阿波学会研究紀要

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郷土研究発表会紀要第11号(総合学術調査報告 鳴門)
大毛島・島田島住民の意識調査 社会学班 富野敬邦
大毛島・島田島住民の意識調査

社会学班 富野敬邦

目 次

 まえがき…46

1 大毛島の自然と社会…47

2 島田島の自然と社会…55

3 住民の意識調査…59

 

まえがき

 わが国で最も社会開発のおくれている大きな離島は四国である。本州と九州はすでに海底トンネルで結ばれ、津軽海峡の底を貫くトンネルも着行され、北海道も本土に直結されようとしている。それなのに一衣帯水の瀬戸内をへだてただけの四国には、本土と結んだ橋もなければトンネルもない。ここに四国の後進性が端的にあらわれているわけだが、この後進性を打破し、四国開発の拠点として生れたのが新産都市の指定であり、その一つが鳴門・徳島・阿南を結んだ徳島地区である。渦潮で知られる鳴門から水中翼船で80分で神戸まで行ける。全国の13の新産都市のなかで、ここほど京阪神という大都市圏に近い所はない。四国三郎とよばれる水量豊富な吉野川以北、鳴門市にいたる地区は明石―淡路―鳴門の鳴門大橋の架橋と相まって阪神工業地帯の延長となる見込みがつよい。さらに鳴門大橋の実現により、京阪神の衛星都市的機能をになったユニークな新産都市が実現するわけである。はたしてこの「夢のかけ橋」が実現するだろうか。

 鳴門架橋の前史をたどってみるに、すでに大正三年の第34帝国議会で県選出の中川虎之助代議士が鳴門架橋についての提案をしている。いまから46年昔、はじめて鳴門架橋を叫んだ中川代議士であったが、絶対多数でもって否決され、むしろ気違い扱いされて涙をのんだのであった。また昭和15年3月の第75回国会でおなじく県選出の紅露昭代議士が鳴門海峡鉄道敷設について建議案を上提したが大平洋戦争の突発によってうやむやに葬られた。ついで昭和18年、徳島・兵庫選出の代議士らが中心となって鳴門海峡隊道期成同盟会を結成し、当時中央政界で活躍した故秋田清代議士が会長となって運動を行なったが、戦時中のことでこの運動も日の目をみなかった。本県側の運動と並んで忘れてならない先駆者は神戸市長の原口忠次郎氏である。鳴門架橋の大プランを発表して当時の内務大臣に進言したが、軍部の反対にあって実現しなかった。このような架橋運動の前史を経て今日の段階にいたった。

 新産都市、鳴門大橋架橋とならんで国立公園をいだく観光都市鳴門の開発構想がある。これは架橋に備えて、京阪神に直結される観光都市として将来の発展をめざし、観光資源を100%生かして各種の施設を充実しようというものである。たとえば国立公園千畳敷展望台に大観潮センター広場内に噴水池のある園地造成・公園裏の亀浦港に遊覧船発着場を設け、一周コースの遊覧船を走らせる。また亀浦に国際観光船寄港コースを設ける。公園旧登山口の福池附近に児童娯楽センターを、またヘルスセンターを拡充する。網干島海岸附近に海洋博物館、国民宿舎、運動場、植物園。根上がりの松下の西条海岸にヨット、モーターボートの桟橋施設、大毛山と大谷山とには展望台、また大毛、島田両島を結ぶ延々たる鳴門スカイラインイを設定、コースは小鳴門橋の水之浦―三ッ石山―大谷山―大毛山―堀越―島田島横断―北泊ゴルフ場―日出湾である。なお島田島の観光開発として、堀越架橋と堀越展望台、休憩舎、ウチノ海水族館、鯨博物館を、冬でも温暖なポケット地帯といわれる撫佐地区に亜熱帯植物園、大島田地区にレジヤーセンターとしてのドリームランド、小鳴門公園を望む中島田展望台、阿波井裏の水産養殖場に釣り堀。さらに大磯一帯にかけては展望台ならびに青年の家、キヤンプ場やバンガロー施設、鳥居記念館のある妙見山一帯の公園化など観光開発の夢どっさりで、予算は国補起債、県費、市費を予定、また民間資本の誘致が考えられている。じっさい鳴門大橋架橋の問題の進展につれ、新産都市、観光都市計画問題、国立公園と風致の問題や社会開発の問題などどっさり夢をかかえているわけである。

 

1 大毛島の自然と社会

 鳴門市観光課のパンフレットによれば、大毛島全島は面積9.5平方キロメートル、周囲29キロメートル、人口5610人、世帯1229戸あり、北端孫崎と淡路島の門崎との1300メートルの瀬戸は、その渦潮で全国的に著名な鳴門海峡となっている。瀬戸内海の海水と紀伊水道の海水の干満によってこの海峡に落差を生じ、すさまじい勢いで流れ、渦を巻くのである。潮流は平常1時間におよそ13キロメートルから15キロメートルであるが、大潮時には時速20キロメートル以上という世界で最大の速力があり、この征矢のように流れる波浪が淡路の門崎寄りにある中瀬という暗礁にさえぎられて2つにわかれ、また裸島附近の岩礁にさえぎられて大小無数の渦巻が生ずる。渦巻の最も大きいものでは直経20メートル以上におよび、その中心部は大きなくぼみになり、周囲は物凄く泡立ち百雷の轟のごとく、すさまじい音響を立てて渦潮が交錯しながら流れていく。この壮観さは海の滝さながらで世界三大潮流の随一といわれる。鳴門海峡を直下に見おろす海抜40メートルの所に約5000平方メートルの平担地がある。ここを千畳敷といい鳴門公園の中心部にあたり、豪壮な鳴門の潮流を真横から眺望できる絶好の観潮場所である。海峡をへだてた対岸には淡路の門崎が突出て、呼べは応えるばかり、それに続いて、淡路の連山、はるかには紀伊の山々を望み、まことに雄大な眺望である。また孫崎灯台は航海安全の灯を海峡にたゆまず投げかけており、四国の余剰電力を淡路島に供給している鳴門・淡路電線の鉄塔が高くそびえたっている。

 鳴門公園登山口から網干島を見おろしたところに千鳥が浜がある。この白砂の海浜はあたかも千鳥が飛んでいるかのように見えるところからそう呼ばれた。白砂の海岸に古松が連なり、岩礁が羅列して波に洗われ、飛鳥舞い、淡路の連峰を遠望して優雅な景色が展開される。ここを走るドライブウエーに沿って龍宮の磯、八木の島、網干島がみられ、土佐泊を経て小鳴門橋に達する。承平四年紀貫之が土佐守の任満ちて都へ帰る途中、土佐泊へ寄港したのが「土佐日記」のなかに記されている。土佐泊を北へ行ったところに潮明寺があり、境内に貫之が寄港の折詠んだ歌を記した碑がある。碑面に「としごろを住みし所の名にしおへばきよる浪をもあはれとぞ見る」この歌は貫之が土佐守として在任中、4才になる自分の女児をなくし、貫之の頭中には常に子供のことが思われていた。この土佐泊に寄港した時、土地の人にここはと問えば、「土佐泊」といわれ、土佐でなくした自分の子供のことを思い出して歌ったものであるといわれる。昔はこの地が土佐と京都との海上交通の要路にあたり、行き帰りの船が寄港していたので土佐泊の名が起ったと伝えられる。さらに小鳴門橋を過ぎて三ッ石を過ぎると島田島と大毛島にはさまれて約500万平方メートルの水域ウチノ海に達する。大鳴門海峡の動的なのにたいし、ここは静的で波静かな水面にはぽつんとちいさな鏡島が浮かび、また真殊養殖のいかだが縞模様を織りなしている。ここは漁場の一つとして昔は漁舟の櫓やぐら音や網打つ漁夫の元気な掛け声が島山にこだまを呼んだものだが、全国的な近海漁場の不振がここにも波及して、いまではひところのような活況は見られなくなった。

【地勢・交通・地区・人口・年令・家族構成転出】

 今回の調査地点三ッ石を除く南の土佐泊と北の土佐泊浦である。別表1参照ありたい。この両者は地勢の面において著るしい相違が認められる。南の土佐泊は撫養川に面しており、川の水深も深く港に適している。また昔から阿波文化の中心地たる徳島に近く、商業地撫養に面し、民家もぎっしり細長く密集している。近年になって対岸とを結ぶ小鳴門橋が架けられたが、有料橋であるため地元の不満もあり、無料の市営定期渡船の方が却って多く利用されている。南の土佐泊では山が海に追っているのにたいし、北の土佐泊浦では長い広い砂浜が延々とつづいている。遠浅のため港らしい港もなく、民家が防風林の間を縫って散在している。また真水が乏しく、田圃の少ないことが特色である。次に交通については、小鳴門橋の完成と鳴門公園への観光道路がひらけてからは、別表2の通り通行量が急激に増加、徳島バス、鳴門市バスの定期運行のほか、日曜・祭日はもちろんのこと各方面から観光バスや乗用車などが出入りしている。

