阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第32号
石井町の葬送儀礼について

徳島民俗学会 前川富子

 今年も、たくさんの方々のご協力でこの報告ができることを心から感謝している。
 忍耐強く私の質問に答えて下さる方の、誠実さ、真しな生きかたには、いつもながら感動しきりであったが、お話を伺うにつれて、受け継いだ伝統を正確に、できるだけ多く伝え、残したいというお気持ちには、迫力を感じることもあった。
 お教えいただいた方には、相当の年齢の方もいらっしゃったが、生と死が、心の中に自然な調和をもって存在していて、死というものを消滅としてとらえるのではなく、死も存在の一部であるというとらえかたで、他にも、自分の上にも死ぬという事実を認めていることに感概を覚えた。
 これは、伝統を守り、一生懸命生きぬいてきた人生の安堵であり、自信であるのだろうか。とにかく、生きていくこと、死んでいくことに対する精神の文化の高さであり、確固たる哲学性ではと、近ごろの風潮と比較して感ずるこのごろである。
 ずいぶん、たくさんの方にお世話になった。葬送に関しても、又その他たくさんお教えいただいたが、紙面の都合で別の機会に報告したい。
 本報告の内容はお聞きしたものだけを記載したもので、報告のない地区に事項がないわけではないので申し述べる。又、内容は主に大正時代の様子をお聞きして記載した。他にご意見を頂ければ幸いに存じます。
 ご協力頂いた、磯川武雄、磯川信枝、岩佐伊三郎、大崎真兄、河野幸雄、加統虎喜、清重秀雄、坂本信太郎、佐野貞、坂尾喜六、多田時一、松家嘉七、三河胤夫、山口正義、芳川東洋氏他たくさんの方々に心からお礼申し上げますと共に今後のご協力もよろしくお願い致します。


1.死とその前後
千度参り
 病人が危篤状態の時に、在所中が総出で氏神さんの社で千度参りをした。一升に大豆等の粒を1,000個いれて、数取りに使った。(高原)
 お百度
 是非、病気が治ってもらいたい時に、家族がお百度を踏む。大低の神社に百度石が立っている。(藍畑)
 ヨビモドシ
 病人が死にそうな時に「しっかりせなあかん」等と呼ぶ。(藍畑)
 息の切れる前に、大勢で名を呼ぶ。今は1〜2名が呼ぶのみ。(高川原)
 「おじいさん」「おばあさん」等と大体2回呼んであげる。(石井)
 息が切れそうな時、口々に「おばあさん」等と呼ぶ。(尼寺)
 末後の水 枕の水
 息が切れかけた時、あるいは息が切れてしまった時に、箸の先につけた綿に水をしませて唇を潤す。(高原)
 白布
 息が切れたら白布をかける。昔は口へ綿を入れた。(尼寺)
 ブクヨケ
 死亡するとすぐ、在所の世話人が来て全部の神棚を白紙で覆う。期間は35日あるいは49日間。(高原)
 ミミフサギ ミミフサギノダンゴ
 同じ歳の人が死んだと聞いた時、米のだんごを仏壇に供えて真経をあげ、自分の両耳をふさぐ真似をする。(高原)
 ガンホドキ
 オガンをしてあげると、治っても治らなくてもお礼まいりをして「以後どうぞよろしくお願いします」と挨拶する。
 死んだ時には着物をオクの口から北口へむけて逆さに振り、「お世話になりました」と言う。(高原)
 タマシイ
 タマシイは49日間家にいる。49日過ぎると十万憶土へ行くと言われている。この間屋根の棟におるので家はさわらない。尚、十万憶土というのは、ワラジをあんで、各馬に50足づつ積んで15頭の馬が必要な位遠いと言われている。(高原)
遺体はなきがら、タマシイは死んでいない。49日間は家の棟を離れない。(石井)
 ヨトギ ツヤ
 病人はオモテで寝ている。ヨトギはオモテでする。(浦庄)
 付き合いの濃い親類がヨトギ見舞いを持ち寄る。近ごろは寿司、昔はぼたもちであった。在所の世話人が供え物を買ってきてまつり、先達を中心に真経をあげる。尚、真経は有り難いのでガキ仏がついてくるとも言われている。(高原)
 通夜の晩は死んだ人を話題にしてあげる。お通夜の晩にトナリの人が葬式の相談をする。親戚からヨトギミマイとして、ぼたもち、寿司、うどん等を持参した。今は金かまんじゅう、果物等をもってきている。(尼寺)
 病人で死んだ場所でお通夜をする。ヨトギともいう。死んだままの姿で白布を顔にかける。トナリの人が皆集まる。(石井)
 親戚はうどん一せいろ、巻寿司30本を持参した。最近はヨトギの賄いにいった費用を割り当てにする場合も多くなった。(藍畑)
 マツゴノミズ
 マクラナオシの前にシキビのハナで最後の水をあげる。(石井)
 マクラナオシ キタマクラマ マクラヲカエル
 通夜がすんだ翌日、オクの部屋へ連れて行って頭を北にする。布団の上に一番良い着物を逆さにかける。マクラメシとハサミ、カミソリを置く。布団は焼いてしまうが、着物は寺へ納める。(尼寺)
 棺に入れる前に北枕にまわす。(石井)
 病気の時は東か西向きに寝ている。通夜の前にタケザ(オク)で北枕にする。息子があれば息子、なければ身内や親類等の濃い者でする。経机に一本花、一本線香、マクラノメシを供える。妖怪よけに刃物(ハサミ、カミソリ等)を置き添える。(高原)
 オクでキタマクラにする。(浦庄)
 マツゴノミズ
 一本花の葉をもいで死人に水をあげる。この時お不動さんを唱える。お不動さんは仏の門番なので、出棺の時にも唱える。お不動さんのお努めをしていたら魔がつかないと言われている。(高原)


