阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第25号
市場町における農業従事者の健康状態

農村医学班

   今川大仁・矢木文和・右見正夫・

   清水正樹・水口潤・吉田勝利・

   武田潤子・楠木英美・藤川敦・

   三木真弓・井上博之・蔭山哲夫・

   渋谷啓治・青木茂子・笠原敏子・

   岡本威男・日下静代

はじめに
 農村医学研究班として、阿波学会の学術調査に参加するのは、50年の神山町(1)、51年の牟岐町(2)、52年の山城町(3)についで、今年(53年)の調査が第4回目である。今回とくに吉野川北岸の純農村地帯の地域住民の健康調査を行うことは、前回までになされた山村、魚村農民の健康状態との比較という非常に興味深い課題もあり、強い関心を持って、53年7月31日から4日間、八幡、市場、大俣農協において、この調査を実施した。
 なお、今年度の健診でも、過去3回と同様、厚生連保健事業部によるアンケート調査、徳島大学医学部栄養学科岸野教授らによる栄養、体力調査も同時におこなわれた。

 

〈調査対象者ならびに方法〉
 調査対象者は、表1に示したように農業従事者207名(男95名、女112名)で、年令別内訳では男女とも40才代、50才代が大半を占め、平均年令もそれぞれ46才であった。なお、今回の調査では対象者の年令制限を60才以下とし、高令化に伴う潜在疾病の因子を調査結果から出来るだけ除くよう試みた。


 検診方法は、内科的診察のほか検尿、胸部・胃部レ線検査、心電図検査、血液化学検査(Hb、Ht、GOT、GPT、アルカリフオスファターゼ、コリンエステラーゼ、血糖、血清総蛋白量、総コレステロール、中性脂肪、尿素窒素、総ビリルビン)をおこなった。なお、血液化学検査の測定方法と正常値は表2に示すごとくである。

〈診察概要〉
1,既往歴
 受診者207名について聴取した既往歴では、胃・十二指腸潰瘍(15名7.2%)、貧血(10名4.8%)、高血圧(6名2.9%)、肝炎(5名2.4%)、腎炎(4名1.9%)、甲状線疾患(3名1.4%)の順に多くみられた。
2.家族歴
 家族歴では、高血圧症(26名)、脳卒中(23名)癌(22名)、糖尿病(10名)の疾患順に多くみられ、一家系内に高血圧症あるいは脳卒中のどちらか、また高血圧症と脳卒中の両疾患の発生をみたものは207名中44名21,3%と高率であった。
3,理学的所見
 診察時、不整脈のみとめられたものは心室性期外収縮(43才、女性)、心房細動(41才、女性)の2名、心音不純(Levin III度)、胸部ラ音の聴取されたものはそれぞれ207名中3名(1.4%)にみとめられた。ラ音を聴取したうち1名は活動性の肺結核(28才、女性)、1名は3年前に農薬撒布をしてから喘息発作の出現をみたもの(53才、女性)で残る1名(59才、男子)は慢性気管支炎が考えられた。肝臓を触知した人は7名であったが、全て男性で、年令は41才から57才、肝腫大の程度は1横指以下が2名、1横指またそれ以上に触れたものが5名であった。全員に肝炎、黄疸の既往歴はなく、飲酒をほとんどしない2名にごく軽度のトランスアミナーゼの上昇(G0T、GPT、50前後)をみとめ毎日飲酒する飲酒家5名(うち4名は肝種大1横指以上)の肝テストは正常範囲内であった。
 このほかレイノー症状(37才、女)、甲状腺腫(46才、女)、下腿浮腫(33才、女)などの所見がみとめられた。
 血圧測定の結果をWHOの基準に従って分類しまとめて表3に示した。


