阿波学会研究紀要


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郷土研究発表会紀要第16号
木頭村の植物とその保護

博物班(植物) 阿部近一、加藤芳一、木内和美

 先年榊野村長は、白・緑・青の三色開発を木頭村の重要政策としているということであった。白は石灰岩、緑は森林、青は水資源のことで、この三つが木頭村の特異な自然環境を形成し、またそれがこの村の産業を支えているともいえる。
 木頭村の植物については、昭和22年以来石立山を中心に調査してきたが、昭和36年その概略を木頭村誌上で発表した。また昭和35年この地で行われた第1回総会学術調査の結果についても、それを附録としてその誌上に報告した。その後昭和40年第6回総会学術調査の際にも上那賀町とともにその北半部の調査を行ったが、木頭村は何といっても高山や渓谷が多く、また現存する原生林も広大な地域に及び、その全域について詳細を極めることは容易でない。しかし今日では各地域に林道の開発が進み、その貴重な自然地域が次々と姿を消しつつあることは惜しいことで、速かにその実態を調査し、伐るべきは伐り、残すべきは残すという、開発と保護保存の施策を再検討することは極めて意義深いものと考えられる。この度の調査は極めて短期間で、必ずしもその目的を果すには至らなかったが、以下その明らかとなった結果と併せて愚考を報告したい。
木頭杉天然林(天霧滝上部)


1 木頭杉とその天然樹林
 木頭村は古くから木頭林業によって今日の繁栄をもたらしたもので、その基盤をなすものは恵まれた自然と、そこに生育する木頭杉によるものと考えられる。
 木頭村誌によると、今から211年前の宝暦8年(1758)「御糺ニ申上ル覚」という古文書の記事が出されている。これを今日の言葉でいうと、
「以前から百姓共の利用地であった伐畑が、いつのまにか藩有地に編入せられ、西宇や折宇の百姓共は困っている。この伐畑で食用となるものを自由に掘らせ、また雑穀を作ることを認めてもらいたい。その代り伐畑一枚につき杉百本を植えてさし上げます。
 造林のしかたは、山杉の実のついた枝を苗床にさして杉苗をつくり、それを伐畑に植付けます。この方法で植林した折宇谷や久井谷の藩有林では、16年前のものがすでに1丈にも成長しています。したがってここに見積った105枚の伐畑も、同様の措置が許されるならば、百姓共も助かり藩としても非常に有利だと思われます」という意味のものである。
 当時の造林は極めて幼稚なもので、天然杉の山引苗をつかうほか、その実のついた枝を苗床にさし、自然播種に近い方法で杉苗をつくり、それを伐畑に植林していたことは明らかである。元来自然の樹木は、何れ変らぬように見えても、その環境に適した生態形(Eco-type)をつくるもので、その山この谷に応じた樹形や樹姿或は成長をとげるものが少くない。したがって如何に優れた品種といえども、それを祖谷や木頭などどこに植えても必ずしもよりよい成長をとげるとは限らぬ。造林上適地適木が云々せられる所以で、今日の木頭杉も亦木頭の自然に応じた天然杉が母体となり、それに改良に改良を加えて生れたことに間違はない。
 隣県高知には、木頭と境を接する千本山一帯にあの有名な魚梁瀬杉の見事な天然林がみられる。木頭村も同様で、その千本谷や南川の奥地に脚を入れると誰しも先づその天生の杉の巨樹に目をひく。この地では落葉樹の原生林に交りまたその林側に亭々としてその枝を張っている。ことに周囲の落葉樹林に調和したその樹形や樹姿の相観は実にすばらしい。
 南川の奥地池ノ河谷と高ノ河谷の合流する所に天霧滝がある。この一帯は雨量の多い多湿地で、木々に垂れ下るコケがそれを物語り、絶えず天をおおう霧がその滝の名を生んでいる。この一帯はよく樹木の繁茂する天然林で、その上部にはモミやツガを始めスギの混生林がある。さらに標高900mの稜線には自生杉の見事な純林もみられる。太さは周1.7mから2.5mに及ぶものもあるが、天然生のためそれは大小様々で、実生苗をつくることも少くない。何れも天を突くようにすくすくと伸びるのが特徴的で、
 1 枝が細く極めて直幹的であること
 2 葉は長く垂れ、もりもりと盛り上るようで、樹形は円錐形というよりはむしろ長楕円形であること
 3 実をつくることが少く、実は小形であること
などの特性がみられる。しかし峯筋で、しかも密生するためか、伸びに比して太りはよくない。その年輪をみると、周17cmのもので樹令37年を数え、10年で4.5cmの成長率を示すに過ぎない。これから推定するとこの樹林は少くとも400年以上を経過するもので、その生立ちは極めて古い。しかもかつては木頭杉の母樹ともなったもので、こうした樹林が今日も尚現存するのは意義あることで、将来の母樹林としてもぜひ保存したいものである。
天然杉巨樹(南川にて)