2.死者への供物
 マクラノメシ
 世話人(他人)が手で握って計って、北向きのクドで白米を炊き、4個に分けてマクラノメシにする。(高原)
 死んだ人のギョウギチャワンにご飯を供える。(浦庄)
 白米の4個の握り飯。死者が葬式までに善光寺へ行って帰ってくるので、その弁当であるという。こうしないと極楽ヘ行けない。(尼寺)
 通夜の明けた朝、トナリの人が来て一番に炊いてもらう。炊く時に北枕にする。3合の米で4個の握り飯をとる。(石井)


3.死亡の通知
 ヒキャク
 一軒に対して2人が1組になって、親戚へ歩いて知らせる。ちょうちんをさして行った。ヒキャクには、ソーメンとご飯を炊いて出す。出さないと恥になるので、米2升、ソーメン2把とローソクはきらされんと年寄りが言っていた。(尼寺)
 飯とそうめん汁でもてなす。昔は家を構えていたら米二合とそうめん三把は常に用意していた。(高原)
 ヒキャクをうけた家は、急いでご飯を炊き、食事をして帰ってもらうのが例であった。(藍畑)


4.納棺
 カメ カンオケ ネカン
 土葬の時はカメ(明治末期まで)。その後カンオケ、マルカン。ネカンになったのは戦後葬儀用の自動車ができてから。(尼寺)
 湯灌
 棺に入れる前にユカンをした。タケザに藁を敷いて、その上にむしろを敷いて、タライを置く、湯を入れて裸にした死人をぬか袋で洗う。立ち会うのは従兄弟、親兄弟。勺は左手で外へうつして使い、頭から湯をかける。終わると使った物はむしろで巻いて、勺を立て、橋のたもとや古い池の柳の木の根元にすてる。(犬、猫も死んだ時同じように捨てる。)湯はタケザから下へ落ちてしまう。カミソリを当てて頭の髪を剃る。(高原)
 タケザで、タライに湯をいれて血縁の者が洗う。男はフンドシだけ、女はジバンでたすきがけ、竹の勺で左手で逆手で湯をかける。洗った水は縁の下へ流す。枕元においたカミソリで男女共に頭を剃った。(尼寺)
 オクのタケザにムシロを敷いてタライに湯を入れて、裸にして座らせてすってあげる。縁の下には水が流れ出さないように、溜るようになっている。(石井)
 装束 タビダチノキモノ
 白布をハサミを使わずに引き裂いて、スガソと言う大麻の繊維の糸で年寄りが縫った。(高原)
 在所の女の人が旅立ちの着物を縫った。緒でふしをしないで縫った。今は高野山でうけてきた、寺の印を捺したものを掛ける。(尼寺)
 白のジバン、白のひとえ、テゴ、キャハン、三角頭巾、足装、サンヤブクロ 数珠、敷まんだら、経かたびら、ワラジをつける。着物は左前、死装束は身の濃い者が糸にふしをしないで縫う。裁断にハサミを使わない。サンヤブクロには握り飯と六文を入れる。(藍畑)
 末期の水
 棺に納める前に、シキブのハナで死者の唇に水をあげる。(浦庄、尼寺)
 土砂加持
 死体は固くなっているので、土砂加持をするとやわらかくなって納めやすくなる。お土砂は寺の本尊の前にいつもまつってある。(石井)
 納棺
 オケには腰から曲げて、2つに折って納める。脚をもちあげて引っ張ると尻が落ちて納まる。(浦庄)
 マルカン、カンオケ。土葬の時はカメ。脚を上に向けて2つに折って尻から先へ落としこむ。(石井)
 番茶で枕をする。(尼寺)
 棺に入れるもの
 棺の中には、弁当(マクラメシとは別に炊く)、六文(橋の渡し賃)、ダンゴ(串を4本、1本にダンゴを4個づつつける)、小判(竹の串に4枚をさす)、筆記具、本、酒、布、針、ハサミ、煙草、煙草入れを入れる。(尼寺)
 死臭を防ぐため番茶を詰める。(藍畑)


