阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第20号
宍喰町の寺社・石仏・遺跡の実態調査

民俗学班 岡田一郎

 昭和48年8月1日〜7日にかけて、宍喰町全域にわたり、寺社・石仏・遺跡等についての実態調査を実施した。しかし、わずか一週間の日程ではとうてい詳しい調査もできず、走り走りであった。そのために不明確なところも多く、調査おちもある。ただ、てあたりしだい目についたものをメモし、分布図に表わしてみたにすぎない。
 以下、まことに粗雑な資料であるが、今後の調査研究に少しでも役立つことができれば幸である。


○ 石仏と民間信仰については、後日荒岡一夫先生が報告してくださることになっている。
○ 宍喰古墳と鈴が峯円通寺については、別に調査をすすめているので後日報告したく考えている。
1  島弥九郎の遺跡
  土佐の長曽我部元親の弟島弥九郎が戦死したところ、二子島古戦場。
2  三島神社(吉野神社に合祭)
  島弥九郎を祀る。那佐湾にあったものをこの地に移す。祭礼の日は、暴風雨になるという伝承がある。本殿はひはだぶき、御神燈に明和3年の記銘がある。
3  那佐の地神さん
  五角柱 高さ70センチ、台石4段、すべて五角となっている。大正12年3月建立。
4  那佐の太師堂
  高さ40センチの太師坐像、極彩色(江戸時代の作)他に不動像、千手観音像を祀る。庭に庚申塔があり、青面金剛童子(嘉永4年12月吉日)、霊山寺第一番釈迦如来を刻んだ舟形石仏(高さ85センチ)がある。
5  薬師寺跡
  この地を薬師谷といっている。昔、薬師寺があったと伝えられるが現在はなにもない。
6  地蔵石仏
  国道の両側に石仏2基、旧道のときは峠になっていた。峠地蔵尊で現在は交通安全の仏となっている。
7  宍喰古墳
  久保の北田にある小山を利用してつくられた横穴式古墳、6世紀ごろのもの、大正時代に破壊されて原形をとどめていない。玄室の石が一部残っている。
8  浄福寺
  願行寺の末寺、浄土宗、現在無住、境内に高さ3・5mの大きな宝筐印塔(文化7年)と庚申塔・六地蔵がある。そのほか、寛永の供養碑、五輪塔が多数ある。
9  八幡神社
  社殿を新築(昭和48年)、境内にダンジリ小屋(商人仲、山仲、鍛治仲、金幣仲)と、古い馬小屋がのこっている。無患樹(むくろじゆ)の大木があったが枯れて新木ができている。
10  弓矢八幡神社
  多田家の氏神で多田源氏の氏祖を祀っている。そばに戦国時代の五輪塔がある。
11  多田家の屋敷
  小高取格、組頭庄屋、広大な塀にかこまれ武家屋敷の遺構をとどめている。江戸時代の「風俗問状」が保存されていることで有名。
12  八坂神社(日本三祇園の一つ)
  社殿の創設の年代は不明であるが、鎌倉時代の建永から建暦にかけて大般若経を手写して八坂神社に納めた記録があるので、それ以前の祭祀と考えられる。現在の本殿は宝暦年間のもの。本殿の大蛇退治の彫刻と境内の狗犬は京の名匠の作といわれている。例祭は、7月16日〜17日。神輿、山車、関船、大山、小山の屋台がでてたいへんにぎわう。新装の拝殿の前に病気回癒お礼の千本のぼりが立てられていた。
13  愛宕神社 戦国時代に愛宕城(宍喰城)があった。
  町民センターの南にある小山、頂上に、愛宕神社、弁財天、天神宮を合祀してある。
14  願行寺(浄土宗)
  もと、鈴が峯の南下、安養谷にあった。山門、鐘楼、ごま堂、方丈が揃っている。本尊は阿弥陀如来立像(高さ78センチ)寄木造、室町時代の作である。
15  大日寺(真言宗)
  庫裡、大日堂、薬師堂がある。本尊は大日如来像、江戸時代の作、弘法大師座像(高さ85センチ)寛永16年の作、県下最大の大師像である。鎌倉時代の大般若経が保存されている。
