阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第17号
近郊鴨島の生産と流通に関する地域的展開

地理学班 四宮武

目 次
 1 はしがき
 2 鳴島町概観
 3 徳島市の Sprawl 迫る
 4 人口の生産的要素
 5 関心共同圏
 6 徳島、阪神との結びつき
 7 むすび

 1 はしがき
 「吉野川中流麻植地区」総合学術調査の一環として、地理学班では地域の中心であり、現在発展が著じるしい鴨島町にスポットライトをあててみることにした。即ち同町前山(四国山地)山麓沿いには、国営総合開拓パイロット事業が進行し、又飯尾地区には、大住宅団地の造成が進められ、先須賀地区には、大工業団地がつくられ、又阪神の輸送園芸(Truck farming)地として、ハウス地中暖房栽培などを導入して、大いにその出荷量を延ばしているなど、現在鴨島町は大きく変わろうとしている。そして又、美郷村、川島町(山川町)と合併し、新市を誕生させ、広域行政のもとに地域の開発を計ろうとしている。又そうしなければ合理的な地域の発展を望めないであろう。今この時期を失してはならないのではないかと思われる。将来、吉野川中流域に、現在の鴨島町を中心として、道路、下水、公園、運動場、学校等の公共施設が、十分に用意された、公害のない、立派な模範的な新都市が誕生してくることを夢みつつこの調査を進めていくことにする。

 

 2 鴨島町概観
 ―吉野川中流麻植地区の中心であり、発展著しい鴨島町―
 鴨島町は、昭和29年3月31日、町村合併促進法に基いて、鴨島町、牛島村、森山村、西尾村の1町3村が合併し、翌30年1月、東山村樋山地、昭和32年3月、阿波郡柿島村知恵島の地区を編入して、鴨島町となった。
 阿波の「北方」と呼ばれる吉野川平野のうち、麻植郡山川町川田と、阿波郡阿波町の岩津の渡しから東を下郡といい、西を上郡と呼ぶが、この下郡の中央に鴨島町が位置しており、又麻植地区の中心的な Situation を占め、北は吉野川で、板野郡吉野町、阿波郡市場町と接し、南は四国山地北辺一脈(通称前山)で、名西郡神山町と境している。東西はそれぞれ東に石井町、西に川島町が接している。
 吉野川の氾濫原を主要部分とする鴨島町は、面積(33.48平方キロメートル)では県下の0.8%にすぎないが、耕地面積(1188ha)では、2.5%を占め、町の耕地率も36.3%と高い数値を示している。
 人口の面では、2.3万人(昭和40年国勢調査)で、これは、県下の2.8%を占め、吉野川沿線では、池田(3.2万人)に次いで大きく、又人口密度は691.1人で、これは市部平均の603.9人を上まわっている。昭和44年度の人口の社会動態において、転入人口(1,518人)が転出人口(1,486人)を上まわり、少しではあるが、増加を示した。(これは、この年に先須孤地区に出来た長尾テキスタイル工場の操業に伴なうものではあるが)
 次に商工業の面では、地域における商業的機能を強く示している。即ち、工業面では、工業従業者数(1,506人)製造品出荷額(約38.6億円―昭和43年度)で、麻植パイロット地区の四町村(鴨島、川島、山川、美郷)のそれぞれ前者で45.2%、後者で48.4%であるが、商業面では、従業者数(1,249人)年間販売額(約34億円―昭和43年度)と、これは四町村のそれぞれ59.8%と66.6%を占めているのである。
 さて、下郡の中心、鴨島は、又交通位置に恵まれている。その1つは、昭和28年当時戦後最大の橋梁として注目をあびて誕生した阿波中央橋である。吉野川の南北両岸を結んで、県の交通に革命をもたらし、香川県へぬける重要な幹線となり、産業経済にも大いに貢献している。この阿波中央橋は、鴨島町の Situation を大きく変え、発展の一大 factor となった。又昭和45年度より、鴨島―大内線は一般国道(318号線)に昇級し、今後ますます重要性を増すことであろう。


 次に鴨島町を東西に国鉄徳島本線と、国道192号線が貫通しており、徳島まで約20kmの距離にある。特に国道192号線は、昭和38年度に舗装も完成し、鴨島町を全通したが、その後の国道沿いの発展、ひいては鴨島町の発展に与えた影響は大きい。