5.ノベオクリ
 葬式
 オモテに掛け軸を掛ける。真言宗は右青面金、左弘法大師、中央十三仏。門徒は阿弥陀如来。2〜3段のまつりものをして、むしろを敷いて棺桶を前に置く。焼香は、後継ぎ、身の濃い人から。(尼寺)
 掛け軸は左に不動、右にお大師さん、真ん中に十三仏さん。普通は左大師に右不動であるが、葬式は不動さんが采配をふると言われている。(石井)
 花輪は、戦後になってからはじまった。(尼寺)
 満州事変、支那事変の戦死者が出てから祭段式の葬式を出すようになった。葬斎場の大しきみ、祭壇の廻持灯籠、金灯籠、錦幡、生花、金蓮、電照蓮、小花輪等のいくつかを親戚で割り当ててする。4本幡、天がい、鳥の口も親戚、縁者から贈られた。(藍畑)
 イハイ持ち
 位牌をもつ者は、家督相続者にきまっている。(石井)
 アケノヒ
 葬式の日。
 通夜の後、トナリの人がソーレンを買いに行く。金額に合わせたものをすぐにこしらえてもらって、待つ間につくってくれる。3〜4時に葬式にかかる。(尼寺)
 レンジョウ マワリ葬式
 ニワに竹を20本ぐらい立て、一巾の白布をまわしてニワ一杯に張る。この場所をレンジョウにしてソーレンをまわす。住持がカネ打ちを連れて入って来る。ソーレンを担いで入ってきて、ゼンノツナを引き、左へ3回まわり、北向きに棺をおいて焼香する。(高原)
 3まわり半まわる。女の人は竹の杖を持ってゼソノツナを引く。(浦庄)
 長男は位牌を持つ、棺は左回りに3回まわる。(尼寺)
 住持はきょくろくに座って、長柄の傘を立てて経をあげる。先達の僧が発声するとあとを全員がつける。ゼンノツナを引っ張った人は全部焼き場へ行く。(高原)
 式場の四隅に竹を立てて四方に門をつくる。門は鳥居のように竹を渡す。式場を左回りに3回まわり、僧がけまんをふる。死者の兄弟がある時はドウバンをたてかけておいてまわる。喪主、ソーレン、親戚(ゼンツナの両脇)がまわる。終わるとしゃ水する。しゃ水器に水と香を入れ、梅のずばえをまわして叩いて水をふる。(石井)
 ソーレンをカドヘかき出し、カドニワでまわる。黒の幕を張ってあることもある。(尼寺)
 皆素足に藁ぞうりで杖(女竹で握るところを半紙で巻いて糊付けする)をつく。白布の端をソーレンにつけて、女がこれにつかまってまわる。鳥の口、四本幡、布のぼり、ソーレン(天がい付き)、お供が6回半まわる。(藍畑)
 ソーレン
 アケノヒにこしらえてもらいに行く。金額に合わせて待つ間に作ってくれる。ソーレンは親戚の身の濃い者が後を担き、次の者が前を担ぐ。首にカキ棒の縄をかけて、両手で持つ。反物一丈位でのぼりを組んで従う。この布は寺へ納めて寺で使用した。布はほとんど絹。兄弟や子供、従兄弟等が持つ。ハタは打ち敷き等にして寺が貸し出し用にした。(尼寺)
 ソーレンは2人で担ぐが、身内の多い場合はテンジョウカキと言って4人かきがあった。2人の場合は肩から縄を掛けて2本の棒を持つ。4人の場合は神興のように1本づつ肩に担ぐ。ソーレンは、身に近い人が担ぐ。(高原)
 昭和8年にソーレンを出した。六角のソーレンは石井町で最後であった。六方のソーレンと言う。白木綿のゼンノツナを持って、竹の杖をつき、線香を持ってソーレンに従う。ワラのジョウリを履く。(石井)
 ソーレンが出たのは昭和14〜15年ごろまで。(藍畑)
 ゼンノツナ
 ソーレンにゼンノツナをくくりつけて、女や子供が持つ。(高原)
 カドイレノゼン
 出棺前の昼食をカドイレノゼンと言う。精進料理で家族、親類、手伝いの人が会食する。(藍畑)
 カドイレノサケ
 冷酒をハカバ(火葬場)へ行く人に飲んでもらう。(尼寺)
 火葬場へ行く人は全員カドイレの酒を飲む。(石井)