 既往歴の調査では高血圧者は6名であったが、血圧測定の結果では高血圧者が207名中26名(12.6%)で、性別でみると男95名中10名(10.5%)、女112名中16名(14.3%)とやや女性が多く、昨年の山城町(山村農村)の調査と逆の結果であった。なお、境界域高血圧者を含めると男18.9%、女19.7%で、昨年山城町の男27.5%、女21.6%に比べるとやや低いが、かなりの高率に血圧異常者をみとめるという成績であった。
 それぞれの身長と体重を実測しえた200名(男90名、女110名)について、(身長−100)×0.9の標準体重と実測体重を比ベ、脳満度を計算した結果を表4にまとめた。


 ±10%以内を正常、+20%以上を肥満とする一般的な判定に従うと、肥満者は計44名、22.0%であった。これを性別、年代別でみると男では30才代が1名、40才代、50才代が各2名計5名であった。一方、女は30才代が3名、40才、50才代が各18名であった。男にも30才代をさかいにして肥満度が高まる傾向がみられたが、特に女に加令するに従って著しい肥満傾向がみとめられ、実に50才代では半数が肥満であるという成績であった。
 肥満者率の結果を過去の山城町、牟岐町の調査と比べたのが表5である。


 男5.6%、女35.5%と肥満者は女に多く漁村農村の牟岐町の調査と似た結果であった。

〈諸検査概要〉
1,尿
 受診者207名についてウロ・ヘマコンビスティックス(マイルス・三共K.K.製)を用い尿蛋白、尿糖をしらべた。
 尿蛋白陽性30mg/dl(+)は2名(女)であった。
 ついで、瘢痕陽性者を性別、年代別にわけてみたのが、表6であるが、207名中67名が瘢痕陽性で男31名(32,6%)、女36名(32,7%)と同率にみられた。40才代が男女とも半数におよぶ高率で、50才代が28.4%、30才代が19.4%とつぎ、20才代は1.5%とわずかの陽性率であった。この成績は、40才、50才代は男女とも生理的機能の変調の徴がみられる年代であること、また時期的にも酷暑のもとで激しい農作業の中心になって従事していたことなどに帰因するものと考えられる。
 尿糖は既往歴に糖尿病をもつ53才男1名にのみ(■)陽性がみとめられたほかは、のこる全員陰性であった。
2,血色素量
 血色素量はエルマ光電比色計303で測定し、性別、年代別に平均値ならびに要精検者数を表7に示した。


 血色素量平均値は、過去2回の牟岐町、山城町の調査結果と大差なく、40才代の女の平均値が11.9g/dlと一番低い傾向も同じであった。
 男は血色素量12.9g/dl以下を、女は10.9g/dl以下を精密検査が必要としたが男8名(8.4%)、女14名(12.5%)に貧血をみとめ、年令別にみると男は40から50才代に、女は30〜40才代に集中し、血色素量8.0〜9.8g/dlと強度の貧血をみとめた7名はいずれもこの年代の女であった。
3,血清総蛋白量
 屈折計(アタゴ製作所製)で,測定した血清総蛋白量の結果を、牟岐町の調査の区分にあわせて性別に棒グラフで表わした(図1)。血清総蛋白量6.4g/dl以下の異常者は受診者207名中6名で、年令は33才から10.9g/dlと明らかな貧血をともなっていた。


過去の牟岐町、山城町の調査結果と性別で平均値、異常率を比ベたのが表8である。血清総蛋白量の平均値をみると、男7.43g/dl、女7.27g/dlと良好で男女を比ベると男が0.2g/dl程度高目であるという一般的傾向を示した。過去牟岐町、山城町の調査結果とも男が低値であった成績とは対照的であり、また、異常率をみると今回の調査では受診者の年令を50才代に限定したのにもかかわらず、女で5.3%と過去2回の調査に比べ高い異常率であった。


4,肝テスト(GOT、GpT、Alp)
 自動分析装置(日立706)を用い、血清GOT、GpTはU.V.法(和光)、アルカリフォスファターゼはKind・King変法(和光)で測定した結果を表9にまとめて示した。


