阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第21号
勝浦川上流(上勝地区)の民具

民俗学班 中野幸一

《目次》
 1.民具調査のねらい 
 2.民具調査の分野
 3.民具調査の方法
 4.民具の種類
 5.おわりに

 

1.民具調査のねらい
 今日民具という言葉は下手物の骨董品のように思われている傾向にあるのは残念である、そもそも民具という名称は渋沢敬三先生(1896〜1963)の造語であり先生は常民の日営生活における食・衣・住・生業・社食生活などで用いられた手作りの用品を民具と規定された。これは常民の自給的工作によるものであっても、職人の工作によるものであっても手作りということを生活文化の原点とみたからである。
 もちろん常民の自給的工作によるものが最も基本的であったことは言うまでもない、このような民具は今日その殆んどが不用として見捨てられその歴史的価値を敢て見ようとするものは少なくなった、この歴史的変化をわれわれはどのようにみればよいかということが民具研究、調査の最大のねらいの一つである。
 さいわい、昭和29年12月文化財保護法が制定され民具を有形民俗資料としてポリシーの面からも重要性を認識され保護収集が図られつつあることは欣快に堪えない、同保護法には次のように定義されている。『衣・食・住・生業・信仰・年中行事等に関する風俗習慣およびこれに用いられる衣服・器具・家屋その他の物件でわが国民の生活の推移の理解のために欠くことのできないもの』となっておりこのうちの物件が主たる対象となるものである。
 つぎに民具については学問としての体系化が確立されていないこともまたこの分野の悩みの一つである。いくら疑問をもっていても解決を図る手立てがなかった、ところが去る昭和49年10月下旬財団法人日本常民文化研究所の主唱により第一回民具講座が東京において開設され同好の志が二百数十名全国から集まり各位の賛同を得て50年度に民具学会が設立の運びとなった。これからはこの学会を基盤として全国的な視野からも研究を進めることができるようになった。

 

2.民具調査の分野
 勝浦川上流(上勝地区)における民具調査の分野は図1の如く、勝浦川流域およびその支流を含み、それぞれを部落単位としてフィールドを設定し、衣食住・生業・年中行事などについて標準的なデータを抽出すると共にユニットとしての民具の体系化を必がけた。

 

3.民具調査の方法
 民具調査の基本的なテクニックにしたがい次のような順序で実施した。
 まず、予備調査として、地区総観、調査地の地理(地勢・気象・交通・文化・生業・生産等)、支配の変せん、伝説や記録、資源、調査地の生産・生業の特色、生活暦(年中行事がどのように組み合わされているか人々の一年間の生活がどのように営まれているか)等について調べた。
 *聞き取り調査
 これは一種のインタビュー(面接)によって行なった、特に古くから住んでおられる(土着)老人を選んでその語るところを開き、これを筆記し整理し、民具のもっている古事来歴を記録した。このときの着眼点として「民具に生活を語らせる」といったことをモットーとした。
*観察調査
 これには静態観察と動態観察が考えられるが、この場合には前者によって行ない民具のもっている性格や形態、工作の手段、寸法、材料その他について調べ計測と撮影によって採録した。しかし、中には是非動態観察によって記録しておくべき必要のある民具類が多数あることを痛感した。

 

4.民具の種類
 上勝地区において採録した民具類には次の如きものがある。もっとも基本的には基準にしたがって系統化した分類が必要であるが収集の量と範囲が限定されているため、一応民具のもっている古名称やこれにまつわる伝承逸話、推移などを中心として順次概説しよう。
 1.ネッパ