 人口についていえば、南の土佐泊地区に密集し、北の土佐泊浦はまばらに散在している。戸数515戸、総人口2733名(男1388、女1345名)で、一戸当り平均家族員数は5.3人となっていて、県平均家族員数よりはやや多い。この地区の家族構成は前近代的村落にありがちな二・三男夫婦の同居はあまり見られず、家長は末子が嫁・婿入りすると、家を長男夫婦にゆずっていわゆる隠居する風習がある。そのため嫁姑のいざこざもあまりみられず、老人たちは若い世代に調子を合わせていくことを心得ているようである。ただしかし鳴門市に近く近代化が侵透してきている商業やサラリーマンの多い土佐泊に比し、土佐泊浦の農家などでは前近代性の残存もみられる。次に同族組織であるが、かってわが国でもみられたような同族間の本家と分家の上下関係性はうすい。ただこの地方では福池という姓の家が37軒もあり、西上という姓も多く、また向、原、森という一字名の姓も多い。福池といっても全部が同族ではないとのことである。一字名の姓の家は阿波藩主蜂須賀家の家来で馬屋の番人をしていた佐々木という人の家来がもらった姓だとのことである。

 なお年題構成についても述べておかねばならないが、以下の説明は大毛全島(高島、三ッ石を含む)についてのものである。別表3をみてもわかるように0才〜15才および31才〜50才が多くなっている。義務教育中の子供はどこでも多い。16才〜30才の年令人ロがだんだん落ちているのは注目すべきで、この若い生産人口の部分が非常なすぼみをみせている。これはやはり若い人たちの県外への出稼や就職のためであろうことが推察される。土佐泊は漁民地帯であるが、漁獲量も少なく、生活を支えるにはあまりにも貧弱な沿岸漁業の不況に喘いでいる。土佐泊浦の野、黒山大毛地帯は半農半漁の家が多く,耕地狭小な零細農家が多く5反前後の農家が非常に多い。水の不便もあり、稲作よりも畑作が多く、漁家と同じく不況に喘ぐ農家が少くない。高島、三ッ石の塩田地帯は製塩業の不振で無人塩田になりつつあるともいわれ、いわゆる塩田革命のために経済的にも生活的にも岐路に立ち、暗い気持の失業者たちは転職したり、出稼に相次いで出て行く状況にある。大毛島全体の所得収入の統計では年間収入70万以下のものが全体の70%を示す(別表4参照)先般の調査によれば、70戸のなかで30名が県外へ出ており、それも17才〜30才までの若い年令層が多いのが目につく。そのなかには50〜60才にもなる一家の主人が家をたたんで妻子とともに離村した例もある。行く先はといえば、多くは大阪や神戸であり、転出者の70%がその方面へ行っている。その他東京方面が24%、その他が6%となっている。転出者の理由を調べたところ「立派な会社や仕事場がないのでやむを得ず出て行く」との意見が圧倒的に多く「県内であくせくするより県外で活躍したい」の意見も少々あった。

【農業・農協・実行組合・漁業・漁協】

 鳴門公園に通ずる防塵舗装の道路が鳴門公園への山並みに向って蛇行している。その松並木から一歩中へ入ると夏の熱い日射しのもとでタバコが黄色く成熟しており、農夫が公園への観光客には目もくれず取り入れに精を出している。ちようど今頃はタバコの取り入れ期で雨に濡らすと品質が落ちるために、夜も眠らないくらい忙しい毎日を送っているそうである。田地はと見ると一面乾ききった砂地であり、水路などもできておらず農民が農作よりもタバコに全力をつくすのももっともである。農家の方へはいってみると、各家は大きなタバコ乾燥室をもっていて、そこで数人の農夫たちがタバコ葉の整理に汗だくとなって働いており、その人数からみて隣近所の人達の共同作業とみられる。またタバコ畑には間作として落花生が植えられてあり、スイカ畑がところどころに散らばっていた。撫養イモとして有名な早掘り甘藷はこの海浜砂地帯の産である。この地帯は年平均16度以上の比較的温暖な気候に恵まれ、早掘り甘藷には好条件である。なお裏作として大根、らつきよ、麦が栽培されている。大根は1月中旬から4月までのいわゆる青果物の冬枯時期をねらったもので暖地特有のものである。らつきよは品質きわめてよく、一般消費者から重宝がられている。ここのらつきよは色が白く実が小さいので花らつきよ漬の原料として県内外の漬物業者から引っぱりだこである。前にも述べた通りこの地帯の農家は5反内外の畑栽培が多く水に恵まれず稲作はあまり多くは行なわれていないのである。

 農家は兼業を含めて190軒足らずで、農業協同組合の加入率は100%である。農協組織は組合長1人の下に専務1人、幹事3人、理事13人から構成されている。そして貯蓄、出荷、信用、販売の4つの部門に分けられ仕事が進められている。この地区では農協を通じての出荷があまり見られず、それだけに農村の近代企業化という面で漁業よりも遅れている。農業機械化の波はこの地区に押し寄せていて、耕運機、発動機、電気ポンプも少数ながら利用され、三輪車(ミゼット)を所有している農家が20軒ほどある。農薬は農協を通じて青年団が散布していたが、それも現在では各農家が自家散布している状況である。このような状況で農協を通しての機械化、協同化、企業化はあまり進められておらず、農業構成の改善は未だしの感が深い。

 なお地区農業実行組合と班の名称、組織、活動について附記しておきたい。

1 実行組合の実態

 イ、個数 4

 ロ、名称  黒山実行組合

          野 実行組合

          大毛実行組合

          福池実行組合

 以上の4実行組合に分れているが、現在大毛、福池は合流して組合活動をしている。これらの実行組合はおよそ100町歩の田畑を有する。

2 組合の組織

  これらの実行組合は撫養農業協同組合に属している。実行組合にはそれぞれ隣組的な性格の班が2〜5あって、1班は8〜12戸で構成されている。

  なおわかりやすくするために図に示すと

                 黒山実行組合―2班

 撫養農業協同組合―野 実行組合―2班

                 大毛実行組合―5班

                 福池実行組合

3 組合の活動

   各家へ供出の割当(米・麦)

   農業組合から来たところの肥料配分

   消毒、予防のあつ旋

   貯蓄に関して

   買入れに関して

  班の役割は連絡機関にとどまっており、決定は実行組合によってなされることになっている。

 漁村地帯である土佐泊は小鳴門橋の南詰より数分の距離にある。ここでは漁家が多いが、サラリーマンや商業もふえている。千鳥ケ浜附近の農業地帯とはうってかわって、前方に開けている海には汽船の音が響きわたり、岸では漁民が船を洗ったり、網を修繕したり、浜へ船を引上げたりしていた。また海辺に海草を乾したりして、漁村特有な浜のにおい、魚のにおいがしていた。漁民の頑丈な膚の色は赤銅色にかがやき、いかにも活気があふれていた。ここは農村地帯とは異って小さな家々が密集し、二つの大きな道路を中心として、袋小路のような細い道がその間に通じている。家で留守をしているのは主婦か老人で、子供達が附近で遊んでいるのが見られた。大毛島の漁業、水産は旧来の獲る漁業から作る漁業(飼育漁業)へと移りかわりつつあるが、まだまだ旧来の漁法から抜け切れない。旧来の漁法は小型機船底曳網漁業、一本釣漁業、機船曳網漁業がある。これらの主たる漁場は播磨灘、小鳴門海峡、内の海、鳴門海峡、紀淡海峡などであるが、漁場においては鯛類、ハマチ、スズキ、アジ類、イワシ類、タコ、エビ類、貝類、藻類などが漁獲されている。土佐泊一帯では全戸数の約40%の100戸ぐらいが漁家である。有名な鳴門若布は鳴門海峡の激流にもまれ部厚く引き締り、他の地方とくらべ特別の味と香りがあり、海苔といえば浅草海苔、若布といえば鳴門若布といわれるほど有名である。この鳴門若布は毎年3月から梅雨の頃まで採取され特に八十八夜前後までに採ったものは新芽といって生のまま食べて珍重がられる。また有名な鳴門鯛は130メートルの深さから160メートルぐらいのところに常棲しているが、4〜5月頃に産卵のため四国沖のものは鳴門海峡や紀淡海峡から潮流とともに瀬戸内海に入り込んでくる。これを土佐泊海岸、北灘町の海岸で俗にカンコ舟という小舟で鳴門の激流を押しきって釣ったり、またはつぼ網で獲ったりする鳴門鯛は鳴門の激流に鍛えられるため肉がしまって特に味がよい。なお内の海では真珠の養殖をやり相当の収入をあげている。