 肝テストの異常を示したのは5名で、うち男女各1名は肝炎の既往歴があり、それぞれGOTは88.62単位、GpTは100、49単位で、また、トランスアミナーゼ50前後の軽微な異常を示した男女各1名は他に高脂血症を伴っていた。なお血清アルカリフォスファターゼのみ22.8単位と高値のものが1名いた。
5,血清脂質(血清総コレステロール、トリグリセライド)
 測定方法は日立オートアナライザーACA706を用い、酸化酵素法によった。
 血清総コレステロール、血清トリグリセライドの性別、年令別の平均値を示したのが、表10である。


 総コレステロールの平均値は表のごとく、加令とともに男女とも増加傾向を示し、また閉経が予想される50才代では女の平均値は明らかに男を上まわっていた。血清トリグリセライドは一般に女が男より低いといわれているが、今回の調査では表最下段右すみのように50才代での平均値では男104.2mg/dl、女149.0mg/dlと明らかに女が高い結果であった。
表11は、総コレステロール、トリグリセライドの性別平均値ならびに異常率を、そして、牟岐町、山城町のその調査結果と比べたものである。

なお、血清総コレステロール(TCH)値は230mg/dl以上を、トリグリセライド(TG)値は150mg/dl以上を異常と判定した。血清総コレステロールの異常率は男17.9%、女26.8%と牟岐町、山城町の結果に比べ有意に高く、トリグリセライドの異常率も男15.8%、女17.0%と先の2か町の成績に比ベ高率で、また男女を比べて女の異常率が高いことが特徴的であった。
 50才代の女2名にトリグリセライド値が503mg/dl、762r/dlと家族性トリグリセライド血症をうたがわせるものもあったが、過去の牟岐町、山城町の調査結果に比べトリグリセライド値の異常率が男女とも明らかに高いこと、また男の平均値109.1mg/dlに対し女の平均値112.8mgdlと高いことは、市場町農業従事者の社会的環境とくに栄養学的な因子、また、今回調査の対象者に40才代、50才代が多いという年令的因子、また前にふれたごとく肥満者が多いという因子などが影響した結果であると考えている。
6.血清尿素窒素
 測定方法は、日立ACA706を用い、ウレアーゼインドフェノール変法によった。
 血清尿素窒素の性別による平均値、ならびに要再検者数は表12のごとくで、血清尿素窒素の異常値は男女合わせて14名にみられ、その値は25〜30mg/dlまでの臨床的には境界値ほどの軽度上昇であった。

年代別でみると40才代に7名、50才代に5名、20才、30才代に各1名で、この14名についてのその他の臨床所見としては、尿蛋白瘢痕陽性が7名、高脂血症が2名に、高血圧、貧血が各1名にみとめられ、残る3名には異常がみとめられなかった。
 以上の成績は、尿蛋白瘢痕陽性者が高率にみとめられてはいるが、調査期間が盛夏で農作業の疲れが出かかる時期であったこと、また前に述ベたようにこの検診集団の血清総蛋白量の良好な状態より判断してむしろ生理的要因が加味された可逆性の病態が主たるものと考えている。
7,血糖
 測定方法は日立ACA706を用い、ブドウ糖酸化酵素法によった。
 血糖値の性別平均値ならびに、血糖値110mg/dl以上を異常と判定した血糖値異常者数を表13に示した。


 血糖値110mg/dlをこえた者、男、女それぞれ4名、計8名であった。年令をみると40才代が5名、50才代が3名で、このうち50才の女性1名が1年前から糖尿病と診断され経口糖尿病剤の内服をつづけていた他は、全く未治療であった。また血糖値異常者8名全員とも家族歴に糖尿病がみられず、うち4名は肥満率+20%以上の肥満者であった。
 先の牟岐町、山城町の調査での血糖値異常者が1名、0名であった結果に比ベ、今回の調査での8名、3.9%は高率である。これはさきにのベた肥満度の調査結果、血清トリグリセライドの成績と合わせて考えると、市場町地域では肥満によって高血糖が助長され、その結果糖尿病の発症が高率になっているものと考えられる。
8,コリンエステラーゼ
 基質としてヨウ化ブチリルコリンを用い、日立ACA706で測定した。
 図2は石井らの健常な学生、職員269名について(男142名、女127名、20〜39才)の血清コリンエステラーゼ活性の分布図と今回の成績を対比したものである。

