阿波学会研究紀要

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郷土研究発表会紀要第11号(総合学術調査報告 鳴門)
観光地帯の建築群 環境建築のあり方について 建築風俗学班  藤目正雄・四宮照義・平野芳男
観光地帯の建築群環境建築のあり方について

建築風俗学班 藤目正雄 四宮照義 平野芳男

 

1.はじめに

 阿波学会の理事会(昭和39年6月20日・県立図書館次長室)が開かれて、今年の夏は大毛島を中心に鳴門市の学術総合調査を実施し、研究して鳴門市のプラスになるように努力しようと決定した。

 鳴門市は四国の東門として本土へ架橋運動は進み、四国本土から大毛島に至る小鳴門橋は架けられた。大毛島にある鳴門公園は天下の景勝の地として国立公園の名のもとに外国に知られ、観光政策の一翼を担っている。県当局においても施設に留意し、公園に通じる海岸沿いの道路拡張整備を施こし、公園を整備充実している。名実共の国立公国「阿波の鳴門」は伝統の自然美を保持して、訪ずれる人の極楽境、多くの人のいこい(憩)の場とせねばならぬ。

 その他(鳴門公園)にどんな建築群が、どんな意匠で、どんな色彩であるのか、自然美に調和し、その環境に適合しているか、という問題について調査し研究をすることを課題とした。あくまでも「自然美」を前提とした観光地の建造物であり、環境に適した建築群のあり方の追究である。

 

2.調査とその結果

 鳴門公園一帯を歩いた。(昭和39年8月11〜14日)。新築されたもの、新築中のもの、旧い家で改造修補されたもの、売店・休憩所・便所・宿泊所等の建築群が目に映つる。新らしい建造物は新材料を用いた現代的洋風様式である。旧い建造物は外観を改め現代化せんとしているが姑息なる手法に嫌気が出る。これは経済的理由によるものか、施工者の無知によるものか知れないが「観光地」という名に対して恥かしい次第である。

 鳴門公園に建つ建築群はこの地に不適合であるという結論に達した。しかし、個々に見れば設計家の苦心と施工家の努力で最新建材を使用して完工した建造物で皆優良である。この優良である建造物は自然美を背景として建っているから不調和となっている。阿波の鳴門という環境には適合していない。東京や大阪、全国の都市に見られる一様なる現代的洋風建築であって、阿波のアジはない。日本の阿波の鳴門の自然の環境には日本的な、阿波的な、鳴門の風味ある建造物があってもよい。観光客に与える食物のアジも必要であろうが、目に映じるアジも必要とせねばならぬ。目に映じるもの、それは阿波的な大自然の美であって人工的に構成された美ではない。古い昔から伝えられた天然の美である。その環境に調和しない意匠、色彩の建築群の存在は周囲の風光を無視した建築作品であるといいたい。個々において優秀な建築作品もその置き場によって価値が半減されるであろう。

 今、ここに現在建っている建造物を一々取り上げて批判はしたくない。建築批判は設計家や施工家への批難となる憂えがあるから差しひかえたい。業者批判は目的でない。目的は建造物が観光地に適合しているか、自然美と調和し鳴門の風味を持っているかにある。調査の結果は前述の通り「不調和」・「不適合」であるということになった。

 

3.自然美を見て

 自然美を成す色は何であるか、空の色、土の色、水の色、樹木の色、草や花の色であるが、空の色とて一様ではない。快晴の空と薄く曇った空、又雨降りの空と色は異なる。土にしてもその土質によって種々違っている。草木は四季暖冷の差によって色相は変わる。こうした変化する周囲の色相に対して不変の色彩建築を唱えるはあやまりであろうか。

 或る人は民家を讃えて「自然の美しさ」といい、周囲の田園と調和していると賞めた。鉋削りして着色していない柱や戸袋は素材そのままで古くなると自然に変色してゆく、屋根のカワラの黒色に対し白の紙障子が入っている無着色の美くしさは格別であると。