 次に漁業組合の構成、組織、活動などについて述べておきたい。この組合成立以前には4人〜5人で小企業グループを作っていた。また漁業資本家たる網元が水利権、地先専用漁業権を握って、どの海域でも魚をとることはできなかったが、昭和25年の水産法改正で、それらは国に買いとられ、いわゆる羽織業者がいなくなった。またこの改正により15名以上の組合員があれば組合を成立させることができるようになった。これにより鳴門漁業協同組合より大毛島漁業協同組合が分離成立した。成立当初は会員は143名で、そのうち101名が正組合員で他は準組合員であった。現在の組合組織は組合長1名、専務1名、幹事3名、理事11名で漁業者の福利増進を目的とし、阪神方面への魚の直売、若布の一手販売など大きく活躍している。また昭和27年頃から沿岸漁業の衰微にともない若布、タコ、ハマチ、フグ、真珠などの養殖に力を入れ相当な成果をあげている。とくに若布の養殖は一番安定しており、本年度は1000万円ぐらいの収益の見込みである。さらに真珠の養殖では2000万円位の収益を見込んでいる。遠洋漁業は以前307トンの遠洋漁業船を有していたが、古くなり売却してしまって現在は行っていない。これとは別に砂利採集船組合があって数隻を有しだいたい月平均5〜6往復している。行先は主に大阪や神戸、淡路などであり、年間一隻について600〜700万の収益をあげている。また九十九造船所、高砂造船所があって、300トン級の船を年間3隻ぐらいつくっていることを追記しておきたい。

【宗教・文化・教育・マスコミ・政治意識】

 土佐泊と土佐泊浦の民家は合せて500余戸であるが、そのうち約200戸は海門山の宗派に属し、その他の300戸位は蓮花寺に所属している。海門山は竜生院ともいわれ、その昔、森島の守が大毛島の領主であったときの家来たちが檀家となり、そのほかの庶民が蓮花寺の檀家となったそうである。二つの寺院の間では現在では、宗派的境界はないが法会の場合だけは人々は所属寺院へ出かけていってお経をあげている。なお宗教講についてであるが、この地方では観音講と御大師講とがあり、月二回程度の例会がもたれている。前近代的な会合の場がもたれる。加入者はほとんど老人たちであり、今日では形式化され、皆が集って御馳走を食べ飲んで、形式的にお経をあげて解散している。機能集団は未成長、未活発であり、住民は近代的な集合の場、組織づくりにいたっていない。近代的な集まりとしては青年団、婦人会、PTAがあるが名義的なものであり、また名ばかりの公民館がある。青年団も農漁村のこととて消極的で年に数回の娯楽的行事、忘年会、盆踊り、フオークダンス、歌謡をやるくらいのもので、積極的なグループ活動、指導教育面はあまり見られない。身近かな農漁村問題いわんや鳴門架橋、新産都市計画など政治問題については関心がうすく意識の低調なことである。婦人会も動いているが、やはり納税、貯金、赤い羽根、扶け合い授業運動のようなものが中心となっている。PTAも月に2回ぐらい例会があり、母親学級も開かれているが積極的な教育間に関心が示されていない。公民館は名前だけのもので図書室すらもない。教育機能を全然はたしていない。ここは幼稚園、消防団詰所を兼ねたものであり、部落会、青年団の会合などに供されている。なお土佐泊には精神病院の分院のほかは、保健所どころか病院が一つもない。無医村的存在の汚名をかぶされよう。夜半に急患が出た場合、対岸の医者に診察をしてもらうのに相当苦労している。なお井戸水について調べたところ、現在でもつるべ井戸を使っている家が全体の約10%もあるのに驚かされた。

 マスコミ関係の調査をしたところ、新聞はほとんどの家がとっている。中央紙はあまり読まれず、多くは地元の徳島新聞である。テレビの普及率は約60%で、この率は一般町村の普及率に比べると低い。どんな番組に関心をもつかとたづねたところ、やはり娯楽番組というのが一番多く、次にニュース、スポーツの順である。雑誌の購読率は18%で、しかも多くは婦人雑誌か週刊誌的なものであり、これまた他町村とくらべマスコミ意識が低いことを示している。この地区の政治に対する関心を調べてみたところ、別表5の統計数字が示すように、男女の投票率の差はあまり見られない。この地区では身近かな選挙である県知事および県議会、市議会選の投票率は鳴門市全体よりむしろ高い率を示し、地方の情実選挙には関心の強さをあらわしている。しかるにこれに反し、衆、参院選という国の選挙になると60〜70%と低くなり、鳴門市全体の投票率よりは7〜8%低い率となっていることは注目さるべきである。鳴門市民の要望であるべき、鳴門架橋、新産都市,観光都市計画のどの問題をとってみても、直接、国の政治に直結していることを知らねばならない。またそういったものにたいする後援団体、協力団体、町内会や部落会の自治協力組織や体制もつくられていない状況である。住民主体的に盛り上る熱意があまり感じられないようであった。なおこの地方ではお隣りの高島などとはちがって、革新系の人は殆んど見当らない。大毛島からは南海ゴム、大塚製薬へ働きに行っている人は少なくないが、大塚製薬では労組はなく、南海ゴムでも名ばかりの労組がつくられているにすぎず、この地区では労働組合運動に携わっているような人はいないとのことであった。

 

2 島田島の自然と社会

 雄大な自然美で全国的に著名な鳴門の渦潮と瀬戸内海の魅力を一望のもとに展望できるのが島田島である。(別表6を参照ありたい。)淡路島は手を差し伸ばせばとどく所にあり、京阪神とも最短距離にある交通の要衝を占め、重要な地理的位置を占めている。しかし島内はいまだ開発されておらず、風が強い日には渡船が出なくて交通が途絶える。ここでは有線放送が唯一の連絡であり、最近になってようやく完成した。島内は道幅が狭く、バスも自動車も通れない。ただ自転車と小型オート三輪がときどき往来しているくらいで人影もあまり見られない。以前には塩田があったが、それもすたれてしまった。農業と塩業とが主で全戸数110戸の8割までがそうである。この島はちょうど亀のような形をしている。この亀の首にあたる所に島田島渡し船の船着き場があって対岸の瀬戸へ通じている。封鎖的なこの島の交通は小型の渡し船ただ一つである。しかしこの島へ来て最初に感じることは誰しも周囲の風景の美しいことであろう。東は鳴門海峡と淡路島、北は播磨灘、西は小鳴門海峡、南には大毛島の内海がある。山がちな島であり、平地が少なく、亀の甲の真中ぐらいのところに平地がみられる。そして左右に甲をちようど仕切っている溝のところに家々が立ち並んでいる。立体的にいえば東部が高く西部へ傾斜している。最も高い所は島の中央より少し東方にあって標高164メートルである。

 小山には大樹が少なく、背丈の低い雑木の樹林がみられる。これらの山間部の斜面を利用して大島田附近の夏ミカン、梨の木がみられ、中島田にかけてタバコ栽培がみられ、小島田から南方に行くにつれて水田がひらけている。それにしても中島田、大島田附近はほとんど乾田である。そのためか所々にため池があり、雨水をためているが、日照りがつづくと平常の5分の1にまで減り島民にとって水が悩みの種である。各戸は井戸水を使っているが、夏枯れしてもらい水をする家が少くない。狭小な土地、田畑にも恵まれず、水利の便が悪くて規模の大きな専業農家はあまり多くない。二、三の小売店があるくらいで旅館も料理屋もない。また島田島の漁業といっても一本釣り、はえなわ、網漁、海藻取りぐらいの零細漁業で、生活を支えるため室地方で真珠の養殖が行なわれているだけである。島を通って感ずることは、老人と子供ばかり見られることで、青年男女の若い者は島外、とくに京阪神方面へ出る者が多いとのことであった。昔は交通が開けず封鎖的な島のこととて島内婚すなわち内婚率が高かったが今では交通もひらけ文化の流入もあって、しだいに外婚がふえ島外婚となり、現在では半数ぐらいが島から出て行っている。

