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1.方言区画上の位置 徳島県の方言は上郡(かみごおり)、下郡(しもごおり)、山分、うわて、灘に五大別される。灘は海部郡六町である。灘はさらに由岐、日和佐の上灘と、牟岐、海南、海部、宍喰の下灘に区分される。従って海部町は下灘のほぼ中央に位置することになる。 「灘」の方言は県南の方言区画ではアクセント、イントネーション、語彙の面から「うわて」に近い。隣接の高知県との類似は少なく、上方の影響が大きい。これは海上交通で古くから大阪方面が徳島よりも身近であったこと、当地方の女性が花嫁修業を兼ねて大阪、京都方面へ女中奉公に出る習慣があったことなどのためと思われる。また紀伊水道を共通の漁場としているためか略音、音融合、文末詞において和歌山・淡路・鳴門との共通点が多い。 海部町も漁業の鞆浦と商業の奥浦、農業の川西地区とではそれぞれ特徴があるが、今回は全部をまとめて海部町の方言として扱うことにした。
2.海部町の方言概観 ○ キョーラ エー ヒヨリヤナー。 (今日はいい日和ですね。) この上り調子の「ナー」が海部町方言の基調である。 ○ オマエ ホリャー ドイタンジェー。 (貴女、それはどうしたの?) イ音便、「ゾエ」の融合と思われる「ジェー」も当方言を特徴づける。 ○ タノンデ クレテミー。(頼んでみてよ。) いわゆる連用形のかたちが命令を表すことは徳島市と同じであるが、この表現は当方言ならではの婉曲さがある。 ○ アー ホーカナ。(ああ そうですか。) 敬語の少ない所だと土地の人は謙遜するが、この「カナ」には初対面の 人に対する敬意がこもっている。 「ホーケー」(そうですか)と「ホーケイ」は違うという人もある。 「ホーケイ」と言った方が待遇度が高いそうである。 いきなり文例をあげたのは、この土地とこの土地の人々の間で交わされる温かい南国の言語体系を箇条で述べる後ろめたさからである。 海部町方言には 1
西日本(県内を含む)の古い語彙がたくさん使用されている。 2
理由を表す接続助詞「ケニ」、「チョット コイダ」など、基本語法は「下郡」と同一である。(中には県西部の古い層との類似もある)それに近代に入ってからの上方語の流入があり、これを阿波流にアレンジして(サカイ、サケ、ヨッテニ ノッテニ、ヤ、ヤケ)などを作った。 3
音韻面が自由で、省略、融合、リエゾンなどが多い。 (イカンヤケ→イカンニャケ) 4
副詞の数が多く、強調や詠嘆で表現を豊かに、ユーモラスにしている。 等の特徴があるように思う。表現法やイントネーションには、まだまだ研究の余地がある。
3.音 韻 (1)1音節の名詞はすべて長呼する。 歯(ハー)目(メー)胃(イー) また名詞以外に ○ アンマリ ザット シースギトル。 ○ ネブタケリャー ネータラエー。 ○ エーキリモン キーテ…。 など、動詞にもみられる。 (2)略音、約音、音融合が多い。 仲人→ナカド 唐キビ→トキビ 表現のあらゆる場面にも ○ 式も セット。 (せずに) ○ ヨー ホンナコト イワー。 (よくそんなこと言うよ) ○ 刈リ込ミヤ ユーナー… (いうのは) ○ アミャー フラヘンケ。 (雨は降らないだろうかねえ) ○ 軽イノッテニナ。 (軽いからね) (3)サ行イ音便を多用する。 ど(う)して→ドイテ 差して →サイテ 干して →ホイテ (4)イ音便する前段階で「ヒ」音となる。 暮らしとる→クラヒトル→クライトル (5)子音添加、撥音化、促音化 雑巾→ゾッキン 四月→シンガツ ごつい→ゴッツイ (6)音節添加 河豚→フクト 溝→ミゾゴ (7)リエゾン お父さんやお母さん。→オトーサンニャ オカーサン。 泊っとんやろ→トマットンニャロ。
