阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第28号
貞光町の葬送について

民俗班 前川富子

貞光町の葬送について、主に戦前の様子を古老からうかがった。
 貞光町の宗教は真言宗が殆どであるが、真宗も若干あり、他に創価学会、天理教、金剛教、霊友会などがある。又、家賀にキリシタンの墓のあることも知られている。
 人が死亡すると、枕なおしを終えて死人として扱われる。葬送の準備はトナリと呼ぶ近隣の助け合いで進められる。通夜を行い、普通は翌日に日を選んで告別式が行なわれ、火葬にふされるか、野辺へ送られる。
 全地域に火葬が定着したのは昭和35年前後で、それまでの東西端山は土葬が多かった。
 墓には、方形の平らな自然石のものと、戒名を切った角石塔が多い。
 追善の法事はムイカ、ムカワレ等のほかに、盆の行事も行なわれるほか、端山での辰巳、町筋での巳午の行事がある。
 お忙しいなかを、種々便宜をはかっていただいた貞光町教育委員会、中央公民館の皆様。調査に暖かいご協力とご教示を賜わりました津田貞子氏、矢野岩子氏、金岡兼右衛門氏、西岡田萬市氏、沖田純教氏、藤本芳雄氏、藤本春市氏、岸本赤蔵氏には心から感謝申し上げます。
 

 1.死とその前後
 神ダノミ 願カケ
 病人が助かりそうにない。と思われる時、夜中の1時頃に棟へ上り、津の峯さんに願をかけた。(猿飼)
 末期ノ水
 息を引取る前に水を病人に含ませる。(大坊)
 呼ビ戻シ
 息を引取った時、血筋を引かない者が3度耳元で名前を呼ぶ。(家賀)
 息が途絶えて8〜9分した時に大声で名を呼ぶ。(大坊)
 死
 枕ナヲシが終って死人となる。それまでは病人として扱う。
 仏ヨケ
 病人が息を引取ると家中の神を他人が白紙でおおう。1年間又は49日間の場合もある。(大坊)
 神棚に白紙を当てて、棒をすじかいに止める。(家賀)
 神棚に忌中札をはる。(太田)
 枕ナヲシ 北マクラ
 昔は兄弟が揃ってから行った。北向きに寝させ新しい枕をさせる。寝具の上にユカワの後に着せる着物を着重ねて置き、手斧と箒をその上に交叉させる。(家賀)
 鎌を置く。(猿飼)
 甥が来た時に北枕にする。(大坊)
 病人の枕を蹴ってはずし、北枕にし、身の濃い者が着物を逆さに振ってかける。(太田)
 死水
 ハナシバ(樒)に水をつけて唇をしめらせる。「ええとこへ行きなよ。」等と言う場合もある。(太田)
 枕ノモノ 枕ノメシ
 枕ナヲシをした枕元へ供える。米を手で掬って炊く。丸い握飯を4個握り膳の四隅に置き、線香、ローソク、水(ハナシバを添える)を並べる。握飯はサンヤに入れる。(猿飼)
 死人の茶椀に1杯の米を計って炊き、膳のスマ(四隅)に丸い握飯、真中に残りの飯を茶椀に盛って枕元へ置く。握飯と茶椀の飯はサンヤに入れる。(太田)
 米は他人が炊き、真中の茶椀の飯は弁当としてサンヤに入れ、四個の握飯は柩の四隅に入れる(大坊)
 夜トギ オ通夜
 一本線香、又は線香とローソクを切らさずに枕元を守る。昔は全員で起きていたようだが近頃は連れ合い、女衆、濃い親戚などが交替でしている。小夜食に粥を食べるが、味噌雑炊(吉良)、ぼたもち(太田)もある。
耳フサギ 耳トオシ エト除ケ
 昭和初め頃まで、死人と同じ干支に生まれた者はエト除ケをした。(猿飼)
 「ええこと聞いても悪いこと聞くな。アブラオンケンソワカ。」と唱えながら、死人と同年の者の耳を、他人が鍋蓋と釜蓋で耳をふさいだ。大正初め頃まで。(太田)
 願ホドキ オ願モドキ
 死人のよく着た着物の裾を持ち、居間の戸口の敷居の内側から外へ向って「誰某の願ホドキです。」と言いながら3回振る。(家賀)
 「オ願モドキをいたしますけん。」と言いながら着物を逆にして家の外で振る。六日念仏が終るまでにする。(大坊)
 タマシイ
 魂は四十九日間は家の棟にあり、この間屋根の葺替えはしない。その後は善光寺へ行くと言われている。(大坊)
 