【文化・マスコミ・教育施設・隣保組織】

 別表7で示されているように小学校すら出ていない無学な人も相当おり、5%を占め、小学卒程度が全体の54%もあり、大学卒はわずか0.2%であり、これも外部から来ている人である。ほとんどペンや鉛筆をにぎったことがないという人もいて、質問調査しても答えは書けないし、拒否が多いだろうとの忠言通り、質問の意味が理解できず無記入が多く、回収率も悪かった。島田島のマスコミ調査によるとラジオのない家21%、テレビのない家23%、新聞をとっていない家16%となって、他地域にくらべ文化意識が非常に低い。購読雑誌についてみても婦人雑誌とか家の光が少し読まれているだけである。新聞では徳島新聞が28%のほか、中央紙はぐんと減っている。テレビ聴視の内容も演芸、スポーツ、歌謡曲が多く、教養ものはあまりふりむかない。学校は島田小学校が中島田にあり、室分校があるが、本校は教室3教官5人、猫のひたいほどの庭があり、講堂があるが、氏神さんの境内とこの講堂が島全体の集会場に利用されている。協同組合というようなものはなく、病院らしいものもなく、南海病院の精神科の分院があるばかりである。郵便物も対岸の堂ノ浦郵便局で取り扱われ、自転車で難路を配達されている。青年団は少人数で学校の教頭先生などが音頭をとっている。婦人会もあるが、これまた目新しい活動はしていない。選挙のときなど少々動きがあるくらいである。なおとくに記しておきたいのは、この島には隣保協同組織として比較的近くにある人が互に助け合う組の組織のあることである。大島田、小島には3つ、中島田には1つ、室は2つ、撫佐には1つある。この隣保協同組織は冠婚葬祭時などの扶け合いが主となっている。島の祭礼はかつて島全体が統合して行われたが、いろいろな条件が重なって以後分裂し、現在ではバラバラになって一年一回の所もあれば撫佐のごとく四回も行なう所もあるわけである。

【職業・階層・その他の問題点】

 職業別構成と階層は別表8の通りで、農業、農業兼漁業、漁業が多く、階層は上層14%、中層26%、下層が60%を占める。商業は4%にすきず、しかもその中には鳴門や徳島へ商売に行っている者もある。採石業とあるのは小島田の裏側の東海岸に石切り場があって、オート三輪が石を運んでいた。林業兼農業は6%にすぎない。農業と漁業がこの地区の主たる収入源である。その他の中には真珠養殖に携わっている人も含まれている。サラリーマンが少ないのは渡船場利用の交通難からであり、市内に居住を求めている人もある。戦後地主制が影をひそめ小作をやっているような農家は見当らない。本家分家はあるけれども、とくに強い結びつきはないようである。漁業においても船主と船子といったような上下主従関係性はみられず、各自が小さな船を所有し、個人個人で小規模にやっている。2、3年以前にいわし網を共同で行なったこともあるが、それも失敗におわり、また以前の方式にもどっている。もちろん協同組合の活動といったものはみられない。ただ僅かに室に漁業組合があって、そのほか保育所、避病院、隔離病舎があって、これらが島田島の社会施設のすべてである。機能集団は未成長であり、社会開発はほとんど行なわれていない。映画館もなければ、娯楽施設も全くない。しかし最近になってようやく島田島は離島振興地区として県から振興計画として簡易水道の建設と道路工事の計画が遅ればせながら進められることになった。

 島田島の過去の歴史をふりかえってみると、この島は小鳴門海峡をもって隣接する堂ノ浦、北泊等の対岸地域よりも、昔は本土と四国との掛け橋の役目をしていたといわれる。淡路島との関係が深かったようである。島民の祖先は淡路よりの来住者が多く、また源平の世にこの島に逃れてきた人々も少なくないといわれ、それから何百年もの間は漁業にいそしみ、または鳴門海賊団の一味を形成していたともいわれる。舟付き石、舟隠しの名が一部に残されているのである。江戸時代にはいり、大毛島が篠原氏によって塩田が開発されたのに影響されて、この島田島にも塩田がつくられたものだが、それも10年ほど前に不況をかこってすたれ、いまでは水田となっている。島の東側の室というところに庄屋日下氏が住しその威勢を誇ったと伝えられるが、現在ではこの地方にさしたる富豪も見当らないが、旧家といわれる家が多少残っている。この地方では長男家督相続制が残り、家では父や祖父が実権を握り、昔の家長制の名残りをとどめているといわれるが、時代の流れに押されてしだいに変化しつつあるようである。なお島田島では家族の成員数が6.7人となっており、文化のひらけた地域の平均4.5人にたいし、相当な開きをみせており、また隣りの大毛島の5.5人よりも1.2人多い割合となっているが、このことからも大毛島の方が島田島よりは地域文化性の高いことを推察せしめる一つの理由となると思われるのである。

 

3 大毛島・島田島住民の意識調査

【文化・マスコミ・信仰・生活意識調査】

 これは阿波学会の鳴門総合調査に際し徳島社会学会調査班により行なわれた大毛島・島田島住民の意識調査と、さらに既存の別の調査資料にもとづくもので学生調査員延べ16名の協力を得て、地区の封鎖性と開放性、主情性と合理性、封建性と近代性の視点から、地区住民の文化意識、労働意識、政治意識を調査し、新産都市、観光都市、鳴門架橋を主たる問題点として調査したものである。質問調査票が鳴門市当局の協力をえて大毛島(三ッ石除く)と島田島の全戸に配布され、未回収や未記入は35%に達した。質問事項は50におよび、それぞれを性別、年令別、職業、学歴別、階層別から集計せねばならず、複雑多岐にわたり、学生の苦労は並大抵でなく、集計整理に手間どってまだ現在では完了していないし、それにこの限られた僅かな紙面では到底その全貌を示すことはできない。以下記するものは、既存の調査資料をもとにして今回の調査問題の中から重要なものを拾ってゆきたい。

 先ず文化意識、マスコミ関係について述べたい。別表9を参照ありたい。ラジオ、テレビの興味ある番組をたずねたところ、ニュースが一番多く37%で、新聞においても社会欄が一番多くなっている。次が演芸娯楽の31%、スポーツの13%となっており、教養ものが僅かに7%、経済3%、政治2%となって経済・政治的方面の関心の低さを示している。聴視の時刻は夕食から夜にかけてというのが、別表10のように66%を示しているが、これは働き手の多い農漁村地区では市内のような商業、サービス業、自由業等の比較的暇のある職業の人が少いことも手伝っている。新聞で興味ある記事をたずねたところ別表11のように社会欄がやはり多く40%、次いでスポーツ欄が26%、政治欄24%、経済欄6%となっている。新聞では政治欄への関心が相当示されているが、一面記事であり、大見出し活字が多いので自然と政治欄に関心がひかれるのだろう。映画は月に何回ぐらいみますかとの質問にたいし、一回も見ないという人が非常に多い。一回見るというのが19%、二回見るというのは6%にすぎない。大毛島にも島田島にも映画館がないので、市内へ出かけねばならないことも原因しているが、やはり文化意識の低さがこの面にも表われている。家庭外の趣味について質問したところ別表12の如く旅行、スポーツ、映画、園芸、釣りの順となっている。近時農・漁村でも団体旅行がふえていることを示している。電気製品の利用度が最近高まっているが、それについてたずねたところ、電気洗濯機のない家庭38%、電気釜のない家庭32%、扇風機のない家庭29%、電気冷蔵庫のない家庭39%となって、だいたい10軒のうち3軒位が電気製品を使っていないことになり、これは都市の利用度とくらべ遙かに低い。しかしテレビのない家は8%だけであり、島田島にテレビのない家が若干数出ているが、趣味や娯楽の少ない農・漁村はテレビが唯一の娯楽でもある。まず生活は台所からはじまるといわれるが、農山漁村でも台所の改善の新生活運動が進んで「近頃台所の改善をなさいましたか」とたづねたところ「した」というのが52%、「しない」というのが23%、将来は「したいつもりだ」というのが25%あった。次に宗教についてたずねたところ仏教と答えたもの71%で仏教の根強さを思わせ、キリスト教は僅かに4%であった。信仰の理由根拠をたずねたところ、別表13の如く先祖がやっているからという消極的同調的なのが58%を占め、心の底からの信心というのが21%、近所づき合いでというのが4%、無回答が17%であった。「正月、盆、秋祭りのなかでどれに一番心をひかれますか」とたずねたところ、農漁村のこととて秋祭りや盆との答が相当出ると想像されたのに正月と答えたものが60%、秋祭りが16%、盆が15%あった。祭礼や年中行事にとらわれず、この農・漁村地帯もしだいに近代合理主義が遅ればせながら流れ込んでいることが推察される。また「近所づきあいで、主人や主婦の個人単位でしますか、家族単位でしますか」とたずねたところ、家族単位と答えたもの56%で、やはり村落の家本位性が残っているが、反面、個人主義もあらわれはじめている。さらに「近所で協力協同で今まで何かしたことがありますか」とたずねてみると、「した」と答えた者51%「しない」と答えたもの49%で殆んど相半ばしている。協力協同したとの声が半数以上あるのは村落共同体的遺影がまだ残っているともいえる。「した」と答えた人に然らばどのようなことをしたかと問うてみると仕事上の助け合い(海藻類加工、タバコの乾燥、畑仕事、漁業の協同漁獲等)というのが一番多く、次が衛生上のこと(清掃、消毒、害虫退治等)との答がつづき、その次が社会奉仕(赤い羽根、共同募金、貯金等)というのであり、上の三つはほぼ同数の高率を示し、その他道路補修、屋根直し、部落会のこと、というのが少数ながらあった。この共同体制、住民の協力組織の盛り上りこそ、また住民がたがいに手に手をとって声を合わせて進むことこそ、新産都市、観光都市の建設、鳴門架橋の実現にとって、然り、この態勢を強力に維持増進させることこそ何よりも大切なことである。

