阿波学会研究紀要

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郷土研究発表会紀要第12号(総合学術調査報告 阿南)
新産業都市の開発と阿南市文化財の現状 郷土班 藤川勝雄
新産業都市の開発と阿南市文化財の現状
郷土班 藤川勝雄
 
 山と海の景観をかねた阿南市は、観光の都市として、また、県南の政治経済文化の中心地でもある。東の紀伊水道に面した海岸線一帯は、阿南室戸国定公園に指定されている。古代より長の国発祥の地として、文化面より見た史跡も多い。面積250.80平方キロの海岸線一帯と、那資川沿いに四国山脈に続く山間と、三つ巴になって点在する観光地は、四季を通じて訪れる観光客の旅情をなぐさめ、古い寺々神社等あらゆる史跡を通じての研究散歩に適している。
 新産業都市として都市計画が着々と進展していく阿南市開発に対し、その文化財史蹟名勝をどのようにするかは、大きな課題となっている。煙は東文化は西とは、昭和33年市発足当時からの合言葉となっているが、事実開発の進むにつれて貴重な文化財が多分に損傷される恐れがあるのは、他都市のそれと同様である。こんどの総合学術調査に当って、これらの問題点をとりあげつゝ、阿南市の史跡名勝文化財を、研究踏査の便宜上、4コースの地域に分けて発表する。(図)
 
【Aコース】阿波富岡駅下車より
 1 牛岐城跡 一名浮亀城ともいい、満潮のときは大亀が浮ぶ形となって、難攻不落の名城で、天正年間阿南の雄新開遠江守忠之が長宗我部元親の攻撃をうけよく守ったが、天正10年9月16日忠之丈六寺で謀殺されて落城、その後も阿波九城の一として、南方に於ける要城であった。市の中心地にあるため、すでに中央部は切断されて、国道55号線が走り、南北両嶺に分れているが、両方とも端から宅地に削りとられ、現在は500平方メートル程である。これ以上この山を崩すことなく、将来山上に郷土館でも建てゝ、阿南市の文化財を一堂に集めて、保護すると共に展示したいものである。なおここは桜の名所で、山上には数百本の夜桜が見事で、戦国の夢をさそい、城山のすそ、琴江川のほとり多聞ヶ淵は舟遊び釣の名所である。
 2 泣石大師 牛岐城落城により、城主の奥方は、幾人かの供を連れ住みなれた城を後に山裾の大石の所まで辿りついた時、城はすでに大火に包まれて燃え上るのを見て心痛と疲労のためその場に泣き伏して夜を明した。乳児は乳を求めて泣きやまず、奥方は翌朝大潟に出て舟で上方へ上った。今はこの地に泣石大師泣石地蔵を祀って、乳の出ない婦人が、願込めすれば乳が出るとの事で、信者が絶えない。
 3 正福寺と景徳寺 蓬来山正福寺は、元久年間の創建、本尊は愛染明王、三石山日輪院景徳寺は、室町時代の創立、本尊如意輪観音で、共に牛岐新開氏が中興の人、新開氏出身の武蔵国のそれにならって正福寺を男寺、景徳を女寺とした史実は、阿南の歴史に残すべきであって、また景徳寺本尊は新開忠之夫人の寄進で、脇立の文珠菩薩は新開氏の銘文が記されている。
 4 鈴木重幸の墓 学原天神社の山中にヒダの神さんという小祠がある。戦国時代石山本願寺の謀将鈴木飛弾守重幸が織田信長の石山攻に際し、木下藤吉郎と一向宗門の破滅を救うための犠牲となって自刃したが、その首を長男が持って阿波の知人をたよって移り住み、今もその子孫(11代目鈴木新次氏60才)が現存している。
 5 学原古墳 通称ソデモジキという山中にあり、南面した円墳で石棺の一部と弥生式土器等の祭器類が発見されている。
 6 皇子山古墳 西路見の皇子神社の山上にあって、西南に向った横穴式の円墳で羨門・羨道・玄室・天井石も皆そのまゝで、側面は全部石積にされた、阿南唯一の完備した姿で残されているが、現在何等の保護対策もないまゝで、遊山客や子供の遊び場となっている。小松島田野の弁慶の岩屋が県指定になっているのと比較すれば、より以上完全なこの塚は、当然指定され保護されるべきである。せめて案内板位は早急建ててほしい。(表)
 7 淡島海岸 阿南室戸国定公園の最北端で前面には青島、中津、丸島、えぼし、の小島が点在して、淡島神社の上からの眺はまた格別である。この附近に神崎製紙工場ありまた福村の磯釣り潮干狩りも快適である。
 8 北の脇海水浴場 県下一の海水浴場で、夏季には五色の砂が観光客を誘い、浴客で賑っている。その南にある大潟アコメの浜は春の遠足に、潮干狩によい。
 
