阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第34号
板野町の地質

地学団体研究会吉野川グループ
   橋本寿夫(1)・山崎哲司(2)・

   須鎗和巳(2)・石田啓祐(2)・

   寺戸恒夫(3)・東明省三(4)・

   祖父江勝孝(5)・久米嘉明(6)・

   大戸井義美(7)

1.はじめに
 板野町の地質は、阿讃山脈に分布する和泉層群とその南麓に点在する古期扇状地礫層(土柱礫層相当層)、平野部の沖積層に分けられる。また、山地と平野の境には、中央構造線が位置する(図1)。


 地学班は、板野町の和泉層群の微化石による年代決定、古期扇状地礫層の分布、中央構造線の位置と破砕帯に関する調査を行った。


2.和泉層群
 和泉層群は、大阪府と和歌山県境の和泉山脈に模式的にみられる白亜紀後期(今から約8千万年前)の海成層であり、西南日本内帯の南縁(中央構造線の北側)に沿って分布しており、四国東部では阿讃山脈がその分布地帯にあたる。本層群は、主として砂岩・泥岩互層から成り、泥岩、アルコーズ砂岩、含礫泥岩および酸性凝灰岩を伴う。また、地質構造は、東に開いた向斜構造であり、地層は西から東へと順次新しくなっている(須鎗、1973)。
 砂岩・泥岩互層を砂岩の割合から、砂勝ち互層、砂岩・泥岩等量互層、泥岩勝ち互層に分けてみると、町内では山脈の中軸部は砂勝ち互層が多く、南麓には泥勝ち互層が多い(図1)。JR阿波大宮駅東の採石場では、典型的な砂岩・泥岩互層が見られる(図2)。

この砂岩・泥岩互層は、下部が単層の厚さ数10cm−1mの砂岩勝ち互層に始まり砂岩・泥岩等量互層を経て泥岩勝ち互層および泥岩に終わる数m〜10数mのサイクルを有する。砂岩単層の内部は級化成層を成しており、下部には、細かな礫を伴なうことがある。また、砂岩層の下底面には、フルートキャスト(流痕)、グルーブキャスト(引きずり痕)、荷重痕(変形痕)が発達している。このような地層をフリッシュ相といい、砂〜泥の砕屑粒子が多量に海水と混濁して密度が高くなった流体(乱泥流)が海底斜面を重力により流れ下った結果できた堆積物と考えられている。また、所により、砂岩・泥岩互層間の厚さ数m〜数10mの地層が大きく褶曲している部分がある(図3)。

これは、層間褶曲と呼ばれ、堆積物が半固結状態で海底斜面を辷り下りた結果できたものでスランプ(乱堆積)構造という。大坂峠展望台への道路沿いには、雑色の砂質泥岩中に砂岩塊・泥岩塊および円礫が混じり合った地層が見られるが、これは、一度浅所に堆積した海頻の円礫を伴う未〜半固結の砂岩・泥岩層が海底地辷りによって極度に流動変形あるいは分解してできたもので含礫泥岩という。このほか、徳島工業短大の裏山および川端北方の山腹には、数10cmの酸性凝灰岩層が砂岩・泥岩互層に挾まれている。これは、石英や長石に富む火山灰から成り、顕微鏡下では100マイクロメートル以下の火山ガラス片が散在するのが見られる。この凝灰岩層は、特徴的な灰白色をしており、走向方向に比較的よく連続するので鍵層として用いられている。
 和泉層群からは、阿讃山脈北麓や中軸部の泥岩および泥岩勝ち互層から、アンモナイト、イノセラムスなどの大型化石が産することが知られている(坂東・橋本・1984)が板野町内からの産出報告はなく、大型化石に基づく年代決定は行われていない。近年、海生プランクトンである放散虫の生層序学的研究が進み、阿讃山脈の和泉層群に関しても放散虫を用いた年代決定が行われるようになった(須鎗・橋本、1985;山崎、1987)。今回、以下の地点の和泉層群から板野町内で初めて放散虫、有孔虫および貝形虫化石を検出した(図1および図版I・II参照)。
 Loc.1:松谷、新松谷川橋北東詰めの泥岩。
  放散虫:Acanthocircus ellipticus (CAMPBELL & CLARK), Amphipyndax enesseffi FOREMAN, Amphipyndax cf. tylotus FOREMAN, Amphipyndax stocki (CAMPBELL & CLARK), Archaeodictyomitra sp., Archaeospongoprunum hueyi PESSAGNO, Bisphaerocephalina? heros (CAMPBELL & CLARK), Conocaryomma dauerhaffa EMPSON-MORIN), Diacanthocapsa sp., Dictyomitra cf, multicostata ZIT-TEL, Dictyomitra tiara CAMPBELL & CLARK, Stichomitra asymba-tos FOREMAN.
  浮遊性有孔虫:Heterohelix sp.
  貝形虫:Ostracod gen. et spp. index.
 Loc.2:蔵佐南.広域農道沿いの泥岩に含まれる石灰質ノジュール。
  底生有孔虫:Foraminifera gen. et sp. indet.
 その他の化石として、大坂や川端の砂岩層には、菖蒲(しょうぶ)石と呼ばれている“コダイアマモ”の化石(図4)が見られる。