2.葬送の準備
 ミョーナイ、ホーガン(衆)、常会、組内班
 助け合いの組織で、死亡するとすぐ知らせを受け、各戸から1〜2名が葬家の手伝いに出る。手伝いは米や香料を持参する。協議の上式の段取りが決められ、役割が当てられる。
 尚、妊婦とその夫には役割がない。(大坊)
 主に次のような役割があった。
○寺、医者(診断書)、役場、火葬場の連絡
○精麦、精米
○マチヨー(当用モンを買い調える)
○葬式用具の準備(花籠、四花、ソトバ、六角、位牌等)
○穴堀り
○石取り(ナベラニ地獄石を取る)
○ヒキャク
○段飾りの支度
○支度(オトキ)
○膳、碗類の調達
○死装束の用意
〇四十九のダンゴ、餅など
○トンボゾーリの製作
○塩払いの準備
○オオイ、忌中フダをはる
○カメ、オケ、カン等の準備(大坊)
 など
 死装束
 ハサミをつかわずに裂いて裁つ、ふしは他の人に結んでもらって縫い、返し針はしない。一反の布で単衣、手甲、脚半、座布団、サンヤ袋などを裁ち合わせる。(大坊)
 身の濃い者が縫った。ふしをつくらずに縫いはなしにした。襟は後に止めておくだけで、はずして帯にする。足袋は左右反対。(太田)
 ヒキャク
 二人で出る。迎えた家ではソーメン汁と白米の支度をヒキャクに出し、一緒に来る。(大坊、猿飼)
 カメ、ハヤオケ、カンオケ、ネカン
 土葬の場合は、カメ、又はオケを使用した。カメは碑を建てても傾かないので、オケよりも良いとされた。
 大六というカメを使用。大正10年頃500円位、昭和20年頃5,000円位(カメが稀少)、今は5万円位。(家賀)
 長瀬、広瀬、貞光などからカメを買って背負って帰った。トーヨーガメは二等品で、ひびや、焼きぞれがあって水瓶よりは安かった。鎹を当て、カナヅチで叩いて底に穴をあけ、板で底をして使用する。(猿飼)
 ハヤオケは杉材のヌキを持ち寄ってカンナを使わずにつくった。大人用2尺7寸、子供用2尺(高さ)であった。(猿飼)
 忌中札
 忌中札をはるのは町筋のみであった。(大坊)
 四十九ノダンゴ、四十九ノモチ
 四十九ノモチを串に刺し、四角の杉板の四隅に立て、真中に杉の葉を立てて棺の上に供える。今は適当に食べているが、土葬の時は野辺に供えた。(大坊)
 四十九ノダンゴは野辺から帰って念仏をあげた後、放り投げたのを拾って食べる。奪い合って食べると仏が喜ぶと言う。(家賀)
 