16  正法寺(真宗)
  まきの大木が門をなしている。一向宗の寺として珍らしい。近藤五兵衛(古目番所役)等支配層が信仰していたといわれる。
17  弁天山
  宍喰港の南側にある。小山の頂山上に弁天さんが祀られていたが、現在は忠魂碑が立っているだけである。桜の名所。ここからの眺はまさに絶景である。のぼり口に清水大師堂と剣山大権現の石柱がある。ここの大師堂は歯痛によくきくといわれている。
18  漣痕(れんこん)
  水床の旧国道ぞいに露出している波の化石、水流漣痕と複合漣痕がみられる。約6千万年から1億年前のもの。県の天然記念物に指定されている。
19  芭蕉塚
  水床荘の前にある。もと願行寺の用地にあったといわれる。碑面に「ゆふ晴やさくらにすずむ浪の花」はせ越、と刻まれている。これは、宍喰の俳人基日庵左一が芭蕉を慕ってたてたものである。
20  古目番所、金目番所
  阿波藩が阿土国境警備のため古目と金目に関所をおいた。関所のことを番所といった。現在は番所跡はみられない。
21  竹が島神社
  海上安全、大漁祈願の神として島民の祟神は厚い。夏祭の海中に飛びこむあばれ神輿は有名である。
22  竹が島の地蔵庵
  地蔵尊、不動尊、庚申塔を安置してある。境内に自然石の六地蔵と五輪塔が数基ある。
23  のろし台跡
  竹が島の頂上に番所があって、のろしをあげていた。海上警備と取締りの番役がおかれていたのである。現在は遊歩道路がついて番所跡はみられない。
24  鍛治屋敷跡
  竹が島橋を渡ったところに広場がある。昔ここに鍛治屋が数軒いたらしく、鍛治屋敷という地名がのこっている。
25  馳馬の石仏
  馳馬から角力山の山麓をこえて宍喰川に出る曲り角に、三体の地蔵尊が安置されている。そのそばに、この道の工事で殉死した三笠安次郎の供養碑が立っている。
26  正福寺(真言宗)
  本尊は地蔵尊(高さ80センチ)本寺の北岡の山に薬師堂があった(現在再建中)。その本尊薬師如来坐像(高さ75センチ)は地方では珍しく優れた作品である。
27  井上神社
  神社には、寛保2年(1742)の棟札がある。ご神体は大蛇であるとのいいつたえがある。雨乞いの神で例祭には御輿が神社下の淵に入って暴れる。ここにも千本のぼりの祈願がみられた。神社ののぼり口の左側に不動尊の石仏がある。昔は鳥居から上へは女は登れなかった。
28  日比原の西法寺(無住)その裹に日比原神社
  西法寺の境内に宝暦の地蔵尊、庚申塔、大師坐像などの石仏がある。又、墓地に寛永11年の供養碑がある。
29  安養寺
  鈴が峯、円通寺の登り口一帯を安養寺という。昔ここに寺があったが、今は町営住宅が建っている。
30  鈴が峯円通寺
  標高394m、宍喰中学校の背後にそびえる山が鈴が峯である。宍喰浦旧記には弘法大師の開基とある。応安3年(1370)櫛川の猟師五良兵衛が猪を撃つため、この山中に迷いこみ、鈴の音にみちびかれて7寸8分の金銅の観音像を発見、発心して法妙と改め、ここに観音堂をつくったとの伝承がある。宝物は、金銅の観音像、馬の角、牛の玉、鈴一口、金の鑵子。現在は無住、願行寺が管理しているが、庫裡は崩壊しており、観音堂と鐘楼も崩壊寸前にある。登口から山上に至る参道の両側に八十八か所の本尊を刻んだ石仏が並んでいる。岩屋の中に五輪塔が五基ある。そのなかで、永禄5年、逆修妙善、10月5日と記した梵字いりの中五輪塔があり、これはきわめて貴重なものと思われる。


31  馳馬元越番所
