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はじめに
昭和23年開港場に指定され、その後1万トン岸壁の完工、港内浚渫、さらに金磯町に1万トン岸壁が建設され、四国では唯一の1万トン2バースを所有する貿易港小松島は、いわば「徳島県の海の表玄関」とよく言われるが、果して名実共にその役割が果されているかを再認識し、現在の小松島港の持つ性格、問題点、その上に立って今後のあり方などを出入貨物の量・品目・地域の点から分析考察すべくこの研究を行った。
ただ期間、原稿枚数の上で制約を免れず、うわべだけの研究しかできず問題の核心に十分触れることができないのが残念である。
小松島港の自然環境
位 置 34°N134°36■E
水 深 −9m(max、但し浚渫による)
最高潮位 +3.30m(S36.9.16観測)
最低潮位 −0.537m(S27.1.27観測)
潮 流 高潮時 東山岬より元根井沿岸に沿って湾口へ
低潮時 高潮時とほぼ逆
平均流速 0.9m/sec. 最大流速 1.5m/sec.
海底土質 殆んどが粘土及び砂(錨泊に好適)
卓越風向 (過去10年間の観測による)西北西及び南南東
以上の自然条件は港湾として発達する上で恵まれたものと言える。
小松島港の徳島県における地位
小松島港は「徳島県の海の表玄図」と言われる。たしかに外国船しかも1万トン以上の大型貨物船が入港し、1000トン級の客船が毎日定期的に10回、和歌山あるいは阪神との間に就航している現実から考えてそうしたイメージが浮ぶのは当然であろう。しかし名実共にその役割を果しているだろうか。

上表のように旅客輸送の点においては十分裏付けられるが貨物輸送についてはそれだけの実績はあげていないように感じられる。県下各港の貨物取扱量は第1図の通りである。
開港場は徳島県下唯一のためさしおくとして、内航だけについて言えば県下各港の総計の5.8%を扱うに過ぎない。我々は何の気なしに使っている「徳島県の海の玄関口、小松島港」なる言葉は現在の時点においてはかなりオーバーな表現と言える。
小松島港入港船舶の推移
第2図に示すように昭和33年をピークに入港船舶度数は下降線をたどっている。一方入港船舶の総トン数は次第に増加と反対の傾向が見られる。すなわち入港隻数が減じながら総トン数が増加していることは一隻当りのトン数増加――入港船舶の大型化ということである。日本海運界の問題である経営の合理化がここにも現われている。昭和32年には入港船舶隻数の92.0%が小型機帆船そして一隻当りの平均トン数が60.6トンであったものが昭和41年には機帆船の比率が72.6%と低下し、一方一隻当たりのトン数は337.6トンと10年前の5倍強となっている。特に機帆船依存度の高かった瀬戸内中心の西南日本各港にはこうした現象が顕著に見られる。一隻当たりのトン数増加の他の大きい理由として1万トン岸壁の築造と港内−9m浚渫の完工による大型外航船の入港増加があげられる。外航船の入港は昭和35年14隻5.2万トン 36年63隻31.1万トン 40年164隻88.7万トンと急増している。以上の点1万トン岸壁及び−9m浚渫が小松島港発展に大きく貢献しており、近々完成する金磯1万トン岸壁も大きな役割を果すであろうと期待される。
輪出入
昭和41年の港湾統計によると輸入高54.8万トンに対し、輸出高0.1万トンである。普通一般に考えられる貿易港の性格を持たないことがわかる。輸入品目・地域は第3図のようになる。原木輸入が総輸入量の81.4%(44.6万トン)と極端な言い方をすれば木材輸入一辺倒といっても大きな誤りではなかろう。
また、地域的には合衆国から輸入全体の38.7%(21.1万トン)以下マレーシア(18.5万トン)、フィリピン(5.7万トン)と日本の原木多輸入地域からの輸入が総輸入量の90%近くを占めている。
後の移出入に関係してくることであるが、輸入原木の約1/3近くが全く加工されず原木のままの状態で近畿地方(主に大阪府・兵庫県)へ移出されている。統計上の数字から判断すると、小松島港は「大阪・神戸港の外港的存在」近畿地方の輸入原木の「貯木場的存在」とも言えそうである。普通我々が常識的に考える貿易港(昔ふうの神戸や横浜)とは全く異った性格を有している。港の性格・機能が非常に多様化し、また港の分類が細分化された現在、「貿易港」という言葉の持つ意義を十分考慮検討しなければならない時がきていると思われる。小松島港が前述のような性格を持つ原因として考えられるものの1つに神戸・大阪両港の輻湊、他の1つに
Hinter land
の貧弱さが考えられる。前者はともかく、後者については徳島地区が新産業都市地域に指定されたとは言うもののその開発が、財政の苦しさあるいは農水産業等他産業住民に及ぼす公害ないしはその補償の問題等で十分に進んでいないことがあげられる。また計画通りに開発されたとしても、小松島市付近は紙パルプや合板の生産が主体の企業の進出が考えられているのであるから原木輸入港の姿は変らないと思われる。貿易港と言えば輸出・輸入と連想するが、小松島港が輸出入の均衡のとれた港になるということは絶対考えられない。どうも貿易港という言葉は不都合な言葉であって、小松島港にはもっと適切な意味を持つ言葉を使いたいものだ。この際、「原木輸入港・小松島」なる言葉を使った方がすっきりするし、それは恥でも何でもない筈である。