【新産都市・観光都市・鳴門架橋についての住民の意識調査】

 <新産都市について>

(1)鳴門市が徳島県の新産都市の一部として指定されたことを知っているか。

 1 知っている 79% 2 知らない 21%

(2)新産都市に指定されたことをどんな方法で知ったか。

 1 新聞で 64% 2 ラジオ・テレビで 21%

 3 人から聞いて 15%

(3)鳴門市が新産都市に指定されたことをどう思うか。

 1 指定されてよかった 72% 2 指定されて悪かった 4%

 3 わからない 24%

(4)「指定されて良かった」と答えたその理由

  1位 道路がよくなる 2位 施設が整い便利となる

  3位 金もうけができる  その他、判らない

(5)「指定されて悪い」と答えたその理由

  1位 工場が建って、廃液や煤煙、騒音に悩まされる。

  2位 鳴門の美わしい、自然美が害われる。

  3位 青少年の不良化、非行が増加する。

(6)鳴門が新産都市に指定された理由を述べて下さい。

 1 工業が発達するのに都合がよい土地だから 43%

 2 鳴門の景色が美しいから                 22%

 3 県出身の有力政治家がいるから           5%

 4 わからない、その他                     30%

(7)新産都市に指定され、地元は将来どんなに変化するか。

 1 人口がふえる 33%  2 工場が建つ 22%

 3 大して変らない 19%  4 わからない、その他 26%

(8)全国で新産都市に指定されたのは何ケ所か。

       正答(13ケ所)2%

       誤答 14%

       無答 84%

(9)新産都市計画としてどのように、またどのようなものをつくればよいでしょうか。

 臨接町村合併、工場工業の繁栄により流出人口を減らす、道路と観光施設の拡充、工場用地敷地のあっせん、すたれた塩田処理、港湾の近代化と整備、市に都市計画課を設けよ、工場誘致、大衆の足を止める施設、農地補償や漁獲補償をとやかくいわぬ、臨海埋立地をつくれ、住宅街の建設、温泉開発、娯楽設備、スポーツセンター、用地提供、鳴門架橋の早期着行、鳴門工専を作れ、教育・福祉施設の拡充、科学技術教育の振興、海水利用の方途を考える、河川の清掃等々の意見が出た。

 <以上の集計所感>新産都市の建設ということについては鳴門国立公園、観光都市建設、鳴門大橋架橋に比べて、大毛島でも島田島でも極めて関心が薄かった。それは(1)の鳴門市が新産都市の一部に指定されたのを知らない人が21%もあったことである。これら地区の住民は新産都市に指定されても自分たちの利益は余り変らぬと考えているからであろう、大毛島も島田島も山がちで平地は全く少ない。工場がたくさん建つ余地がない。(7)の新産都市となっても地元はあまり変らぬとの意見が相当出ている。(4)の指定されて良かったの理由に地価が上る、金もうけができるが少数で道路、施設の充実が大多数であったことは住民の感情を表わしている。また(6)の鳴門市が新産都市に指定された理由として、鳴門の景色が美しいからと答えた者が22%もでているのには驚かされた。そのうえ(8)の質問に対して正解者が僅か2%であったことは、新産都市についての地元住民の無関心さを如実に示している。雲上の出来事と考えられている。(9)の質問にたいしては、アンダーラインのしてある事項が高い数字を示した。

 <観光都市について>

(1)鳴門国立公園の発展をどう思うか。

 1 良い 91% 2 悪い2% 3 わからぬ 7%

(2)鳴門はこれから先、どんな都市となることがよいか。

 1 観光都市 76% 2 工業都市 17% 3 保養都市3%

 4 住宅都市 1% 5 わからない 3%

(3)鳴門市が誇り得る観光資源にどんなものがあるか。

 1 鳴門の渦巻 62% 2 阿波踊り 18% 3 小鳴門橋 8%

 4 塩田 2% 5 その他 10%

(4)観光都市となるためどうすればよいか。

 1 道路や施設を充実、拡充する              45%

 2 市民の自覚により町をきれいに清潔にする  35%

 3 観光客に親切にする                      16%

 4 渦巻だけで物足りない、もっと魅力的設備を 4%

(5)これから観光都市化も進むと思われますが、次の中のどれから着手したらよいと思われますか、2つ、3つ選んで下さい。

 1 観光旅館の増設 189人          2 ヘルスセンターの拡充 62人

 3 スポーツセンターを作れ 40人    4 娯楽センターを作れ 148人

 5 水族館、郷土館拡充 52人        6 鳥居記念館整美化 22人

 7 観潮閣と観潮施設充実 178人     8 観潮船の大型化 105人

 9 海水浴場拡張 34人             10 国立公園としての内容充実 212人

 11 青年の家、憩いの家増設 83人    12 飛島に観光施設を 56人

 13 まぼろしの「龍宮城」を作れ 29人 14 名所、旧蹟の保存 104人

 15 タイ、ハマチの大釣堀作れ 81人  16 ワンワン凧の復活 51人

 17 鳴門踊り、鳴門音頭を考案せよ 112人     18 無答 115人

  アンダーラインのほどこしてあるものは、100人以上の支持のあるものである。

 <以上の集計所感>鳴門の観光資源としてやはり渦潮が圧倒的に支持されている。しかし自然美ばかりで物足りないが阿波踊りを持ってこいとの意見も相当ある。観潮シーズンに阿波踊を演じて観光客をひきつけるのも一つの考えかも知れない。ところで(2)の鳴門はこれから先、どんな都市となるのがよいかとの質問にたいし、観光都市の答が76%であり、工場都市の答は17%しかない。地元住民は工業都市となるよりも観光都市となることを大いに望んでいる。しかし別の調査で撫養、大津方面の住民にアンケートで同じ質問をしたところ、工業都市を望む声が多く出ている。また保養都市と別荘地帯というのが少数あるが、大毛島や島田島は鳴門市将来計画としての面も考える必要がある。

 <鳴門大橋架橋について>

(1)鳴門大橋を架ける計画があることを知っているか。

 1 知っている 94% 2 知らない 6%

(2)鳴門大橋が架かるのがよいか、どうか。

 1 良い 90% 2 悪い6 % 3 わからない 4%

(3)鳴門大橋が架かるのが良いと答えた理由を示せ。

 阪神に早く行ける(1位)           観光客が沢山くる(2位)

 金もうけができる(3位)           地方産業の発達に役立つ(4位)

 四国の表玄関となり繁栄する(5位) 観光都市として充実する(6位)

 京阪神の衛星都市となる(7位)     新産都市が発達する(8位)

(4)鳴門架橋が架かるのが悪いと答えた理由を示せ。

 騒音や塵煙(1位)                 観光客に汚される(2位)

 鳴門海峡の自然美をいためる(3位) 不良や暴力団がふえる(4位)

(5)鳴門大橋は道路橋がよいか、併設橋がよいか。

 1 併設橋がよい 54%

   〔理由〕

  阪神に汽車で行ける(1位)           多量輸送が可能(2位)

  多年待望の鉄道が地元に通ずる(3位) 文化の流入を早める(4位)

 2 道路橋がよい 30% その理由として、

  工事が早期に実現する(1位)     急流に併設橋は無理(2位)

  道路さえよければ事足りる(3位) 何事も早い方がよい(一名)

