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海部郡宍喰町 多田貞助氏所蔵
昨年6月6日、阿波郷土会理事会の席で、本年度郷土班の阿波学会での総合学術調査の研究テーマを、ひとまず「古文書、古記録から見た宍喰町及びその周辺の阿土両国間の出入り」と決定した。
しかし宍喰町に果してどんな古文書、古記録が存在しているのだろうか。徳島県史料所在目録の海部郡宍喰町を見ても、あまり目新しいものは見つからなかった。
そこで下調査のよめに、私が宍喰町に行くことになって、13日に湯浅教育長を訪ねた。教育長は所在目録に記されている旧家を、訪問先の対象としてえらんでくれた。が私は所在目録に記されていない旧家はないだろうかと思った。所在目録に記されている旧家の古文書、古記録は殆んど旧宍喰村誌、宍喰町誌に記載されているのだった。それらの書物に記載洩れになっている古文書、古記録に、得てして有意義のものが存在していないかと考えたからである。
宍喰町大字久保81番地の多田貞助氏の家が、所在目録に記載洩れの家であると直感して案内を乞うた。家は代々久保村の与頭庄屋であって、時代めいた大門を入ると、表玄間は定紋を刻み付けたものであり、今に当時の権勢の面影を残している旧家である。聞けば、お成りの間及び庭園は既に取りこわして、その昔を知る由もないが、内玄間に入ると内庭も広く、台所には大釜もあって、右手の高腰障子の女中部屋は、さすが与頭庄屋の家屋の片鱗を示していた。
 
古い木箱から出された駅路寺円頓寺の定書(慶長3年6月12日―蜂須賀阿波守茂成=家政)、堪忍分として寺廻拾石を与える書、その他漁業関係、山林関係の古記録など珍らしいものではあるが、それらは既に旧宍喰村誌に記載されているものばかりであった。
やはり駄目だったのかと少し落胆気味で、何気なく傍に立て廻してあった六曲半双屏風を見るともなく見た。またたきもせずに凝視した。そこには紛れもなく「諸国風俗問状」の文字が目にとまった。多田氏は不審そうに“この古文書はそれほど価値のあるものか”と私に尋ねられた。ご養母が3年前になくなられて、その形見わけの品をさがしていると、2階の隅からこんなものが出てきたので、当時あき屏風で何か貼りたいと思っていた矢先のこととて、良いものが出てきたとこれを貼った。これはもともと横綴じ帳であったが、ご覧のように1枚1枚ほどいて貼った。(現在33枚)。勿論その真価もご存知なく、また訪ねてくる人々も、この屏風の貼り紙が貴重なものとは気付かなかったといっておられた。あとの半双は珍らしい遍路文書が貼りつめてあった。
想えば「諸国風谷問状答書」は昭和31年4月に、今は亡き大先輩飯田義資先生が名西郡石井町大字高川原の旧与頭庄屋坂東為七氏宅で、偶然に発見されたのが県下での最初であって、先生は「阿波の年中行事と習俗の研究」にそのよろこびを次のように記されている。
思いがけない所で真に偶然の奇遇に驚き、その瞬間あたかも電撃を受けたようにしばらく茫然自失したのであった。古文書、古記録というものは何処にどういうものが在るかわからない。それは宝の山であり、知られざる大海である。予期しない機会に恵まれると宝に行き当たること、まさに考古学的発掘と揆を一にするものがある。それにしても本書があらゆる天災と人為の災厄や危難から免れ得て、よくも今日に至るまで無事に保存されたことに対して、先人が記録を尊重する取扱の態度におのずから頭が下がるのである。
私は先生のこのよろこびを今ここにつくづくと味ったのである。
「諸国風俗問状」は阿波へは文化14丑の9月(1817)、江戸公儀御右筆屋代弘賢から藩の儒者たちに届けられ、その地における庶民生活の実態―風俗習慣を尋ねられた。儒者たち(阿波藩は増田哲次=衡亭、立木専蔵ら)はこれを各郡代につたえ、各郡代はさらに郷中の与頭庄屋に触れを出して、その答を求めたものである。