他の地方ではメンパと呼んでいるもので、材料はヒノキの板をヘいでうすく作り熱湯で蒸し曲げ、円形や小判形に作りその接合面にノリをつけて貼り合わせ山桜の皮で菱型の化粧に綴じたものである。ふつう、曲輪細工と呼はれるものである、素木(しらき)のものや春慶うるし塗りとしたものなど各種のものがある。町の店で購入するか、行商人より買う場合もあった(所によっては佐那河内ネッパと名前をつけて売られているものもあった由)、殆んどは農山林の作業時(炭焼き・木樵・下草伐り)の弁当箱として用いられた。これには、メシネッパとサイネッパの両種があり、前者はメシを底と蓋に合わせて一升を入れ、約二食分として朝メシ(午前10時頃)チャヅケ(午后2時頃)時に使った、後者にはショイノミ、梅干、沢庵などの菜(副食)を入れたなおこのサイネッパは家庭での食事の場合も膳の中に入れておき食事の都度使用した。そのため一度入れたショイノミやミソは相当の日数そのまま連続して使った。また、これらネッパはシュロ製の網袋に入れ腰にさげて携行した。なお、この付近の当時の食制はオキジャ(午前6時)、アサメシ(午前10時)、チャヅケ(午后2時)、ユウメシ(午后8時〜9時)の四回であった。主食は麦・ヒエ・半麦(7分麦)が大半で米飯などは祝事以外使うことはなかった。
 2.べントウゴウリ(弁当行李)


 杞柳(コリヤナギ)製品で長さ27幅7程度のもので底と蓋がガップリ形式になっておりそれぞれ両方にメシをつめ合わせるもので二食分がこれに入る。また、婦女子用として少し小形のものがありこれを“ヤキメシゴウリ”と呼んでいる、共にこの付近では主として旅行用の弁当箱として携行したものである。菜(副食)には梅干などを入れるが、大抵の場合旅先きで求めた。こうした杞柳製品は町の荒物屋で求めた。
 3.イタチバコ


 これは一名“イタチワナ”“トマコトリ”等とも呼ばれ箱の大きさは長さ40幅15高さで17で一端に高さ約30の柱を立てこれに横木を渡したもので、箱の片側に入り口の落ちるようになった厚板を取りつけ重しに鉄板を打ちつけてある、主にイワシや川の小魚を餌として、これに紐をつけ先に竹針を沿えて箱の中程につるしこの紐と入り口の板とを継ぎ釣り上げておく、イタチがこの箱の中に入って餌をつつくとこの紐が動いて板が落ち自動的に口を塞ぐ機構になっている。殺すときはこのまま水に浸ける、主として秋口から冬にわたって溜池に鯉を放したときこれをねらってイタチが来るのでこの装置を仕掛けてとる。たいていの家庭で手作りしたものをもっていた。獲れたイタチは皮を剥いで保管しておくと専門の行商人がこれを可成りの値段で買いに来た。現在ではもうこうしたこともなくなった。このほかに“トラバサミ”と呼ぶ金属製のものもあったがこれは獲物に傷がつくので皮をとりたい場合にはやはりこのワナを使ったそうである。
 4.タバコイレ(煙草入れ)


 ポータブルの喫煙具と見るべきもので、キセル、発火具、キザミタバコを一組にして腰に下げるようにしたものである図のものは某日作者が山の下草伐りにいったところ蔓の非常にめずらしいものがあったのでこれを採り磨いてキセル差しに作った。なかなかアイデアに富んでおりキセルが蔓の隙間を通ってまわりながら差しこまれ抜け落ちることがない構造となっている、また、ズングリとした丸いものはやはり木の根っ子でこれに蓋をつけ紐を通してつないである。この中にキザミタバコー俵を入れられる、発火具は金属板を曲げてこしらえそのまま小形のマッチを収納する。山の人々はこのように自から創作し手作りし、これを腰に下げて飾るといった気持ちがあり、この上出来のものを持つことは山の人達の自慢の種の一つであった。なお、こうした傾向は上勝の人達だけではない、南九州サツマの人も丁度これと同じものでキセル差しを作っている。(小野重朗著、南九州の民具に詳わしい)
 5.オイダイ(負い台)


