はじめに 徳島県では県内の各学術研究団体を統合して「阿波学会」を組織し、県立図書館のお世話で毎年、夏休み初め頃、県下のある地域を定めて綜合調査をし、その年の暮れに公開の研究成果の発表と紀要を出している。今年は徳島県と香川県と愛媛県とが接する池田町を調査した。 私達建築班は、建築学会徳島支所と、郷土研究会と共同で、テーマを「池田町の民家」と決めて、7月26、27日と8月9、10日の4日間調査した。調査員は柳沢(県住宅課長)、三橋(県営繕課主査)、三好(住宅課指導係)、四宮(県工建築科長)の4名であった。 この調査に当り、町役場の方々は勿論、地元の皆様方には、色々と御協力を載きましたことに、深く感謝申し上げます。 以下、目次の順で説明する。
目 次 1 池田町の北方の民家 ◎上野呂内の民家 1
木下義久氏宅……普通の山間民家、三間形式の名残りをとどめた家。 2
松田晴茂氏宅……玄関構え、茅葺の煙草乾燥小屋がよい。 ◎井之久保の民家 3
藤山八千代氏宅……普通農家建築、三間形式の名残りをとどめた茅葺下しの家。
◎佐野の家 4 久保梅男氏宅……字西沼谷779、寛政8年の銘あり、玄関構えの上下座敷の家。 5
高橋理一氏宅……有安、野呂内の民家と大体同じ、玄関構えの上下座敷の家。 6
森 実明氏宅……庄屋、玄関構え、70年前に根引谷より移転、年代相当古く、上下座敷の家。 ◎西山の民家 7
川人 寛明氏宅……庄屋、230年前の家、長屋門は立派で、山間のものとしては県下一。 ◎州津の民家 8
来代 軍二氏宅……門が立派で美しい。150年前と推定、玄関構えの武家の家。
2 池田町南方の民家 9
宮石の民家……蔵、主屋、納屋と並んだ家は山間に調和して美しい。 10
出合の民家……松尾川岸に建つ懸崖造りの家、木造三階建の家。 ◎川崎の民家 11
蔭谷義雄氏宅……千足には16軒民家あり、山間民家の典型、160年前 12
長畠祐雄氏宅……阿波山間農家として典型的外観を保っている。 ◎漆川の民家 13
大西福一氏宅……南谷にあり、250年前、普通農家で南谷で一番古い。 14
谷口津弥太郎氏宅……影野にあり、ヤマトの典型を見つけた。 ◎町境の東隣り井川町字井之内西の民家……民家二つ調査したが漆川とよく以ている。
3
池田町街中の家 15
うだち(税、卯建、うだつ)の並ぶ本町……坂野、宮本、佐藤、内田、喜多、真野の各氏の商家が並び昔時の池田の街並の面影を残している。 16
武家屋敷の面影を残す家……馬宮住宅は、池田士の家で文化財の武家門があり、庄屋は式台付の豪壮な玄関構えを有し、内部は書院造りの表の間がある。
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1 池田町北方の民家 1
木下義久宅(池田町大字白地字上野呂内)S.54.7.25 山間民家の原形から変化した家で、明治40年に白地より移築したときに改築した。その時に、オクノマ、ダイドコ、カマヤを増築した跡が見られる。以前は山間民家特有の ニワ ナカノ マオモテ の三間形式の家であった。
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松田晴茂氏宅(池田町大字白地字上野呂内)S.54.7.25
![](2612/26kentiku_fig02-01.gif) 玄関構えの家で接客用のカミザシキがあり、棹縁天井、長押、透し彫欄間を設けた部屋である。100年位の前で、屋根は30年前に葺替えた。その時瓦葺にした。大西氏宅(上野呂内松尾)も大体この家と同等の間取りであった。 煙草乾燥小屋は大壁作りで、茅葺小屋としては一番古い原形である。
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茅葺屋根で、大壁造りの乾燥小屋は県下ではここだけで、貴重なものである。 藩政時代の阿波の三大産業と言えば、海岸地方の塩と吉野川流域地方の藍作り、それと池田町を中心とする山間地方の煙草作りであった。特に阿波の刻み煙草は火付けがよいとの評判で全国に出廻ったと言われている。煙草が専売制度になって公社の指導により、県下には、屋根の上に「煙出し」のついた瓦葺の規格された乾燥小屋が多く建てられているが、その中にあって、この松田氏の乾燥小屋は、茅葺で外壁は土蔵造りの荒壁のままで、二階部分に乾燥のため小窓を三つ付けているもので、公社指導前の初期の小屋として、外観も素朴で美しい。
3
藤山八千代氏宅(池田町井ノ久保西)S.54.7.25