これは現生のアマモ(Zostera)と形態が似ていることからArchaeozosteta(古代アマモ)と名づけられたが、最近では、底棲生物の這い跡とする説も出ている。その理由として、植物としての組織が保存された例が知られていないこと、乱泥流砂岩上面付近の泥質部との境界面上に特徴的に産するにもかかわらず、いずれも形態がきわめてよく保存されており、葉状部が折れたり、曲がったり、ちぎれたりした痕跡がないこと、同時代の地層から、形態が極めて類似した生痕化石が見つかっていることなどがあげられる。
3.古期扇状地礫層
 阿波町土柱には、主として礫岩から成る地層があり、特に粘土や砂が固結した部分は浸食に耐え、その結果「土柱」(悪地地形)をつくっているが、板野町内でもこのような地形をつくる礫岩層が見られる。これらは、主に阿讃山脈の隆起によってもたらされた扇状地性の堆積物である。これらは、板野町内では沖積層におおわれることが多いが、羅漢西の上板町滝ノ宮や犬伏、吹田、川端などに見られる。分布地域の海抜高度は25m〜70mの範囲に及んでおり、当地域の層厚は50mを越えるとみられる。
 滝ノ宮では、礫やそれを固結する砂も赤色化している。これは、現在より温暖な時期に風化を受けた結果、砂礫中に含まれている鉄分が空中酸化を受けて酸化第二鉄を生じたことによる。礫の中心部まで風化が進んでおり、スコップで抵抗なく削ることができるクサリ礫である。犬伏の諏訪神社西や大寺の亀山神社の道路沿いにも同様の礫層が見られる。これらの礫は、全体として滝の宮の礫ほど風化を受けていないが、完全なクサリ礫となったもの、クサリ礫だが脱色しているものが混じっており、円礫にクサリ礫が多い。岡ノ宮の韓崇山の海抜60m付近に礫層が見られる(図5)。

ここでは、礫層の基底が和泉層群の破砕帯を不整合に覆っている。吹田の奥宮神社や奥原の放牧場沿いの道路にも亀山神社でみられるような礫層があり、表土に厚く覆われているが、この地域のなだらかな斜面下全体に古期扇状地礫層が分布していると考えられる。金泉寺北の露頭では、破砕をうけた和泉層群を不整合に覆って礫層のほか、厚さ10〜30cmの炭質物に富んだ粘土層があり、炭化した植物片が多数採集できた(図6)。

また、同地点付近では偏平な礫の覆瓦状の重なり(インブリケーション)が見られ、北からの流れがあったことを示す。川端三軒屋の富ノ谷砂防ダム付近の礫層は、ほとんどがクサリ礫となっている。
 古期扇状地礫層の年代は、従来、泥炭層や材化石等を用いた14C測定により、約3万年前という値が知られていたが、これは、14C測定法の限界年数であった。最近、この限界年数を越えた地層の年代決定法として火山灰中の自生ジルコンを使ったフィッショントラック(飛跡)法が用いられるようになった。この方法による吉野川平野の古期扇状地礫層の年代は、130万年、100万年、45万年という値が出ている(阿子島・須鎗、1986;水野、1987;須鎗、1987)。いずれも従来考えられていた値より著しく古い年代となっており、このことは、次章で述べる中央構造線の活動時期を考える上でも重要である。


