阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第31号
山の神を中心とした小祠信仰

民俗班 関真由子

はじめに
 羽ノ浦町では田畑の中、屋敷の隅、屋根上などに小さな祠が散在している。これらは、屋敷神さん、忌串さん、同族神の他、山の神さん、足神さん、こづきの神さん、などと呼ばれており、その性格は多岐にわたっている。また、現在も大切にまつられているもの、あるいは忘れられようとしているもの、と様々である。
 いままでに、鷲敷・鴨島と二度にわたって“山の神信仰”について調査を行ってきたが、今回の羽ノ浦町では、山といっても100m前後の丘陵地帯しかなく、平野が中心という地形から、多くの資料を得ることができなかった。そこで、こうした平野部における山の神の信仰がどういう特色を持っているかなどの他、町内で何ケ所かまつられている足神さん、こづきの神さん等の祠についても、あわせて調査を行うことにした。なお、オフナタハン、シバオリサン等、他の地域でよくみられる小祠についても質問項目に加えていたが、羽ノ浦町ではあまり一般的でなく、オフナタハンの名称が一部で聞かれたのみであった。また、野神さんが、一ケ所あったが、これについては、また機会をあらためて調査を行うつもりである。
 調査方法としては、古老の方々を対象に聞きとりを行った。


 1.山の神さん(表I参照

 広い意味では山を守る神として信仰されており、県下に数多く存在する。ただ、何処の場合でも、昭和30年代の高度経済成長時代を機に、著しくその信仰形態が希薄になりつつある。しかし、地域によれば(特に山地などでは)現在もなお、まつりが続けられている。羽ノ浦町では、以前から山との関りがそう多くはなかったようで、祠の数をとってみても鷲敷、鴨島に比べて、きわめて少なく、まつりも在所ではなく個人によって行われる。これは、前述した地形と、那賀川流域ということから、シバ・マキが手に入りやすかったことなどが関係していると思われる。
 古毛、岩脇地区の北側から、宮倉地区の西側にかけて、標高100m前後の丘陵が続いている。この周辺にいくつかの祠が残っている。現在は、高さ約70mのコンクリート製のものが主流だが、以前は木製が多かったようである(自然石を使用しているものが宮倉に一ケ所、また御神体が卵形の石であるのが岩脇に一ケ所ある)。山の中腹や尾根上にあり、近くには必ずといっていい程、松・杉・桃などの大木が茂っている。
 祭日には一貫性がなく、神職さんの都合を聞くなどして、合理的に決められているようである。ヤマノクチアケなどの山の行事は戦前ぐらいまではやっていたが、現在は殆んど行われていない。
 祠の所在地はすべて私有で(土地を売却した場合でも、祠については元の所有者がまつる)。在所からまつりの費用の一部が出ているのは、宮倉の一ケ所のみである。
 また、山の神さんと呼ばれつつ、ノゴウサン、オフナタハンの別称を持っている場合がある。このようなことは、山に対する依存度の高い山地などにはみられないことで、平地の山の神信仰の特徴の一つであろうと思われる。おそらくは、単に山に入る人々を守るといったことだけでなく、人々の願いに応じた多様な性格をもっているのだろう。
 山と日常生活との関わりが少なくなっていくにつれて、その信仰形態も変化しつつあるといえる。


 2.こづきの神さん(表II参照)


 咳を止めてくれる神様、特に子供の咳、夜に咳こむ時、などに霊験あらたかといわれている。また“こづき”の名称から、粉好き(こずき)、子好き(こずき)な神であるともいわれる。そういうわけで、まつるものとしては、麦粉、ハッタイ粉などがよいとされている。また、子供が好きなので、秋の収穫が終わった頃に、子供相撲を奉納したとのことである(岩脇)。これは、当時、咳で苦しむのが主として子供であったこととも関係していると思われる。現在のように抗性物質等の薬が出る前は、風邪、百日咳などが流行すると生命にかかわることもたびたびであったので、咳を止めて欲しいという願いは切実なものであったに違いない。しかし、これも薬の出現によって激減し、現在は若干のお年寄りがお参りにくるのみである。
 なお、岩脇の二ケ所は個人の屋敷神であり、宮倉の場合も庭内にある祠である。こうした屋敷うちにある祠が、何故こづきの神さんと呼ばれるようになったかはよくわからない。
 3.足神さん(表III参照)


 足を守ってくれる神様。足の悪い人がその治癒を祈り、また遠出の旅をする人、山に登る人が、道中の足の安全を祈った。その際にお神酒、おんぶくなどの他、ワラジ、あるいはゾウリをおまつりする。このワラジ(ゾウリ)のまつり方は、新しいワラジに自分のエト、名前などを書いて吊すというのが一般的であるが、古くは、宮倉地区の表に記したように、すでにまつってあるものをいただいてきて、願いがかなうと新しいものをお返しするといったものだったらしい。
 なお、この祠は現在に至っても多くの参拝者を有しており、祠周囲に吊されているワラジも絶えたことがないとのことである。
 こうした信仰は、当時に生きた人々の思いを素朴に、かつきわめて如実に語りかけてくれるように思われる。


 最後に
 この調査にあたって、猛暑の中、あちこちの祠へ御案内下さった羽ノ浦町の方々に深く感謝申し上げます。


徳島県立図書館