![](2612/26kentiku_fig03-02.gif) 茅葺の葺下し屋根の民家は珍しくなっている中に、井ノ久保で1軒見つけた。200年前に建てたといっているが、現状は大分改増築されているので、柱の柄跡にそって復原図を考えて見たら、カマヤ、ナカノマ、オモテの所謂三間取の山間民家によく見られた間取とたった。
4
久保梅男氏宅(池出町佐野字西沼谷)S.54.7.25
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![](2612/26kentiku_fig04-02.gif) 棟札があり「寛政8年3月藤原忠兵衛久積38才作之」 鬼門棟……久保氏の言によると、堂宮大工の建てた家は鬼門棟とするのが習わしであったと言う。それで、神社、佛閣は鬼門棟が殆んどあると言う。この家は堂宮大工が建てたので鬼門棟になっている。鬼門棟とは、表鬼門(東北隅)から裏鬼門(西南隅)に棟木を通すことである。 昭和53年に茅葺屋根を瓦葺に、その時茶の間部分を増築した。柱は全部栗の木で、大黒柱が二つあり、上大黒と下大黒で1尺角と8寸角でチョーナハツリである。
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高橋理一氏宅(池田町佐野字有安)S.54.7.25
![](2612/26kentiku_fig05-01.gif) 一山隔れている野呂内の松田氏宅の左勝手の間取と反対に右勝手の家となっているだけで間取はよく以ている。大宗にあったのを73年前に移築改増築した。以前はオモテ、ナカノマ、ニワの三間取であったという。オモテは棹縁天井、他の部屋は天井がなかった。ユルリの上には「火覆」(ヒオイ)を釣っていたと言う。150年前と推定する。この家の近くに地蔵堂(2間×3間)があり、ここに釣鐘(直径30cm高さ45cm)があり、宝暦巳年正月吉日の銘がある。
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6
森 実明氏宅(池田町佐野)S.54.7.26
![](2612/26kentiku_fig06-01.gif) この家は、昔の佐野城の跡地に庄屋の家を移築したものである。柱は全部栗の木、大黒柱は1尺角の栗でチョーナハツリである。大正4年に移築改増築して建てた。元は根引谷にあった。5年前までは茅葺であった。山の方に古い墓があり、石川姓が多い。近くのお庵に、慶安2年3月21日の銘がある五輪塔がある。
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7
川人寛明氏宅(池田町西山)S.54.8.9 主屋−明治3年 門屋−230年前
![](2612/26kentiku_fig07-01.gif) 川人氏の先祖は信濃の沃肥(おび)城主、岡田肥後守義昌で、天文22年(1553)当地へ落ちのびてきた。藩政時代は筆頭庄屋で現在15代目と言う。当建物は6代目川人藤太忠吉が剣術師範として阿波藩家老、加島氏へ士分取り立てになった際に建てたと言われている。
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![](2612/26kentiku_fig07-06.gif) 庄屋の長屋門…茅葺の長屋門として県下で一番立派なものと思われる。約230年前に建てられたと、昭和50年に調査した大阪市大の白木小三郎教授は言う。陣屋構えの堂々たるもので、ふき替えには昭和48年6月から茅不足から4年がかりであったと言う。25年ぶりに葺替をした。 長屋門は、東西12間、奥行き2.5間、高さ5m、石垣の上に築かれ、西側から問屋(といや)20平方メートルで、犯罪者の取り調べ室に当てた。次に門の通路をはさんで番屋、ここは番人の休憩室で床の間付きの16.5平方メートル(10帖)、次に中の間は番人の寝室になっていた17.3平方メートル(6帖・4.5帖の二間)次に東の間は14.8平方メートル(6帖・3帖の二間)である。番屋から東の間までの下は馬小屋になっている。外壁は白壁造りで美しい。
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◎州津の民家 8
来代軍二氏宅(池田町大字州津石久保328の1)S.54.8.9 推定150年前の玄関構えの家で、武家造りの面影を残している。特に門が立派である。