 極めて素朴な肩担いの運搬具の一種である。用途は主に炭焼き用の原木を伐り倒したものを、90〜120の長さに伐りこれを炭焼きがまのところまで運んだり、薪用の丸太を冬に家庭まで運ぶのに使う、ふつう雑木のマタになったものを使う、基本形は長さ45、棒部が85(人が担いだときこの下端が膝頭に来る程度)横に渡した柱45、その上に板を置く、結びには蔓を用いる、大抵の場合現地で作り終われば山に捨てて帰った。材料はなんでもよいがふつうネムノ木がよいとされている。この使い方はマタヅエと呼ぶマタのある木で支えてこれを地上に立て運ぶ丸太をマタの間に横に重ねて積むそれをかたぎ上げ両手は足棒を持って運ぶ、一本しか運べない丸太を何本も一度に運べまた地上からかつぎあげるには可成りの力がいるがこれを使えば腰をちょっと下げるだけでよいし姿勢も自然に近いので楽である。なお、この運搬具は全国的に分布し呼び名も、カタギ、マタ、ウマ、カタゲウマ、キモチマタ、キカタゲなどたくさんある。
 6.オドシ(威し)


 この付近ではこれを“トリオイ”と呼んでいる、畑に集まる鳥をこれを打ち鳴らして追うのに使う一種の鳴り物である。主材は竹で手山のハチク、マダケの類がよいとされている。この構造は長さ80、ちょうど節をはさんで一端から二つ割りにして他の端を残し手に持つところを欠いで細くしたものである。操作はこのところを持って横にし上下に強く打ち振ると割れた部分が開閉して、ポンポン・・・・・・と大きな音を出すものである。当時は山バト(キジバト)、ホウジロ、カラス、ヤマスズメ、などの害鳥が非常に多く日中は必ず誰かが出てこれを使って迫払ったそうである。もっともこのオドシは当時のものではないが、全く同じ形式で伝承された潜在民具である。さて、この民具をとおして重要なことはこの部落における農耕の様態である。古くは焼畑耕作が行なわれていたことである。これをナギハタとも呼び次のような方法で行なわれていた、一応聞き書きを整理すると、1 薙ぎ刈り(カンド、手ノコ、ナタ、ヨキ、シバカリガマ)、2 中切り(ヨキ、ナタ、手ノコ)、3 焼き代作り(ナタ、シバカリガマ)、4 火入れ(ヒウチドウグ、ツケギ、クイズミ、イブリ、ナギマタ、テオケ、コビシャク)、5 種蒔き(ツツド、タネマキボウ)、6 畑打ち(クワ、クレワリ)、7 草取り(クサカリガマ、カナ)、8 穂取り、豆刈り(カマ)、9 穂干、豆干(ムシロ、カラサオ)、10 穂つき、豆打ち(ヨコヅチ、ムシロ、カチウス、キネ)、11 調整、精白(ミ、カゴ、ケンドウシ、ウス、セイロ、その他オドシ、ナルコ等がある。なお焼畑の作付順序は原則として1年目、稗、ソバ、2年目粟、3年目大豆、小豆の順で、これを数回繰り返す、それ以後はソラスと称して放棄するか、稙林することがあった。
 7.べントウフゴ(弁当畚)


 サゲフゴ、または単にフゴと呼ばれており町へ買物にいくとき小物を入れたり、仕事の小道具や弁当を入れて、手て提げたり長い紐が着いているので背負い(セオイフゴ)としても携行できるように工夫されている。なかなか形も面白く民芸調のユニークな作品である。材料はシュロの葉の新芽を採集して乾燥したあとこれを編んで作ったものである。このフゴ一個作るためにはシュロの木約5本が必要である。横糸はタタミソ、または藤や麻の繊維をほぐして糸にこしらえて使う、また古くは藁なども使われたがシュロの葉に劣る。形状も古くは円状であったが使い勝手が悪いので後に現在のような長方形に変った。だいたいこの付近の器用人の手作りであるが最近では作る人も極めて少くなった。
 8.ブヨオイ(蚋追い)


