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阿讃山脈南麓の和泉層群の形成過程、中央構造線活断層系の運動様式について調査し、わかりやすく教材化した。また阿讃山脈南麓下にひろがる扇状地における地下水位の調査も行った。
1 地質・地形 この地域の地質構造発達史を、時代を追って次の3期に分けて述べる。 ・和泉層群堆積時代の古地理 ―中生代白亜紀 ・吉野川断層地溝谷と阿讃山脈の形成 ―新生代第三紀末 ・中央構造線活断層系の活動と扇状地の形成 ―新生代第四紀 1−1 和泉層群堆積時代の古地理

1)吉野町吉野中学校 2)上板町高志小学校 3)・4)徳島大学教養部 5)阿南高専 6)山形大学教育学部 7)徳島市千松小学校 8)石井町石井中学校 9)脇町高校
和泉層群は阿讃山地を形成する主要な地層である。中央構造線の北側に沿って東西に細長く分布しており,南北の幅は12km前後である。北縁部は香川県にあたり,領家花こう岩類を不整合に覆っている。 和泉層群を構成する地層は砂岩・泥岩の互層が、主体であり,礫岩や酸性凝灰岩層を伴う。とくに図1に示したように,北縁部には基底礫岩相が東西に細長く分布し,その南側に泥岩相が東西に分布している。中軸部では砂岩相ないし砂質泥岩相が卓越している。なお,砂岩相とは砂岩の比率が60%以上の砂岩泥岩互層であり,砂質泥岩相とは砂岩の比率が40〜60%,泥岩相とは砂岩の比率が40%以下の互層である。 北縁の基底礫岩相と泥岩相は陸棚のような浅い海に堆積した地層であるが,中軸部から南方にかけての砂岩相や砂質泥岩相は乱泥流によつて形成された堆積物である。すなわち,図1のように北縁部の浅海に堆積した泥や砂が,海底地すべりなどによって海水と混り合い,密度の高い流れ(乱泥流)となって,海底の斜面を流れ下ってできた地層である。このような乱泥流堆積物では,砂と泥がリズミカルな互層をなすことが多く,砂岩層中には級化構造(図2)が発達する。また、地すべりによる層内褶曲も見られる。
上板町内では、砂岩相は泉谷流域に発達しており、泥岩相は宮ケ谷流域〜大谷地域にかけて顕著である(図3・4・7参照)。


 
上板町泉谷ダムサイド、砂岩層の一枚の厚さは数m〜数10cm。写真の最下部のやや黒いところは泥岩層。
調査地域における化石の産出は稀であるが、和泉層群からはアンモナイト、イノセラムス、コダイアマモなどが発見されており、その時代は中生代白亜紀の末期(約7千万年前)である。
1−2 吉野川断層地溝谷と阿讃山脈の形成 現在みられるような吉野川谷と阿讃山脈の原形が形づくられたのは、新生代新第三紀の末のことである。和泉層群が堆積した中生代末期から新生代末期までの長い間、中央構造線をはさむ北側(内帯)と南側(外帯)の間にどのような地殻変動・地形変化が起ったかは徳島県では全くわかっていない(証拠がない)。この間愛媛県では新生代古第三紀始新世に久万層群が堆積するときに内帯側の隆起、久万層群堆積後に内帯側の外帯側への衝き上げ運動(砥部時階)、新第三紀中新世に外帯側に石鎚火山の噴出、新第三期末(鮮新世)に外帯側の降起すなわち石鎚断層崖の形成といった複雑な地殻変動の歴史が組み立てられるに十分な証拠が残されている。 さて、吉野川谷には新第三紀末鮮新世〜第四紀洪積世初期の森山層がある(亜炭をふくむ粘土層や砂礫層であり、鴨島町〜川島町の四国山地北麓すなわち吉野川谷南縁に分布している)。このときまでに吉野川谷が、北側を中央構造線、南側を三波川結晶片岩のなかの東西性断層にそれぞれ挟まれたおちこみ(図1)として形成されていた。吉野川谷南縁の森山層のなかに和泉砂岩の大礫(径数10cm)がふくまれているから、阿讃山脈はその南麓に扇状地を発達させて、このような土石を吉野川へ吐き出すほどの高度をもつまで隆起していた。
1−3 中央構造線活断層系の活動と扇状地の形成 阿讃山脈の南麓の地形は、高度300〜150mの丘陵地、河川に平行して段々になった切れ切れの台地(洪積世の扇状地、高度100m以下)、河川沿いの扇状地(沖積世扇状地)からできている(第8図)。