 鴨島町は、主として地形的に3地域に分類することが出来、それぞれの地域は、特色ある発展を示している。1つは、北の吉野川沿自然堤防地域、次に南の前山(四国山地)北麓沿いの山麓地域、そして、前2者の中間に位置する国道192号線沿いの中間地域(地形的には吉野川の氾濫原)の3地域である。先づ自然堤防地域は、畑地で、大根、蔬菜などが栽培され、又それを原料とする漬物工場が多数立地している。又最近では、工業団地の用地として計画されており、すでに牛島の先須賀には大根畑の中に長尾テキスタイルが操業を開始している。

 次に山麓沿いは、今、麻植パイロット地区の中心として、山麓一帯が開発されており、将来観光農業地域として期待がかけられていると同時に、麓一帯の深田は、住宅地域として、すでに、呉郷住宅団地など、土地造成が進められている。

 最後に、国道192号線沿いは現在、目ざましい市街地化をとげつつあり、国道は、鴨島町の動脈の役割を果たしている。(国道は、徳島より約20km、町内延長7.5km)
 以上のように、発展の著るしい近郊鴨島を、生産と流通の面より追求し、徳島市の Sprawl の前面に位置し、阪神への輸送園芸地である当地域の、今後の発展の方向を展望してみたい。


3 徳島市の Sprawl 迫る
  ―宅地転用状況より―

 宅地転用上から見た鴨島町の発展状況は、やはり、前述3地区の特性をよくあらわしている。即ち、中間地区の国道沿い(上浦、牛島、麻植塚、内原、中島、鴨島、上下島、西麻植)に面する宅地化が最も著るしく、第2図の如くである。国道沿いは、現在、市街地化の動きが顕著であり、ガソリンスタンド、ドライブインなどが軒を並べるように出来ており、現在(昭和45年)鴨島町内の国道192号線の延長距離7.5kmの間に、ガソリンスタンドが11軒、ドライブイン(モーテル)が8軒、大手自動車メーカーの販売店が5軒、その他、自動車修理店、飲食店、各種商店等が、次々に立地している。(上鮎喰以西の国道192号線沿いのガソリンスタンド立地状況を見てみると、徳島市国府町―上鮎喰―石井間―2.8kmの間に7軒、又石井町6.5kmの間に5軒立地している)将来この国道192号線と318号線(鴨島―大内間)との交差点付近を中心に、ますます発展していくことが予想される。
 南の山麓地区(敷地、飯尾、森藤、山路)は、宅地化がきわめて少なく、これは麻植パイロット地区で、農業を主とする地区であり、又地形的に深田が多く、埋立等も困難であるためと思われる。(しかし、現在飯尾地区には、大規模な県の宅地造成が行なわれている。 −写真参照)

 次に、北の自然堤防を主とする地域であるが、ここで注目すべきは、知恵島の宅地化が群を抜いて多くなっていることである。その理由として考えられることは、1つは、地形的に自然堤防上に位置し、高燥であり、畑地が多く、宅地化が簡単であること。2つは、交通上より、国道318号線が、北の吉野川中央橋へ向けて貫通していること。(特に国道沿いの千田須賀の宅地化は著るしい)3つ目に、鴨島駅ヘ近い位置にあることなどが挙げられる。当地区は、転用件数118件のうち、畑地からの転用が105件で、約90%を占めており、自然堤防上にある高燥性を示している。又、畑作地域であり、農業関係への転用(鶏舎、漬物置場など)も多い。
 次に、宅地転用後の利用状況は、第1表の如く、住宅やアパート等に利用されたものが、全体の55.8%を占め、その他豚舎、鶏舎、畜舎など、農畜産関係への転用も見られる。又、工業関係では、材料、資材置場等としての転用が比較的多くみられた。

 次に転用件数の多い西麻植、知恵島、鴨島、牛島、上下島、上浦の6地区の転用状況を見てみると、第3図の如くである。これらの地区はすべて国道192号線か318号線が通っている地域にあたり、やはり道路沿線の発展状況を示している。その中でも、特に中心(町心)鴨島は、商店の増加が著るしく、又アパート貸家等も比較的多い。そして地形的にも高燥で畑地からの転用が多くなっている。
 転用件数で一番多い西麻植地区は、川島町と接しており、又森山街道、旧国道、現国道が会する地点にあり、発展著るしい一拠点の観がある。又川島町と合併後は、この地点に市庁舎を置くことが予定されている。

