|
1 はじめに
宍喰町をはじめ、いわゆる下灘地域(宍喰町、海部町、海南町、牟岐町)は、ともに海岸部に中心街があり、山間部をその後背地にしている。この地域は近年まで陸上交通が不便なこともあり、白然的にも経済的にも、非常によく似た性格の地域であった。すなわち、一般的に海岸部における漁業と、平野部、山間部における農業と林業をその経済生活の基盤にしている。しかし最近は、交通手段の発達やそれにともなう産業構造の変化、観光開発、過疎化現象などにより、この地域も大きく変化しつつある。
そこでこの研究は、宍喰町を中心として、この下灘地域(特に宍喰町、海部町、海南町)の人や物の移動を通じて、これらの地域相互の関係や、またこれらの地域がどのような地域と、どんな関係を持っているかということを明らかにしようとするものである。
研究方法は、まず人の移動に関しては、買物行動と通婚関係と観光などによる移動をとりあげた。また物の移動に関しては、農産物や水産物や日用品の移動をとりあげた。そしてこれらの指標により、人や物の域内の移動、域外への移動、域外からの移動があきらかになり、そのことにより、地域相互の関係や他の地域との関係があきらかになることと思われる。
2 地域の概要
人口と産業構造とについて、宍喰町および下灘地域の他の二町(海部町、海南町)をみてみる。まず人口については、第1表のようになる。

宍喰町においては、昭和35年から昭和47年までの12年間に5444人から4360人へと1084人の減少となっている。海部町、海南町ともに減少しており、三町全体の減少率は約20%になっている。いわゆる人口流出の大きい地域であるといえる。世帯数については、宍喰町については若干増加しているが、他の二町においては減少している。また一世帯あたりの家族員数は、宍喰町では4.7人から3.6人へ、対象にした地域全体では4.5人から3.6人へと減少している。この3.6人という数は、都市部と殆ど同じで、都市周辺部よりは少なくなっている。これは人口の社会的移動の大きいことを予想させるものである。

次に産業構造をみてみると(第2表)、宍喰町における産業別就業者の割合は、第1次産業が48.2%、第2次産業が23.0%、第3次産業が28.8%となっており、やはり第1次産業が中心であることがわかる。また他の二町も宍喰町とあまり大きい差異はないが、海部町では第3次産業が41.3%と一番高い割合となっている。これは同町奥浦の商店街の影響が出ているものと思われる。次に時系列的に変化をみてみると、人口減少による就業者総数の減少が認められ、また各産業別にはあまり大きい変化は認められないが、強いてあげれば、第1次産業の減少と第2次・第3次産業のごくわずかではあるが増加が認められる。これらの現象はいわゆる過疎地域にみられる一般的現象のようである。
第一次産業が中心の産業構造となっているが、その中心はやはり農業である。宍喰町の農業の規模は、1戸あたりの耕地面積は0.7haで、0.7haまでの農家が全体の67.8%を占め、規模は小さい。宍喰町の297haの作付面積のうちで、75%は米、13.7%が果樹7.8%は野菜となっているが、これを産出額でみると、総額の54%(約1.3億円)を野菜があげている(第3表)。野菜の中では、第4表にみられるようにキュウリが中心となっている。結局、宍喰町の農業は野菜、特にキュウリを中心としたものであるといえる。海部町 海南町においても、おおよそ同じような傾向がみられるようである。


3 人の移動
前述したとおり、人の移動について、買物行動と通婚関係、それに観光に関する移動の三つをとりあげる。
(1)買物行動
買物行動については、日常必需品であるまとまった食料品と高級買廻り品の洋服と時計をとりあげて、どの地域と関係があるかをみてみる。(第1図)

まず食料品では、その殆んどが宍喰町内で行なわれており、洋服は約半分は宍喰町であるが、第2位は海部町、第3位が徳島市となっている。また時計については、これも洋服とまったく同じで第1位宍喰町、第2位海部町、第3位徳島市となっている。上にあげた指標以外では、例えば下着類、和服、家具電気器具などにおいては、食料品の場合と殆んど同じ傾向を示している。
他の二町についてみてみると食料品や簡単な衣料品については、宍喰町と同じであるが、海南町では洋服、時計、家具などの高級買廻り品における海部町の割合が高くなり、海部町では、それらも全て町内で行なわれているようである。結局買物行動においては、日常必需品はそれぞれの町内で購買され、高級買廻り品においては、海部町では町内で、その他は町内と海部町で購買されていることになる。このことから、三町の中では海部町の商店街が強い吸引力を持っていることがわかる。
(2)通婚関係

宍喰町での昭和18年、31年、47年についての状態をみると第2図のようになる。ここで、実線は男性が宍喰町で女性がどこかということを示し、また破線は女性が宍喰町で男性がどこかということを示したものである。この図からわかることは、阪神との結びつきの増加の著しいことである。特に宍喰町出身の女性が阪神地方へ嫁ぐ場合が増加している。男性が宍喰町の出身者の場合は、阪神地方の割合の増加もさることながら、その他の地域の急増が顕著である。つぎに宍喰町同士というのが、停滞から減少傾向にあることが目につく。さらに県内各地域との結びつきがあまり強くないことも目につく。以上のような阪神地方との結びつきの強いことは、いわゆる過疎といわれるような人口現象と強い関係があると想像される。すなわち人口の阪神地方への流出がその原因であろうと思われる。
結婚に関して、甲浦と強い関係があるということをよく聞くが、このことは上にあげた資料などではあまり顕著にはでてこない。しかし、宍喰町の八坂神社の境内にある多くの石碑などから、甲浦との強い何らかの結びつきのあったことが想像される(写真1)。しかし近年は、やはり阪神地方を中心にしたいわゆる近畿圏との関係が強くなったようである。以上のようなことは、他の海部町や海南町についても、同様のようである。