和泉層群からなる丘陵地内、丘陵地の縁に東西性の数列の断層が走っており数地点で大規模な破砕帯がみられる。その延長は洪積世扇状地面・沖積世扇状地面下を走るが、これらの扇状地面が断ち切られていたり、扇状地礫層が断層変形をうけている露頭を見い出すことはできなかった。土成町の宮川内谷川西岸までは洪積世扇状地面を断ち切る断層地形が顕著に認められている(著者ら1979:阿波学会紀要25;他)のであるから、当地域においても同様の活断層運動があったにちがいない。さらに調査をつづける必要がある。
(当地域の主な断層破砕帯露頭について) 中央構造線:結晶片岩北縁の露頭は、市場町切幡と土成町秋月の町境付近、板野町犬伏、鳴門市大麻町桧にあり、その中間に位置する上板町では扇状地の地下を走ることになる。犬伏(旧鍛冶屋原線犬伏駅北東方)の土取場では結晶片岩破砕帯の北側の和泉層群泥岩相が南北幅200m以上にわたって破砕されている。 和泉層群中の東西性断層:熊ノ庄神社裏にては丘陵南端より北へ向かって約100mの間、和泉層群砂岩がち互層が破砕されている。 天神前北方、丘陵南端より丘陵内の砂防ダム工事現場までの間、南北幅300mにわたって和泉層群破砕帯となっている。砂防ダムのすぐ下流にて、砂岩と破砕された泥岩との境界面は走向N40〜45゜E、傾斜40〜75゜Nである。 御所カントリークラブ内の東側稜の切り取りでは数地点に大小の断層破砕帯がみられるが、とくに、丘稜をNEE−SWW方向に横切る谷の延長線上で、泥岩がち互層を切る幅3mの破砕帯がありその走向・傾斜はN70゜E、80゜Nである。さらにそのNE方向延長の、台山公園北側の凹地の地下にあたる北泉谷川河岸において、砂岩がち互層を切る幅1mの破砕帯が数本みられる。N20〜30゜E、90〜70゜E。 県果樹試験場北側、大谷−黒谷間にNEE−SWW方向の谷があり、その延長上東側稜線に幅1mの破砕帯がある。走向・傾斜はN80゜E、50゜N、北側の砂岩と南側の泥岩とを境している。 南北性断層:土成町、御所カントリークラブ西門(裏口)にて、和泉層群泥岩層のなかに幅3m程の破砕帯があり、斜交する2系統の断層面が測られる。ひとつはN80゜E、60゜N、幅1m;ひとつはN40゜E、65゜N、幅10cm。 洪積世の扇状地礫層は、切れ切れの台地となって残っている(十楽寺の裏山:高度80〜50mの間;瀧ノ宮の県果樹試験場・八坂神社のある丘)ほか、沖積世扇状地面の地下に伏在している(図9、地点E、F、Gの記号b)。一方、洪積世の吉野川氾らん原堆積物(結晶片岩礫をふくんでいる)は上板中学校のやや南(図11地点F)、瀧ノ宮(同地点G)まで分布している(図9)。 沖積世扇状地層のなかには、約7.000年前の降下火山灰層が挟まれている(図9、A、B、E、F、G、H)。

2 地下水 扇状地面から吉野川の氾濫原面にかけての浅井戸の地下水位(地層のなかにとじこめられた地下水でないので自由地下水という)がどのようになっているかを明らかにする。さらに近年地下水位が低下して枯井戸が多くなっているのでその状況を記緑しておくため、地下水位の調査を行った。 2−1 調査時期 浅井戸による地下水は農業灌漑に用いられているため、地下水位は季節的に変化している。夏から秋にかけて水位は上昇し、秋から冬・春にかけて低下する。秋から冬にかけては水位は安定しており、50cm位しか変動しない。したがって、今回は10月10日〜12月10日の間に調査を行った(1980年)。 2−2 調査方法 短期間に多くの資料を集めたいこと、阿波学会・町の調査に多くの参加を得たいことから、上板中学校の生徒に協力を依頼し、図10の調査表に記入してもらうことにして、70地点の資料が得られた。ここに誌面をお借りして感謝の意を表します。さらに、大戸井・山口が現地を巡り、合計423地点の資料を集めた。東部地区は若干資料が不足している。
 2−3 調査、結果 地下水面の地表面からの深度を、図11に示す。地区によるが2/3〜4/5が枯井戸であったので、底の深さより低いとして図を描いた。
 〔扇状地面下の地下水位〕北泉谷川の扇状地(鍛冶屋原扇状地)および宮ケ谷川・盗人谷川の扇状地(神宅(かんやけ)扇状地)ではいずれも扇央部(それぞれ山田付近、大山町付近)で最も低く、扇頂部(それぞれの谷の出口)・扇端部(それぞれ東原−鍛冶屋原−小柿、原西)では高い。すなわち、扇状地の中央部では土石の堆積層が厚く堆積して、中央部がふくれたような地形になっているためである。 〔吉野川氾濫原面下の地下水位〕吉野町〜板野町にかけて宮川内谷川は吉野川の旧河道であると考えられるが、この筋に沿って地下水位は地表下0〜−2mである。ところがさらに南側の吉野川本流筋にむかって−5〜−6mと低下ししている。地表面はほぼ水平であるから、地下水面が南に向かって下っていることになる。吉野川沿いの地下水面は吉野川の水面に等しいと考えられるから、この地区の地下水面低下・井戸枯れは吉野川河床高度の低下(砂利採取による?)のためと考えられる。
文 献(一部) 阿子島功・他5名(1979):市場町とその周辺の中央構造線の活断層運動。阿波学会紀要、No.25、p.165〜176 坂東祐司・斉藤 実(1967)正念寺地区畑作振興深層地下水調査報告書、徳島県 須鎗和巳(1966):阿讃山脈東部の和泉層群の研究(その1)。徳島大学教養部紀要(自然科学)、V.1、p.1〜14 須鎗和巳・他10名(1968):同(その2)。同上、V.1、P.7〜16 須鎗和巳(1969):引野地区畑作振興深層地下水調査報告書、徳島県 須鎗和巳(1973):阿讃山脈の和泉層群の岩相互区と対比。東北大学理科報告、2nd
Ser.(地質学)、特別号No.6、P.489〜495 須鎗和巳(1978):阿讃山系地区表層地質図(1:50,000)、中国四国農政局計画部 須鎗和巳・阿子島功(1978):四国島の中央構造線の諸問題(その3)―吉野川流域のネオテクトニクスの再検討―。徳島 大学教養部紀要(自然科学)、V.11、P.51〜69 |