 

 上浦、牛島、上下島地区は、国道沿いではあるが、水田からの転用件数が多く、低湿であるため特に国道沿いにかたよっている傾向がある。その中で、牛島地区は、北の自然堤防沿いをも多く含み、そのため、鶏舎などの農畜産関係の転用も比較的多く含まれているのである。最後に、自然堤防上の知恵島地区では、前述した通り、畜舎、鶏舎等の多いのが目立つ。又最近は、各種工場の進出も目立ち、第2表に示す如く、300坪以上の面積転用のうち、約50%を工場が占めている。

 4 人口の生産的要素
 まず、鴨島町の人口の変遷を年次別に見てみると、第3表の如く、昭和40年頃より、少しではあるが、増加傾向を示している。これは、昭和38年の国道192号線の完成にともなうその影響のあらわれであると思われる。

 次に年令別、男女別人口構成からみると、第○図のような変遷を示しているが、昭和40年の図からみて、鴨島町は、農村型(老人と子供が多く、生産年令人口が少ない。女子が多い)に属することを示している。しかし、その中で30〜40才代の年令層が、いくぶんのふくらみを示すが、これは、鴨島町の今後の発展を示すあらわれで、徳島の Hinterland である鴨島が、国道192号線沿いに finger 状の Urban fringe がしのびよっているあらわれであろう。しかし全般として、阪神へ生産年令人口を供給している地域であることに変わりはない。

 次に産業別人口構成では、第5図の如く、第3次産業の機能を強く持ち、その中でも、卸売り、小売業が37.5%、サ−ビス業が35.2%、運輸通信業が13.9%と多く、麻植郡を中心に、吉野川中流域を後背地(Hinterland)にもつ1Urban zone 的存在をなしているといえるであろう。この点で、鴨島町は、徳島市の Hinterland であり、その Hinterland の中での新しい1つの核として徳島市の New town 的存在へと歩むことが可能であろう。

 

 人口の動態面よりさぐってみると、第5表の如くである。即ち昭和42年度における自然動態の出生率を、全国、徳島県に比較すれば、全国19.3パーミリ、徳島県14.7パーミリに対し、鴨島町は更に低く、13.9パーミリである。一方死亡率を見ると、全国6.7パーミリ、徳島県8.7パーミリに対し、鴨島町は10.4パーミリと高くなっている。これを総合した自然増加率で見ると、全国12.6パーミリに対し、徳島県は6.0パーミリと低く、更に鴨島町は3.5パーミリと一層低く、大きく差が出てくる。このことは、再生産年令層が少なく、高年令層の多いことを示していると解される。これは、次の社会動態とも大きく関連しており、第6表の如く、転出のうち、阪神へ出ていく数の多いことからもうかがえるのである。即ち、昭和42年度の転出超過は379人であるが、県外移動だけを取り出すと、473人の転出超過となり、その不足分94人を県内他町村からの転入で補っているのである。しかし、こういう2重構造があるとはいえ、昭和44年度に348人の転入超過を示したということは、国道192号線沿いに、徳島市の Urban fringe が finger 状に Sprawl してきているあらわれであると言えよう。

 最後に、人口の生産的要素を、労働力人口と、非労動力人口、15才未満の人口の割合からみてみると、第7表の如くである。
 即ち、この表からも、幼年人口と老年人口の多いことがうかがえる。全人口の52.9%が非生産人口であり、人口の生産的要素を、阪神地方に吸収されてしまっていることがわかる。しかし最近の傾向として、地元に誘置されつつある工場への、中学校、高等学校卒業生就職者が、幾分なりとも増えつつあり、鴨島町にとっては望ましい傾向である。

