|
I 船霊信仰 船の守護神として、漁業に携わる人々の間で広く信仰されており、徳島では一般に“フナダマサン”と呼ばれている。船おろしの際に船大工の棟梁によって船に鎮めこまれることが多い。その後は船主によって大切にまつられる。航海安全、大漁などを祈願する。
II 鞆浦漁港における船霊信仰 海部町の鞆浦漁港では、世帯数で約170戸の人々が、漁業に従事している。 沿岸漁業が殆んどで、エビ網漁、小型定置網漁、延縄(のべなわ)漁(サバ・シイラなど)一本釣などが中心である。このため船の大きさも3〜5t
のものが多く、ついで1〜3t 、5〜10 t
のものが多い。 また、漁業に従事しているのは殆んど男性である。 この鞆浦でも船霊さんは厚く信仰されており、正月、節句、漁の切り換え時期などには、“モノマツリ”と称してきちんとおまつりをする。 以下は鞆浦漁港を中心に聞きとり調査をしたものである。 1
おまつりする場所 ブリッジのない船の場合はいちばんオモテ(舳先に近い部分)の船梁に4cm四方の穴を堀り込む。この中に御神体をおさめ、再び蓋をする。 また、昭和40年代に入ってからの船は動力化されてブリッジがあるので、ブリッジの中央より左寄りに神棚をつくる。この神棚に高さ25cmの木製の祠(お堂と呼ぶこともある)の中央の部分に御神体をおさめ、まつる。位置については、船の大きさによって若干の違いがある。(写真1
小島国夫氏所有 三国丸)

2
御 神 体 a サイコロ(船大工の棟梁が作る) 幅約1cm、高さ約1cm、長さ約2cmの木の中央を鋸でひいてすきまを作る。約1cm四方のサイコロ状のものが底だけつながって2個並んだ状態になる。これにサイの目を入れるがこの際、イッテン(1)ジロク(6)オモテミアワセ(3)トモシアワセ(4)ロカイゴトゴト(5)ナカニコニコ(2)ということで、(1)が上、(6)が下、両外側が(5)内側に(2)がくるようにする。 ※このサイコロに使用する木は、亀のウキキ(浮き木のことか?)が最もよいとされている。これは亀が背負って浮き上がってくるといわれており、亀の身体から離れるとたちどころに沈んでしまうとのことで、不思議な霊力をもつ木とされている。大きいものだと長さ60cm、直径13〜14cmぐらいあり、30〜40年程前までは、お床に飾っていた家が何軒かあったとのこと。今でも何軒かの家で所有しているということで、サイコロは殆んどこの木を使用する。船主が所有者の家に頼みに行くことが多いとのこと。 ウキキがない場合は南天の木を使う。 b 十二文銭 寛永通宝を十二枚水引きに通したもの。(うるう年の場合は一枚増やして十三枚にする。)この中に大寛を一枚混ぜるとよいといわれている。 現在は、一文銭のかわりに5円玉を使うことが多い。5円玉は、酢に浸してきれいにしてから使う。しかし、十二文銭を今も使っている船もかなりあるとのこと。 3
おまつりするもの a おしろい 古くは固練り状のおしろいであったが、現在は市販されているコンパクト状のもの。 b 口紅 現在は、ステック状のもの。 c 扇子 日の丸の絵を描いたもの一対 ※船霊さんは、女の神様だと信じられており、以上のものを常時、おまつりしている。 また、女性が船に乗ると嫉妬するともいわれていたので、昔は女性が船に乗ることは少なかった。(今は乗っているとのこと)。 船霊さんに関するおまっりは男性によることが多かった。 4
船おろしの行事(進水式) 船大工の棟梁が中心になつてとりおこなわれる。 a おまつりするもの ア
一升枡、あるいは潮水を汲むのに使うツルベ(桶)に米を八分目まで入れたもの。またそれとは別に、約二合の米を枡に入れたもの。これは、行事が終わって船からおろす際に一諸にして、いっぱいの状態にする。最初から山盛りにしてしまうと、後は下がるしかないので、もっと良くなるようにとの願いをこめて八分目にしておく。 イ
酒一本(一升) ウ
魚一対 アジが最も一般的である。尾の近くに銭形状のウロコがあることから、銭を持ってくる銭神さんとも言われ、金運に恵まれるようにとの願いがこめられている。また、大きくなったら必ず古巣に戻ってくると言われており遠出の漁(靹浦では4〜5日)の際にも無事に帰ってくるようにとの願いもこめられている。 また・頭の固い魚がよいとされているのでホウボウが使われることもある。 タイも使われる。 エ
餅 十二重ね(うるう年には十三重ね)。直径5cm前後の鏡餅状。 この餅をもむ(丸める)のは、両親がそろっている人に限られている。 神様にまつる餅だからという理由である。 オ