屋代弘賢(輪池)(1758―1841)は第13代阿波藩主蜂須賀斉昌(峻陵院)の殊遇を受け、その没後遺志によって蔵書約5万冊を阿波侯に献上した。これが例の阿波国文庫と肩を並べた不忍文庫であることはご承知のとおりである。石井町桜間にある桜間池石文の碑は弘賢が71才の作で、文化11年(1828)のことである。
前述のように弘賢は公儀の命によって「古今要覧」(1千巻)を作成するために、文化10年ごろから全国諸藩の儒者たちに「諸国風俗問状」を出して、その答書を要請した。しかし折角の新しい着想企画も末端の理解と協力とを得られずして、不成功理に終ったのは甚だ惜しいことである。
全国に残存している「諸国風俗問状答書」は僅かに18部、曽って存在が認められていて、所在不明のものが4部の計22部に過ぎない。特に1村とまとまったものは僅かに5部であった。ここに「宍喰村答書」を発見し得てその数を増したことを喜んでいる。
研究テーマは「宍喰町の古文書の研究」と変更されたことは当然である。
8月1日から7日間に亘って、阿波学会の総合学術調査の本番となって河野幸夫 下本一の両先生と共に郷土班として宍喰町に行き、第1番に多田貞助氏宅を訪問した。そこには既に馴染の屏風があり、私は恋人に再会できた感激となつかしさで胸の高鳴りを感じた。写真を撮り、私が解読して河野先生が筆記していった。私は胸中こみあげてくる感激を押えようとして努力したが、どうしても上り調子となって自然に気がはずむばかりであった。解読中に幾度か宍喰村の特色に出会ったが、なかでも「3月雛祭のこと」の答書として「当所の儀は8月朔日に雛祭仕り、3月には祭り申さず候.3月に祭り申さざる儀は何故の事に候や相分かり申さず候」と記してある。現在宍喰町で行われている八朔の雛祭は既にこの頃にもあってしかもその理由は不明と記されている。最後に「答書」を記した人の役職が書かれていて、これを当時の与頭庄屋であった多田本左衛門に指出している。年月はただ寅9月とあってこれは文化14年の丑歳のつぎの年、文政元年の歳である。問状が出されてから丸1ケ年経過しているのである。
かくして与頭庄屋から郡代へ指出され、さらに儒者の手に渡り、最後は公儀御右筆屋代弘賢の手許に届けられたものであろうと考えられる。
諸国風俗問状

正月
元日、門松の事、たいたい、ゆつり葉、裏白、海老等を付るは通例、他草他木を用る事も有之候哉、蘇民将来の札有無製作如何様といふ事をも御記可被下候
元日門松たいたいゆつり葉裏白海老蘇民将来の札等付申候其外之品用ひ不申候
鏡餅の事、家々にて仏神等の御前に供候哉、武家にて具足の御鏡、町家にて帳のおすはりといふ類土地に付職分につき何等の品物に供候事やらん、家内めいめいの分の鏡も候哉、又鏡にむかふとかいう行事も候哉、もしあらは其体如何様又何体親類に贈候やらん
鏡餅の儀家々にて神棚へ供候農家の儀に候得は鍬初鏡餅地神へ供家内めいめいの分の鏡元朝にすはり申候親類のすしも鏡餅贈申候其外相替儀無御座候
屠蘇の事、年少の者より飲はしめ候歟、第二には尊長の人飲候哉、年の次第により若き人より飲候歟
家の主人たる者より飲はしめ申候
組重の事、数の子田つくりたたき牛房煮豆等通例其外何様の品候哉
右御本文の品々組重も相用ひ候其外相替品無御座候
雑煮餅の事、菘いも大根人参田つくりなと通例其外に何等の物候やらん
右御本文之品々雑煮に相用ひ候其外には用る物品等無御座候
年徳神の棚之事、其体如何様供物等も如何様候哉
松裏白掛鯛等錺鏡餅神酒等供申候
えはう参の事、一日歟二日歟神か仏か其体如何様やらん
元日氏神へ参詣仕候
餅花の事、つくり様如何様に候哉又何その吉祥と申来候のも候やらん
竹柳等の枝を用い作り申候又何その吉祥と申来も無御座候
はま弓はご板、ことなる製作も候やらん又はまと云て竹の輪を投廻して小き弓矢にて射る事も候哉
はま弓はご板餝申候其外には相替る行事不仕候
子供あそひの事、はねてまり道中双六歌かるた等通例其外何条の事候やらん