  現在の重成家が藩政時代には元越番役をつとめていた。重成家の先祖重成友左衛門充房、その長子熊蔵宜則は海部郡大黒村の御鉄砲で劔剛銃術の名手であった。昔、内田小六という盗賊が、この関所をとおしてもらいその礼として、きずぐすりのつくりかたを重成家へ伝授したといわれる。この元越は土佐への近道で昭和20年頃まで通行していた。番所跡は重成家の南側にある。
32  八山の地蔵尊
  八山に二つの石仏(地蔵尊)がある。一つは水難事故防止祈願の仏、近くの川で水死者があったのでその供養塔である。他の一つは八山神社ののぼり口にあるもので、高さ30センチの線彫り地蔵尊、頭部がかけているが、時代はかなり古いもののようにみられた(室町時代?)。イボをとることによくきくといわれる。
33  八山神社
  県道の上にある。氏神、地神、明現さんが境内に祀られている。
34  芥附神社(祭神 国常立命)
  山王神社と安井にあった御崎神社を合祀している。正徳元年(1711)の棟札がある。本殿、拝殿、通夜堂が揃っている。
35  広岡神社(祭神 大山祇命)
  正徳5年(1715)の棟札がある。
36  落合の剣大権現
  旧正16日にはここに村人が集ってゴマを炊いて家内安全を祈願した。山伏がここで修行をした。2間に2間半のお堂と下に、通夜堂がある。大師坐像(高さ25センチ)エンの行者の像がある。
37  北河内の昆沙門堂
  「応永29年8月 日敬白、奉施入鰐口、畑野御前」と刻まれた古い鰐口がある。鰐口は青銅製で直径18cm、厚さ4.5cm、宝暦、延享、文化、天保、慶応の棟札がある。昔は、旧1月20日と6月20日に願行寺の住職を招いて法要をおこない、門前に店が並んで、にぎわったといわれる。昆沙門堂の右側に庚申塔(50cmの青面金剛、下台三猿)があり、うせもの発見に霊現あらたと聞く。
38  小谷神社(祭神 国常立命)
  落合の御崎神社(猿田彦命)と猪の鼻の御崎神社(国常立命)中谷の河内神社(天津児屋根命)を合祀してある。ここにある神像は藤原時代のものと伝えられるが、ぼろぼろにくちている。ほこらの中に磨製石斧ににた石棒を安置してある。(砂岩石長さ14cm)宝永、安永、文政、天保、嘉永の棟札がある。
39  犬の瓜
  日比宇川の中に大岩があり、怪獣赤みの伝説がある。
40  角坂の天満宮(祭神 菅原道真)
  角坂小学校の東側にある。しいの大木におおわれて、鳥居、拝殿、本殿がある。
 鳥居の前に力石がある(長さ80cm、まわり130cm、砂岩石)。
41  角坂の庚申塔
  禅興寺の境内の東の端に享保3年の庚申塔がある。青面金剛、二猿二鶏の像、風邪によくきくといわれる。
42  禅興寺(臨済宗)
  徳島市の瑞厳寺の末寺といわれる。永禄9年(1566)の棟札がある。禅興寺の裏山、森の中に観音堂があり、ここに安置されている千手観音像(高さ140cm)は京仏師の作(江戸時代)、また、本尊の両側に脇仏が多数安置されている。
43  塩深の地蔵尊
  県道から約3mの上、旧道に高さ43cmの家形地蔵尊(宝暦12年)がある。
44  大山神社参道入口(大きな道標が立っている。)
45  昏上清光の句碑
  昏上翁は宍喰町塩深の人。昭和35年2月歿す(87歳)。名誉も地位も金も全く超越して漂々と山野を歩いて句吟にふける。俗称、あかじさん。この碑は富田潔翁が建てたもの。代表作に、「いつまでも碑文に香るこけの花」「迷ふそときつた道なり女郎花」などがある。
46  和鏡(直径10.5cm、厚さ0.6cm)南北朝時代、竹枝双雀鏡。大正時代のはじめごろ、大山神社の僧坊のあった跡地から発掘した。
47  大山神社