 3.湯潅と納棺
 寝座オコシ
 ユカンの前に身近い者が床前で死人を起す。(家賀)
 枕ハズシ
 ユカンの前に、夫婦の場合は縁を切ると言って枕を蹴ってはずす。(猿飼)
 ユカワ、ユカン
 身の濃い者がユカンをする。今はアルコールで清拭するが、昔はワラ縄の帯とタスキがけで、裸にしてタライに入れた死人を布で洗い、髪を梳かし髭を剃った。湯は縁の下へ流す。着物は左衽に着せる。白の単衣、手甲、脚半、三角頭巾、サンヤ袋、杖、六文、足袋は裂いて左右逆にはかせる。(大坊)
 ユカンの湯は先に水を入れ、杓を逆手に湯を後から入れる。湯は日の当らない縁の下に捨てる。(太田)
 手伝いの人が単衣ものと上張りを借りてユカワをした。使用後はオコシ床を起し、床下へ流す。ユカワをした上張りと寝座は陽がかけてから焼く。月経中の人はユカワを手伝わない。(家賀)
 畳を2〜3枚あげ、ユカワの場所をつくる。ユカワ酒を一口づつ飲み、ハナシバを口にくわえて縄ダスキをし、死人をタライの中に坐らせて洗った。洗い水はあげ床に捨てる。妊婦は手伝わない。(猿飼)
 入棺
 寺の来る1時間位前に入棺を終わるようにする。
 カメ、オケの場合は、息を引き取った時に腕や脚の関接を動かせて曲りやすくしたり、(家賀)肘や膝を曲げておく。(猿飼、家賀、大坊)顎をしばっておくこともある。(太田)
 カメには交脚、手を合掌させて屈んだかたちにいれる。ネカンの場合は寝ているままで手を合掌させる。
 入棺の折に、夫は「お前とはこれで別れぞお。」と言って褌のハナ(端)を切り、妻は腰巻のハナを切る。(大坊)
 棺の中へはワラ、ハナシバ、茶の葉などをつめる。生花をいれる事もある。ハナシバは仏の小遣いになると言う。棺の蓋は身の濃い順に打つ。(大坊)
 「サカイキしてやるぞ」と言って、子供が死人(男女)の眉を剃り落した。(猿飼)
 この世とあの世の境をみて驚かないように目と口を閉じさせる。(太田)
 

 4.葬式
 戦前は野辺送りのみという場合が多かった。葬式は友引の日は出さない。トラの日は出さないかトラ除けをする。出棺はクマオの方角を除ける。(大坊)
 現在は告別式のために葬儀屋が段飾りをするが、昔は弘法大師を真中に十三仏、お不動さんの三幅の掛軸を床に掛け、お供えをし、その前にオケを置いて錦を被せ、僧が読経したのち野辺に向った。(大坊)
 読経(1〜3寺)の間に身の濃い者から焼香銭を置いて焼香をする。
 読経が終ると四つ膳(本膳、オトキ)を会食し、出棺となる。
 昔は女の人は白無垢であったが戦後黒の喪服を着るようになった。組内などは喪服を着なかったが、近頃は一戸に一人は黒喪服を着てくるようになった。
 

 5.出棺と野辺送り
 出酒、イッパイ酒、出立チノ酒
 出棺の前に全員が一杯づつの酒を飲む。(大坊)
 喪家で飲食する人は出立チの酒を飲む。(家賀)
 出棺の作法
 土葬の頃は日がかけってから出た。今は火葬場の都合にもよるが、なるべく午前中は出さない。莚を外に敷き、棺を置いて出棺の読経をあげる。今は霊柩車までだが、野辺送りの行列をする場合もしない場合もある。棺が道中で止まると魂が留って墓へ行かないと言うので途中休まない。後棒、先棒、天蓋はトンボゾーリを履き、ぬぎ捨てて帰る。今もゾーリは履きぞめだけする。担手は青竹の杖を持つ。(猿飼)
 身の濃い者が逆棒で担ぎ、後棒を死人により近い者が受持つ。棒二人、天蓋持ち、位牌持ちはカラワラで編んだトンボジョーリを履く、ジョーリは墓地へ捨てて来た。読経の間に行列は3回まわる。今は霊柩車へ乗せ、親戚代表の挨拶のあと出発。身の濃い者から続いて行く。(大坊)
 野辺送りに連れ合いは行かない。
 ワラ火
 棺が門を出ると藁一束を逆手にして火をつける。ギョーギ茶椀を割る。(太田)
 雨だれ(軒先)でワラ火をたき、アガリに茶椀をうちつけて割る。(家賀)
 野辺送りの行列の例
○オノ(道開け)
○花籠
○タツノクチ
〇六道
○幡 4本
○ソトバ 3本
○野位牌
○棺、カメ(先棒は家の孫、後棒は外の孫)
○僧
○天蓋
○お膳持ち(洒水用…跡取りの妻)
○ゼンの綱
○見送りの者
 (猿飼)
 