今回の調査結果の分布図の山のピークは、石井らの成績に比べて明らかに低値にかたより、一般に農業者集団のコリンエステラーゼ活性は低値を示す傾向があるという従来の報告と一致する成績であった。しかしながら今回の調査対象者には40才代、50才代の男性が73名含まれていることは考慮に入れるべき因子と考えている。
 また、男女の平均値は5.1U/mlと5.2U/mlと女がわずかではあるが高く、一般に女が男より低値であるといわれている成績とはことなったものであった。
 なお、血清コリンエステラーゼ活性の健常値は2.8〜8.8U/mlとされているが、今回の調査でこの値からはずれた人数は、2.8U/ml以下が4名、8.8U/Ml以上が3名であった。
9,レントゲン検査
 胸部レ線検査受診者207名のうちで20名(9.7%)に精密検査が必要な異常所見をみとめた。その内容は胸膜癒着像が2名、陳旧性肺結核像5名、新鮮肺結核像が1名、慢性気管支炎1名、肺気腫像が11名であった。
 要精検者の年令別うちわけは、表14のごとく50才代が10名、40才代が6名、30才代が3名、20才代が1名で加令との関連がみとめられた。


 胃透視検査では受診者194名のうち胃十二指腸潰瘍の疑20名(10.3%)、瘢痕の疑10名(5.2%)でこのほか胃炎の所見が33名(l7.0%)にみとめられた。
 農村には呼吸器疾患、胃疾患が多いことが広くいわれているが、以上の成績もそれを示したものと考える。
10,心電図検査
 表15は207名についての心電図所見をまとめたものである。異常所見がみとめられたものは、男女あわせて11名5.3%で、心室性期外収縮が4名、心房細動1名、右脚ブロック5名、ST低下1名であった。

 

〈まとめ〉
 阿波学会学術調査に参加し、市場町における20才から59才(平均年令46才)までの農業従事者207名(男95名、女112名)について健康調査を行った。なお、今回の調査では老人病を除く目的で、60才以上の受診者の成績をのぞいた。
1)既往歴調査では、胃十二指腸潰瘍、貧血、高血圧の疾患順に、家族歴調査では、高血圧、脳卒中、癌、糖尿病の順に多くみられた。
2)肥満指数+20%以上の肥満した人が、200名中44名(22.0%)と肥満傾向がみとめられた。肥満は30才代をさかいにしてつのる傾向がみられ、殊に女で著明であった。
3)血清総コレステロール、血清トリグリセライド値の高い者は、過去の牟岐町、山城町の調査結果に比ベ有意に多かった。また、男に比ベ女に高値の者が多かったのも特徴的であった。
4)高血糖値の者は8名あり、うち4名は肥満率+20%以上の肥満者であった。
5)肥満が目立つと同時に肥満によって助長される高血圧、高血糖、高脂血症者が明らかに多く、肥満が普遍的な成人病を助長し寿命を短くしている事実の啓蒙、教育活動がこの農村集団には重要な問題であることを痛感した。

参考文献
1)坂東玲芳ら:神山町農家と農民の健康状態について.郷土研究発表会紀要、22:159、1976.
2)加藤和市ら:牟岐町における農漁業従事者の健康調査.郷土研究発表会紀要、23:151、1977.
3)坂東玲芳ら:山城町の農家と農民の健康状態、郷土研究発表会紀要、24:105、1978.
4)河合 忠:総蛋白・蛋白分画.綜合臨床、27:90、1978.
5)高木 康、柏山基子、石井 陽:コリンエステラーゼ(CHE)。綜合臨床、27:384、1978.
6)黒沢和雄ら:農村地域住民のch・E活性値の分布、日本農村医学会雑誌、25:208、1976.
7)井坂信之ら:茨城県地域住民のchEのDTNB法における自動分析値について.日本農村医学会雑誌、25:210、1976.


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