 5 関心共同圏
  ―通婚より―

 通婚より鴨島町の傾向をみてみると、やはり吉野川平野を中心に、その周辺の町村との関係が強く出ている。第6図で見る如く、徳島市、名西郡、麻植郡、板野郡との関係が強く、この四市郡で、婚出では、県内全体の73.1%、婚入では69.3%を占めている。そして婚入は上流各地よりが多く、婚出は下流の徳島市へ向いて多く流れているという一般的傾向がみられる。又山村美郷と比較してみると、第8、9表の如くであり、美郷の場合、婚入よりも、一方的に村外婚出の方が多くなっており、このことは、人口の向都離村に伴なうものであり、村を離れた青年が、結婚適令期に達し、再び村の女性を都市ヘ呼び寄せる為である。婚入が少なく、婚出が多いのは、男子が先に就職等で転出し、あとから村内の女子を呼び寄せているからである。即ち、村外へ出て、村内の人と結婚(村外における村内婚)しているのである。この傾向は、鴨島町の県外婚出にもあらわれている。


 

  ―漬物工場よりみる関心共同圏―
 吉野川沿いの自然堤防地区は、高燥で畑地が多いが、又それら畑作物の、瓜、胡瓜、茄子、大根等を原料とする漬物工場が多く立地している。知恵島地区に6軒、喜来地区に7軒、牛島地区に5軒と、計18軒の漬物工場があり、その他にも農家の庭先で、塩漬のみの原料漬をしている農家が少なくない。

 漬物の原料は、白瓜(塩漬)大根(塩漬)胡瓜(塩漬)生姜、らっきょお、茄子、れんこん等で、福神漬、奈良漬、生姜漬、らっきょお漬、胡瓜漬などを製造している。
 製品出荷先は、A工場の場合、本社のある大阪への出荷が98.5%を占め、その他に、徳島市場へ1%、九州、東京などへ0.5%が送られている。
 同工場における工場労働者の通勤圏は、第11表に示すように、町内、特に鴨島、森山からが特に多く、その他、東は石井から、北岸は市場、吉野、阿波、土成から、西は、山川から通勤している。男女別では、男子16人、女子55人と女子労働者が多く、その内でも、
31〜50才までの女子が43名の60.5%を占めている。
 主要原料の入荷先は町内(特に知恵島)と北岸が圧倒的に多く、両地域とも、吉野川の自然堤防上で、畑作適地である。又梅は、美郷からの入荷が多く、特殊な物は、県外から入荷している。しかし、全般的には、鴨島漬物の原料は、吉野川南北両岸の自然堤防上で
作られていると言えよう。
 以上、地場産業、漬物製造より見た鴨島町の関心共同圏は、中央橋で結ばれる北岸地域(市場、吉野、阿波、土成)吉野川沿線では、西は山川町、東は石井町の西部をその範囲としている。これは、買物圏の面からみても、ほぼ一致していることがうかがえる。



6 徳島、阪神との結びつき
 ―徳島との結びつき―
 鴨島町と徳島市は、共に、吉野川流域に位置し、鴨島町は、中流域の中心的役割を果たし徳島市は下流域の中心的役割を果たしている。両地域間の交通は非常に至便で、国鉄徳島本線、国道192号線の2大動脈で、がっちりと結ばれている。現在、徳島市の Urban zone の sprawl は激しく、国府町から石井町近辺にまで及んでいると思われるが、その食指はすでに鴨島町をねらっている。第8図は、鴨島駅よりの定期通勤者の、駅別通勤状況であるが、男子の75%、女子の73%までが徳島ヘ汽車通勤していることがわかる。このことは、鴨島を Bed town にして、徳島へ通勤しているわけであり、前述の宅地転用状況からも、この傾向が一層強まりつつあることがうかがえる。又最近は、バス、自家用車での通勤が、一段と増加し、国道192号線の朝の通勤ラッシュにもそのことがうかがえる。又写真に見る如く、県の住宅団地も、飯尾地区に、大規模に造成されており、Bed Town 化は、一層進展することであろう。