 6.葬法
 端山では従来土葬であったが、戦後だんだん火葬が増加し、町営の火葬場ができてからはほとんどが火葬になった。死者の希望や大雪による交通途絶の場合等で今も土葬を行うこともある。旧太田、貞光では早くから火葬が普及していた。
 火葬
 昔は割木持参(のち重油使用)で火葬場に行き、一晩かかって焼き、翌早朝に遺骨を拾いに行った。点火は身の濃い者による。遺骨はノド仏をオシャリさんと言って一番後に拾う。拾う時は二人で竹と木の箸を持ち、はさみ合って拾う。(大坊)
 土葬
 墓地ヘカメが着くと、墓穴のコバ(脇)で3回半回って穴へ落とす。斧で縄目を切り初めにする。野辺送りの幡や花籠は穴の四隅へ入れる。戸主が最初に土をきせ、全員で埋める。土はカメの周囲へ入れ、地獄石をカメの上にのせて又土をかぶせる。広い大きなオガミ石をのせて、石碑を建てるまでは姿のよい山石をその上に置く。鎌をオガミ石の後に立てる。花立ては四十九日までは一本。以後二本になる。(猿飼)
 穴を堀りあげると「敷地を買うてあげますよ。」と言って穴に一銭(今は10円)を投げ入れる。カメは左へ3回半回して穴へ落とす。まわりへ土を入れ、担いでいた棒で土をつめ込む。地獄石を1〜2枚置き、伊勢参宮をした人が石の上から3度ドンドンと踏む。土をきせてオガミ石を置く。オガミ石の上には四花台に野位牌を置く。ハナシバ、米、菓子、果物、線香、水等を供える。後へ鎌又はホトリウチ(唐テンガ)を刃が前へ向くように、提灯、ソトバも立てる。(家賀)
 土葬の墓で、オケの中に石灰をつめて埋葬している200年位前の墓がみつかっている。(吉良)
 イモイケ、野墓
 身寄りのない者や行倒れの場合は莚に巻いて穴に埋け、オガミ石を立てた。(猿飼)
 地蔵ワタシ、地蔵墓
 満1才になるまでは戒名なしに、身近の者で葬り、法事はしない。(猿飼)
 野位牌
 昔は銀紙をきせてあって、墓場で毎日少しづつ銀紙の被いをあげていって、七日目に全部とってしまう。(大坊)
 墓ナヲシ
 翌朝墓ナヲシをする。5寸又は1尺に石を積み、オガミ石を置きなおし、上に四花台、野位牌、オキジ(茶椀)を置く。ソトバを一本立てる。(家賀)
 石を積んで方形に台をつくり、先のオガミ石を天石にする。その上に小さい方のオガミ石を置き、水で清め、線香、果物を供える。(猿飼)
 改葬
 骨堂をこしらえて古い墓から骨アゲをし、先祖代々墓にする家が近年増しつつある。改葬には、まず堀り上げる前に僧が魂を墓地から抜き、骨ガメに骨又は土を拾い、5〜7体分位づつ骨堂に納骨する。僧が新しい墓を開眼し、法要を営むという順序で行なう。改葬は法事の折に行なう。(吉良)
 墓寄セ
 骨堂にせずに墓を1カ所に集める。(家賀)
 

