阿波学会研究紀要 |
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郷土研究発表会紀要第20号 | |
宍喰町のブチヨウと民家 |
郷土建築学会 四宮照義 |
1 宍喰町のブチヨウ
c ブチョウの構造……図2に就いて説明する。見らるゝように主屋から下屋が出て下は土庇になり、主家の側柱に上げ下げの板戸が吊られ、上部(「上戸」または「上店」と呼ばれている)は突きあげられて、端は下屋桁内面に止っており、下部(「下戸」または「下店」)は開き落されて縁側代用となっている開口部の形式である。即ち家の前面開口部の柱間に、床と水平に無目敷居を取付け、これから5尺7寸(173cm)あがって無目鴨居を取付け、双方の取付ている仕口の箇所の外面に、軸木受木を大釘打ちとし板戸の軸木を入れ込み、軸木の廻転によって上げ下げ開閉する仕組みである。(海部方面では軸木のことを「クルル」と呼ぶ)板戸は長さ六尺(190cm)、幅5尺7寸(173cm)を半折したもので、前框に横框を小根■留に組み、後框へは■差しとする。この■差しの仕口から左右の両端は伸びて丸く削られ軸木となる。「上戸」は中間に入れられる横棧の両端に■を作り、框に■穴を彫って■差しとし、その上に厚さ3分(1cm)の杉板を打つ。下戸は前後の框の内面を欠いで横棧を落し入れ、厚さ5分(1.5p)の板を打つ。「下戸」の場合は横棧といわず、根太というのが正しい。これは開いて下した時に縁側に利用する床の部に相当する。床束の代用として前框内面から、三寸(9cm)後方によって横框に堅木で軸木を作り、自動廻転する仕組みにして脚を取付けその脚に当る部に脚石(束石)を据えている。板戸をおげると、脚は自然に板戸裏(下端)に密着する。「下戸」の框は丈(背)二寸(6cm)、幅一寸三分(4cm)根太は一寸五分(4.5cm)角、脚は二寸(6cm)角となっており、「上戸」の框は丈(3cm)角である。
d ブチョウは阿波の方言である……ブチョウは阿波独特のものでなく、広くこの形式は全国に分布していて、ブチョウは阿波の方言であると言いたい。宍喰の隣の東洋町(土佐)から安芸市まで見られる。室戸岬附近ではこれを「ブッチョウ」と呼び、中村市、宿毛市方面も同名であり、ブッチョウの最も多くある東洋町白浜では、ウハミセ・シタミセとも呼んでいる。又、愛媛県の内子町にも多く見られるし、宍喰の町家(写真参照)のようにミセに商品を陳列して所謂、店を開いているところが現に見られるのは最近珍らしいものである。熊本県の天草、牛深市にも多見される。山口県の久賀町大島にも僅かに残っているが、ここ,では播磨地方の称呼同様シトミといっている。また京阪方面では茨木市に最も多く見受けられ、その呼び名は「アゲミセ」又は「アゲエン」である。考えて見るに、ブチョウは古く平安時代からある蔀戸からきたものであると思われる。
昔時の宍喰浦を治めた組頭庄屋、庄屋の民家の二つを調査した。何れも正面中央に「ゲンカン」構えを設けた立派な民家で、ゲンカンの部屋を中心軸にして、接客用と家族用の部屋が左右に分離して設けられるのが一つの特長である。
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徳島県立図書館 |