その他 山のもの・畑のものとして、リンゴ、シイタケ、ダイコン、コンブなどをまつる。 b 棟梁が、潮、お神酒をまだショウネの入っていない船霊さんの祠(お堂)にふりかけ、ついで船全体にもふりかける。 c 船霊さんにショウネを入れる。 祠(お堂)の中央の部分に前述のサイコロと十二文銭(または5円玉)、半紙に包んだ塩を入れて蓋とする。蓋の部分におしろいを塗り、最後に紅を掃く(“上”と書いたり、“ ”―木の意味とのこと―、と書いたりする)大漁、航海の安全を祈りながら金槌で三回叩く。 特に唱える言葉はないとのこと。 (以上、鞆浦造船所棟梁、橋本性治氏談 昭和12年9月6日生) d 餅投げをする 棟梁、船主、船主の家族によって餅投げが行われる。 e おまつりしたものをさげる。 前述の米は一升枡の方に二合をたして、いっぱいの状態にしておろす。おまつりしたものは棟梁にもらってもらう。 f 船を海中におろす。 おろす時期については、引き潮の時はよくないといわれており、潮が満ちはじめてから満潮になるまでの間がよい。 船が櫓船であった頃(昭和40年代以前)は港の中を左まわりに三回まわっていた。またこの際、わざと船をかたむけて返しそうにしたりしていた(他地方では、山の神を追い上げるためという話もあるが、ここでは山の神との関係はないらしい)。今は船が大きくなったこともあって、港の中で回ることはない。 造船所前から出た船は市場(漁業組合前)まで行き、再び餅投げをする。つぎに小島の神さん(写真2
昔から信仰の対象になっていたらしいが詳しいことは不明。最近祠をつくったとのことであるが祭神がよくわからない)に向い、岸側からと、沖側からの二回、船の上からお神酒を撤く。次に約1km余り先の氏神さん(八幡神社)におまいりに行く。この後、船つき場に帰る。
 この日、船主の家では、近隣、親戚が寄って夜遅くまでお祝いをする。 また、近くの夷さんの祠に二重ねの餅をまつり、家の神棚にも同じようにまつる。 ※船おろしの餅投げの際、妊婦に乗ってもらうと縁起がよいといわれており、大抵の場合(いない場合は捜してでも)乗ってもらう。 5
モノマツリ 正月、節句、夏、秋の祭り、漁の切り換え時期、4〜5日がかりの漁に出る時、何らかの理由で漁を休んだ時、ドッグ入りをした時などにもモノマツリをする。 これは、船霊さんに、お神酒、洗い米、アジ、塩などをまつることで、海部町ではお神酒入れ(小型のきゅうす状、瀬戸物製、名称不明)ヘギ(10.5cm四方、木製)などがセットになった木箱があり(写真3
小島尚江氏所有 昭和7年1月2日生)モノマツリ用のお道具として使われる。しかし、現在ではこれを持つ人も少なくなり、お神酒も一合壜でまにあわせることが多くなった。
 a 正月 三ケ日は、船に大漁旗、紋旗(家の紋が入っている旗、近頃は少なくなった)をかかげる。マストにオシメをつけ、松の枝、ダイダイを飾る。仕事は休む。 船霊さんに、洗い米、塩、アジー対をヘギに入れ、南天の葉と、割り箸を添えてまつる。この際、南天の葉にお神酒を浸して神棚にふりかける。 また、元旦は雑煮、二日目は御飯、三日目におこわ、などをまつる。 b 節句・祭り 新4月3日は、イリジャコ(煮干し)一対、洗い米、お神酒をまつる。仕事は一日休んで浜遊び、山遊びなどをした。 新5月5日、4月と同じようにしてまつり、チマキなどをつくって楽しむ。 夏、秋の祭りも節句と同様にまつる。 c ドッグ入り ドッグ入りをした時は、神様が山にあがってしまっているので、船おろしの際は旗をたててモノマツリをする。 櫓船の頃は、船タデといって、船の腐蝕を防いだり、害虫をおとすために、シダを乾燥させたもので、船底を焼いていた。この時も、船と陸に上げるので、船おろしは旗をたててモノマツリをしていた。 ※船の誕生日(船おろしの日)に、毎年おこわを炊いて、近所に配ったりする家もある。 d その他 船霊さんに関しては、船大工の棟梁あるいは船主によっておまつりされることが多いが、神職さんにお祓いをしてもらう場合もある。 ア
家の中で不幸があった場合は49日が終って50日目にお祓いをしてもらう。 イ
シオナオシといって、不漁が長く続くとお祓いをしてもらう。

III おわりに 鞆浦地区では“家の建て前の時に餅をばらさん(投げない)でも、船ならどんなに小そうてもばらす。”といわれるほど船を大事にする。おまつりの行事なども、昔と比べてそれほど大きな変化はみられない。このようにずっと長い間、大切に守られてきているというは、鞆浦の海に生きる人々の間では、今も昔も変わらずに、船霊さんへ熱い願いが寄せられている、ということなのだろう。 また、お忙しい中、多大な御協力をいただきました小島尚江様、ならびに鞆浦漁協の皆様方、鞆浦造船所棟梁の橋本性治様に、深く感謝申し上げます。 |