖)に赤褐
2.5YR4/6 の赤色土が見出され、那賀川との比高が約 100m
であること、前二者同様粘土化が進み、これより低い付近の段丘に赤色化が認められないという共通点より,いずれも中位段丘礫層に相当するとみる。また小浜対岸の小計に通ずる峠西斜面(河床+70m)に、赤褐
5YR5/8
の赤色土化のやや弱い露頭が見出された。木頭村折(おり)宇字日早(ひそう)の美那川キャンプ場上の林道脇に
AT(姶良(あいら)カルデラ噴出火山灰、約24,700年前―松本ほか,1987)の厚さ約
30cm の層が見出され、河床より約 20m
上にあることから、付近の河床は1m/1,000年の割合で下刻されていることがわかる。また下流相生町で最も発達している延(のぶ)野や吉野などの低位段丘面を仮に3万年前(低位段丘の代表とみられる立(たち)川段丘のおおよその年代―町田,1977)の形成とみると、河床低下速度は2〜0.7m/1,000年となる。以上より、河床から約
100m
にある平谷の最上位面は、下末吉期の温暖化した時代に形成された可能性が高い。したがって、これより低い、赤色化していない下位の面は低位段丘と考えてよい。これも2〜3段に分かれているが、下水崎・水崎・小計・小浜のやや段化した面は、那賀川河床との比高・面の広がり・付近の谷の遷急点の高さから、おそらく下流相生町の延野・雄(おんどり)・吉野から、朴野・日浦・花瀬で水田に利用されている面の延長と思われる。中位段丘面を全く同時代のものと考えると、少なくとも木頭村出原あたりまでは、那賀川は上流側がわずかながら河床低下速度が早いようである。その速度は1m/1,000年前後と推定できる。
4−3.山地の地形と災害
剣山を中心とする地域が、集中豪雨や台風による災害多発地帯であることは、1976年までのおびただしい被災記録によって明らかである。この原因は、誘因である地震や豪雨などによるほか、地域がもつ素因(素質的原因―地形・地質・植生・人工改変など)が大きく関与している。そして現在の山地地形は、過去の崩壊・地すべり・土石流などによって形成された結果ともいうことができる。ここではこのうちの目立ったものについて記述する。
四国山地の災害の特色は地すべりが多いことにあり、本町にも平谷大殿・音谷・白石・長安・一宇・松ノ木・出合・大殿(以上建設省関係)、東尾・大殿(以上農水省林野庁関係)、拝宮・菖蒲・野々尻(以上農水省構造改善局関係)の計13箇所が、地すべり危険箇所として指摘されている(昭和63年12月末現在)。これらは20°を越える急傾斜地にあり、地すべりと一括されているものの、実態は豪雨時などに崩壊的な動きをして、平素は滑動を停止しているものと思われる。一般に、徳島県内の地すべりは、剣山以北の三波川(さんばがわ)帯の結晶片岩地域や御荷鉾(みかぶ)帯の緑色岩類地域に多発している。いずれも初生的なものは少なく、大半は過去の近い地質時代に起こった大規模なマスムーブメントによる堆積物の二次的な動きで、各所にその残存物である厚い崩積層が、いわゆる地すべり地形をつくっている。しかし、那賀川流域の秩父累帯や四方十累帯の中・古生界地域では、そのような地形は激減し、しかも小規模となる(寺戸,1986)。町内では、柳瀬と姥ケ谷間の谷の源流域の北北東向き斜面や、東尾西南西で笹峠南の東向き斜面が最大で、共に数10万立方メートルの斜面堆積物が存在するとみられる。同様の地形は、葛ケ谷源流域に数箇所、川俣西方の平藪集落跡などのほか、上用知付近や、木頭村境の鉢久保などにそれらしい地形を見出すが、東尾西南西を除いては、とくに対策の必要はないように思う。さらに、大規模マスムーブメントの先駆的現象あるいはその中断とも考えられる地形が稜線付近に見られる。稜線方向に線状の凹地が通じる地形で、木頭村境の源蔵ノ窪はその規模が大きいものである。また川俣南西の稜線上にも長さ約150mの線状凹地が認められる。
以上の地形を除くと、本町の山地斜面は、ほとんど30°を越える急斜面よりなり、山地災害は、落石・崩壊・土石流が主体をなす。いずれも災害発生が急速で、平素からの対応が必要となる。なお町内における特異地形としては、日店洞とその付近の石灰岩地形、轟下流・五郎谷に代表される数多くの遷急点、また前述の著しい穿入曲流、後述の高磯山崩壊による春森の堆積丘などがある。
4−4.山地災害とその防止
上那賀町で最も警戒を要する災害といえば、崩壊を中心とする斜面災害とそれに付随する種々の災害である。崩壊の中で特筆され、将来への教訓を残した点で注目されるのは、1892(明治25)年7月の大戸の高磯山崩壊である。