【Bコース】牟岐線桑野駅下車より
 1 梅谷寺 慶長年間初代藩主家政が、関所の役目と難民救済を兼ねておかれた駅路寺である。普門院駅路山と号して本尊金銅十一面観世音菩薩で、文化財級である。
 2 桑野城跡 天正10年海部方面を攻略した長宗我部元親は、一気に那賀郡に侵入、城主東条関之兵衛実光は一子桑葉丸を人質として購和した。それから東条は牛岐攻撃の先鋒となった。城跡の万福寺は成田不動尊を祀り正月の不動市は有名である。
 3 東福寺古墳 内原東福寺の裏山にあり、竪穴式前方後円墳で、南方では代表的な大規模のものであるが、副葬品は殆んど盗堀されて石棺の一部のみ発見されている。
 4 津ノ峰公園と津之峰神社 阿波三峰の一としての津ノ峰は、県南に誇る山と海の調和された景勝地で、橘駅より上る表参道の桜の花道はシーズンには特に美しく、夏は納涼、秋は登山、冬は神社祭など四季を通じて楽める。又山上よりの橘湾の眺めもすばらしい。
 5 家具の岩屋 津ノ峰山東嶺にあり、二ヶ処の洞窟は古代の海しよう洞で、洞内には多数の砂礫があり、又牡蛎殻(かきがら)が多く附着している。
 6 大谷山ドライブウエー 橘町裏山の大谷山には、最近ドライブウエーが完成して、橘湾を一望のもとに見下し、津ノ峰よりの眺よりはるかにすばらしい。湾内に浮ぶ夢の島々、白波つづく蒲生田岬が、遠く紀伊水道にのび、緑の水平線に見る伊島など、南国の情緒があふれている。ことに夕日を浴びた光景は、又格別である。
 7 橘湾島めぐり 答島港より観光船で阿波の松島といわれる島めぐりは、阿南観光の最たるものである。表弁天島には天然記念物の榕樹群がある。長島、丸島、小勝、高島、裏弁天、野々島、ウルメ、飛島、裸島、沖弁天など、船遊びの醍醐味が満喫できる。島々の間には養殖真珠のイカダが列び、毎年7月〜9月の間アジ釣や、ペラ釣で賑っている。しかし新産都市の波にのって、現在相当に埋立てられ、将来も大きい埋立計画がある。工場誘致も大切であるが、阿波の松島といわれるこの自然美は保存すべきである。表弁天島の天然記念物も煤煙になやまされ、この島自体がすでに島でなく陸続きにされそうである。
 8 神武高島宮 神武東征のとき、此の地に宮居を定めたといわれる。瀬戸内海説の高島宮と対照的で、こちらは巡路が日向より土佐沿岸に添ったとの見方である。
 9 松鶴城と野々島城跡 松鶴城跡は、現在椿泊小学校の敷地となっている。阿波水軍の総師森甚五兵衛歴代の拠った処、今も尚石塁の一部を残している。水軍森家は、秀吉の小田原攻めを初め、朝鮮征伐、大阪陣、島原の乱などで力量を発揮している。東側にその武家家敷加子ヤシキの家並が残っている。尚森甚五兵衛村重外歴代の墓所は、椿泊中間の山にあり、現在徳島市新蔵町森甚一郎氏は、その直系である。椿泊東突端の燧崎は、海中に突出、奇岩がすばらしい。この石は火打石として昔は重宝がられた。ここらは義経の上陸地とも伝えられている。野々島にも城跡があり、海賊に対する取締の塁であろう。
 10 舞子島古墳 椿泊燧崎の前面の裸島で、古墳は南斜面にあって、石棺が風雨にさらされて露出し、今にも崩れ落ちそうである。この島には海部方面から引継がれる狼火(のろし)場跡がある。
 11 蒲生田の海亀 毎年6月上旬から、8月下旬にかけ、産卵のためここに上陸してくる海亀は800頭を数え、多いときは一夜に30頭もあがる。新産都市として多数の観光客があるのは結構であるが、やたらに騒ぎが過ぎて、甚しいのは車のヘットライトなどをさしつけて見物しようとするのはどうか。これでは海亀も次第と敬遠してよりつかなくなるのではないかと心配する向もある。何とかもっと静かに上陸する亀達を迎えてやりたい。四国の最東端白亜の灯台の下は黒潮おどる男性的な断崖である。
 12 伊島 椿泊港より定期船で海上約一時間、紀伊水道の中間にある孤島であるが、近年新産業都市開発の一環として完備した避難港が修築されている。魚の新鮮なのと島の周囲が釣場であるのとで、ここも毎年観光客が増加している。突端にある野辺の観音参りも趣きがある。
 