2 コウヤマキ天然林
 千本谷の赤城尾山は標高1436mの山で、下部は暖・冷両温帯の推移帯となるが、上部は冷温帯の代表的なブナ林となっている。さらにその頂上近くには、ダケモミやツガを始めハリモミやコウヤマキの外アララギ(周1.6m)の巨木が多く、亜高山帯に近い針葉樹林となっている。しかしすでに伐採が進行中で、県内にまれにみるこうした樹林もその姿を消す日がそう遠くはない。ただその渓側の岩上に伐残されたコウヤマキ林は、県下唯一の天然林でその学術的な価値も高い。
コウヤマキ天然林(千本谷にて)


3 湯桶谷の原生林
 南川はその中流で左右に大きく分かれ、その左方には標高1423mの甚吉森と標高1372mの湯桶丸があり、その間を湯桶丸が流れる。この一帯には原生林が多く、珍稀な動植物のよりよい自然地域となっている。渓側や林床にはエビラシダやナカミシシランのほかモミヂバセンダイソウやアオフタバランなどがみられる。県内でも数少い原生林として治山治水上からも重要な役割を果しているが、この度の調査ではその内部には及ばなかった。

4 石灰岩地の植生とその特殊な植物
 木頭村には石灰岩の露頭が多く、石立山や高瀬峡の大断崖を始め折宇谷や西宇、蝉谷などにも若干それがみられる。こうした地域は奇勝や景勝地となることが多く、また植物にも特異な相観と組成を示す地域として見逃すことはできない。
(1)好石灰岩植物と耐石石灰岩植物の出現
 石灰岩地はCaを多く含む地域で、その岩壁や岩場は貧栄養で強い直射日光を受け、よく水分を流出する乾燥地として特殊な環境をつくることが少くない。それは植物の生育には好ましくない条件で、普通の植物では到底その生育に耐え得るものではない。所が植物の中にはCaを好むものもあって、どこの石灰岩地にも必ず出現するものが少くない。所謂石灰岩植物がそれで、木本にはイワシデ・ヨコギラノキ・キビノクロウメモドキ・オニシバリ・クサボタンなどがあり、草本にもヤチマタイカリソウ・ヒメフウロ・クモノスシダ・ワウレンシダなどがみられる。
 また特にCaを好む訳ではないが、そうした悪条件下にもよく耐え得るものがあって、それを耐石灰岩植物という。イワガサやツクバネ・ナガバノコウヤボウキ・ニシキギ類・ツツジ類などがそれで、何といっても強い直射日光を受け且貧養と乾燥に耐えるのでその生育は必ずしも良好ではない。また長くそうした所に隔離せられる中にはその環境に適応した生態型「Eco-type)をつくることも少くない。一般にこうした地域に生育するものは
 1 主幹が低く、多枝多条となるものが多く、イワシデやミヤマビャクシンなどがみられる。
 2 乾燥に耐えるため、根は深根性となり、葉は光沢を帯びて細小化細裂化するものが多く、イワツクバネやトサボウフウ・タカネマツムシソウ・ヤチマタイカリソウ・ヒメフウロなどがみられる。