 多く集めた石、一個一個では無価値であってもこれを組み合せ庭石とした時、又、設計し敷き石として竝べ敷いた時、造形された価値は大である。石組も敷き石も無作法に施こしたものではない、そこの環境に適合するように考慮し工夫し、周囲の風光に調和せしめるよう努めている。名庭園の庭石の造形を見るなれば誰も理解はできるであろう。

 自然美を誇る地に建てる建造物は元来の美と調和するように考慮せねばならぬ。現在、社会開発とか、新産業都市建設とかの美名の下に自然美を破壊し是とする者が多い。これ等の人々等は地方都市の向上と充実のため、地方人の経済的、発展的基盤であるからやむをえないという。これには反対をすることはできないが、どうして自然美との調和ということを考えないのか。

 鳴門公園の建築群の場合、建てる地の風光と建てるものの外観美(意匠・色彩)に十分な考慮がなされたであろうか、設計家は周囲の美観を考慮し原案を作り建築注文者に示した時、建築注文者は設計家の意図に沿うたであろうか、たとえ原設計が優秀であっても建築費がことを左右する。予定した建築費で建造することになると理想の設計も現実の金には降参しあわれなる造形となって出現する。一つの建造物は設計家の良識によると同時に注文者の理解を必要とする。しかし、建築注文者は道楽で家屋を建てない。自分の所有として平常に用いるも、他人に貸与するも投じた建築費より生み出す利潤を考える、そろばんにあわぬ建築はしない、そこに建造物の俗悪化があり、建築文化の退嬰がある。

 美観地域に建てんとする建造物は、これに関係する設計家・施工家・建築注文者(施主)の美に対する認識如何によって定まる、この意味で建築監督当局の目覚めたる指導を要望する。

 自己の所有の地に自己資本で建築するのであるから如何なる形、如何なる外観としても自由である。施主(建築注文者)の命令で動くのだから施工人は金もうけだといって形つけると自由放縦、美風侵害となる憂えがある。美観地域にたとえ自己資本であっても環境に不適合なる自然美に調和しない家屋を建てんとする者は排斥すべきであり、無理解者は社会から葬っても差し支えないと思われる。鳴門の自然美を愛するが故に。

 

4.試案として

 鳴門公園に存在する建築群は環境に不適合であり、自然美に調和していないと結論した私たちは試案として3、4の建造物を考えた。

 休憩所、便所、食堂を兼ねた売店、眺望所である。工法、材料については自由に任かすが、自然美との調和を第一とせねばならぬ。

 いづれの建造物もその建て物に応じた構造を考慮する必要がある。休憩所は木造を理想とするがパイプ柱を建て腰廻りに硬質繊維板を張り廻し化粧しても差し支えはない。便所の壁体はブロック積として外装を美化すれは良いであろう。食堂兼売店は鉄筋コンクリート建て外観に注意し環境にあった意匠色彩を施こすれば結構である。自然美に調和した建造物とは日本固有の建材を使用することではない。新らしい材料、化学合成の建材を使用し、この新建材で周囲の(阿波)環境に適合するよう配慮すべきである。阿波独特の鳴門情緒ある建築群の続出を願うものである。

 次項に試案を掲げ賢明なる方々のご批判を乞う次第である。

 

5.試案1:休憩所

 昨年の秋、毎日新聞に「四国の名所」と題した連続読み物が掲載され、その14回(昭和39年10月25日)に「うず潮の鳴門」が記載されていて結びに「こうしためざましい観光開発のなかで気にかかるのは自然の保存・数年ぶりの観光客は重ねていった「千畳敷に近いお茶園のような日本の自然をいつまでも残してほしい」と」。この日本美を伝えて失なわない境地に数寄屋造りの休憩所を試みた。

 400センチメートル平方の日本の旧習に相当する2間平方である。1間を6尺とし180センチメートルというが、京間(きようま)の1間は6尺3寸(195センチメートル)であり、所によれば6尺5寸を1間と定めていた。江戸時代には1間は6尺5寸が多かった。そんな訳で2間方形(4メートル平方)の平面とし単層寄せ棟造りの日本カワラ葺きとする。