高磯山崩壊の詳細については、町史その他に多くの記録があり、寺戸(1970)もこの調査を行っているので、そちらを参照されたい。防災の観点から概略を記すと、崩壊は高知市付近を北上した台風に伴う暴風雨が誘因となり、高磯山北斜面で発生した。300万立方メートル以上の土砂が那賀川へ落下し、高さ約70mの天然ダムを作ったほか、その一部は対岸の春森の斜面を河床より約110mせりあがり、そこに堆積丘を形成した。崩れやすい崩積層であるので、現在の国道195号線は、その部分にだけコンクリートよう壁と落石防止ネットを施工している。当時の崩壊は、海部川上流の保瀬(保勢)や上勝町葛又でも大規模に発生しており、現在でも地形的に確認できる。いずれも多数の人命が犠牲となった。崩壊の多発地域は、海部川流域から勝浦川上流にかけての南北〜北東方向に帯状に延びていたようで、1976(昭和51)年9月の台風17号災害時、6日間に1,000〜2,600mmという記録的豪雨にもかかわらず、上那賀町から木頭村中部にかけて予想外に被害が少なかったのは、おそらく明治災害による免疫が残っていたためであろう。高磯山崩壊は、1)泥岩勝ちの互層のうえ、仏像構造線がすぐ背後を通っていたので、山自体が地質的に脆かったこと(図1)、2)那賀川の河流が常に脚部を浸食する攻撃斜面に位置していること、3)山腹斜面が急であるうえ、そこに段状に古い崩落物質がのり、その移動が大崩壊を誘発したことなどが素因として考えられる。町内ではこのような素因が重複している場所が、相対的に高い危険度を有するという目安を与えている。この崩壊はさらに、天然ダムにより上流側に現在の長安口貯水池の約1.5倍の水を貯え、2日後にダムが決壊して、下流に二次的な大被害を生じている。当時、現在の上那賀町域内で、ダム下流側の被害が少なかったのは、集落がいずれも低位段丘面上にあり、洪水位の上昇が30mを越えたにもかかわらず、波頭が段丘上に達しなかったという幸運があったことによる。しかし、本流の洪水波は上流へ2km近く逆流している。ダム建設により、水面との比高が数mにまで減少した現在の集落や道路では、ダム周辺の崩壊による災害が不意に起こる可能性もあり、その面からも大崩壊に起因する危険の可能性を予測して、平素からの防災活動が必要であろう。
高磯山の崩壊のように、斜面が崩壊して一時的にダムを形成することは、山地災害では珍しいことではない。問題は天然ダム決壊による二次災害で、小さな谷に予期せぬ規模の洪水や土石流が起こることである。高磯山ほどではないが、下水崎北方対岸(相生町神通付近、江戸末期?)や平谷東方の白ザレ(塩ザレ)では、崩壊により天然ダムが形成された可能性がある。本流沿いでもこのような崩壊が存在するので、支流沿いはなお多く発生しているものとみられる。ゆえに谷底に通じる道路沿いの居住は、便利さのみにとらわれず、危険性も考慮して立地してほしいものである。このほか森林伐採や道路建設などが素因となる中小崩壊も少なくない。以上のような指摘を行うと、山間部の居住は危険に満ちているとの印象を抱く人も多いと思うが、災害が突発的で種類も多い都市災害に比べると、山地の自然災害は比較的規則性が認められるものが多く、「備えあれば憂いなし」の教訓が生かしやすいともいえる。
5.まとめ
地学班は、上那賀町内に分布する秩父累帯および四万十累帯中・古生界の地帯区分と岩相層序を記述し、総合学術調査で検出した大型化石と微化石に基づく地層群の年代について論じた。また本町に分布する斜面堆物と段丘堆積物を記述し、崩壊地形と段丘地形の形成時期ならびに地形災害について考察した。
謝辞 群馬大学教育学部荒井房夫教授には、火山灰の同定をしていただいた。また上那賀町ならびに役場の方々には調査その他で種々の便宜をいただいた。厚くお礼申し上げる。
文献
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寺戸恒夫,1986:四国島における大規模崩壊地形の分布と地域特性.地質学論集,vol.28,
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図版1
上那賀町栗坂(図1:Loc.2)の秩父累帯中帯鳥巣層群より産したアンモナイト。
Ataxioceras kurisakense Kobayashi & Fukada
1a:本体,1b:外形雌型.スケールはいずれも5cm.