タカネマツムシソウ(立石山)


(2)遺存植物の多産
 生育条件が悪く一般植物の侵入のないこの地域は、そこに生育する植物にとっては生存競争が少い訳で、古くそこに遁逃していたもので今日も尚生き残っているものが少くない。所謂遣存植物といわれるのがそれである。
 かつて北半球は長い間寒冷に襲われ、わが日本にも氷河の訪れをみた時代があった。その時南下した植物の多くは気候の回復とともに消え去ったが、中には高山やこうした石灰岩地に隠遁して今日に至っているものが少くない。石立山の岩壁に生育するギンロバイヤやチヤボゼキシヨウ・ユキワリソウ・キバナノコマノツメなどがそれで、また高瀬峡の石灰岩崩壊地にはイワシデの土地的極相林もみられる。さらにその低木層にはハシドイの群生がみられ、林下に広大なヒメフウロの群落を見るのも珍らしい。またこの地の岩壁にはイワカラマツの生育などもみられ、古い地球の歴史を物語るものとしてその学術的な価値も高い。
ハシドイ(高ノ瀬石灰岩地)

テリハアザミ(立石山中腹)


5 木頭村の特異な植物(既発表種を除く)
 1.Cirsium lucens Kitam. テリハアザミ
 極めて大形のアザミで高さは150cmに達する。葉に光沢があり、花は白色で9月下旬に開く。基本種は九州の河辺に生え花は淡紅色。石立山の避難小屋標高1200〜1300m附近の石灰岩地に多く、分布上珍しい。その下部にはギョウジャアザミが多く、両種とも森林伐採後に旺盛な繁殖を示している。
 2.Epilobium formosanum Masam. トダイアカバナ
 台湾に分布し、本邦表日本の山地にもまれにみるが、県内では始めての記録で、高ノ瀬峡の石灰岩地の河床に群生する。葉は細く、花は淡紅色でやや白質を帯びる。
 3.Syringa reticulata Hara. ハシドイ
 本邦の北海道から朝鮮、南千島に分布し、県内の自生は極めて珍らしく、高ノ瀬峡の石灰岩岩地には多い。一種ムラサキハシドイは欧州原産で、ライラック或はリラの名で知られ、最近県内にも栽植が多い。
 4.Carpinus turucaninovii Hance. イワシデ
 朝鮮や中国北部に分布する大陸系で、高ノ瀬峡の石灰岩地にはその極相林がみられる。
 5.Rhododendron quinquefolium Bisse tet Moore. シロヤシオ
 石立山や赤城尾山、蝉谷の墓窪峠などにのみみられ、石立山頂上では周1.22mの巨樹となる。一種アケボノツツジは花が淡紅色で、石立山の中腹に多い。
 6.Malus tschonoskii C. K. Schn. オオウラジロノキ
 本州に広く分布するもので、石立山や高ノ瀬峡の石灰岩地にまれに見られて珍らしい。実はリンゴに似て小さい。
 7.Rhamnus yoshinoi Makino. キビノクロウメモドキ
 本邦中国地方のほか朝鮮、満州に分布し、高ノ瀬峡や折宇谷の石灰岩地にまれにみられる。
 8.Salix bakko Kimura. バッコヤナギ