 柱は檜の10センチメートル押角とすれば上部に丸味があり、2等品なれば節(ふし)が目立つから数寄屋造りの柱に好都合である。小屋組材は杉又は松でも差し支えはない。垂木(たるき)は扇垂木(おおぎたるき)制とし屋根裏を見せる、その為屋根裏を化粧屋根裏とせねばならぬ。梁、束、母屋、棟木の仕口が一般にいう「大工泣かせ」の仕事で厄介である。そのため屋根裏を隠すに天井を造ってもよい。但し、この場合は鏡天井とし棹緑は一切用いない、周囲の見切り緑(廻り緑)で板の割り合せを考慮工夫するようにしたい。

 基礎は阿波特産の青石を用い、屋外周囲には玉砂利を敷く。屋内土間は、タタキ(本式の工程による)とし、中央に机とその四方に腰掛けを造り置き、傍らに煙草を吸う人のために灰皿のようなものを造っておく。

 机や腰掛けはコンクリートを用いて造り、土中に埋めて立て不動のものとする。コンクリート造りでもこれを偽装しコンクリート造りと見せない。偽装材は「スレコート」を用いる。

 スレコートはエマルジヨン塗料で醋酸ビニール・アクリル酸・エステルの重合体を主剤とし、難然性(130度)、耐水性、耐酸、耐アルカリ性があり、淡濃各種の色があり、コンクリート、ブラスター、漆喰壁及び天井、屋外等の塗装に用いる塗料である(現代建築材料集成208頁)このスレコートを用いるのである。灰皿は普通の灰皿ではなく腰掛けの股に立てて作る。朝顔の花形で花弁となる部を上部にむけ、ここにマッチの燃えカスや煙草の灰を入れる。茎に当る部を土中に埋めておくと悪戯(いたづら)して倒される心配はない。片隅にクズ箱を設け置くことも忘れてはならぬ。このクズ入れ箱もよく見かける無味乾燥なるものではなく彩色仕上げとする。

 柱の檜角材を止して径10センチメートルの松丸太の円(まる)柱にしてもよい。垂木の木口は胡粉(ごふん)を塗り白く見せるも面白い。又、出入口を除いた三方に腰壁(高さ100センチメートル)を作り外部は杉無節の焼き板磨きを打ち、押えに真竹の径2センチメートルをふたつ割りにして用いる。内部は大津壁とするもホードを用い大津壁のように着色するも差し支えはない。

 軒桁(のきけた)から45センチメートル〜60センチメートルの垂壁(たれかべ)を下げ、吉野丸太でこの壁を支えるも風流味がある。

 

6.試案2:便所

 どこの観光地へ行っても便所が容易に見い出せない場合は困る。たいていは便所を隠したような場に建てている。観光客は地理に不案内だから目に入り易い場に設けることである。便所はイヤな臭いがするため隔離されるのか知れんが、便所こそ人間が住むところに必要欠ぐことのできぬ建造物である。

 日本では便所をキタナイところという気持から「ご不浄」といい建て物を粗末にしてきた。事実、便所は悪臭ある汚物の溜め場である。しかし、よく考えてみると、この汚物は人間の体内から排出したものでお互い私たちはこの汚物を体内に保有している。肉体を保持するため食したものは血となり肉となり残滓は体外に出る、残滓を処理する場、一時それを溜めおく場が便所である。

 西洋住宅では便所・浴室・寝室の3室の有機的連結配置を重要し必ずこの3室は密なる連絡がある。近時トイレという言葉が用いられそれは便所を指していう言葉であるが、トイレとはイイレットの意で化粧室・洗面場・便所と訳する。日本でも「お手洗い」という。

 近時「水洗式便所」が普及し悪臭を放たない便所と変りつつある。やがて便所も隔離されず愛される用便の場、一時保留の場となるであろう。こう思う時、観光地に建つる便所建築の意味は従来の考え方と違った考え方で計画設計せねばならぬ。