羽年手まり歌かるた等あそひ申候其外相替物品等無御座候
今月寺社に一年の事まじない又は一年の吉凶をもうらない候行事候哉
右様之行事不仕候
二日、掃初、何様の事候哉
二日に通例之通庭座敷等掃初め申候外に相替る義無御座候
三日、うたい初松はやし等の類も有之候哉
右様之儀無御座候
門松をとる日の事、或は三日あるひは七日、十五日等いつれの日を用ひ候哉其門松は何等の事に用ひ候哉
四日早朝門松をとり申候十五日に其門松を左義長に相用ひ候
吉書初読書始武芸の始農家の事始工商諸職分の事始諸事諸芸の事始山野浦牧なとにつきて異なる事始候哉
二日に吉書始読書初等仕農家之儀に御座候得は同日鍬初め仕地神年徳神を祭申儀雑煮神酒等供申候其外殊成事始無御座候
親属往来くひつみ屠蘇雑煮なと通例外にも異成事候哉椀飯と申事も候哉其体如何様に候哉
親類往来年頭之礼等に往来仕屠蘇雑煮組重等にて盃仕候其外異成事無御座椀飯と申事も無御座候
七日、七種粥、菘薺芹なと入候事通例此外に何等の菜を用候哉七種をたたく時唐土の鳥といふ事を唱候は通例此外にも有之候哉
七日粥は不仕七種之義菘薺芹等入たたく時唐土の鳥と申事唱候其外相替る事無御座候
十一日、かゝみひらきの事、ことなる事も無候哉
右様之行事無御座候
蔵ひらきの事
蔵ひらき二日に仕候
十四日、道祖神祭の事、何様の事候哉、左義長の事、其体如何様唱候事も有之候哉又十五日を用候所も有之候哉
道祖神祭不仕候左義長之儀四月にとり候門松裏白等取集浜辺又は川原なとに錺十五早朝吹抜等も錺十五日早朝もやし申候其外相替義無御座候
けつりかけの事、有無如何、まゆ玉の事、其体如何、十五日赤小豆粥之事、餅あつきなと入候は通例其外の物も入候哉
けつりかけまゆ玉の行事無御座候十五日粥之義餅あつき入申候外に入申物は無御座候
大のこんこふの事、有無如何、わか餅いく日につき候哉
大のこんこふと申行事無御座候若餅十五日につき申候
卯杖卯槌なと類有之候哉
右様之行事無御座候
十六日、斎日の事、何事候哉
右様之行事無御座候
廿日、ゑびす講の事
ゑびす講不仕候
此月万歳の類如何様物候哉
当所に万歳は無御座候得共穢多乞食共太鼓等打鳴らし米餅等もらいに家々の庭門へ参り候殊成体無御座候
此月神事の事、一社にかきりたる行事をも少もことなるは可被記下候供物奉納物売物なと何様の事候哉
七日当所祇園社八幡宮両社において弓始のまとを射申候殊成る供物奉納物売等も無御座候
此月仏事の事、仏菩薩の縁日祖師開山忌日供物奉納物売物等如何様修正会といふ事候哉
当所観音縁日十八日、薬師縁日十二日参詣仕候殊成供物奉納物売物等も無御座候修正会といふ事も無御座候
此月を好み用る事、何等の事候哉
此月をいみさくる事、何等の事候哉
正月は祝い月と申神祭り祝ひ事に相好候得とも俗家にて仏事等之儀は行事不仕候
二月
八日、こと始の事、江戸にてはおこと汁とて人参牛房こんにやくあつきなと入たる汁を煎るなり此事何事候哉
右様之行事無御座候
初午、稲荷祭いかやふに候哉諸国子とものてならひ始此日を用ひ候哉何そ異なる事も候やらん
右様之行事無御座候
ひかん、団子を供候は通例猶何等の供物候哉又読経説法なと通例猶何等の法会候やらん
ひかん七日之間仏前に団子を供候外に供物不仕候読経説教等も寺々にては仕相替る法会無御座候
十五日、涅槃会の事、たんこ粟飯なと供候類其外殊なる事候哉
涅槃会団子等供候其外供物不仕殊なる行事も不仕候
此月社日につきたる行事候哉
社日餅つき地神へ供申候外に相替る行事無御座候
此月神事豊年を祈候事候哉
神々へ詣申時豊作を祈申候
此月仏事に修二月会と云事候哉
右様之行事無御座候
此月を好み用ひ又此月をいみさくる事
此月神事仏事何事にも好み用ひ申儀も無御座いみさくる儀も無御座候
三月
三日、ひな祭の事、草の餅菱にきりたる又桃の花等通例異なる品も候哉菓子は魚鳥の形をらくかんにて作りたる通例猶異なるも候哉草の餅はゝ子草をも用ひ候哉