 北海道や本州中北部に分布し、県内では剣山や千本谷の赤城尾山の稜線にみられ珍らしい。
 9.Arisaema yoshinagae Nakai. ヨシナガマムシグサ
 ミミガタテンナンショウに似て葉の両面に短毛を散生し、花序の附属体もやや細い。土佐で始めて名付けられた特産種で、中谷の天貝山麓林内にまれにみられる。
 10.Thalictrum minus Linn. var. stipellatum Tamura. コカラマツ
 北海道や本州の高山に分布するもので、石立山や高ノ瀬の石灰岩壁に生育して珍らしく、葉に腺点のあるものをイワカラマツといい、まれにみられる。
 11.Polypodium someyae yatabe var. awaense Tagawa. テワミヨウギシダ
 始め天貝山麓の石灰岩地で採集したものにミヨウギシダの名がつけられ、後アワミヨウギシダと改められた。既報ではこの外に中内の権田山麓のものを報告したが、蝉谷の渓側に多いので追記する。
 12.Scabiosa japonica Miq. var. alpina Takeda. タカネマツムシソウ
 本州の高山に分布するもので、石立山頂上近くの石灰岩上に生え、その花は美しい。
 13.Veratrum grandiflorum Loes. fil. バイケイソウ
 北海道や本州中・北部に分布するもので、石立山頂上一帯の林下に大群落がある。
 14.Epipactis papillosa Fr. et Sav. エゾスズラン
 樺太、ウスリーなどに分布する北方系で、石立山の中腹石灰岩地に多かったが、樹木伐採後少い。
 15.Geranium robertianum Linn. ヒメフウロ
 世界に広く分布するが日本では珍らしく、本州伊吹山のほか剣山、石立山の石灰岩地にみられるが、高ノ瀬峡の石灰岩崩壊地には見事な群落がある。
 16.Clematis japonica Thunb. var. obvallata Ohwi. コウヤハンショウズル
 襲速紀地域に特産するもので、石立山中腹の稜線に多く、春紅紫色の花を開く。またタカネハンショウズルは全村に多く、秋淡紫色の花を開く。
 17.Taxus cuspidata Sieb. et Succ. アララギ巨木
 北海道を始め本州北中部などの亜高山に分布するもので、剣山ではすでに姿を消し、石立山の頂上近くに周1.76mのものがあるが、これもその主幹や枝が伐られてみじめな姿となっている。赤城尾山の標高1100m附近にはまだ見事な巨木が多く、周1.6mに及ぶものもある。自生種保存の意味でぜひ伐残してもらいたいものである。
 18.Cryptomeria japonica D. Don. スギの老樹
 和無田の八幡神社にある夫婦杉は太いものが周9.22mに及び、祖谷の鉾杉に次ぎ県下第二位の老樹とせられている。また蝉谷の蝉谷神社のものは根廻り13.6m、周9.0mの老樹で、県下4位、またその境内には三株連株の杉があり、何れも古い歴史を物語る老樹として貴重な存在といえる。