(3)観光による域内への移動
域内への人の移動状況を知るために宍喰町内にある国民宿舎水床荘の利用状況をその資料としてとりあげる。昭和45年、46年、47年の各年の利用者についてみてみると、第3図のとおりである。徳島県内在住者の利用が最も多く、ついで大阪在住者の利用が多くなっている。また四国全体の割合や徳島県内の割合が減少しているが、徳島県以外の三県の割合が増加していることと、大阪を中心とした近畿地方の増加が顕著になっている。

海南町にある加島荘での話しなどを合せてみると、月別の利用状況は8月が最も多くて約20%で、あとは7月3月となり、2月6月12月が少なく約6%である(昭和47年)、年令別には20〜30才代の人が多く、特に正月や年末、夏などには、家族づれが多くなるようである。また最近は特に自家用車の利用者が増えつつあるようである。以上のことからわかるように、ここにも宍喰町及びこの地域全体が近畿圏と観光面でもつながりを強めていることがうかがわれる。
人の移動に関してもう一つつけ加えておくと、以前は若い女性が行儀見習いとして、阪神地方へ出て行ったという話しをよく聞くが、このことに関する量的資料はみられない。しかし、このことは地域の結びつきという点からみれば、大きい力をもっているものと思われる。
4 物の移動
ここでは農産物、水産物、そして日常品の移動をとりあげる。まず農産物についてみてみる。宍喰町およびこの地域を代表する農産物は第4表にみられるようにキュウリである。促成キュウリは宍喰町、海部郡、海南町の三町で産地としての指定を受けているが、宍喰町がその中心になっている。宍喰町においては、昭和47年8月現在、29戸の農家が6haから660tを生産しており、すべて100万円以上の収入をあげている。前にも触れたように、宍喰町においてこの促成キュウリの栽培面積や栽培戸数は少ないけれど、産出額においては、他の作物にくらべて優位にある。このキュウリはすべて農協、県青果連を通し指定消費地である京阪神市場へ約90%を出荷し10%が県内向けとなっている。また指定消費地域では82%が中央でその他は18%となっている。このことから、京阪神への輸送園芸農業地域であるとおもわれる。(第5表)

キュウリ以外の作物については、以前は暖かい気候を利用したパイナップルの栽培がなされていたが、現在は殆んどおこなわれていない。
水産物についても、キュウリの場合と同じような傾向となっており、漁港で水揚げされたものは、多くは高知県東洋町の仲買人などによって買われるようであるがこれも最終的には阪神方面へ出荷されているようである。
次に域内への物の移動についてみてみる。宍喰町をはじめ当地域内には、食料品衣料品その他に関する卸売業は殆んど存在せず、他地域からの移入となっている。数戸の商店などの話しを総合すると、菓子などの袋物については主に徳島市内からが多いようであるが、その他としては、品物の種類によっては、阪神方面からの移入もあるようである。
5 ま と め
以上のように宍喰町を中心として下灘地域(特に宍喰町、海部町、海南町)における人の移動、物の移動をとりあげて、地域相互の関係と、他のどんな地域と関係を持っているかということをみてきたが、それらをまとめてみると次のようになる。
人の移動に関しては、買物行動にみられるように、1位は地域内で行なわれているが、海部町で行なわれるものも多く、このことは下灘地域における海部町の位置を示しているものとおもわれる。このほかの人の移動としてとりあげた通婚関係においては、現在においては、阪神地方との結びつきが最も強く、この現象は進学・就職などとの関係から、ますます強まっていくように思われる。さらに観光や農産物、水産物などの出荷を通しての阪神地方との結びつきがみられた。すなわち、全体的にみれば、行儀見習いから観光へと内容に変化はあるけれども、この阪神地方との結びつきは以前から続いてきており、今後ますます強くなって、徳島県内にありながら、近畿圏の一地域というような関係を持ってくるように思われる。この傾向は、今後ますます進められるであろう観光開発や、産地としての農業生産の高揚さらに新規学卒者の県外就職による人口の流出などがその力になるであろう。しかし、昭和48年10月1日に一部開通した阿佐東線によって、別の何らかの変化が生じるかもしれない。それは第1図にもみられる買物行動において、徳島などがその例となるかもしれない。しかしながら、古くから続いてきた地域相互の関係は容易には変化しないであろうし、またその地域の関係が人々の心の中に組み込まれている場合は、なお変化しにくいのではないだろうか。しかしこの交通手段の変化にともなう、地域相互間の関係の変化と、人々の意識の中にある地域の結びつきの強さなどに関しては、将来明らかにしなければならない問題である。
この研究を行なうに際して、宍喰町役場をはじめ、海部町、海南町、牟岐町、高知県東洋町の各役場および農業協同組合、漁業協同組合の方々に大変おせわになりました。またお話しを聞かせていたたいた方々と研究、調査を通じて大変おせわになった徳島県立図書館の阿波学会事務局の皆様に感謝します。
参考文献(一部)
高木秀樹他:沼島の地理と民俗。徳島大学学芸学部地理学教室研究報告(1960)
二木敏篤:兵庫県の人口急減地域。人文地理 Vol.25. No.5(1973)
吉田哲夫他:東京近郊埼玉県三芳村の農業。地理学評論 Vol.42. No.10(1969)
徳島県中小企業総合指導所:海部町商店街診断報告書(1973)
宍喰町、海部町、海南町農業協同組合:生産出荷近代化計画書(指定野菜)(1972)
宍喰町:農業構造改善事業計画書(1965)
各町勢要覧 |