4.アクセント 海部町のアクセントは灘地方と差異のない下郡型である。 注意すべき点を挙げると (1)第三類の「池」がイケである。 当方言ではイケは普通「井戸」のことをさすことと関係がありそうである。 (2)三音節形容詞は 型になりやすい。 第一類 赤い、厚い、薄い、遅い、重い、堅い、軽い、暗いは と を併用する。 第二類 黒い、強い、長い、広い、深いも同様である。 これは表現法に関係があり、強調や詠嘆の気持ちが加わると、 型になる。強調表現は使用頻度の上昇と共に効果が少なくなるので普通の場合も強調型がとられることになる。 副詞についても同様のことが言える。
5.語 法 (1)名 詞 ○ 古語の残存がみられる。 二人称 ワレ、ワコ、アカ、アコ、オンシ 三人称 デキ、レキ ○ 格助詞「の」の準体言的用法の使用が少なく、その代りに「モン(もの)」を用いる。 大キナモン 釣ッタ。 最高ノモン 跳ブ人ワ… (記録を) (2)動 詞 ○ 漢語+「ナル」の形 昇格ナル、転属ナル、許可ナル ある権威によって状況が変化する場合、「〜になる」という言い方をせず、「〜ナル」というラ行五段活用の動詞を作る傾向が強い。 ○ 強調の接尾語 ホリコッタース。(放り込む) イガリッタース。(どなる) 副詞の多様性と共に、強調の接辞も当方言を多彩なものにしている。 (3)形容詞 ○ ワリキリガ エライモン。 (あの人は 割り切った考え方が極端だもの) ○ マー コノ 子ワ エライ。 (まあ この子は お利口さんだ) アクセントの項でも述べたが、上記のような感動表現が、当方言の一つの特徴である。 形容詞の連用形はウ音便するほか、 アマーナル、タヨリナーナル (甘) (頼) のように長音にもなる。 (4)形容動詞 ○ アノ人ワ キレーニアッタケンドナー。 ○ ノンキニ アッタナ。 のように、連用形が「アッタ」を受ける形を多用する。 セチビンニ(けちけさい、狭量な) コーシューニ(親密に) 全国方言辞典にも記載されている古風な形容動詞が聞かれた。 (5)副 詞 副詞は地方色が出やすいものであるが、誇張、強調の仕方が県内の他地域以上に多彩である。阿波系、阪神系のものとの併用だから、さらに強烈となる。 1
イナリ、イナリコ(いきなり) 2 イッコモ〜セン(少しも〜ない) 3 エッポド(よほど) 4
オーケ〜セン(大して〜ない) 5 カッタシ(片端から) 6 ジョーニ(たくさん) 7
シャント(うっかり、困ったことに) 8 タケタケ(片端から) 9
ダイブカ(だいぶ) 様態の副詞には促音で強調するものが多い。 スックリ ガッチリ ピッシャリ ビッシリ ポッコ (6)感動詞 アリヤ(非難、驚きを表す) アーレ(意外の感) ホー(ああ、そう) 単純感声的なものである。 ホレ(ホー) マー サー ダー 文末詞ともみられる呼びかけである。 (7)助動詞 ○ 断 定 阿波系の「ジャ」と上方の「ヤ」が併存している。また文末詞と複合して海部方言を豊かにしている。 ヤカ(ホーヤカ) ヤケ(ホーヤケ) }そうじゃないの ヤゲ(イクンヤゲ)行くんだわよ 「ジャ」の連用形は「ダッ」を用いる アメリカデ クラスンダッタラ… ○ 可 能 ホンナコト セラレン。 可能の助動詞を禁止に用いるのは県内他地域と同じである。 ○ 打消推量「マイ」の接続 ホンナモン ワカランコト アリマイガ…。 のように「マイ」は終止形にも連用形にも接続する。 (8)助 詞 ○ 接続助詞 1
逆接の「ノニ」は断定の助動詞抜きで名詞に付く。形容動詞には語幹から付く。 ・夜ノニナー。 ・好キケンナー。 2
理由のケン、ケニ、サカイ、ヨッテは併用される。ヨッテは音融合によって「ノッテ」となる。 ○ 副助詞 ヤカ ヤカイ ヤカイシ 石ヤカ投ゲルカ。 子供ヤカイ ハイレンゾ。 ワシヤ カイシワ オッテモ オランデモ エーンカ。 (9)文末詞 1
デ ・ヤスンドリ。ワイガ スルデ。 (君は休んでいてよ。僕がするよ。) 「デ」は阿波方言の代表的な丁寧の文末詞であるが、同音、同アクセントでありながら、海部では、いたわり、善意の提言、請け合いの気持ちを表す。 ・ホンナコト ナイデ。 (そんなことありませんよ。) 丁寧に相手の意見を否定する時にも用いる。 2
