阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第19号
旧清水越の庶民信仰(石仏を中心として)

民俗班 荒岡一夫

 古い道
 古い昔から尾根を歩いて越すには、危険と苦痛がともない容易ではなかった。長い間日本人はそれに耐えて来た。長い間日本人はそれに耐えて来た。道は人類文化の発展に至大な関係があったことは誰もが認めている。しかしいずれの古道も今はすたれ、歩行はとだえて忘れられ雑草雑木の茂るにまかせている。柳田国男先生は日本には峠が大小一万はあるというが峠は昔の思い出となった。
 道はほろんでもいろいろの物が残されている。人の愛も死も―、土橋も石垣も屋敷も昔そのままの姿である。そこに石仏がひっそりと、ひとりで草むらに立っている。道や足あとはなくなってもそれをたどる事はできると思う。
清水越の石仏に愛着の心が揺れて。
 清水越
 弘法大師が巡錫のみぎりこの地にたどりつき、のどが乾き「たじま森」の泉の水を飲まんとしたが濁っていた。大師が杖で泉をつくとたちまち「きれいな水」が出て飲むことができたのを見て人々はびっくりした。この話しがかいわいに広がり「清水」(しみず)の名の起りとなった。(異説がある)
 清水越は阿讃中央部にあり、古来交通上の要路にあたっている。脇町の相栗(あいぐり)には鎌倉時代の文保2年(1318)に建てられた供養碑のあることから峠の歴史は古い。藩制時代には脇町の茶園に番所があり、峠を越した香川県側の堂ケ平にも番所が置かれ、阿讃の領主はともに重要路線として警備していた。こんぴら街道をしめす石灯ろうが路傍に見え往時の盛況をしのばせる。明治17年県道として改修せられると交通量は増加し、近年国道193号線に昇格し完全舗装後は高松、穴吹を結ぶ動脈となっている。
 明治から昭和の初期まで阿波のカリコ牛が毎年多数香川県へ行き、その頃讃岐米が峠の検査所を経て徳島県へ積立された。
『讃岐男に阿波女』のことばのとおり阿波と讃岐との交流はきわめて密であった。
 岩津から香川県の落合まではおよそ23kmの道程は、樹木が茂り細い道が支谷を渡り、支峯を越すなど難路であったとは古老の話しである。清水越をしているとどこが峠であるかはっきりしないのが特長である。下清水の一本杉から峠(分水嶺で315m)までおよそ2kmの間はほとんど平たんな道であるから、どこが峠であるのか知らぬまに越してしまう。清水の古老は一本杉が峠であると信じている。
岩津から落合までの清水街道風景は略地図で概見されたい。
 石仏
 石仏はほとんど江戸時代に造立されているから歴史が浅く、名もなき石工がきざみ庶民が雨ざらしの路傍に立て、素朴、推拙であるから芸術的、文化的価値が低く文化財としてかるんぜられている。
 石仏と人間の出合いの原点にかえりその信仰意義こそ重視すべきである。
稚拙な石仏がなぜ多く造立されたか―
石仏にはそれぞれ由来、歴史があり、庶民の願いが秘められている。封建時代凍結された社会生活は貧乏で忍従を強いられ苦悩は多かった。その生活を支えたものは庶民信仰であり、その具像が石仏である。石仏が村の歴史的遺物であり庶民史をしめしている。石仏の多いほど村人の苦悩が多かったといえる。痛める心、傷ついた心をいやしたいがためにただいちずに石仏を立てて祈った。自分ひとりで、講中で、惣氏子がそれぞれ造立して救いを求めたいじらしさ、素朴さのうちにつぶやきが聞こえる。基層社会に生き死にした村人の怨霊、祈願、恐怖、供養などさまざまな心意がこめられ哀歓に生き抜いた人たちの執念に胸が打たれる。石仏は素朴、稚拙であっても村人のよせる信仰は真剣で熾烈で長く続いた。経済が成長し消費生活が激変しつつある現在石仏に寄せる信仰は、すでに消え失せたもの、消えんとしているもの、いまも「あらたな○○さん」として強く信仰されている石仏などさまざまな現況である。石仏の信仰姿態を現時点で明らかにすることに意義がある。

清水越の庶民信仰のまとめ
 概要にとどめ別表から推定していただき、いずれ機をみて詳説したい。
1  馬頭観音が多い。
  岩津に十八基群、堂ケ平、一本杉にモデル像がある。
2  氏堂が多く分布している。(阿波に8堂、讃岐に4堂)
3  4氏堂に数珠くりが行なわれている。
  いまだ信仰はほろびすの感を強くした。
4  盆踊りに三態が採集された。
  堂踊り、神踊り、仏踊り(ほとけおどり)……原初の姿か
5  地神碑がいずれの部落にもある。
  独特の信仰習俗である。
6  庚申信仰は阿讃に共通している。
7  万人講が讃岐にも見えた。
8  光明真言塔は讃岐に見あたらない。
9  地蔵信仰は共通している。
10  山の神信仰も共通している。
11  自然石の石仏が讃岐に多い。
12  夏子の氏神講はめずらしい。
石仏の資料
 庶民信仰、石仏信仰については、昨年、一昨年の綜合調査報告書に詳説したから、このたびは消略した。石仏の分布を主に取りあげ石仏資科集として報告書をまとめた。

 

 今昔物語りには飛弾白川郷の山の神に毎年一人を「いけにえ」としてさし出す習慣があり、それを怠れば山の神が荒れ作物などが不作になり人にも病むという物語りを思い出して採訪した、恐ろしい話しである。

 


徳島県立図書館