 これは正しい呼び名ではないが、はっきりした正式のなまえはない。材料はマダケを用い端に節を残して長さ25に切り端に針金の輪をつけ腰に下げるようにしてある。また、竹の胴の部分に数個所ノコ溝を入れる。この中にボロ布を縄にして入れ一端に大をつけるとボロ布がクスブリ悪臭の煙を出し、作業中ブヨやカの近寄るのを防ぐものである。丁度、宍喰で取材した“ホテ”と全く用途が同じものである。すべて手作りで大抵の家庭に数個はもっており今も生きている民具であるといえる。
 9.クルマビツ(車櫃)


 クルマダンスまたはクルマナガモチ等と称し、衣服や調度品を収納する長方形の櫃である、下に車がついている。古くから用いられ(文献上では室町時代)近年までタンスと共に嫁入道具の一つであった、この付近では各家庭に少くとも一つはあった。この櫃の材料は杉の一枚板が用いられ木組みもひじょうにしっかりしている、また飾りを兼ねてそれぞれの側に7本ずつの柱をつけドッシリとした風格がある、また、金具は鉄の打金物を用い大きな施錠がされている、秀れた工人の手のこんだ細工の程が伺われる。残念ながら生活の様式が変わり無用の長物となっている。
 10.ヤネフギドウグ(屋根葺道具)


 萱(かや)葺屋根の葺き替えに用いる道具である。主なものとして、1 ハリ、2 オオガギ(ヤネタタキ)、3 テイタ(ガンギ)、4 ハサミがある。またこれにシブカキなども併用する。オオガギ、テイタなどは硬木のサクラ、カシなどで手作りの場合が多い。さて、この屋根葺の職人になるためには、ふつう四年位い年期奉公の上一応仕事を憶え引続き数年間親方について仕事をする所謂お礼奉公があり年期があける。大体徴兵検査までと泱めるときが殆んどの由、また、大変な仕事に萱の準備がある。このあたりの部落では“萱講(かやこう)”を組織し部落総出で共同でカヤを刈る日、カタグ日(運搬)などを決め一斉に共働して材料を整えたこんな作業を出役(でやく)と称しており細かい約束事をきめて集団で行なった。また、屋根の葺替え工事も付近のものが集まり職人を交えて手伝い合い仕事を行なった(集団作業)もうこうした制度もなくなり、葺屋根は瓦やトタン板にとって変わられた。
 11.スボケ


 食料品の貯蔵法の一つで、民具とはいえないが、生活の知恵の一つである。これは稲藁を束ねてこしらえ、その中へ梅干を保存するもので、これに入れてたくわえるとワラの成分と共に醗酵して何年間も味が変わらずに置くことができる。ふつう束の穂先を縄にないくくり合わせて部屋内の梁などに釣り下げておくものである。この付近では大抵の家庭で行なわれている。
 12.べカイシ


 ベカヅキとは家屋などを普請するとき、基礎となる部分の土地を搗き固めることで、このときに用いる石である。これは重さ約40kg直径43のアジ石で作られこの胴に縄を巻き、これに放射状に太縄を8〜12本3.4メートル程につけ、この縄の端をもって星状に並び気合いをあわせて一気に上に振りあげるとこれが自重で落下(土地を搗き固めるといったものである。操作はなかなかむづかしく皆の意気が統一していないとできない、そこで音頭取りがあらわれ作業唄などを唱いながらドッスン.ドッスンと搗き固めるものである。大抵の場合普請の記念として保管するのがならわしであったそうである。
 13.センギョギョヨウグ(川魚漁用具)