 六地蔵の灯明
 ソーレンが出る時に六地蔵の灯明を門前であげる。(尼寺)
 別れ火、茶わん割りは講中の仕事である。講に入ってなければ適当な者がする。棺が出ると死んだ人のギョウギチャワンをカドで割る。同時にワラビをたく。(藍畑)
 ヨビモドシ
 子供が死んだ場合、棺が門を出る時に父やトナリの人が名を呼ぶ。(石井)
 喪服
 女の人は黒の喪服に葬式まげ。(高原)
 女の人は白のりんずの白むく。男は紋付き、袴(袴を持つ人は少ないので借りる)。ソーレンをかく人、イハイ持ちはホーカン(三角頭巾)をつける。(尼寺)
 イハイ持ちは三角頭巾をつけて、白のカミシモ(急いで縫う)。女の人は忌中まげに白むく。黒い着物は大正になってから着るようになった。(石井)
 オトキ
 出棺までに全員が食べる。豆腐の汁に赤飯。(高原)
 出棺を忌む日
 友引きよけ、さんりんぼうよけ、方位よけ、豹日よけをする。「豹日に尾をみせな」といって、豹日に背中を見せて来ると死ぬといわれている。(高原)
 正月に葬式は出さない。友引きの日の葬式は、死人と同性のイチマ(人形)を買って死人に抱かせてオケに入れる。近ごろは友引きの日は葬式は出さないが昔の方が融通が利いた。(浦庄)
 出棺
 死者の甥が棺桶に棒をつけて担いで行く。(浦庄)
 ソーレンは肉親の者が担ぐ。女の人はゼンノツナを引く。(高川原)
 出る時には、従兄弟等家の権威ある人が手伝いの人に挨拶する。(高原)
 ゾーリ
 中抜きの紙緒のゾーリ、(稲のトメハの中の芯を抜いた藁で編んでいる)(高原)
 葬列
 カネ、写真、位牌、ハチウチ、輿、ゼンノツナ、花籠、花車、お供。(高原)
 ソーレン、位牌、しゃ水、香(3)、四本幡、天がい、僧、親戚、六地蔵の幡(6人)。天がいは身の濃い者が持つ。(浦庄)
 ソーレン、位牌、僧、兄弟、子供、従兄弟、トナリ、手伝いの人、女の人(ゼンノツナを引く)。
 六地蔵
 竹1本を6つに割って、燭台の代わりにして送り出す。棺につけて行って一諸に焼く。土葬の時はオタマヤをこしらえて、オタマヤの中へ立てた。六地蔵は子供の仏さんであると言われている。(高原)
 花籠
 竹竿の上に六角の籠をつけて、籠から竹を垂らして先に花をつける。籠の中にハスの花びらを入れて、角、角で竿を突くと花ビラが散るようになっている。際立った行いの人には、5銭貨を紙で包んでかんぜ撚りにして入れて、銭も撒いた。(高原)
 花車
 車輪2個の車で輪の後ろに脚がついていた。畳1枚敷きくらいの板敷きで、へりにこうらんがある。中に4尺位の木を立てて花を飾る。親戚の濃い者が引く。有志の家では20台位並んだ。(高原)
 泣き女
 焼き場へ行く時に、「かわいそうだ、泣いてやれ」と言って、皆で泣く。名
を呼んで泣いた。相当昔のことである。(石井)
 病の道切り
 長患いで死んだ場合、黒ゴマを煎って焼き場まで、ソーレンの後を撒いて行った。病の道切りである。(高原)
 カンニュウ橋
 この橋を棺を担いで通ると死人がなくなるので、よけて通った。(下浦)


6.帰りの作法
 タケウマ
 焼き場、あるいは土葬から帰って、竹馬を跨いで家に入った。(高原)
 野辺から帰ると塩払いして竹馬を跨ぐ。(尼寺)
 真言宗では塩払いし、竹の馬を跨ぐ。(石井)
 ゾーリ
 帰りに道の縁へ棄てて帰る。(高原)
 火葬場からの帰りにハナヲを切って棄てて帰る。(藍畑)


7.不時の死
 水死、不時の死の場合は、一晩納屋のオブタの下に、ムシロの上でムシロをきせて寝させてから家の中へ入れてあげる。着かえてその晩お通夜をする。葬式は3日目にするので1日のびる。(高原)


徳島県立図書館