 3 わからない 16%

(6)鳴門大橋は出来ると思いますか。

 1 出来る 78%

   〔理由〕

  地理的に有利である(1位)   調査にかかっているから(2位)

  工事着手の準備あり(3位)   各方面の猛運動で(4位)

  新産都市指定で必要が大となった(5位)   建設大臣が約束した(6位)

 2 出来ない 2%   3 わからない 20%

(7)鳴門大橋を早く架けるにはどんなにすればよいか。

 1 政府や国会に陳情する(1位60%)

 2 倹約して貯金する(2位)

 3 住民の自覚と促進運動の展開(3位)

 4 住民組織を盛上げる(4位)

 5 協力体制を築け(5位)

 6 公園をつくる(6位)

 7 県債を発行して、その後公団に引き渡す(7位)

 8 わからない(21%)

 <以上の集計感想>鳴門大橋の架橋には地元大毛島・島田島の住民の関心は非常に強い。(2)の鳴門大橋が架かるのがよいかとの問にたいし、良いとするもの90%で圧倒的であり、悪いとするもの僅か6%である。殆んどの地元民は大橋架橋を望んでいる。自然美を害うという少数意見もあるが、昭和36年に完工した小鳴門橋の美しさ、人工美と自然美のマッチしていることを住民も納得しているようである。また新聞等で瀬戸大橋の可能性も強調されているが、地元住民78%の多数が鳴門大橋の架橋実現を信じている。(5)の鳴門大橋は道路橋がよいか併設橋がよいかの質問にたいし、併設橋の賛成者が多く、その中には多年待望の鉄道が地元に出来る観喜を伝えている。じっさい今回の実地踏査をしてみてバスに何度も乗り換えさせられ、交通の不便さを身をもって体験した。しかし道路橋に賛成意見も相当多く30%を示し、早期着工できる、バスの方が便利との意見も無視できない。机上プランのみで論議倒れに日を延ばすことはよろしくないともいえるだろう。しかし(7)の鳴門大橋を早く架けるにはどうしたらよいかとの質問にたいし、「陳情」というのが一番多く、これは政治は陳情なりという日本人の他力本願、政治は政治家に一任という事大主義思想がうかがわれ残念である。

 鳴門大橋は出来ると思い、また出来ると信じているが、具体的にどうすれよいかとなると、昔ながらの陳情合戦ではお粗末である。「住民の自覚と促進運動の展開」「住民組織を盛り上げる」「協力体制を築け」「公園をつくる」「県債発行」などの積極的、具体的意見は出ていることは出ているが、それがきわめて少数なことは遣憾である。しかもこの問にたいして「わからない」という人が21%という多数を示すことは地元住民の架橋にたいする熱意の不足と無関心さを疑わざるを得ない。いずれにしても「夢の架け橋」が夢に終わらないで実現できることが、地元住民の福祉と生活水準向上に役立つことを銘記しなければならない。

【自治意識・政治意識の調査】

(1)政治は政治家だけに任せておけばうまくやってくれますか。

 1 然    り     男  36名 女 5名 計  41名

 2 そうではない 男 188名 女 65名 計 253名

 3 無    答     男 123名 女 49名 計 172名

(2)住民は政治にたいし要求権をもち、それを実際に生かすべきだとお考えですか。

 1 然    り     男 209名 女 61名 計 270名

 2 そうではない 男  30名 女 8名 計  38名

 3 無    答     男  70名 女 50名 計 120名

(3)地方の問題は中央の行政問題とは切り離して考えるべきですか。

 1 然    り     男  71名 女 16名 計  87名

 2 そうではない 男 135名 女 48名 計 183名

 3 無    答     男  96名 女 55名 計 151名

(4)上(政府)から指導される政治にたよらず、下(住民)から盛り上る政治運動を推進すべきだと思いますか。

 1 然    り     男 192名 女 57名 計 249名

 2 そうではない 男 33名  女 11名 計  44名

 3 無    答     男 95名  女 51名 計 146名

(5)鳴門架橋は市長や知事や国会議員の努力に任せておけばよいか。

 1 然    り     男  40名 女 12名 計  52名

 2 そうではない 男 168名 女 56名 計 224名

 3 無    答     男 100名 女 8名 計 138名

(6)架橋の実現には自主的な住民組織、期成同盟や協力団体の推進運動がなくてはならぬとお思いですか。

 1 然    り     男 211名 女 65名 計 276名

 2 そうではない 男  17名  女 9名 計  26名

 3 無    答     男  64名 女 33名 計  97名

(7)あなたは村の経済や政治のことで部落会や町内会で話し合われますか。

 1 然    り           男  56名 女 13名 計  69名

 2 そうしない         男  82名 女 44名 計 126名

 3 そうすることもある 男  87名 女 36名 計 123名

 4 無    答           男  52名 女 25名 計  77名

(8)それらの問題解決のため議員さんと話し合い、市役所に陳情したことがありますか。

 1 そのようなことをした       男 92名 女 12名 計 104名

 2 そのようなことをしたことは 男 84名 女 25名 計 109名

     あまりない

  3 そのようなことは全くしない 男 84名 女 48名 計 132名

 4 無    答                   男 53名 女 34名 計  87名

(9)村の日常生活で困った事柄の解決にどんな方法をとったか。

 1 家族で話し合った           男 35名 女 20名 計 55名

 2 隣近所で話し合った         男 36名 女 14名 計 50名

 3 部落会で相談し合った       男 51名 女 7名 計 58名

 4 会長や顔役の人と話し合った 男 11名 女 4名 計 15名

 5 個人で市役所に申出た       男 17名 女 3名 計 20名

 6 町内会で意見をあつめて町民 男 64名 女 10名 計 74名

     の声として行動した

  7 べつだん何もしなかった     男 66名 女 37名 計 103名

 8 無    答                   男 73名 女 32名 計 105名

10)町内会(部落会)の定期的会合は何回ぐらいありますか。

 1 月に1回か2回          57名   2 年に2回か3回 43名

 3 定期的にはきめていない 180名   4 無    答      157名

11)町内会(部落会)の会長はどのような層から選ばれていますか。

 1 町議や市議     18名   2 実力者や顔役 40名

 

 3 旧地主、名門家 18名   4 農協関係者   49名

 5 漁協関係者     37名   6 財産家       2名

 7 業界の代表     38名   8 無答        254名

12)町内会(部落会)はどんな仕事や活動をやっていますか。

 1 市の行政の下部末端となっている         45名

 2 農協や漁協への協力                     62名

 3 防犯や消防のこと                       56名

 4 火      止                         23名

 5 補助金や資金のあっせんの相談           14名

 6 寄附や募金の問題                       45名

 7 陳情などの話し合い                     66名

 8 部落づくり、町づくりの足場となっている 60名

 9 無駄話の寄り合い                       10名

 10 無      答                            187名

13)最後にお聞きしたいのですが、農地補償や漁獲補償の問題がおきたとき、皆さんどのような態度をとられますか。

 1 できるだけ補償をとるのは当然だ                    50名

 2 町全体のことを思えば、ある程度のことで我慢したい 184名

 3 補償のことなどとやかくいわぬがよい                25名

 4 無        答                                     185名

  いまこれを職業別で示すと次の通りである。

 <以上の集計所感>大毛島、島田島の調査では、無答、不記入、消極的答が多数あり、場合によっては半数以上までがそうであり、とくに老人、女子、無学の人たちがそうであった。とくに政治意識の質問調査ではとくにそうであった。質問の意味が理解できない人が相当あった。やはり政治意識の低さを示すものである。(1)では政治家だけに任せておけぬというのが男女共に圧倒的に多いが、それにしても無答がきわめて多い。(2)の住民政治要求権を認める考が多いが、これまた無答が多く、女子は半数近くが無答で意味の理解ができぬらしい。(3)の地方の問題と中央行政の直結を認める者が多いが、他方で切り離して考える者が相当出ている。やはり無答組が多い。(4)の上からの指導にたよるか、住民の下からの盛り上り運動に期待するかとの問には、流石に住民主体性を認める声が多いが、ここでも無答が多いのは遺憾である。(5)鳴門架橋は知事や議員に任せておけぬとの見解が多いが、やはり無答が多い。(6)架橋の実現のためには住民の自主的組織、期成同盟や協力団体の必要を認める声の大きいのはよろこばしい。(7)の村の経済や政治のことで部落、町内会で話し合うかとの問にたいし、話し合わないとの答がずっと多い。(9)の問題解決のため議員と話し合い陳情するかとの質問には、そうしたという男子が30%にも達しないし、女子の場合は12人しかそのようなことを認めていない。(9)の日常困った問題の解決法をきいたが、部落会、隣近所、家族で話し合った、また町内会でまとめて町民の声として行動したとの回答が相当出ているが、べつだん何もしなかったと答えたもの、それにやはり無答が多く、政治意識、自治意識の低さが、調査の統計数字をもって実証されたのであった。(10)町内会の定期的会合は定期的にはきめてないとの意見が多かったが、それにしても無答が非常に多いことは、自治意識の低調を物語る。(11)町内会の会長はどのような層から選出されるかの問にたいし、農・漁協の関係者、業界の代表、顔役、実力者というのが多かった。(12)町内会の活動については、部落づくり、町づくりの足場、陳情などの話し合い、農協や漁協への協力、防犯や消防のことなどの意見が相当出たが、市の行政の下部末端と答えたものも相当あった。最後の(13)農地補償や漁獲補償の問にたいしては、町全体のことを思えば、ある程度のことで我慢したいというのが圧倒的に多かったが、職業別では農業・漁業の人々には、できるだけ補償をとるのは当然だとの声も相当あるのは、生活にひびく死活の問題だからだろうと思われる。