 勝浦川には、アユ.アメゴ.ナマズ.コイ.ウナギなど沢山の川魚がいた。現在では少なくなったが時々川魚漁がなされる。そのうちここに掲げたのは、カニウケと称し俗名ヒゲガニを捕るときに用いられる道具である。材料は木.竹などを用いて手作りする。この構造は一たん中に入ると出られないようにノド(カエシ)を作ってある。使われるのは大体8月中頃から涼しくなる11月頃までの間、入り口を川上に向けて仕掛ける、この中に下りカニが入ってくる、このカニの習性は春先きに上って来て大きくなり産卵のために秋口に潮境まで下り越年する。塩でゆがいて食べると極めて美味。山村の大きな蛋白源となった。次に鋭い針の並んでいるハサミはウナギキリと呼び、ウナギをとるものでこれではさむと絶対にはずれない、その他水中をのぞくハコガン、ウナギカゴ等がある。
 14.カチウス(搗ち臼)


 搗くことをカチと呼ぶように、カチウスとは麦類を搗くことである。この中に表を入れキネでついて穂穀と実をつき分ける道具である。材料は大きな松の木口(こぐち)を使い専用のウスノミで中をクリ抜いて製作する。この臼は直径67高さ56の大型のもので大抵の場合は手作り、なお穴底の形状はちょっとしたコツがありすこし傾斜に底をさらえキネで搗くことによって自然に中の麦穀が環流するような構造に作られている。
 15.トイ(樋)


 この地方における特殊な用具としてトイがある。飲料水や灌漑用のため川から水を導くために用いるもので、松.杉.竹が使用される。特にこの付近には適材のモウソウ竹が少なかったので杉や松がその対象として選らばれた。松の場合には年中水が流れているところへ、杉は流れたり渇れたりするような箇所に使われた。まず、これらの木からトイを作るには専用のトイホリと呼ぶ工具で行なう。大体長さ4メートルを彫るのに約二人工程かかり手作りの場合が多い。なおこれ等の工作に用いる工具は特殊なものであるため、注文によって作らせる。その方法は当時、野鍛治があった、これはどんなものか聞き取りを述べよう。それぞれの部落毎にカジヤ床があり広場の片隅に簡単な覆いのカジ場を作ってあり、部落内で順番にカジ当家(とうや)がこしらえられ、この者が鍛治職人を雇い日当を打ったり食事を与えたり、注文をしたりした。鍛治職人はフイゴ、小道具の類だけを持参した、その他の必要品については当家が整えた当然カジ日なども当家が部落内にふれて廻った。ここで鍛治職人はクワのサイをしたり、新しい工具を作ったり鉄工関係一切の仕事をした、変った制度であったが戦後はもうなくなった。
 16.サシダル(指樽)


 この地方の素封家で用いられた酒樽の一種で婚礼や祭礼のときなどに使われた、これは角形の指物製で一名“ソデタル”といった名称の地方もある、大きさは高さ42幅42厚さ10の箱型のもので美しく塗りこめられている、中には蒔絵の定紋入りなどもあり二個で一対となり肩に担ぐようになっている。先祖代々に使いこなされたものだけに磨かれ歴史の年輪が感じられ落ちついたムードをただよわせている、花見遊山や祭礼の場に持ち運ばれ他の器に注いで部落集に酒をふるまったものであろう。また直径10高さ25の極めて小型の酒樽がありこれは桐の木を刳り抜いて上下に板を彫り込み、うるし塗り仕上げとし胴に家紋の環木瓜(かんもっこう)の蒔絵を施した酒器もある。
 17.サゲジュウ(提げ重箱)


 提げ重は手さげの重箱と見てよいもので花見遊山や節句、祭礼や観劇(野芝居)などに鮨やにしめ、酒などのご馳走を入れ山野に持ち運び野外での食事に用いられた民具である。図のように非常に形はユニークでしかも必要な食事の用具を心にくいまでにコンパクトに整理されている、しかも塗りはうるしでしっとりとした落ちつきがあり、ところどころに蒔絵を施してある、日頃の暮しから比べたら月とスッポンの違いがある。こうして部落の人達は日常の労働とレジャーをはっきりと区別したことが民具の上からも知ることができる、概してこうした変化を歴史上から見てみるとやはり江戸時代にはっきりとした一般庶民の祝事や遊山の傾向があらわれて来た。
 18.ユサンドウグ(遊山道具)