6 自然の保護と要保護植物
 木頭村は自然の環境に恵まれ、豊富な森林資源とともに本県ではもちろん四国でも数少い珍稀な植物の宝庫として他に誇り得るものがある。しかし戦後は何れ変らぬ奥地開発の名のもとに天生の原始林が次々と伐採せられ、また庭木や盆栽熱の高まりとともに自生の珍木や稀草が次第にその姿を消しつつあるのは惜しい。
 われわれの祖先は皆自然に活き、自然を愛しそして自然を崇めてその保譲につとめてきたものである。山の森に神を祀り、山の自然を神と崇めて自然発生的に自然崇拝の思想が生れてきたのもそれである。それは極めて素朴なもののようではあるが、今日如何に科学が進み生活が文明化しても、心の安らぎを求めるものは自然をおいて他にない。自然のありのままの姿は、人生の憩いの場所として村の宝であり、国の宝でもある。そこには自然や人類の長い歴史と伝統が宿り、それを損うことは歴史の断絶を来すことにもなりかねない。もちろんその利用すべきは利用し、保存すべきはどこまでも保存すべきであって、古来そのルールは固く守られて来たのである。今日のうるわしい自然の姿がそれで、吾々の周囲を取巻く自然の凡てを経済的価値に換算するが如きは余りにも打算的、近視眼的であって、祖先の意志にも反することである。そしてそれは将来子孫からうるわしい郷土愛を奪うことにもなりかねない。一度失われた自然は再び復元の出来ないもので、そこには調和と均衡とそして祖先以来の親しみや愛着など複雑な要素が含まれている。山に自然の木がなくなると如何に植林によってその木がふやされようとも、動物達が棲めなくなるのと同様、人類も亦豊かな生活が営み得ないもので、今日世界の先進国がその自然を高く評価し、如何に競ってその保護に努めているかをみても明らかで、実に人類の進歩は自然とともにあるといっても過言ではない。
(1)珍木と巨木の保護
 藩政時代には御留山を設けてその山の木を伐ることを禁じ、また五木とか七木を定めてこれを御留木とし、藩有と私有の如何を問わず勝手にその木を伐ることを禁じたようである。承応2年(1653)に定められた七木は、桐・柏・楠・桑・朴・槻(ケヤキ)椽(トチノキ)で、寛文5年(1665)の五木は松・杉・桧・栂・楊梅(ヤマモモ)延宝年間(1673)には一部改変があって杉・桧・黄楊・柏・楠・檀(マユミ)槻の七木となったようである(故横山春陽氏の話)
 最初の七木は主として器具や家具材として用いられたもので、五木は建築用材、最後に定められた七木は両者を併せたものが挙げられている。中でもヤマモモは果実を食用とするほか樹皮を染料とするもので、マユミは戦争用の弓材 ツゲは印材のほか櫛や三味線の溌など彫刻材として最良のものとせられ、庭木としても珍重せられる。次は柏の実体で、国訓ではカシワとせられるが、その自生は高越山などの山麓にわずかにみられ、実用にたえるものではない。漢字本来のイブキ(一名ビャクシ)は鳴門から蒲生田岬にかけての断崖性海岸に自生し、一種シンパクは石立山や剣山などの石灰岩壁に多く、庭木や盆栽として珍重せられ、千秋閣の庭園にはすでにその巨木が植えられている。したがって柏が黄楊とともに珍木として挙げられ、御留木として選ばられたことも無理な推測とはいい難い。
 維新以後はこうした禁到が解かれ、さらに戦後はその乱獲が相次いだ訳で、明治以後は剣山のシンパクやギンロバイがいち早く姿を消し、石立山や高ノ瀬一帯のシンパクもヒメコマツやギンロバイとともに目下その寸前にある。戦後はこの一帯のシンパクは周1m、樹姿は低媛で畳何十畳敷かの樹冠を示すものがあり、ギンロバィなども無数という程その姿をみたが、今日では全くその相観はなく、庭木や盆栽棚にその面影をしのぶに過ぎない。庭木や盆栽では学術的に意義はなく、景観的にも学問的にも自生そのままの姿でその保存が望まれる。
 目下木頭村を始め県内で、ぜひその保存を要望したいものには、シンパクのほかコウヤマキやアララギ・ヒメコマツ・ギンロバ・イツゲ・シロヤシオ・ハシドイなどがあり、また巨木としては赤城尾山のアララギを始め和無田八幡の夫婦杉や蝉谷神社の大杉などがある。
(2)原生林の保存
 木頭村は木沢村や東祖谷山村とともに広大な原生林の残存をもつ地域で、水源かん養保安林としても治山治水上重要な役目を果している。さらにこれらの原生林は、林下に原始以来その生命をもつ珍稀な動植物に安住の棲所を与えるもので、その樹林のもつ多種多様な景観は人類の憩の場所としても直接間接に重要な意義と役割を荷っている。もちろんそれらは産業上にも重要な資源となるもので、一概に速断は許さないまでも、前述したように伐り、残すべきは残す施策と措置が望まれる。
(3)珍草の保存
 石立山や高ノ瀬峡の一帯は巨大な石灰岩の露岩地で、奇勝地として国定公園の一部にも編入せられている。またこの一帯は前述したように残存植物が豊富で、四国でもまれにみる高山植物や珍稀植物の豊産地として知られている。この山が国道に沿う男性的な山として広く認識せられ、今後登山者でにぎわう将来を想定し、早急なその保護対策が望まれる。


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