4.中央構造線
 中央構造線は、西日本内帯と外帯を画する大断層であり、長野県の諏訪湖南方から天竜川沿いに静岡県、伊勢湾を経て、紀伊半島有田川、四国の吉野川平野北岸を経て九州に至る。四国では、和泉層群と三波川結晶片岩帯とを分けている。本町では、阿讃山脈の南端に位置しており、金泉寺付近に見られるような急な崖をつくっている。犬伏の造成地には、この中央構造線の動きによってできた大規模な破砕帯(最大幅500m)が見られる(図1)。中央構造線の破砕帯は、和泉層群の砂岩・泥岩の断層角礫や断層粘土を主としているが三波川帯の結品片岩のグージ(断層粘土)等も伴って見られる場合がある。上板町引野では、砂質片岩や泥質片岩の大きな岩塊が破砕帯中に取り込まれており、中央構造線の位置や動きを知る上でも貴重な露頭といえる。結晶片岩起源のグージは本町犬伏の道路工事現場(図7)やJR阿波川端駅北でも見られる。

和泉層群の破砕帯が黒っぽいのに対して結晶片岩の破砕帯は鮮かな灰白〜淡緑灰色をしている場合が多いので区別しやすい。
 古期扇状地礫層と中央構造線との関係を見ると破砕帯を古期扇状地礫層が不整合に覆っており、礫層はほとんど変位を受けていない(図8)。このことは、阿讃山脈の和泉層群が中央構造線の断層運動による著しい破砕を受けた後、古期扇状地礫層が堆積したことを物語っている。


5.まとめ
 板野町内の阿讃山脈の和泉層群、古期扇状地礫層、中央構造線について調査した。その結果は以下に要約される。
(1)和泉層群の岩相区分を行った。また板野町内から初めて放散虫化石が検出され、これによる地質年代は白亜紀後期(カンパニアン後期)と推定した。
(2)板野町地域の古期扇状地礫層の分布が明らかになった。
(3)中央構造線に伴う結晶片岩の破砕帯が本町でも見られた。中央構造線は古期扇状地礫層に対して、ほとんど変位を与えていない。
文献
阿子島・須鎗和巳、1986、中央構造線吉野川地溝の形成期、日本地質学会第93年学術大会演旨、p.129.
須鎗和巳、1973、阿讃山脈和泉層群の岩相区分と対比 東北大学理科報告(地質)、特別号、no.6、489−495.
須鎗和巳・橋本寿夫、1985、四国東部の和泉層群より産した放散虫群集・徳島大教養紀要(自然)、15、103−127.
須鎗和巳、1987、徳島県中央構造線に関する新知見、地質学会関西支部報 no.104、西日本支部報 no.88、合併号、6−7.
坂東祐司・橋本寿夫、1984、阿讃山地における和泉層群産アンモナイト化石とその生層序、香川大教育研報(II)、34、11−39.
水野清秀、1987、四国及び淡路島の中央構造線沿いに分布する鮮新・更新統について(予報).地調月報、38、15−20.
山崎哲司、1987、四国・淡路島西部の和泉層群の放散虫群集、地質学雑誌、93、6、403−417.
図版I
すべてLoc.1より産出した放散虫。


スケールはいずれも100マイクロメートル。A:12; B:2、3、4、5、7、8、11; C:1、6、9、10。
1.Archaeodictyomitra sp.
2.Dictyomitra sp.
3.Dictyomitra tiara CAMPBELL&CLARK
4.Dictyomitra cf. multicostata ZITTEL
5.Amphipyndax aff. enesseffi FOREMAN
6.Amphipyndax enessffi FOREMAN
7.Amphipyndax cf. tylotus FOREMAN
8.Amphipyndax sp.
9.Amphipyndax enessffi FOREMAN
10.Amphipyndax stocki(CAMPBELL&CLARK)
11.Stichomitra sp.
12.Stichomitra asymbatos FOREMAN
図版II
Loc.1より産出した放散虫:1〜7、有孔虫:8・9、貝形虫:11。
Loc.2より産出した有孔虫:10。


スケールは、いずれも100マイクロメートル。A:10; B:4、5、6; C:3、7、8、9、11; D:1、2。
1.Diacanthocapsa sp.
2.Bisphaerocephalina? heros (CAMPBELL & CLARK)
3.Stichomitra? sp.
4.Archaeospongoprunum hueyi PESSAGNO
5.Acanthocircus ellipticus (CAMPBELL & CLARK)
6.Pseudoaulophacus aff. lenticulatus (WHITE)
7.Conocaryomma dauerhafta EMPSON-MORIN
8.Heterohelix sp.
9.Heterohelix sp.
 9a, top view ; 9b, side view.
10.Foraminifera gen. et sp. indet.
11.Ostracod gen. et sp. indet.

 

1)土成小学校 2)徳島大学教養部 3)阿南工業高等専門学校 4)富岡西高等学校 5)県教育研修センター 6)石井中学校 7)板野中学校


徳島県立図書館