【封建意識と近代意識についての調査】

(1)人間生活の目的はなんでしょうか。

 1 金をもうけること       男 40名  女 16名 計  56名

 2 高い地位につくこと     男 3名  女  0名 計  3名

 3 立身出世すること       男 15名  女 1名 計  16名

 4 立派な人柄の人間となる 男 46名  女 10名 計  56名

 5 子供の成長のたのしみ   男 72名  女 50名 計 122名

 6 人間と社会を明るい幸せ 男 130名 女 56名 計 186名

     なものとする

  7 無      答             男  25名 女 6名 計  31名

(2)親子の関係についてですが、親を養っていくのに、次のうちどれが一番よいと思いますか。

 1 親を養うのは長男のつとめである 男  80名 女 29名 計 109名

 2 だれでも家をついだ者が親を養う 男  50名 女 13名 計  63名

 

     親を養う

  3 財産を分けてもらった子供たちが 男  8名 女 5名 計  13名

 4 財産をもらっても、もらわなくて 

     も子供たちが自分のできるかぎり  男 173名 女 72名 計 245名

      のことをして親を養う

  5 無      答                     男  22名 女 6名 計   28名

(3)長男は家をついで、弟は町へ出てひとり立ちすることが多くなった。あなたは次の意見のどれに賛成しますか。

 1 弟も家業を手伝って家を守っていく方 男  12名 女 22名 計  34名

     がよい。

  2 いずれひとり立ちしなければならない 

     だから、町へ行って独立して働いたの  男 231名 女 67名 計 298名

      方がよい。

  3 町へ行ってもよい仕事があるわけでな 

     い。食べていけるのだから家をすてて  男  47名 女 6名 計  53名

      まで行くことはない。

  4 無      答                         男  33名 女 14名 計  47名

(4)嫁にやるとき、嫁入り支度について次のように意見がわかれました。あなたの考えはどれに一番近いですか。

 1 世間なみの嫁入り支度がなければ家の 

     体面にもかかわるから、昔からのしき  男  39名 女 9名 計  48名

      たりどおり、できるだけのことをして 

      やる。

  2 とかく嫁入りには無駄が多い、不必要 男 226名 女 71名 計 297名

     なことはやめて無駄をはぶくべきだ。 

  3 いちおうの嫁入り支度ができないと、 

     娘がつらい思いをするから、できるだ  男  28名 女 4名 計  32名

      けのことをしてやる方がよい。

  4 娘がたとえつらい思をしても、家や部 

     落の古い習慣をかえていくことの方が  男  19名 女 19名 計  38名

      大切だ。

  5 無   答             男  24名 女 9名 計  33名

(5)結婚はおたがいどうしの恋愛結婚がよいでしょうか、それともなこうどさんがはいっての見合結婚がよいでしょうか。理由をのべてください。

 1 恋愛結婚がよい     男  67名 女 28名 計  95名

 2 見合結婚がよい     男  51名 女 11名 計  62名

 3 どちらともいえない 男 114名 女 52名 計 166名

 4 無    答           男  61名 女 31名 計 92名

 〔恋愛結婚がよいその理由〕○お互の気持がよくわかり将来かけての約束ができる(サラリー)。当人同志意志を尊重し、互に信頼し合いお互の行ないに責任がもてる(サラリー)。結婚前に互に理解し合うから、愛情が変わらず苦楽を共にすることができる(サラリー)。お互の愛情により家庭円満となる(農業)。交際で人柄がよくわかる(漁業)。相手をよく知るために唯一の方法は先ずその人と接することだ(サービス)。

 〔見合結婚がよいその理由〕第三者に双方をみてもらい似合の夫婦をつくる(サラリー)。恋愛は熱がさめればそれまでである(サラリー)。親心で注意してやる(農業)。仲人が入っているとその責任をとってくれる(農業)。相手のことが家庭的にわかる(漁業)。

 〔どちらともいえないその理由〕どちらにしても不合理な点がある(サラリー)。本人の心の持ち方次第だ(サービス)。その人の心次第でどうでもなる(海運業)。互に信じ合えばどちらでもよい(商業)。本人の意志を尊重し助言してやる(労務者)。

(6)あなたの最も尊敬する人物は次のうちどれですか。

 お医者さん(9名)、学校の先生(6名)、資産家(2名)、国会議員さん(8名)知事さん(10名)、市長さん(16名)、学問ある人(6名)、誠実な働き手(61名)、真面目な信用のおける人(315名)、無答(46名)。

(7)あなたは次の施設や機関を利用されますか。

 1 公民館(よく利用する 17人、時々利用 144人、利用せぬ 165人、

              無答 105人)

 2 地域社会福祉協議会(よく利用 3人、時々利用 36人、

                          利用せぬ 230人、無答141人)

 3 保健所(よく利用 9人、時々利用 186人、利用せぬ 138人、

      無答 104人)