【Cコース】徳バス長生停留所下車より
 1 今市口古戦場 天正10年、土佐方についた桑野城東条実光は、中内兵庫らの応援で富岡城新開忠之との両軍が死力を尽して合戦、新開方は部下36人を失って敗退した。小学校の北に打死した七人塚がある。
 2 桂国寺と引船渡し 大原会下えげにあり。丈六寺の末寺で阿南でも数少い曹洞宗の禅寺である。藩主蜂家を初め家老賀島家の菩提寺として信仰厚く、家政公のお墨付や賀島歴代の墓所として、その位牌40基があり、本庄城主清安芸守高国の墓もある。特に庭園は徳島城の庭と同一作者であるといわれ、その規模は小さいが、重森三玲氏推奨の名園である。前面桑野川には昔よりこの附近に5か所程あった引舟渡という自分で綱を引いて渡るというまことに奇妙な渡し舟が、ここに只一つ文化財的に残っているが、引舟の不便なことや舟の管理に困るので橋にするとか、これも開発都市の新しい考え方であるが、古きをしのぶこの文化財も何とか保存したいものである。
 3 井関石灰洞 大正年間初めて宝田町井関に大鐘乳洞があることがわかり、その後再三調査探究したが、今尚その全貌がつかめていないが、山口県の秋芳洞、高知県の竜河洞に匹敵する規模のものであるといわれているので、将来ぜひ開発して阿南市の一大観光地とすべきである。
 4 隆禪寺 宝田町平安時代の創建にかかる真言宗の名刹で、源頼朝の信仰厚く方二町四方の旧寺域の伽藍跡から多数の古代瓦が発掘されているので、あるいは当時の礎石等が発見されるかも知れない。ここも学校病院段地等による敷地造成によって往時の面影を失っていく。
 5 本庄城跡 戦国時代清安芸守乗真の拠った塁牛岐と共にこの地方を牛耳った、南方では稀な平城であった。附近には清ヤシキ・出ヤシキ・海部屋敷・北門・東門・領田などの地名があって、よく当時をしのぶことができる。
 6 西方城跡と吉祥寺 那賀川橋の南、阿南平野に突出、切り立った天険の山城で、永禄年間東条紀伊守光豊の拠った処、頂上に登れば那賀平野を一望におさめ風景絶佳、平島最後の公方義根登山して一詩を咏ず。
山色岩〓碧海東 登臨始覚出塵中
雨余濃翠流松洞 雲裡孤鏡出楚宮
艸樹陰深基址没 干方迹罷姓名空
誰知此地当年事 唯有寒鴉喚晩風
西方城の麓に大悲山吉祥寺がある。ここは平島公方の隠居所、真勝和上の母堂知照尼の菩提所で、現在の山門は平島公方の花垣門を移したもの、二引の定紋がついていて瓦も皆二引である。茲雲尊者の遺墨と若江南風建立の記念碑があり、春は桜の名所としてさながら吉野の如意輪堂のような感がある。
 7 八桙神社と宮内古墳 延喜式内の古社、竹原荘18ケ郷の郷社である。神像の木造大巳貴命および男神の立像、長寛元年藤原基実奉納の紺紙金泥法華経八巻と紙本墨書二品家政所下文一巻の国重要文化財を所蔵する。その他に県指定重文神像9体と昭和29年桑野川筋から発掘された室町時代の外国貿易銭が1200保管されている。なおこれらの奉安庫は狭隘で総合調査の結果では相当湿気が強いので、このまゝでは文化財の保護はできないので、早急に改築の必要があるとの結論に達した。またここは南方の大市神衣市がある。八桙神社を中心として東西に大小三か所の古墳がある。横穴式の円墳で今は西の一か所のみ僅かに羨道の一部をとどめているのみで、他は全部みかん畑に破壊されている。
 8 亜熱帯性樹林 阿部近一氏により発見され、昭和30年11月天然記念物として県指定となった。大谷王子神社境内に原生林のまま残された30科50種におよぶ亜熱帯性の植物が繁茂している。めづらしいイスノキや特にヤマモガシはわが国分布の北限になっており、学術上貴重な資料であるが、各植物の標示板は殆んど朽ちはて、左側シダ類のある所は神社管理者が将来神社費にする目的もあって、杉苗100本を約350平方メートル内に植えたため全滅、又市道の拡張工事でマユミなどが伐採されたり樹林は荒れ放題となっている。
 9 石門 大原より津ノ峰裏山道の入口がこの石門で、口と奥と二つの門よりなり、奇厳屹立し瓢箪池に亀池という深淵を湛え溪流こんこんとして山水秀麗の仙境で落ちては夕日滝となり、両側の巨厳は恰も石門のように相対して、南画を見る感がある。湖畔の散策もよく、池にうつる霊峰津ノ峰の姿はまた格別である。新産業都市発達のあかつきは、市民のこよない憩の場所として将来の期待は大きい。
 10 明谷梅林 県下一の梅の名所で、梅樹数千本、山水明眉、閑雅幽邃で毎年2月20日前後が見頃、尚山腹の岩屋観音には古代人の穴居あとがある。
 11 平等寺と逆杉 新野町平等寺は山号を白水山といって四国二十二番の札所、享保17年弘法大師の開基、薬師如来を祀り奥の院月夜大師には逆杉という名木がある。大師が杉の杖をつきさしたままさかさに育って大木になったといわれている。
 12 金比羅神社 牟岐線福井駅に近く、社殿は元禄時代の建築、文化財としての価値は充分あり、海部沿岸漁業者や船乗の信仰あつく、毎年10月10日の例祭は繁盛である。
 13 彌勒菩薩像 福井椿地小谷にあり、平安時代の作で近く国重要文化財の指定に申請される予定である。砂岩、高さ94センチ、幅24センチ、厚さ9センチ香煙でまっ黒になっている。陰刻の阿弥陀仏で徳島県に現存する石彫仏像では最古のもの。文字は阿波国海部郡福井里大谷内奉造立当来生人安持仕、弥勒菩薩、寿永四年乙巳正月廿八日巳日、願主藤原満量妻為口藤原とある。寿永に四年はないので、この碑の干支は文治元年にあたるが、文治の改元は八月十四日であるから、正しくは元暦二年正月とすべきものを、この頃は世の中が乱れていたのでこの地方では改元の事が徹底していなかったものであろう。
 また海部郡という文字も貴重な文字で、当時はこのあたりは海部郡であったことの証明になる。
 