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2 池田町南方の民家 9
宮石の民家 宮石の民家は吉野川の支流松尾川をさかのぼったところにある、林業で産をなした人々が写真のように立派な家に建て替えている。主屋を中心に左右に白壁の蔵と、納屋が並ぶ配置の屋敷構えで、どこの家も建っている。何れも山間に調和して美しい。
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出合の民家 吉野川の支流松尾川をさかのぼると出合がある。川に張り出して床を張るので、支え柱が川岸に並んだ懸崖造りの家が美しい。松尾川橋のところで今では珍しくなった木造三階建ての家を見つけた。藤川輝明氏宅である。裏山を切り取って建てられている。県下では三階建て木造は5〜6軒位しかないであろう。
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川崎の民家 蔭谷義雄氏宅(池田町川崎字千足)S.54.7.26
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![](2612/26kentiku_fig11-03.gif) 千足への山路は遠い。しかし行っただけはあった。ここには祖谷地方に見られた家を見つけた。蔭谷氏宅とその上の方に長畠氏宅とである。千足には16軒しか家がないと言う。160年位前の家で、7、8年前トタンに葺替えた。外壁は荒壁のままである。ニワ、オモテ、ザシキの三間形式である。
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長畠祐雄氏宅(池田町川崎字千足)S.54.7.26
![](2612/26kentiku_fig12-01.gif) 千足は遠い。山の急斜面を登ること45分、ようやく頂上近くでこの家を見つけた。茅葺の家は珍しくなっている比頃、阿波の素朴な山間民家がここにあった。ニワ、ナカノマ、オモテの三間取りが基本である。それをネマ、上、下座敷に間仕切りするようになった。便所をユドノと呼ぶのは祖谷地方に多い。150年位になるという、内部の構造も素朴で、昔ここに住んだ人々が自分達で建てた小屋組である。柱は山の栗の木を伐って来てチョーナハツリだけである。水は裏山から筧を引いてイズミにためている。
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大西福一氏宅(池田町大字漆川字南谷2494)S.54.7.27
![](2612/26kentiku_fig13-01.gif) 南谷は19軒(大西が2軒、新居2軒、下川、林、高井、西岡、窪内の各氏)あるが、この家が一番古い。明和8年に来て、文政13年頃才太郎さんが53才のとき建てたと言う。6年前にトタンで屋根を覆った。柱はチョーナハツリ、軒天井あり、外壁は竹ヒミギ張り。
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漆川の民家 谷口津弥太郎氏宅(池田町漆川字影野)S.54.7.27 南谷の大西氏宅の間取りと同じである。この家はマエニワが狭いので、ヤマトを作り出している。柱は栗の木でチョーナハツリである。4帖の間・オクの2部屋は後程間仕切したもので、もともとは、ニワとナカノマとオモテの三間取であったと思われる。柄穴跡が柱に見られる。
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![](2612/26kentiku_fig14-03.gif) ◎町境の東隣りの井川町字井之内西の民家(下川恒一氏宅)S.54.7.27 影野の谷口氏宅と反対の間取りをしている。200年前に建てられたと言う。内部構造も谷口氏と同じ。
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3池田町の町家 15
うだち(税・卯建・うだつ)の並ぶ本町 各々のうだちには屋号入りの棟瓦を特別に焼いてのせているのが目をひく。防火の目的につくられたもので、外壁も塗込め作りである。戦前まで賑わった本町通りも今は駅前通りに客は移りひっそりとしているが、県下では、脇町とここだけが昔の商家の面影を残している。
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