  塩深にある。宍喰の開祖、鷲住王が祀られている。平安時代の神仏習合によって大山大権現または、十二衣権現ともいわれ、境内には十二の僧坊があった。天明3年(1783)の火災によって神殿、僧坊、宝物はすべて消失、現在の成福寺(塩深)は僧坊の一つであるといわれている。現在の社殿は 年に建てられたもの、広大な神域が昔の面影をとどめている。大山神社に祀られていた、古鏡明昌7年(1196)は朝鮮の金の6代目王朝時代の作品できわめて貴重なものである。大山神社の奉納については和寇説がある。天保9年藩主蜂須賀斎昌に取りあげられたので現存しない。十二衣権現の中の十二体の神像のうち一体だけがのこり大山神社のご神体となっている。境内にある(腐らぬの木約10mアカガシ)は慶長年間からあり、神木として知られている。
48  猪ノ鼻の観音堂
  県道から川をはさんで南側の台地に観音堂(1間四方)がある。このお堂の右側に特攻隊出陣の辞世の句碑がある。「おおきみの、あだなす敵をうちくだく、やまとわかわし、いまぞいでたつ」と刻まれている。(昭和20年4月16日 井花敏男18才)
49  猪の鼻の地蔵尊
  猪の鼻から宍喰川を小谷へのぼる道ばたに新しい地蔵尊がある。この石仏は、昭和44年の秋たてられたものである。施主は芝友義で孫が近くの川で鮎とり中水死したのでその供養碑として建てたものといわれる。
50  河内大明神(小谷神社に合祀されている。)
51  中谷の地蔵尊
  中谷部落の地蔵堂の中に安置されており管理がゆきとどいている。地蔵尊は高さ52cm、寛保年代のもの。この地蔵庵の上に十二衣権現が祀られている(これは中東の家の氏神とされている)。
52  また地蔵庵の右側に中五輪塔2基、小五輪塔2基、いずれも室町時代がある。
53  猪の峠の地蔵尊
  猪の峠のトンネルの入口の草むらの中に舟形の地蔵さんがある。これは、明治31年に久尾村の利兵衛という人がたてた供養塔である。
54  船津の文珠さん
  ご本尊は文珠菩薩で、知恵の仏である。昔は、町内外からの参詣人が多く、正月25日の例祭には門前に市がたってにぎわったといわれる。
55  船津番所跡
  野根川の上流、船津は山の関所であった。土佐の竹屋敷、松崎番所と背なか合わせとなっている。
56  牛ケ石、馬ケ石
  昔、阿波の殿様は牛で、土佐の殿様は馬で出向き、船津の野根川に至って出合いこの地を境として阿土国境の線をきめたといわれる。また一説には、ここに馬頭観音の像があったのでこのような地名がついたのではないかともいわれる。
57  久尾の子安地蔵庵
  この庵には、観音像、大師像、地蔵尊、不動像、大師石仏等が安置されている。土地の人々は、安産のききめがあるので、子安地蔵とか子安観音と呼んでいる。昔は、この境内で盆踊りがよくはずんだ。17日が観音さん、20日が大師講、24日が地蔵さんの縁日である。
58  久尾の地神さん
  御崎神社の境内にある。明治38年村中、正面にのみ地神社と記されており、他の面は無字。このような略式地神さんは珍らしい。
59  御崎神社 祭神天津児屋根命
  延宝年間の建立、もと河内神社。久尾神社ともいったが現在は、御崎神社とよんでいる。それぞれの神社を合祀したもので棟札が多い。
60  河内神社は平家の落人が祀っていた神社であるとも伝えられる。
 狛犬(こまいぬ)この境内には小形の狛犬3対がある。(鳥居の前に1対、地神さんの前に1対、神社の前に1対)
備考:この調査のうち、はじめの4日間は荒岡一夫先生と共に行動した。小谷、中谷方面の調査は中西長太郎氏、新居豊喜先生のご指導をうけ、鈴が峯円通寺の調査については、今市正義、米田、重成徹、川野茂喜各先生をはじめ願行寺様のご指導やご協力をいただいたことを附記し、感謝申し上げたい。


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