 もう遊山といったゆとりのあることばはわれわれの生活の場から消えてしまった感じのする今日この頃である。古くは花見や節句、秋祭りや鎮守での野芝居の見物などに部落の人々と連れ立って行楽に出かけたものである、その時には大抵これらの遊山道具に手作りのご馳走を詰め携行して共にふるまい貧しい暮しや日頃の労働の苦しみを忘れて楽しんだものである、この道具はそのときの主役としての機能を果たしたものである。ポータブルで最小のスペ−スに最大の効果を盛りこんでいる。一方には酒のカンの装置をこしらえ木炭、銅壺、皿、カンスズなど他方には鮨、にしめなど手作りのご馳走を収め天秤で担いで現地へ運搬する極めてユニークなものである
 19.スイシャ(水車)


 古くは勝浦川上流の豊富な水量を利用しての水車が随所にかかっており、大きなものは企業用としての線香の原料を製造していた、小は部落内で何軒かが共同で水車を動かし、米、麦、稗、粟その他の食料を加工していた今ではもう僅かに数ケ所を残すのみとなった。まず、大型の線香製造用の水車からその概要を述べよう。
 この水車は極めて大型のもので勝浦川の本流を背にして設けられ水車を中心にしてこれに振り分けに図のようにそれぞれ6個の臼を備えている、また一端には葉と軸を区別する設備を具えている。材料は主にしいの木の葉から線香の粉末を作るが時には杉の葉などもこの臼で搗くこともあった。水は水樋を通して水車の上取りとして流し回転させる機構となっている。小形の水車には構造的に大型の水車をそのまま小さくしたものと、ヤットコと称する棒状の両端に水受けをつけた特殊なものとの両種が考えられる。共に機能的には同一と見てよい、なお、ヤットコは別名ヤットンなどとも呼んでいる。いずれにしても一回転することによってキネ棒を上下するものである、それぞれ大型のものは専門の大工が、小型のものやヤットコなどは大工かまたは器用人の手作りによる、材料は杉、ヒノキあるいは硬木のケヤキ、カシなどを使用する。
 20.クラシのコドウグ(暮しの小道具)


 この付近の部落で使われた小道具一部に次のようなものがある。1 ミソオケ、2 コンロ.テアブリ.ユタンボ、3 トウフバコ.コンニャクバコ、4 コシキ、5 スシオケ、6 オシヌキ、まず、ミソオケはミソを小出しにして使うもので直径10高さ30程度のものである。またこれはトマリ山(山で数日続けて仕事をすること)のときミソ.タクアン等を入れて携行するのに用いる。2 コンロ.テアブリ.ユタンポは共に焼物製品で大谷焼のものが多い、ちょっと形の上から興味のあるものが多い。3 トウフバコ・コンニャクバコ、共にトウフやコンニャクを作る道具で当時は祝事や正月・節句、などに必ずといってよい程自家製した、特にコンニャク等は特産のコンニャク玉がこの部落に産する。4 コシキは最も古い形式のもので、赤飯や餅等のときまたずっと以前にはヒエ、アワなどもこの容器で蒸した。5 スシオケ、この付近の使い方はちょっとめずらしいバショウズシと称し山野に自生のバショウを間に挾みゴモクズシをつめ上から押しをかけておくと4.5日の間大丈夫とのこと、普通中板を四段位いはさむ。6 オシヌキは粕ズシを作る用具で一般的なものである。

 21.ノウコウグ(農耕具)