当所之儀は八月朔日に雛祭仕三月には祭不申候三月に祭不申義は何故の事に候哉相分り不申候草の餅よもきを用ひ菱に仕桃の花等相用ひ神々へ供申候はゝ子草は用ひ不申其外殊なる行事不仕候
此月水口祭といふ事候哉何様候哉
右様之行事不仕候
此月苗代たなゐなとにつき殊成行事候哉
苗代之儀時分に応し程々の苗代蒔付仕候外に殊成行事無御座候
此月神事のこと又仏事のこと此月を好み用る事此月を忌避くる事
此月神事仏事此月を好み用ひ并いみさくると申義無御座候
四月
一日、衣がへ、いかなる事候哉
衣がへ之儀袷に着替氏神なとへ参詣仕朔日の礼等申候外に相替事無御座候
八日、仏生会、うふ湯あま茶を用候通例猶何事候哉花御堂の制作如何様候哉千早振卯月八日といふ歌をも書候歟その外何事候哉
仏生会俗家には不仕候得共寺々にて仏生会うふ湯あま茶等用花御堂の儀も草花何花にても有合の花にて作申候千早振卯月八日といふ歌も家の内へ虫類入不申ましないと申事にて右歌書候て戸口柱なとに張申候外相替行事無御座候
此月神事仏事此月を好み用ひ又此月をいみさくる事
此月を神事仏事に好み用ひ又いみさくると申儀無御座候
五月
五月、のほりの事、武器の類をかさり候は通例猶其外の品も有之候哉食品なとも定れるよふ候やらんよもき菖蒲□ふく事候哉又制薬の事候哉ましない事なとも候歟
五月のほりの儀も綿紙ののほり武器之類もかさりよもき菖蒲之儀もふき笹萱にて粽仕神前へ供候食品等殊成儀無御座又制薬ましない事等も不仕候
此月田植につき何様の事候哉さひらきさのほり其体何様候哉田植歌に古風なとも候はは可被注下候
田植の義さひらきと申日に植初め植仕舞候之義日柄を選さのほりと仕候外に相替儀無御座田植歌之儀有来常の歌又はやり歌なとうたひ女とも植申候
此月こかひにつき行事
右様之行事無御座候
此月神事又仏事此月を好み用ひ又此月をいみさくる事
当所にては五月は祝ひ月と申神祭は仕候共仏事は不仕候

六月
十六日、かしやうの事、くひ物如何候哉
右様之行事無御座候
土用につきたる行事有之歟の事、納涼につきたる風俗有之かの事
土用之儀衣類家物類帳面書物等虫干仕其余相替候儀無御座納涼につきたる風俗之義無御座候
氷を蔵むる所も候哉もし有之はしかた如何様
氷を蔵る儀無御座候
晦日、祓の事 家々にて茅の輪をくくり候哉茅の制作如何様に候哉又寺社にて如何体の事候哉
祓等の行事不仕候
閏月ある時はいつれを用候哉此月雨こひとて何様の事致候哉又ふりつゝきたる時晴を祈るにいかなる行事候哉
閏月は神事其外何事にも用ひ不申候雨乞之儀閏月にても旱魃之節神仏へ祈願仕雨を乞ひ申候又降りつゝきたる時も神仏祈願仕晴を祈候
此月神事又仏事此月を好み又此月をいみさくる事
此月を神事仏事に好み申儀無御座又いみさくると申儀も無御座候
七月
七日、星祭の事、小竹に詩歌をかきたる短冊を付瓜西瓜なと供し祭事通例其外何等の品を供候哉今日定る食品も候哉まじない事候哉
七夕星祭小竹に古歌を書たる短冊を付瓜柿莉子菓子等供祭申候其外定る食品も無御座ましない事も不仕候
氏神墓所なとに草打といふ事候哉
右様之行事無御座候
盆供たま祭の事、牌をかさり候其体如何様御膳供物等も如何様候哉又送り火迎火等如何様に候哉
たま祭牌をかさり申儀草花樒等相用御膳供物之儀有合の料理物にて三菜又は五菜等に仕相供送り火迎火之儀十四日に先祖の墓所へ参り迎ひ火をたき香樒水等手向申候十五日送り火之儀も墓所へ参りたき火仕香花水手向申候并に棚経と申檀那寺の僧家々へ参り仏壇にて読経念仏等相勤申候
盆おとりの事、有無如何、謡の文句も可被注下候
おとり之儀夜分老若男女とも相集り寺又は俗家の庭にても踊賑ひ謡の文句定り申儀も無之候得とも大体浄瑠璃等の文句を少々記取て謡ひ太鼓かね笛三味線なと拍子に合せ申候
いきみたまの事
右様の行事不仕候
施餓鬼につきて何様の事候哉なかれ灌頂と申事候哉
施餓鬼之儀寺々にてたま棚を作僧集り読経修行仕其寺の檀那不残仏参仕香花水等手向申候なかれ灌頂は不仕候
此月神事仏事此月をこのみ用ひ又此月をいみさくる事