 雑林で便所を包み、板塀で目隠しする便所建築の時代は過ぎた。茂った樹木を背景とし、板塀・練り塀の前に建つ美装した便所建築は現代の観光地に適合したものである。

 山の背を切り取った所でも、常盤木茂った所でも、浪打つ岸でもよい。場所は人の目に入り易い所であれば結構である。

 便所であるから単層建てである。平面形式は(第2図参照)(11kentiku_fig02.gif)6メートル×4メートル(3間に2間)とし婦人用便所を6室設ける。この婦人用便所は大便所を兼用とし、これに向い合って男子用便所を設ける。婦人用便所は用便室と前室の2室とする。その理由は女性は手荷物を持っている場合が多い、和装、洋装をとわず用便後の身装いが必要である。雑踏の人通り、多くの人が混み合った場所、人前での身装いは彼女等はできない。用便室内の身装いは気分的に不自由である。その点を考慮する時、用便室はただ用便のみに止め、前室にて身装いをする2室案となる。

 用便室は100センチメートル平方とする(壁心であるから空間は壁の厚みだけ狭くなる)、前室は80センチメートル伸ばし(100センチメートル×80センチメートル)た室とする。用便室と前室、前室と外部の出入口は片開戸を用い、前室の戸には内部から錠を取り付ける。前室には小棚を設け手荷物の置き場とし、小棚の上部には身装い用の鏡を壁に塗り込み、下部には手洗い用に水栓を引いて設けておく。

 男子用便所は7器を備えるよう考慮する。巾75センチメートルとすれば600センチメートルであるから8つの間(ま)ができるが、1つは掃除用具や雑品を収納する場として開き戸を用い戸締りをした室とし、他の7つの各間に便器を備え設けて男子用の便所とする。

 構造はブロック積みとし、これを壁体とする。ブロック積みした上部に桁を廻わし梁を架け和小屋組にする。別に合掌組としても差し支えはない。合掌組の場合は梁の端が外部に現れるからこれを隠すに軒(のき)天井を作る必要がある。

 屋根は切妻造りの棧瓦(さんカワラ)葺きか銅板を用いて瓦棒(カワラぼう)葺きにしてもよい。棧瓦葺きの場合いの漆喰いは白色がよく黒い瓦と対照した色合いが出る。

 外部の壁体は色モルタルを用い吹き付けとするが地上から100センチメートル上がった腰廻りは灰色とし、それから上へ窓から下の胴廻りは淡黄色とする。別な方法として下部を鼠(ねずみ)漆喰、その上部を卵色漆喰で仕上げてもよい。茲に注意しておきたいのは腰廻りを胴廻りより1.5センチメートル出しておくことである。

 内部壁体も色モルタル吹き付けであるが婦人便所の用便室の下部(45センチメートル)は白タイルを張り付け、その上部を薄い緑色で仕上げる。前室は淡緑色とし、両室のユカは薄い橙色とし、天井は鏡天井として繊維板を用いる。各見切り線は褐色とする。男子用便所は腰廻り100センチメートルを白タイルを張り付け、目地を広く取り、目地及び他の壁面を淡緑色とする。天井は通路をふくみひとまとして繊維板を打ち上げ、継ぎ目は細い棹線で覆う。纎維板は薄黄のペンキ仕上げとする。

 男子用便所の土間は荒い石を用いた擬石塗りとし、通路土間はコンクリートを打ち玉石を埋め込むと玉石はコンクリートのために固着して動かない、玉石と玉石との間に空隙ができるからモルタルを流し込み充足し、平に仕上げる。

 便所への出入口に玉砂利を敷き水溜めを作り設ける、これは男子の手洗いに役立たせる目的である。

 便所の窓は竪格子の吹き寄せ打ちの素木造りとし、障子はスリガラス、開戸は一般に用いられているものでよいが着色に配慮が必要である。

 

7.試案3:食堂兼売店

 食堂兼売店は重層造りとし、階下を食堂に階上を売店とする。鉄筋コンクリート構造と純和様(日本的)構造の両方法がある。

 平面は桁行(間口)14メートル、梁間(奥行)12メートルとする。このうち前後左右に2メートルずつの下屋(徳島地方ではヒサシというもの)を設けるため階上は階下よりも狭く10メートルに8メートルの広さとなる。