 7.帰りの作法
 塩払い
 野辺から帰った者は雨だれの内へは塩払いしてから入る。(猿飼)
 タケムマ
 野辺から帰ると竹馬をまたぎ、右手の甲に塩をもらって肩にかけ、水で手を洗う。(太田)
 オノ
 野辺に行ったオノは、埋葬し終らないうちに棺の出た家に帰り、イロリを左へ3回まわる。(猿飼)
 

 8.追善
 アタリノムイカ ムイカメ ムヨミ
 今は葬式の当日にすませるが、六日目に念仏の仕上げをした。毎晩念仏の回数と線香をふやしていって、六日目には線香を6本あげる。念仏のあとぼたもち等を食べておひらきにする。(大坊)
 六日目に部落の代表が別れとして光明真言を108回唱える。善光寺さんへ行くのが遅くなってはいけないと言うので早口で唱える。昔は毎晩であったが今は六日目だけである。六日目の念仏のあと、四十九日の餅を配り、ネブツノミ(酒)を飲む。(猿飼)
 近所、親戚が集まり、念仏を7度唱和するのを1回として49回唱える。六日目にしていたが今は葬式の当日にすませる。(吉良)
 その他の法事
 四十九日(三十五日)、ムカワレ、三年(三周忌、三回忌)、七年(同)、十三年(同)以下、十七年、二十一年、二十五年、三十三年、五十年、百回忌などがある。どの地域も必ず行なうのは十三年まで。
 法事は寺と日取りの決定をし、親戚へ案内。料理や記念品の準備をして墓掃除をすませ、当日は回向した後墓参りをし、本膳をとって散会する。
 

 9.死穢
 ブク、火ブク
 親1年。おじ、おば90日、いとこ20日、子のブクはない。(大坊)
 目上は1年。目下は軽い。(太田)
 正月の15日間に葬式を出す場合、親戚は神棚におおいをし、注連飾もはずす。他人はその家の食物は口にしない。もし口にした場合は3日間の火ブクがある。(大坊)
 

 10.墓制
 墓地、ハカジョ、ハカバ
 古くは家の所有地や畑に墓地を選んだが、明治時代に共同墓地へ埋葬するようになった。墓地には六地蔵、庵のあるところもあるが殆どが施設はない。
 ハカ
 主に単独墓でたまに夫婦墓もある。ハカは自然石のものと、石塔とがあり、自然石は四角い平らな石で、オガミ石と呼ばれ四つ石で囲まれている。四つ石がオガミ石より上に出ているものが古く、オガミ石が上になっているものが新しい。(家賀)
 石塔は法事の折に建立し、前方に戒名、向って右に施主、建立年月日、同左に名前、死亡年、続柄を切る。オガミ石と台、水鉢。あるいは笠、ほう、台石でできており、昔は庵治石、今は白御影石が多い。(吉良)
 子供の墓は舟石塔、地蔵を切る。
 墓地に植える木、植えない木
 ハナシバは植えるが、他には植えない。(家賀、吉良)
 アジサイを植えてはいけない。ハナシバは植えて良いという人と悪いという人がある。(太田)
 イハイゴノ墓
 家督を継ぐはずであった子の墓は畑の真中にたてる。(吉良、家賀)
 

 11.墓参
 春秋彼岸、盆の墓参り、暮れの墓掃除はどこも行なうようである。新仏のある場合は命日、四十九日、初盆等のほかに、辰巳又は巳午(仏の正月)にも行く。普通はハナシバ、水、米、線香等を供える。
 

 12.行事
 盆
 旧7月1日から末までを盆の月と呼び以下のような行事がある。
○灯籠立て、水棚まつり(7月1日)
○墓掃除
○墓まいり
○盆念仏、盆の火とぼし(7月14日)
○盆休み(7月15日)
○盆礼
○お護摩
○まわり踊り
○灯籠流し(8月1日)
 仏の正月
 タツミ、ミウマ、ミノヒマツリを行なう。

  


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