七月は専仏事仕候得共此月神祭并祝ひ事にはきらい用ひ不申候
八月
八朔の事、親類の間贈物も有之候哉其体如何様に候哉
当所之儀三月に雛祭不仕八朔に雛祭仕候供物生菓子干菓子餅なとも相供親類の間雛祭の祝儀雛の供物等贈申候三月に雛祭不仕八朔に祭り申儀何故之儀哉相分り不申古来より仕来にて御座候
月見の事、芋団子をそのふるは通例此外何そ異なる供物食品も候哉又此日ましない事候哉植物の類此日を用る事候哉
十五日月見之儀家々にて神前に神猶等相供申候外に供物食品も無御座候植物類種物類此の日を用ひ植物仕種物等も蒔申儀も御座候ましない事も不仕候(○印破損)
彼岸の事
春のひかん之通仏前供物仕候
此月田かりそむるにつき初穂を仏神に奉るやふの行事も有之候哉
田かり初め之儀吉日を選刈初め地神氏神へ初穂稲萱把懸供申候仏前にも供申候又焼米に仕供申候此外相替義無御座候
此月神事又仏事此月を好み用ひ又此月をいみさくる事
此月神事仏事に好用申儀も無御座又いみさくる義も無御座候

九月
衣がへ如何様に候哉
衣かへ袷と着改氏神なとへ参詣仕候
九日、如何様に候哉定れる食品も候哉又ましない等の事候哉
九日菊の花神酒等神々へ相供親類節句の礼につき往来仕候外に相替儀無御座喰る食物も無御座候又ましない事も不仕候
十三日、月見の事、食品如何様候哉
月見之儀芋豆等取初め神仏へ供し家内のものも食仕候外に相替事無御座候
此月神事仏事此月をいみきらい又此月を好み用る事
当所には此月を祝ひ月と申神事祝事等に相用ひ候仏事に不用当所村々に有之鎮守の小社祭仕氏子の参詣仕神酒等相供候外に供物無御座候食品の無御座候
十月
亥の子の事
亥の子之儀亥の日に亥の子の餅仕神々へ供申候
廿日、夷講の事、家々行事如何
夷講の行事不仕候
此月神迎といふわさも有之候哉
神迎と申わさ無御座候
此月神事又仏事此月を好み又此月をきらふ事
神事仏事とも此月を好み申義も無御座又いみさくる義も無御座候
十一月
冬至につきたる行事有之候哉
冬至につきたる行事無御座候
八日、ほたけの事、如何様
右様之行事無御座候
廿三日・大師講の粥の事
大師講不仕候
此月神事仏事此月をこのみ此月をきらふ事
此月神事仏事に好みきらい申儀は無御座候極月并正月に相当る年忌法事等此月へ取越法事とむらひ仕候当所にて此月三日子供の髪置初め五日に袴着初相定め居申候定る食品之儀も無御座候
十二月
一日、河ひたりの事、いか様候哉
右様之行事無御座候
八日、こと納の事、食品如何様又何様のわさと申伝候哉
右様之行事不仕候
すゝ取につきたる行事候哉
すゝ取仕候得とも相替る行事無御座候
もちつきにつきたる行事候哉
餅つき仕候得とも相替る行事無御座候
除夜の行事并食品の事
除夜之義正月三ケ日に用る品々用意仕松建しめかさり等仕神前に鏡餅神酒相供
年こもりに寺社へまいり候哉
心願に付神仏へ参り通夜仕義も御座候
節分、豆まきの事、其体如何様鬼は外といふ外にも唱事も候哉いわしの頭柊なとさし候哉此夜ましない事占傾こと候哉やく払といふ物も候哉
此夜煎豆仕神々へ供又鬼は外と申も相唱豆うち仕候鰯の頭柊も戸口へさし申候其外ましない事占傾事も不仕候やく払男女ともに仕候相定る品食物等は無御座候
此月神事も神楽の遺風の候哉
右様之行事無御座候
此月神事仏名会なとも候哉
此月神事は仕候得とも仏名会等の行事不仕候
諸職分につきたる祝日行のこと、月待日待庚申子已待之類打揃て物語し何と無夜食なとする通例何かことなる行食品も候哉
当所に諸職人無御座候正月五月九月に月待仕庚申待子巳待等も仕候夜食なとも仕候外にことなる行食品も無御座候
右諸国風俗編集の節御答被下候人々の御名をも書加へ申候間御答書之末に国郡郷町苗名俗名実名姓戸まて委細に御記可被下候也
右諸国問状御答様々に当り答書仕指出候様被仰付奉恐候依之右様々に当り御答書相記指上申候以上
宍喰村
役人
寅九月
多田本左衛門殿
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