次に現在のような「阪神に対する原木の貯木場的性格」が今後も続くことを前提とした場合、貯木能力の問題が考えられる。現在徳島県が徳島市の徳島港口に計画しているものも含めて貯木能力16.5万トンでは低過ぎるであろう。昭和42年秋の台風で繋留中の原木が多量に流れ出し、のり養殖の漁民に甚大なる被害を与えて以来、原木荷役が大はばに規制され多数の外航船が原木積載のまま停泊しなければならない現状では、小松島港の地位の低下が憂慮される。何らかの解決の施策を早急に確立する必要性が極めて大きいと判断される。国・県・市の積極的なそうした施策が小松島港繁栄のキーポイントを握る重要なものであることも十分確認できたつもりである。
移出入
品目別・地域別の移出入の割合は第4図に示したようになる。
移出入ともに近畿地方との関係が密接であることは位置・距離の関係からいって当地域が近畿経済圏に含まれるものである以上、極めて当然である。
移出については、全体の約1/3が原木でこれに木材を加えると移出高のちょうど50%が林産物によって占められている。移出原木量は輸入原木量の32%である。(県内産の原木が小松島港から移出される例は殆んどない)。また移出原木の99.3%(14万トン)が近畿地方である。
小松島港からの原木移出
移出総量 14.1万トン
大阪府へ 6.9万トン
兵庫県へ 4.8万トン
和歌山県へ 2.3万トン
以上のことからも前述の小松島の性格が十分把握できるものと思われる。
原木に次いで食料工業品が26.3%(11.4万トン)でみかんやたけのこの罐詰など県下の農産加工の生産物がかなり大きい非率を占めていることがわかる。食料工業品の移出地域は東京・神奈川・千葉といった関東地方への移出と小松島港入港の船舶の食料として海上で荷役されるものとが相なかばしており、阪神地区とのつながりは非常に薄い。これは確認はしていないがフェリーボート利用によるトラック輸送ということも考えられる。
徳島県の特産物ともいえる砂・バラス等は産地との位置や輸送距離の関係で小松島港からの移出は比率が少い。(大阪府へ1.1万トン)
次に移入についてはセメントが移入量全体の1/3(10.7万トン)そしてその90%が山口県(9.6万トン)である。都道府県別の移出入量において、山口県(10.5万トン)は大阪府(21.3万トン)に次いで第2位の取引量を持っている。小松島市に大手セメント会社の生コン工場が進出し、最近の建築ブームによる需要にこたえていることが反映されている。第2位は化学肥料で、阪神から瀬戸内にかけての化学工業地域からの移入で、最近その地位の向上の目ざましい徳島県の園芸農業を支える重要な柱となっている。以下食料工業品、石油製品など工業製品の移入中で占める率が相当に高い。こんな所からも徳島県の工業がかなり後進的であることがうかがえるようである。
地域的に見た場合、都道府県別では山口県が1位であるが地域的に見た場合は移出の時と同じように近畿地料の占めるウエイトが大きくなる。(移入量の45.4%が近畿地方から)
まとめ
以上昭和40年の港湾統計を主体にして、小松島港の性格・問題点の把握を行ってきたが結論らしきものとして以下のことがいえると思われる。
1.自然条件、そして現在の築港技術からして小松島港は港として発展する可能性は十分に有している。今後の開発は後述するような社会条件の整備・拡充が第1である。
2.港の浚渫や岸壁の築造等により貨物扱量は増大し、日本の海運業界の近代化とも相まって入港船舶も大型化し、外航船の入港も増大して来ている。そうした点において昭和30年以来5ケ年継続事業として実施され昭和35年に完工した港内−9m浚渫と1万トン岸壁築造の果した役割は高く評価される。
3.旅客輸送においては問題ないとしても、貨物輸送の点から見た場合、小松島港は「徳島県の海の表玄関」と言い切ることにはかなりの抵抗を感じる。
4.開港場に指定されているが、一般に考える昔風の貿易港的な性格を持つものでなく、「阪神に対する貯木のための外港」的性格が極めて濃厚であり、また今後地場産業が発達した時点においても原木輸入港の性格を持続するであろう。
そして今後の問題として、新産業都市地域に指定された Hinter land
の産業育成をどう持って行くか、既設産業との競合、公害等を十分考慮した上での施策が、今後の小松島港の指向を握る重要なキーポイントであって、ただ海を浚渫したり、岸壁を築造したり、倉庫、臨港鉄道の建設等だけでは港湾は育成発展しないことを十分念頭においた小松島港発展の政策が打出されなければならない。
別表 小松島港の歴史(貨物輸送関係以外は省略)
明治32年 湖口の改築、港内の浚渫施行。
大正2年 港の整備、修築に着手。(4ケ年継統事業)
大正6年 港内南北両突堤の築造と港内浚渫に着手。(5ケ年継続事業)
大正10年 同上事業完成し、1000トン級船舶の出入可能となる。第2種重要港湾に編入。
大正12年 小松島港修築8ケ年継続事業として内務省直轄施行て着手。(12年目に完成)
昭和9年 新小松島港完成、3000トン級船舶の出入可能となる。
昭和23年 開港場に指定され神戸税関支署、小松島海上保安部、四国海運局出張所設置さる。
昭和26年 港湾法による重要港湾に指定さる。
昭和28年 港湾法により小松島港管理者徳島県知事となる。
昭和29年 小松島港北岸に貨物専用臨港鉄道完成。農林省令第73号により木材・穀類の特定港に指定。
昭和30年 小松島港1万トン岸壁の建造と港内−9m浚渫を運輸省直轄5ケ年継続事業として起工。
昭和35年 1万トン岸壁と港内−9m浚渫完工。
昭和36年 金磯町に運輸省工事により、5ケ年継続事業として1万トン岸壁築造と−9m航路浚渫に着工。
昭和38年 神戸植物防疫所小松島出張所設置。
昭和42年 金磯1万トン岸壁1万トン岸壁一部完工。 |