 次に野菜の出荷状況より、徳島との関係をみてみると、第13表の如く、キャベツ、白菜などは、徳島市場へ多く出荷されているが、胡瓜、茄子、里芋などは圧倒的に阪神への出荷量が多くなっており、この点では、阪神の輸送園芸(Truck farming)地域である。
  ―阪神との結びつき―
 前述した輸送園芸地域としての鴨島は、阪神と強く結びついている。輸送園芸地域鴨島の主作物は、茄子と胡瓜である。特に茄子は、第14表に示す如く、45年1月〜6月の間の阪神への出荷数量のうち、県下の52.6%、また京浜へは数量的には少ないが68.4%と、圧倒的位置を占め、全国的にも有名である。
 第9図に示すグラフは、45年1月〜6月までの大阪本場市場と、大阪東部市場の茄子の県別入荷数量の割合を、44年度と比較してみたものである。それによると、大阪東部市場の1月においては、高知県を抜いて、昨年の26%から57%と増加し、主位を占めた。この大半は鴨島町のハウス地中暖房栽培によるものであり、1月における大阪東部の台所を、新鮮な茄子の味でうるおしているのである。その他、胡瓜、里芋なども鴨島の、阪神ヘ出荷する主要な野菜であり、又果実では、はっさく、みかん、柿などが挙げられる。
 又前述人口の面でも、阪神への転出が非常に多く、生産年令人口の供給地の役割を果たしている。
 徳島、阪神との関係を一言でまとめて言うならば、徳島に対しては Bed Town 的な位置にあり、阪神に対しては、輸送園芸(Truck farming)地域的な位置にあると言えよう。



7 むすび
 吉野川中流右岸、麻植地区の商業経済の中心として発展著るしい鴨島町は、徳島市の Hinterland として、徳島の都市圏に含まれ、又国道192号線沿いに finger 状に Sprawl が押し寄せており、特に国道沿いの発展は著るしい。そして又 Metropolis 、阪神圏にも含まれ、現在は阪神への若年労働者の供給地であり、又新鮮な野菜の供給地でもある。
 地理学的見地より鴨島町は、位置(Situation)的地形的に恵まれており、Situation の点からは、1 阿波中央橋によって、北岸地域、香川県と結ばれていること。2 徳島の20km圏に含まれ、その交通も至便であること。3 吉野川平野、下部の中心に位置し、周囲を Hinterland としていること。また、地形の点からは、1 吉野川の氾濫原上にあり、高燥地が多く、土壌も肥沃であること。2 吉野川の伏流水が豊富にあること。3 吉野川と四国山地(前山)の間が長く、面積的にも平野(主として氾濫原)が広いことなど、今後の発展の条件はそろっている。
 水あり、山あり、平野ある鴨島町は、都市化という怪物に次第に蚕食されていくことであろうが、それに対する対策として、早く広域行政による、地域開発計画を実施する必要があろう。即ち、早く麻植4ケ町村が合併して、新市(例えば吉野川市)を築き、そのもとに、この怪物を退治すべきである。
 将来、吉野川中流の中心市となるであろうこの地域は、麻植4ケ町村と吉野川北岸地域を切り離しては、都市計画を立案することは出来ないであろう。
 将来、阪神工業地帯の延長として、徳島県東部は、いやが上にも臨海工業地域化を進めていくであろう。そうなると、この吉野川中流域一帯は、如何なる機能を果たせばよいか、おのずからうなずけるところである。その日の為にも今から計画的に、都市造りを練り、怪物の無暗やたらな蚕食を許してはならない。緑の森を多く残した、道路網の整備された、又機能による地域分化の整った田園都市となるために。その日には、昔日、本県最初の鉄道が、徳島市と鴨島町の間に敷設されたように、東部工業地域と、この新市との間に、モノレールや高架道路などが、敷設されていることであろう。

 おわび:以上、全くとりとめもない発表に終ってしまい、阿波学会の皆様方に、心済まなく思っています。今年は多忙な年でありまして、そのため、調査等が充分に出来ず、また当地域の追求が不充分でありました。ここに自ら充分に反省し、これを足がかりに、今後大いに励みたいと思っています。今後共よろしく御指導の程をお願い申し上げまして、発表を終らせていただきます。
 感謝のことば:次の方々には、お力添えいただきました。(順不同)鴨島町役場、美郷村役場、鴨島農協、鴨島駅、徳島県統計課、徳島県特産課、鴨島町漬物工場の皆様方、徳島大学教育学部、高木秀樹先生、阿子島功先生、地理学教室の学生諸君。徳島県立図書館の方々。未筆ながら、心から御礼申し上げます。


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