 階下は前面2メートル巾(下屋の部)とし後部と間仕切る。又、左側も巾2メートルにして後方へ伸びここに便所を設ける。右側は調理場として巾2メートルで後方に至る。

 前面の左右両側に巾2メートルの壁体を作り裏側を雨戸の収納所に当てる。左側は正面から階上に昇る階段を設け、その左隣が便所の入口である。右側は室内に通ふ出入口で、これに直角(かねの手に曲り)に曲り壁体があって内部は2畳敷となり調理人等の一時の休憩所であり持ち物等の置き場となる。

 階段と出入口の中間6メートルは繊維板を打って前後を仕切り、この纎維板を壁体として巾の狭い棚を数段に作って土地の名産や土地に関する図書等の陳列場とする。出入口から入ると右手に帳場を設け、ここで客の注文を聞いて調理人に知らせる。注文と同時に飲食費を求めるのも、帰りに経費の支払いを求めるのもこの帳場である。

 左手の階段裏側は倉庫に当て、それに続いて土間を設け非常時の際の外部への脱出の場とする。土間の左に3畳敷の小室を設け、押入を備え管理人(又は宿直者)の寝室に当てる。土間と広間の境の開き戸は平常は開閉せず、ただ、責任者の通行の時のみ開閉する。

 広間1室に机を並べ食堂とする。(第4図)(11kentiku_fig04.gif)

 階上は1室の広間とし中央に陳列台を設ける。(第5図)(11kentiku_fig05.gif)客は陳列台を廻りながら品物が見れる。売り子は台の中に居るように仕組んでいるから自身のからだを廻せば客の行為は容易に知れる。窓を四方に開け眺望の便を図かる。

 構造を鉄筋コンクリート造りとした場合は外部色彩に十分の考慮を必要とする。この場合の屋根勾配は緩くし亜鉛引鉄板で葺き赤銅色ペンキ仕上げとする。階上の窓に細いパイプの格子を付け、階下の窓は径3センチメートルほどのパイプを横に下から10センチメートルほど間隔に3本打つ、壁体外観は階下では腰廻り、胴廻り、上部と分ち配色をする。階上は一色でよい。

 内部の階下階上とも窓の下端を境として2様の配色をし、これに調和した天井色を表現する。天井は棹線を用いない打ち上げとする。

 日本式(木造建築)の場合は、檜柱を用い外部は柱を塗り込んだ大壁式で淡黄(卵漆喰という)色とする。下部(腰廻りに当る)は杉焼板の竪張り大和打ちにする。内部は真壁式とし大津壁仕上げとするも窓敷居から下部は羽目板を打つ、羽目板はプリント合板とし柾目のあらわした材を用いる。

 屋根は「十字棟造り」という棟木を十字に組み合せた工法を採る。こうすると四方に螻羽(チラバ)ができその下を窓に利用ができる。この場合は和小屋であって、軒を長く伸ばすため桔木(はねぎ)の使用、二重梁。旅桁(たびけた)等が必要となってくる。

 電灯はすべて埋め込みとする。鴨居の上部(欄間の在る所)に横とし、柱服には竪とし、天井は板の継ぎ目の押し線の当る所等に埋め込む。

 樋は用いず雨たれ溝を作り玉砂利を入れる。家屋の周囲はコンクリートを敷き小石を埋め固めて不動のものとしモルタルを用いて平とする。小石を敷き詰めたように見せるためである。普通に小石を敷くと人の歩みで石は動ごくし、掃除に難儀する。コンクリートを打って小石を固着させて小石間の空隙をモルタルを流して埋めておくと石は動かず、掃除も容易である。

 

8.試案4:眺望所

 鳴門公園で潮を眺めるに眺望所は不要であるかも知れん。しかし、鳴門市全般を眺るには必要であろう。私たちはありふれた眺望所建築を云々しない。眺望所であると同時に周囲の美観に沿う建造物を提唱する。それは朱丹(あか)に塗られた三重塔である。