(8)あなたの地区に農協や漁協もでき、最近協同化がすすみましたか

 1 大いに進んできた 男  50名 女 10名 計  60名

 2 すこし進んできた 男 111名 女 23名 計 134名

 3 あまりすすまない 男  61名 女  13名 計  74名

 4 無    答         男 102名 女 73名 計 175名

(9)地主や本家、網元や船主の搾取が減り、民主化されてきましたか。

 1 全く民主化された     男  60名 女 10人 計  70名

 2 すこしは民主化された 男 108名 女 25人 計 133名

 3 民主化されていない   男  7名 女 1名 計  8名

 4 無     答            男 146名 女 88名 計 234名

                                     ○とくに女に無答多し

(10)農法や漁法に新しい技法や機械がとり入れられましたか。

 1 大いにとり入れられた   男  71名 女 15名 計  86名

 2 すこしはとり入れられた 男 128名 女 22名 計 150名

 3 とり入れられていない   男  9名 女 3名 計  12名

 4 無    答               男 115名 女 79名 計 194名

                                       ○とくに女に無答多し

11)さて農業や漁業はほかの仕事とくらべて割りが合うと思いますか。

 1 割りが合う 25名   2 割りが合わない 191名

 3 わからぬ   82名   4 無    答       104名

                            ○無答分らぬ多し

  (割りが合うと答えた人に)ではどういう点で割りが合いますか。

 1 農業や漁業は国のもと貴い、天職だ                           3名

 2 広い野原や青い海でのびのびと働け健康的だ                   9名

 3 改善事業、協同化、機械化が進み、将来が明るいので           5名

 4 食うには困らない、他の仕事についてもよくなるとは思わない。  8名

  (割りに合わないと答えた人に)ではどういう点で割に合わないですか。

 1 農業や漁業ではいつまでたっても暗い生活から抜け出せない。    31名

 2 過労で骨が折れる、つらい思いがするもの                     35名

 3 値段が安い、肥料や油代が高くて割りが合わない。             74名

 4 橋が架かり、新産都市や観光都市になろうとしている現在、安閑  20名

     として現在のような仕事はやっておれぬ 

  5 補償金が出てもっと融資がきくなら考え直してみる             32名

12)ではあなたは現在の職業をどうなさいますか。

 1 先祖から引継いだ現在の職業はやめたくない                   67名

 2 しおどきをみて現在の職業をやめ、将来を考えてみたい。      111名

 3 このさいきっぱりと現在の職業をやめ、他の職業をもとめたい。 18名

 4 京阪神などの都会に出て、新しい職業につきたい               6名

 5 無              答                                        175名

13)将来、新しい職業につくとすれば、次の中のどれを選びますか。

 1 商業  65名         2 工業 24名     3 金融業  4名

 4 料理、旅館業 5名 5 交通関係 12名 6 俸給生活 25名

 7 官公吏 23名       8 労務者 10名   9 無答 282名

14)話がかわりますが、皆さん昼休みや仕事の余暇をどんなに使っていますか。

 1 雑談 53名       2 ごろ寝 76名   3 読書 32名

 4 音楽きく 15名   5 お裁縫 25名   6 庭づくり 16名

 7 ボール遊び 2名 8 新聞や雑誌をよんで 129名

 9 将棋や碁 23名 10 テレビやラジオきいて 147名 11 体育4名

 12 無答 52名

15)あなたは部落の年中行事の中で何が一番好きですか。

 1 お正月 279名   2 節句 28名     3 お彼岸  9名

 4 花見 36名      5 七夕さん 1名 6 お盆  127名

 7 秋祭り 88名    8 その他 8名   9 無答 66名

 (年中行事は好きだと答えた人に)その理由を4つあげて下さい。

 1 仕事が休める 113名        2 町へ遊びに行ける 29名

 3 面白い催しがある 75名     4 御馳走が食べられる 36名

 5 きれいな着物がきれる 4名 6 宗教的な気持にひたれる 68名

 7 無答 139名

16)皆さんお盆には墓参りに行かれますか。

 1 必ず行く 280名        2 たいてい行く 118名

 3 あまり行かない 43名   4 無答 22名

 <以上の集計所感>上記の質問事項は住民意識の前近代性と近代性、主情性と合理性、非科学性と科学性、封鎖性と開放性、伝統性と庶民性、理想性と現実性、封建性と民主性を探らんとするものである。質問が自分のこと、家族のこと、部落のことなど自分にとって直接的、此岸的な事柄であることよりして、新産都市、観光都市、鳴門架橋、政治問題などについての前記の彼岸的質問に比較して住民の関心の強さが示され、無答がはるかに少なかった。先ず(1)の「人間生活の目的が何であるか」の質問にたいし、人間と社会を明るい、幸せなものとするという答が一番多く186名の多数である。近代社会化の波に乗って人間性と社会建設のニードが示されている。しかしそれにしても家庭における子供の成長をたのしみにしているという回答が122人の多数を示し、やはり村落における家族主義、家本位、親子本位の封鎖性と主情性、諦観性をあらわしている。それに次いで金もうけることという利益打算性と、立派な人柄の人間となるという人格性の回答が同数で56名あった。封建性と近代性が大体的にみて半々である。(2)の親子の関係をみると、村落ではいまなお、親の権力、長男の権力、親子の主情性が強いのであるが、この地域ではどうであろうか。財産相続のいかんによらず、子供達はいずれも親を養う義務があるというのが245名の多数を示し、合理主義的近代意識の成長をあらわしているが、しかし親を養うのは長男のつとめであるというのが109名、家をついだ者のみが親を養うべきだとの回答が63名もあり封建的打算意識の根強さの半面があらわれている。(3)は長男と二、三男の独立についての問題であるが、二、三男は独立して出ていって働いた方がよいとの意見が298名で圧倒的で、家をすててまで出て行く必要がないとか、家業を手伝うべきだとの家族主義的封建意識は計87名となっている。(4)は嫁入り支度についての問題であるが、嫁入り支度は無駄が多い、不必要なことはやめて無駄をはぶくべきだとの割り切った答が297名で首位を占める。昔からのしきたりもあり,家の体面もあり、また娘につらい思いをさせたくないから、できるだけのことをしてやりたいという主情主義の答が、計80名出ている。それにしても娘がたとえつらい思をしても、家や部落の古い習慣を変えて行くことの方が大切だとの勇敢な新生活運動論の方式が38名出ていることは、少数にしてもたのもしい。(5)は恋愛結婚か見合結婚かの問題についてであるが、恋愛結婚支持95名にたいし、見合結婚の支持が62名も出ている。しかもどちらともいえないというのが166名の多数を示し、無答が92名もの多数があることよりして、積極意欲的な文化意識や生活意識のとぼしさがうかがえるようである。(6)において最も尊敬する人物をたずねたところ、特定の知事とか市長とか議員とかを指ささず、無特定の真面目な信用のおける人(315名)、誠実な働き手(61名)と答えた人が圧倒的に多かったことは、住民の意識に現代大衆社会心理の影響がしだいに侵透しつゝあることを察知せしめる。(7)は公共施設や機関の利用についてであるが、公民館や地域社協はあまり利用せぬ人が多いが、保健所は時々利用する人数がふえている。それにしても無答者が多いことはどうしたことだろう。施設や機関の名称すら知らぬ人がいる。(8)は農協や漁協の協同化の進み工合についてたずねてみた。構造改善、体質改善、協同化や企業化は現代農村、漁村の革新にとって痛切な問題である。農協や漁協を御座なりに利用するだけでは困るのであるが、協同化が進んだかの質問にたいし、175名の多数が無答であることは意識の低さ、関心の缺如を示している。あまり進まないというのが74名、すこし進んできたというのが134名出ている。職業別にみて、大いに進んできたというのが土佐泊漁家に多いが、それは土佐泊の漁協が相当活発に動いているからである。農家の人々は、あまり進まない、すこしは進んだがとの意見が多く示されたが、農協があまり活動していないからであろう。(9)は地主と小作、本家と分家、網元と網子、船主と船子の上下関係、支配と被支配関係が弱まり、搾取が減って民主化が行なわれるようになったかとたずねてみた。農地解放や漁業法の改正によってしだいに農村、漁村の民主化が推進されているわけだが、その現状打診である。すこしは民主化されたと答えたもの133名、全く民主化されたと答えたもの70名で、民主化されていないというのは8名にすぎない。問題は無答の多いこと、とくに女子の無答が際立って多いことは、民主主義の精神が末端にまで徹底していない証拠である。職業別にみて問題が問題だけに、農業、漁業者の無答は他の職業に比べ比較的少なくなっている。(10)は農法や漁法に新しい技法や機械がとり入れられたかとの質問である。とり入れられていないとの答えは殆んどないが、大いにとり入れられたとの答が86名に対し、少しはとり入れられたとの答は約倍数の150名を示している。職業別にみて農業、漁業は直接生活上の切実な問題から回答が多く肯定的だが、他の職業は問題に対する関心がうすく、無答が圧倒的に多い。(11)では農業や漁業はほかの仕事に比べ割りが合うと思うかとその理由をたずねてみた。割りが合うというのが僅かに25名に対し、合わないというのが191名出ている。それにしてもわからぬと無答が計186名も出ている。(12)ではあなたはそれでは現在の職業をどうなさいますかとたずねてみた。結果は先祖からついたこの仕事をやめたくないとの答が67名に対し、しおどきをみてやめて将来を考えたいというのが111名あった。この場合が約半数の者が無答である。(13)新しい職業につくとすればどんな職業を選ぶかとの質問に対し、転職の必要のない人が多いこととて無答が圧倒的に多いが、商業が一位、サラリー官公吏が二位、工業が三位、料理、旅館業が案外少なく、労務者になりたいというのが10名あった。(14)では話題をかえて昼休みや余暇をどう過すかについてたずねてみた。多いものから順番に示すと、マスコミ、ごろ寝、雑談、読書、お裁縫、将棋や碁となっており、ごろ寝と雑談で暇をつぶす人が割合に多いことが察知される。(15)では年中行事の中でどれが一番好きかとたずねたところ、お正月というのが圧倒的に多く279名も出た。それに対しお盆というのが127名あり、秋祭りというのが88名であった。都市ではお正月が最もにぎやかだが、村落ではお盆や秋祭がにぎやかにされるのがしきたりだが、数字の示すところではこの地域にも近代都会意識がしだいに浸透してきていることが考えられる。最後に(16)ではお盆には墓参りに行くかどうかをたずねてみた。さすがに農村、漁村地域のこととて必ずお参りに行くとの答が非常に多く280名、たいてい行くが118名あり、あまり行かないと答えた者は少くて43名であった。大抵の者がたいていお墓参りに行くことを物語っており、やはり農漁村の主情性、伝統性、信仰心の厚さの一面がうかがえるようである。

 <後記>本論文では地区別、年令別、階層別集計と分析は掲げていない。なにぶんに早急に原稿を書きおろし締切日時に間に会わせる必要のあったこと、調査学生の集計が試験その他の事情でおくれたことなどよりして、充分に推敲するいとまがなかった。統計数字の上でも若干の食い違いが見られるようでもあるが、他日機をみて訂正したいことをここに申し添えておきたい。

徳島県立図書館