ダ、ダー(ラ、ラー) ・ダー。ホーヨ。 (そう。その通りよ) これは感動詞的な用法である。 ・ホンナコト アルケダー。 (そんなことあるわけないわよ) こうなると感動の文末詞となる。 ・ダー セコーテダ 困ットンジャ。 (もう 苦しくて困っているんだ) これは県西部に行われる「ダ」であるが、これとは異質である。 ダとラの混同は県下全域の現象であるから「ラ、ラー」ともなる。 3
ツラ ツライナ ・ウマカッツラ。(おいしかったよ。) ・有ッツライナ。(あったと思うよ。) 文語の「つらむ」を思わせる回想の文末詞である。 4
音融合、省略による文末詞 A ジェ、ゼ(ぞえ) ・右ー トルンジェ。 (右へ 曲るんですよ。) ・エー 気持チニ ナルゼヨ。 B テワ ・ナインヤテワ。(無いんだとよ。) 県西では「チューワ」「ツワ」であるが、当方言では「テワ」である。 C テヤ(といえば) ・曇リテヤ ウットシーナ。 なお、断定の「ヤ」に熟合したものについてはすでに述べた。 D ゲ(ガエ) ・ホンナコト ナイゲ。 この「ゲ」が上灘では「ウエ」となり、より女性的な響きとなる。 E 呼びかけ的文末詞 コレ ホレ ホー ソレ サー マー ダー ワレー ワリャー オマー オンシャー 海部方言には呼びかけ的文末詞が豊富である。上記はあらゆる命令文に付けることができる。 古い層は「ナモシ」を用いる。 5
ナモシ ケイ カナ ・エー天気ヤナモシ。 ・コレガ ホーケイ。 (これが捜しているものですか。) ・アー ホーカナ。(ああそうですか。) 6.民俗語彙 海部町の語源となった海部(あまべ)は漁業に従事する部族の名称である。鞆浦は古くからの漁港で、海部の中心地であった。当然、そこには古来の海の暮らしを反映する言葉が、ふんだんに生きづいているはずである。その民俗語彙は、今回の調査の重要な目標の一つであったが、対象範囲が、あまりにも広い。そこで、的をしぼって、以前に調査した磯漁業地帯(阿部・伊座利・伊島)との比較を試みることとした。まず、内容は漁撈関係に限定した。つぎには、なるべく、方言らしいものに限ることにした。漁撈関係語彙は、広い海を通じて全国に及び、共通語的なものが多いからである。 ここでは、そのうち潮汐関係の一部を挙げることにした。なお、漁撈語彙全般については、主として地元の浅川初夫氏のお話によったが、筆録に関してはすべて筆者の責任である。 アゲシオ 満ち潮のこと。満ち初めとは限らない。 アサシオ 朝方満潮となること。朝の干潮はアサビという。 アサビ 『コモリ(晦日)ツイタチ(1日)アケクレ(明け方と暮れ方)ダタエ(満潮)。トーカ(10日)ノ アサビ(朝干)、ヤツ(午後2時ごろ)ダタエ。ニジューサンヤ(23日の夜)ワ ヨナカノツキ(夜中に月の出となって干潮)』という俗諺がある。月のデハナ(出た直後)とイリシナ(入る時)はヒッショ(干潮)であり、月を根拠にした旧暦は昔の海の暮らしに密着していた。 オーシオ 1カ月のうち最も潮の大きく引くこと。旧暦1日、15日。 クロシオ 黒潮、よく澄んだ黒味をおびた潮。 コシオ 干満の差の最も少ない潮。旧暦7、8日と22、23日ごろ。 シオナオシ 不漁つづきのとき全戸休業して神祭りをすること。漁祈祷ともいう。 タタエ (湛え)満潮になること。 タンポ 磯で大岩または岩石の間の水たまりをいう。海底の凹地をさすこともある。 ヒゾコ 干底。干潮の極限、満ち潮にかかる直前。 ミズシオ 大雨の後などで川水が多く流れこんだ潮。
<参考文献> ・「郷土方言の音いん学的研究」 鞆奥中学校教諭 勝浦義一 昭26 ・総合学術調査報告「牟岐町」 昭51 ・ 〃 「宍喰町」 昭49 ・日和佐町史(語彙737語)昭59 ・宍喰町史 (〃751〃) 昭61 ・徳島県百科辞典 「海部の方言」ほか |