 田畑の耕起用具としては基本的に鍬(クワ)鋤(スキ)の類が考えられる、鍬は農業には最も基本として必要な農具であって原形は一枚の鉄板に木の柄を嵌めこんだもので耕地を堀ったり土壤を砕いたり畔をこしらえたり除草をしたりすることまで使用は頻繁である。古諺に「鍬は半里にしてその形態が異なる」といわれるように細かい形状の変化が地域によってある、しかし概して柄の長さと柄と刃の角度は使い方によって大きくちがっている立姿で使うときは角度大、中腰のときは角度小、また田に用いる田鍬は刃の長さが小さい畑用は長いのが原則のようになっている、刃形についても長方形のヒラグワ、刃先の鋭角になったもの、刃の角が削られたもの、刃が三本四本に分けられたクワ(備中鍬)など種類が多い。1 アゼキリグワ、2 クマデ、3 テグワ、4 サキテグワ、5 ツルとハセバ、また農作業のカマ類には1 カタハガマ、2 クサカリガマ、3 カリヤケガマ、4 ノコギリガマなどがある。次に牛馬にひかせて代掻きをする農具に馬鍬(マンガ)がある、これは台木に9〜11本の刃を具えたもので古くは木製(図のもの)そのご鉄の刃のものとなった、また畜力用の犁(スキ)などがある。もっともこうした牛馬を利用しての農耕具の歴史はそう古いものではない、このことは文政五年刊の「農具便利論」に詳述される。
籾摺臼(モミスリウス)は一名タウスとも呼ばれ、籾をすって玄米と籾穀に分離するのに用いたもので、大体江戸時代からこれが使われたといわれる。2.3人でテギをにぎり前後に押し引きすると上臼が回転運動をして籾を摺るものである、かなりの労働がともなうので唄などを唱いながら行なわれた、この臼の構造は上臼と下臼の両部からなり木の円枠を作り竹でタガを多数いれ内部は上下両面共に塩水で練った赤土をつめ上下の接触面にカシや竹の木口を放射状に埋めこんである、なお明治時代になって改良された足踏式の回転機構による「足踏式機械改良籾摺臼」なるものも出現した(岩村武勇著.徳島県歴史写真集415ページ)。
 22.サンリンヨウグ(山林用具)


 山仕事として下草伐りや樹木の伐採、植林管理などに必要な手道具の類は極めて多い、基本的なものとしては、1 チョーナ、2 カワムキ(Aスギカワ.Bマツカワ.Cシュロ)、3 ウマヒキナタ、4 エダウチナタ、5 エダウチノコ、6 カリヤケカマ等をあげることができる。
主として町の金物店で購入するもっとも古い時代にはノカジで作った。手入はそれぞれ各自で行ない、いつもトイシを携行していく。
 23.セイチャヨウグ(製茶用具)


 この付近の特産として番茶をあげることができる。製造用具としては、チャブネ、ジャバラ、チャオケ、キネなどが基本的な製茶用具として考えられる。大抵の場合大工を雇って作らせる。さて、番茶の製法について略述しよう。まず、1 番茶を竹篭に入れ熱湯め中に浸け煮る。2 これを取り出し茶舟の中に移す。3 ジャバラを上に置きテギを二人が図のように時って前後に動かす、4.5分間この動作を繰り返すと、番茶がもまれてヨレヨレになる。4 ヨレた番茶を集め、チャオケに入れキネで十分に搗きこむ。5 20〜25日程オケの中でネサス。6 天気の良い日を見計らい一気に取り出し天日で乾燥させる、一日でスッパリ乾燥した番茶が最土品とされる。

 

5.おわりに
民俗学班の一員としてこの地区の民具について調査に当りましたが、何しろ浅学の上十分な期日を得られず、断片的な報告に終り恐縮しております。今後機会があればこれを土台としてよりまとまったものにしたいと念願しております。また、この調査に当っては地元の教育委員会やその他多数を方々の並々ならぬ暖かいご協力やご指導をいただきありがとうございました、忘れることはできません。
 ここにご芳名を記し謝意を表します。
(敬称略・順不動)
・井上善夫・香川悼真・松田猪一・江沢利夫・広岡正明・大上孫重・山崎善史郎・青黄茂・森尾宝生
・的場実・福本龍正・谷岸茂太郎・泉原進・関守清・益田威一邱・有木由和〈終〉


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