![](3511/35chigaku_fig11.gif)
図版2
1.Neospathodus homeri (Bender)
トリアス紀前期のコノドント.Loc.7.スケールは0.5mm.
2.Idiognathodus parvus of koike
石炭紀中期のコノドント.Loc.4.スケールは1mm.
3.Eostaffella aff. kanmerai (Igo)
石炭紀中期の紡錘虫.Loc.4.スケールは0.1mm.
4.Fusulinella hirokoae Suyari
石炭紀中期の紡錘虫.Loc.5.スケールは1mm.
5.Beedeina higoensis (Kanmera)
石炭紀中期の紡錘虫.Loc.6.スケールは1mm.
6.Rhodophyllum sp.
石炭紀中期の四射サンゴ.Loc.6.スケールは5mm.
7.Daonella sakawana Mojsisovics
トリアス紀中期の二枚貝.Loc.3.スケールは1cm.
![](3511/35chigaku_fig12.gif)
図版3
放散虫の走査電子顕微鏡写真.
スケールは100マイクロメートル.A:8.B:1,2,6,7,10,12.C:3,4,5,9,11,13,14
1−8:Loc.1産のペルム紀後期放散虫.
9−12:Loc.8産のジュラ紀後期放散虫.
13−14:Loc.2産のジュラ紀後期放散虫.
1−4:Albaillella sp.
5.Albaillella triangularis Ishida, Kito & Imoto sp.
6.Follicucullus scholasticus Ormiston & Babcock
7.Follicucullus cf. charveti Caridroit & DeWever
8.Ishigaum sp.
9.Dictyomitra sp. C of Yao
l0.Pseudodictyomitra aff. primitiva Matsuoka & Yao
11.Gongylothorax aff. favosus Dmitrica
12.Xitus sp.
13.Cinguloturris carpatica Dumitrica
14.Tricolocapsa conexa Matsuoka
![](3511/35chigaku_fig13.gif)
図版4
放散虫の走査電子顕微鏡写真.
スケールは100マイクロメートル.A:2,3,7,9,13,16.B:1,4,5,6,8,10,11,12,14,15,17,18,19,20.
1−14:Loc.11産の白亜紀中期放散虫.
15・20:Loc.9産の白亜紀中期放散虫.
16−19:Loc.10産の白亜紀中期放散虫.
1.Pseudodictyomitra vestalensis Pessagno
2.Pseudodictyomitra pseudomacrocephala (Squinabol)
3.Stichomitra communis Squinabol
4.Amphipyndax stocki (Campbell & Clark)
5.Amphipyndax sp.
6.Amphipyndax sp.
7.Mita gracilis (Squinabol)
8・9.Archaeodictyomitra squinaboli Pessagno
10・11.Archaeodictyomitra sliteri Pessagno
12.Holocryptocanium barbui Dumitrica
13.Holocryptocanium geysersensis Pessagno
14.Rhopalosyringium sp.
15.Holocryptocanium japonicum Nakaseko & Nishimura
16.Xitus sp.
17.Dictyomitra sp.
18.Amphipyndax sp.
19・20.Archaeodictyomitra vulgaris Pessagno
![](3511/35chigaku_fig14.gif)
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