 塔は古い時代は寺院のみに建築せられていた、が仏寺に関係のない神社境内にも建てられた。塔本来の意味は忘失せられ一つの美観の要素として建築されるのである。

 塔はいうまでもなく日本建築である。木造とし軒の反りを緩かにし、朱丹塗りで黒いカワラ、基礎石は阿波の青石、カワラも近くの池谷瓦(大麻町堀江)又は姫田瓦でもよい。阿波で生産する材料で阿波人の手で建築することはどんなものであろうか。

 塔は日本建築であるから必ず「木造」でなければならぬとはいわぬ。鉄筋鉄骨コンクリート構造でも工法・意匠・色彩に注意すれば差し支えはない。徳島市寺町のある寺院の三門は鉄筋鉄骨コンクリート構造であるが優秀である。丈六寺三門を根本資料として設計し施工しただけあって木造のように軽快さ優雅さはないが阿波の名建築として誇ってもよい一建造物である。

 冷めたい感じのするコンクリート造りでも意匠と彩色で暖かい感じがする。日本の自然と調和し、周囲の美観に適合するようになる。

 三重塔の階下を休憩室、二階は軽い飲み物の売店、三階を眺望室にする。

 

 

9.試案補記

 以上の休憩所、便所、食堂兼売店、眺望所は「試案」であって、計画でも設計でもない。鳴門公園に建つ建築群に不満を感じた私たちの「こころみ」であって、こうした建造物があってもよい、こうした建築群でありたいという一つの願望であり、理想である。

 したがって説明に当り細密を欠いだ点が多い。お読みになって不審とされる箇所もあることと存ずるが、設計説明でないため詳細に亘らず試みとして説明したに過ぎない。補記すれば限りはないが便所の項では便槽の問題があり、食堂兼売店の項では動線の問題にふれていない。三重塔では構造・様式は説明していない。

 便所は水洗式にすることであるが、所によっては不能の場もある。しかし、谷を利用し工夫すれば不可能とはいえまいと思える。食堂広間の動線、客の動き、机の配置、給仕人の食物運搬、調理人の動作等は平面図によって了解されたい。三重塔は設計でないため様式は明かにせず、構造も説明を略した。ただ、三重塔の眺望所で周囲の美観に調和さえすればよいというにすぎない。

 又、電灯、水道等施工や備えつける場所の問題があるがこれも試案なるため略した。もし実際に現場に建築されんとする場合は一つの設計施工案を本会で考究してみたいと考えている。

 

10.おわりに

 新らしいものを築いて行く、新開発の時代である。しかし、開発とは古いものを壊すものではない。開発を美名とし伝統の美を壊すことを排斥せねばならぬ、といって古いものを擁護する者ではない。ただ何の考慮もなく、少し配慮さえすれば破損されずに済む自然美を、無意識のうちに惜げなく破損して行く人たちを憎む、破壊すれは再び取りもどすことのできぬ自然の美しさを、日本美、鳴門の美しさを守らねばならぬ。伝統の自然美を破り、築くものは建設美だという。伝統にこだわる者を保守退嬰な者という。又、郷愁に似通っていると笑う。しかし、私たちは世界と世界の建造物を知っている。世界の中の日本、世界(国際人)人の中の日本人であることを自覚し、日本には他国に見られない景勝の地、日本独特の美しさのあることを認識している。日本の阿波、その阿波には阿波らしい美くしさがあり、鳴門は世界に誇ってよいこの地独特の自然の美がある。それが故に国は国指定の公園としているのである。

 国指定の鳴門公園の良さは自然美である。私たちはこの自然美を愛するが故に、鳴門公園を愛するが故に、環境に不適合なる建造物を建てたくない。自然美に調和しない建築群を無くしたい願望や大である。

 今後この地に建てる建築群は、たとえ自己の土地に自分の金で建てる別荘であっても、共同資金の建て物でも、公共家屋でも周囲の自然美を前提とし計画設計するよう建築注文者に要望したい。又、監督当局も環境を認識し美観に沿う建造物の出現を図られるよう努力せられたい。建築は時代文化の表現である。という如く存在する建築群によって鳴門市の文化も評価されよう。鳴門市及び市民各位の奮起を願う次第である。

(執筆責任 藤目)

徳島県立図書館