【Dコース】徳バス加茂谷線上大野下車より
 1 上大野城跡 戦国時代仁木伊賀守の拠る所長宗我部の侵により落城したが那賀川の上に切り立った天険の要害である。
 2 那賀川の鮎狩り 上大野附近一帯は鮎の名所で夏から秋にかけ釣や瀬張で鮎狩が楽める。持井の西村鮎店では釣池や屋形船などを設けてサービスにつとめている。
 3 午尾の瀧とみかん狩 深瀬八幡神社の境内にあって奇岩にかこまれ、直下20メートル秋は紅葉に夏なお涼しさを呼ぶ。特にこの滝は県下でもまれにみる交通便利の平地にあって、バスもすぐそばまで行くし、他の滝の如く山登りの苦労はない。この地一帯は阿南市でも第一のみかんの生産地で、晩秋の頃ともなればミカン狩で賑う。石灰の産出もさかんである。
 4 お松権見 加茂町にあるこの神社は悲願をつらぬいたというお松の物語りを秘め、争いごと、受験合格のお願の神様として参詣者が後をたたない。陶器製の猫を奉納して替りのものを貰って来て、まつるというので数限りない猫をまつってある。
 5 大竜寺と竜の岩屋 舎心山大龍寺は四国21番の札所で深山幽谷の霊場である。本尊は虚空蔵菩薩、弘法大師修業の南北両方の舎心は有名で、西の高野としてここの大門は紀州高野の大門と向いあっている。夏は避暑地として春秋ハイカーが絶えない。麓にある「竜の岩屋」は有名な石灰洞で弘法大師が悪竜を封じ込めたという大鐘乳洞で、文化財としてもまた観光面よりも重要なものであるが、ここも新産業都市開発の波にのって、石灰石採掘のため現在は立入が禁止されている。
 
 以上大体4地域にわけて調査したのであるが、各寺々家庭個人が所蔵する文化財については一応省略する。特に板碑等は各所に点在し、銅鐸は山口田村藤平氏、同新居敏文氏、椿の井村兼兄氏、大野尾崎重治氏のがあって重要文化財である。
 こんどの調査の結論として今や新しい都市計画が各地に行われ近畿地方に於ける先史時代の遣跡、古代の古墳群が新しい産業の開発によってその犠牲となっていることは、現実の事実である。産業が興れば人口も増加し、従ってこれら住民に身近な憩の場所が必要なことはいうまでもない。都市計画と過去の史蹟名勝の保存保護との調和の問題は現在の緊急課題である。

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